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37 キリアスとヘンリー

 ヘンリーがいる大部屋に、キリアスが入ってきた。キリアスの顔が高揚している。


(む。猛烈に面倒で厄介な予感がする)


「こんな時間にどうした」

「ヘンリーさんが洪水の現場に持ってきたポーション、あれを作ったの誰? 作った人に会いたい。会わせて」


 キリアスがしゃべり終わるまでのわずかな間に、どう答えるのが最良かヘンリーは考えた。


「事情があって何も言えないんだ。ポーションの内容に問題があったのか? それなら俺が謝罪する」

「あれえ? ヘンリーさんはあのポーションの内容を知らないで持ってきたんだ?」


 キリアスはヘンリーの隣の席の椅子を引き出して座り、目をキラキラさせてヘンリーを見る。


(俺が言うのもなんだが、こういう時のキリアスは好奇心いっぱいの子猫だな。だがこの子猫は全く油断ならない。頭脳明晰な上にこの国でも一、二を争う魔法の実力者。そしてハルフォード侯爵家の溺愛されている末っ子だ)


 キリアスは城のお抱え魔法使いになったとき、侯爵家の人間として丁重に扱おうとする人々に宣言した。

「僕は侯爵家の人間だからここにいるんじゃない。実力で城の魔法使いになった。だから身分のことは一切気にしないで扱ってほしい」

 キリアスがそう言ったのでヘンリーは身分を気にせず接している。


「なんで黙ってるの? ヘンリーさんが隠したがる人って誰かな」

「探るような言い方はやめてくれ」

「教えてくれないとヘンリーさんとポーションを作った人の両方が困ることになるよ。これは本当」

 

 かなりの魔法の使い手であるマイが作ったポーションだ。質が悪かったとは思えない。もし質が悪かったとしても、毒でも入れない限り寄付したポーションで罪になど問われない。そのために鑑定係がいるのだ。


(とすると、問題があったのは瓶か)


 ヘンリーはキリアスに鎌をかけることにした。

 

「瓶に問題があったんだね。それは俺の失態だ。俺が償おう」

「ヘンリーさんの失態のわけがない。あの瓶、魔法で作られた品らしいし」


(見抜いた人がいるのか! らしいってことは見抜いたのは別の人間だな)


「ヘンリーさんはなんでその人を隠したいの? その魔法使いとは親しいの? その人は魔法使いであることを隠しているの?」


 どんどん核心を突いてくるキリアス。


(キリアスは頭が回る。下手なことを言うとそこを足掛かりにされそうだ)


「多分だけど、ハウラー家に関わる人か、ギルシュさんか、マイさんじゃない? いや、ギルシュさんはないな。ハウラー家の関係者? マイさん? どっち?」


 鎌をかけたらかけ返された。


「鎌をかけても無駄だ。無関係な人を巻き込むな」

「ヘンリーさんにはいろいろ助けてもらっているし口が堅いこともわかっている。だから特別に教えてあげる。魔法部が使う瓶には、秘密があるんだ。ヘンリーさんが持ち込んだ瓶は、その秘密に触れているんだよ。表沙汰になれば、国から罰が下される行為だ」


(やはり瓶だったか。魔法部と軍部だけの秘密ということだな。いや、ならば宰相も噛んでいるか。瓶になんらかの目印をつけておいたのか? 失敗した。差し入れを止めておけばよかった。これは俺の失態だ)


 ヘンリーはまだ軍部の情報にはあまり食い込めていない。それを今、とても残念に思った。

 ヘンリーが沈黙しているのを見て、キリアスがさらに踏み込む。


「大師匠のグリド氏が、あの瓶を作った魔法使いを呼んでこいって言っている。連れて行かなかったら、きっとすごく面倒なことになる。あの人は言い出したら絶対に諦めない。それは自信を持って言えるよ」

「待て。グリド氏がそう言っているのか! だったら早くそれを言ってくれよ。俺が会う。今からでもいい」

「ヘンリーさんじゃダメ。グリド氏は瓶を作った魔法使いを呼んでこいって言っているんだ。グリド氏は瓶を作ったのが元恋人だと勘違いしているけどね。そんなはずないのに」

 

(それ、まんざら勘違いじゃない。方向は合っている)


「まずは俺を連れて行ってくれ。グリド氏と話したいことがあるんだ。全てはそれからだ」


 ヘンリーはマイにリヨルの過去を聞かせたくない。

 彼女の祖母は親に売られ、働かされ、飛ばされた。そして今度は、マイがこちらに来て孤独に耐えながら笑顔で前に向かって進んでいる。そんな彼女に悲惨な祖母の生い立ちを聞かせて心を折りたくない。

