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36 鑑定係のマリリン

 グリド氏の屋敷は手入れをされているはずなのに古びて見える。キリアスはその建物を見上げてつぶやいた。


「家は人が住まないとどんどん傷むってよく言うけど、換気や掃除だけの問題じゃなさそうだ。主に元気がないと屋敷まで沈んで見える」


 キリアスはグリド氏が苦手だ。

 魔法にのみ興味を持ち、魔法以外はどうでもいい老人。自分も同類である自覚はあるが、グリド氏の魔法に向ける情熱はキリアスとは桁違いだ。

 魔法の実験をしているときのグリド氏は不眠不休は当たり前。そんなときのグリド氏の様子には鬼気迫るものがあった。


「旦那様は眠っていらっしゃいます。声をかけてみますが目が覚めなければお会いになれません。こちらで少々お待ちくださいませ」


 対応に出た老女は腰が曲がり始めていて、手すりにつかまりながら階段を上っていく。グリド氏はポーションを作れるのだから、腰痛持ちらしい彼女にポーションを作って飲ませてやればいいのに、と思う。


 しばらく椅子に腰かけて待っていると、階段をゆっくり下りながら老女が「お会いになるそうです」と言う。

 キリアスは「わかったよ」と言って階段を駆け上がった。


 ドアをノックをすると「入りたまえ」としわがれた声。入った部屋は空気が淀んでいた。薬草の匂い、羊皮紙の匂い、高級そうなお茶の香りが入り混じった空気に、キリアスは(懐かしい)と思う。師匠の後ろについてこの部屋に初めて入ったのは、たしか五歳のときだ。


 グリド氏は背中にクッションをいくつも当てて上半身を起こし、こちらを向いていた。だがその目にキリアスの姿がどの程度見えているかは怪しい。両目は青白く濁っている。


「君は誰だったかな」

「リーズリー氏の弟子のキリアスです。現在は魔法部の長を務めております」

「私に何の用かね」

「お見舞いに参りました。リーズリー氏が行方不明になってから、なかなか来られずに失礼いたしました」


 グリド氏が「ふっ」と笑う。


「見舞いは相手の容態を案じてするものであって、仕方なく顔を見せるのは見舞いとは言わん。虚礼だ」


(その通りだけど。言ったら身も蓋もないでしょうに)


 キリアスは見舞いに行かなくちゃと思った少し前の自分を殴りたい。


「立っていないで座りたまえ」

「はい。ありがとうございます」


 ベッドサイドのテーブルには本が山積みで、左手に抱えていた小箱を置く場所もない。仕方なくガラス瓶の入った小箱を膝に載せてグリド氏の近くの椅子に座った。

 普段は自由気ままに行動するキリアスも、グリド氏の前ではごく普通の貴族の令息らしい態度になる。そのほうが時間が短くて済むからだ。


「ジュゼルの行方はいまだ不明か」

「はい。リーズリー氏が生きていらっしゃることを祈るばかりです」

「祈りなど無駄だ。なんの役にも立たんよ」

(僕だって知ってるけど。ああ、もう帰りたい)


 突然、グリド氏が空中に漂う何かを探すように顔をあちこちに動かした。そして視線は最後にキリアスの膝の上の箱に向けられて止まる。

 

「その箱には何が入っている」

「ポーションの瓶です。少々確認したいことがありまして」

「その箱を貸しなさい」


 立ち上がり黙って小さな木箱を差し出すと、グリド氏はあちこちにシミの浮いた手で受け取り、断りもなく蓋を開けて中を覗き込んだ。そして手のひらを瓶にかざす。


「まさか!」


 老人の顔には驚愕が浮かんでいる。キリアスはこの老人のそんな表情を初めて見た。


「先生、どうなさいました?」

「君は魔法解析術を使えるか」

「少しなら」

「少し? そうか、君ほどの魔力を持っていても少し、か。城の魔法使いは実用性ばかり重視されて研究をさせてもらえないからな。キリアス、これを作った魔法使いはどこだ」

「その瓶はガラス職人が作ったものだと思いますが」

「違う!」


 さっきまでグリド氏の目は、部屋の空気と同じように淀んでいた。それが今はギラギラと輝き、頬には血の気が戻っている。


(なんだ? その瓶がどうしたんだ?)