 立ち上がったヘンリーを、キリアスは驚いた顔で見上げている。


「なぜヘンリーさんがグリド氏にそんなに会いたいの?」

「グリド氏との話し合いによっては、ポーションの作り手をグリド氏に紹介する。だが、いきなり会わせるのは避けたい。そこは譲れない。遅い時間だが、今からでも会えるか?」

「うーん………。わかった。グリド氏がなんて言うかはわからないけど、行くだけ行ってみよう」


 こうしてヘンリーとキリアスは夜の八時過ぎにグリド氏の屋敷へと向かう。

 二頭の馬が敷地に入ってきた足音を聞きつけ、例の老女がドアを開けて出てきた。


「やあ、また来たよ。先生に取り次いでほしい」

「少々お待ちくださいませ」


 老女は無表情にそう言って、階段を上がっていく。すぐにグリド氏の許可が出てヘンリーとキリアスがグリド氏の部屋に入ると、グリド氏はヘンリーを見て不機嫌そうな顔になった。


「キリアス、この瓶を作った魔法使いを連れて来いと言ったはずだが?」

「この人がその魔法使いと知り合いなのです、先生。彼はどうしても先生と話をしたいと言っています」

「ヘンリー・ハウラーと申します。先生が会いたいとおっしゃっている人物をここへ連れてくる前に、少々お話しさせていただきたいのです」


 話の途中で、グリドがポーションの瓶を大切そうに両手で包んでいるのに気づいた。

『魔法使いの中にはごくごく少数、使われた魔法の痕跡を読み取れる者がいる』と本で読んだことがある。本によると、魔法使いによって残される痕跡は全て違うらしい。


 この老魔法使いはマイが作った瓶を通して、自分の元恋人を感じ取っているのだろう。

 老魔法使いの姿を見ていたら、胸の奥からふいに不慣れな感情が込み上げてきた。感情に左右されずに生きてきたヘンリーは、自分の中に突然生まれた感情に動揺する。


(マイさんが突然消えたら、俺もあんなふうに彼女が残した品を手にして悲しむんだろうか)

 

 そう思わせる何かが老魔法使いの姿にはある。ヘンリーの胸が痛んだ。

 

「君は何について話したいのかね。この瓶を作った魔法使いのことかね」

「それについては先生と二人だけで話し合いをさせてください。キリアス、すまないが席を外してくれるか」

「はあ? それはダメだよ。魔法部の長として僕は同席させてもらう」


 きっとそう言うだろうと思っていた。だからヘンリーは立ち上がり、キリアスに向かって深々と頭を下げた。


「本当に申し訳ないが、席を外してほしい」

「ちょ、ちょっと待って。頭を上げてよ」

「頼む、キリアス。この通りだ」


 普段は陽気なキリアスが、頭を下げたままのヘンリーに静かに話しかけた。


「それはつまり、僕のことは信用できないってことだね? ヘンリーさんが守りたいと思っている人のことを、僕が軽々しく口外すると思っているわけだ。確かに国の害になることなら僕は報告する。それは僕の下で働いている魔法使いたちを守るためだ」


 グリド氏が興味深そうにキリアスとヘンリーを見ている。


「嫌々引き受けた長ではあるけれど、僕はいい加減な気持ちで魔法部の長をやっているわけじゃない。でも国の害にならないなら、ヘンリーさんの意見も聞くつもりだ。そのくらいの分別はある。僕を馬鹿にするなよ」


 普段は大きな子供みたいな言動のキリアスから強い圧が発せられている。それでもヘンリーは迷う。

 キリアスがマイの魔法の力を知ったら面倒なことになるのではないか。マイが嫌がっても魔法部へ入れようとしつこく食い下がるのではないか。

 もしハルフォード侯爵家の力を使って根回しをされたら、自分では抵抗できない。

 キリアスはそんなことをしないと思いたいが、魔法に関することになると魔法使いは人が変わる。


 ヘンリーは頭を上げ、自分を見据えているキリアスを見返しながら、どうするのが最善か猛烈な勢いで考える。そこへ老魔法使いの笑い声が割って入った。


「はっはっはっは。愉快愉快。久しぶりに若者のぶつかり合いを見た。若さは素晴らしいものだな。ヘンリー・ハウラー、君と話し合いをしよう。ただしキリアスも同席させなさい」



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