「これはガラス職人が作った瓶ではない。この瓶を作った魔法使いを連れてきなさい。これを作ったのは、私が五十五年間待ち続けていた人だ! 間違いない!」

「その方のお名前をうかがってもよろしいでしょうか」

「リヨルだ。彼女の美しい魔法の痕跡がこの瓶にクッキリと宿っている」

 

(リヨルって、この人が消した恋人の名前だったな)

 

「何をぐずぐずしておる! さっさとこの瓶の作成者を連れてこい!」

「はい」


 静かに立ち上がり、箱に手を伸ばそうとしたらサッと避けられた。


「その瓶は必要ですので、お返しください」


 グリド氏は抵抗したが、キリアスも譲るわけにはいかない。しかたなく一本だけ瓶を渡して部屋を出た。

 おそらく言いなりに動かないともっと厄介な用事を言いつけられる。無視すればなにかしらの手段を使って自分を動かそうとすることもわかっている。黙って言いなりになるのが最小の労力で済むコツだ。


「リヨルなわけないけど。作った人を探すには……本当はさっさとヘンリーさんの所へ行きたいけど、効率よく進めるには……まずは鑑定係か」


 ベーコン入りパンを使用人の老女に渡し、日が暮れて一気に暗くなる道を城へと向かう。

 城に到着し、軍部の建物に入った。受け付けにいる若い男性に声をかけた。


「ポーションの鑑定係、いる?」

「マリリンのことでしょうか」

「名前は知らない。洪水の現場でポーションをチェックした人。呼び出してほしいんだ。急ぎで頼む」

「はいっ」


 鑑定係の名前は覚えていない。覚える必要がない人の名前は覚える気がない。少したって、女性が走ってきた。もぐもぐ口を動かしているところを見ると、夕食の途中だったらしい。キリアスは(そう言えば僕も腹が減ったな)と思う。


「マリリン・スイープルでございます、キリアス様」

「食事中に悪かったね」

「どうぞお気になさらずに。どのようなご用件でしょうか」

「洪水の現場でポーションを鑑定したのは君だよね」

「はいっ」


 マリリンの目に怯えが浮かぶ。マリリンはそこそこの魔力を持っていることと、鑑定の能力があることから軍部に雇われた。マリリンは(私、職を失うようなヘマをしたのかしら。困る困る。名誉も収入も失いたくない!)と慌てていた。


「軍の誰が何本ポーションを持ってきた?」

「それでしたら控えがございます」


 マリリンは肌身離さず携帯している手帳をスカートのポケットから取り出した。使い込んでいることがひと目でわかるくたびれた手帳だ。


「軍部からは午前八時すぎにウォルター・マッコール伍長が五十本を届けてくれました。この建物内で受け取りました」

「軍からはそれだけ?」

「はい。他は皆、寄付の市販品でございます。寄付してくださった方のお名前と本数は記録してあります。読み上げますか?」

「頼む」


 マリリンが真剣な表情で手帳を読み上げる。


「アッサール侯爵家から五十本、ハルフォード侯爵家から五十本、オードワール伯爵家から三十本、ミズリー伯爵家から十本、アントワース伯爵家から十本、ヘンリー・ハウラー筆頭文官様から四十本でございます」


 それまで無表情に聞いていたキリアスの顔が、四十本と聞いて強張った。


「ヘンリーさんが運んできたポーションは誰からの寄付なの?」

「篤志家から、としかうかがっておりません。ハウラー様でしたので、それ以上のことは私からはちょっと……」

「わかった。その四十本の中身はどうだったかまでは記録してないよね?」

「記録してございます」


 マリリンがちょっと小鼻を膨らませながら即答した。


「ハウラー様が運び込んだポーションは、全て特級でございました」

「ありがとう。大変参考になった。君は優秀だね」

「あ、あ、ありがとうございます!」


 真っ赤になって感動しているマリリンに、キリアスが質問をする。


「特級のポーションが四十本、軍以外から提供されたことに疑問を持たなかった?」

「え? ……ああっ!」


 目を見開いて動けなくなったマリリンにキリアスが感情のこもらない視線を向ける。


「まあ、それはとがめないよ。君の仕事は鑑定だからね。その先のことまでは責任がない。ポーションの瓶を返却したのも君?」

「いえ。バラバラに戻ってきた瓶を私がしるしを確認して仕分けました。戻ってきた数が多かったので、返却は軍部の方に頼みました」

「そう。魔法部には九十本戻ってきている。仕分けするときに数がおかしいとは思わなかった? 鑑定を一気にやって疲れちゃったのかな」

「九十……。も、申し訳ございませんっ! 他の瓶が混じっていたのですね?」

「仕事は最後まで気を抜かないようにね。戻ってきた瓶の本数確認は君の仕事だ」


 真っ青になったマリリンに背中を向け、キリアスはヘンリーのいる大部屋に向かう。


「聞かせてもらおうじゃないか。特級ポーションを作ることができる魔法使いはどこの誰で、一気に四十本作ったのか少しずつ作ったのか。ヘンリーさんはどうやってそれを手に入れたのか。聞きたいことがいっぱいある」



 その頃、グリドは瓶を手に、茫然とした表情で独り言をつぶやいていた。


「生きていたんだな。この国にいるのなら、なぜ私のところに来てくれないのか。君のそしりはいくらでも甘んじて受けよう。君は生きていた。よかった、本当によかったよ、リヨル」


 そこまでささやいて、グリドは瓶を両手で包むようにして額に押し当て、静かに涙を流した。

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