35 ポーションの瓶
洪水現場に提供されたポーションのガラス瓶が城に戻ってきた。
雑用係のモルが受け取り、一階の洗い場で丁寧に洗浄している。城で使われる瓶は洗浄後にひびが入っていないか入念に目視で点検され、水魔法と火魔法を使って清められる。
魔法部のマイヤーが洗い場を通りかかり、モルの手元を覗き込んだ。
「おう、瓶が戻ってきたか」
「はい」
モルの手元を見て、マイヤーは首を傾げた。
(あれ? 数が多くないか?)
魔法部が作って軍部に納めたポーションのうち、どこに何本使用したかは軍からその都度連絡が来る。マイヤーはキリアスから五十本が被災地に運ばれたと連絡を受けていた。だが、今雑用係が洗っているガラス瓶はその倍近くある。
不思議に思ってモルの手元にある瓶の数を数えたら、九十本あった。
「そんなはずは」
マイヤーがそうつぶやくと、モルが心配そうな顔をした。
「なにか不手際がございましたか」
「ううん。君は何も心配しなくていいよ」
マイヤーはそう言って、全部の瓶をチェックした。
瓶の形が細長い筒状なのは城のも店のも同じ。以前は豪華な装飾を施された瓶が使われていたが、ジュゼル・リーズリーが長になったときに装飾の廃止を国王に直訴してやめさせた経緯がある。
「ポーションの役目は怪我や病気を治すことです。使い終わった瓶は魔法によって清めなければなりませんが、華美な装飾のせいで瓶を清めるための魔力が無駄に消費されます。全くもって愚行の極み。陛下、どうか瓶は市販のものと同じ装飾がないものに変更させてください」
国王はその場でリーズリー氏の要求を受け入れた。それ以降、ポーションの瓶は市販の品と同じだ。だが、魔法部が使うポーションの瓶は市販のポーション瓶とはほんの少し違う箇所がある。ガラス瓶の内側の底にごく小さな三角の模様がつけられている。
瓶の作成時にうっかりついてしまった道具の先端の跡のように見えるが、実はそれが目印だ。
目印は魔法使い、軍医ベルゼン、ポーション鑑定係、あとは宰相しか知らない。しかも目印の形と場所は定期的に変えられ、古い目印がついた瓶は廃棄される。
マイヤーが見たところ九十本全部、三角の模様があった。
(どういうことだ?)と首を傾げながら階段を上り、魔法部の部屋のドアを開けた。部屋にいたのはキリアスだけだった。
「マイヤーお帰り。今日は道路整備だったね。他のみんなは堤防の修理に出てる。僕はこれから一人で土砂崩れの現場に向かうよ」
「なあ、キリアス、洪水の現場に国が提供したポーションは、五十本と言っていなかったか?」
「そうだよ。ポーションがどうかした?」
「瓶が九十本戻ってきてるんだ。市販品が混じっているのかと思って全部チェックしたけど、どれも魔法部用の印があった」
「そう……わかった。僕が確認するよ。そしてそのまま工事現場に行くね」
「ああ、頼むな。瓶は今、雑用係の子が下で洗ってる」
キリアスは何げない顔で魔法部を出たが、ドアを閉めるなり険しい顔になった。
(誰かが魔法部の瓶を真似しているとしたら、厄介だな)
魔法部が作るポーションは市販品とは値段と効果が違う。市民は「値段の違いは効果の違い」と割り切って市販品を使う。城の魔法使いにはなれないレベルの人間が作るポーションも、値段なりの効果はあるからだ。だが、国のお抱え魔法使いが使う瓶の印を誰かが真似したとなれば問題だ。
二十五年前、二人の王子が相次いで病に倒れたときに、ポーションの質が問題になった。ほとんど効かなかったのだ。だいぶ後にわかったことだが、魔法部が管理していたポーションは中身を市販品にすり替えられていた。
城に就職するには厳しい身元調査がある。就職後は顔なじみの使用人であっても城内に入る際に毎回身分証を見せる。さらに魔法部の金庫がある奥の部屋に入るには、それなりの魔力を通さないと開かない扉がある。魔法部の雑用係でも魔法使いが全員出払ってしまうとその部屋には入れない。
王族の口に入ることもあるポーションは魔法部の奥の部屋で、魔力で封じた金庫に収められていた。
魔法部のポーションを盗むことは大罪だ。盗んだとわかれば強制労働三十年という、死ぬよりつらい罰が下される。強制労働所の仕事は厳しく、三十年の刑期を終えて出てきた者がいない。
何重にも守られているポーションは、過去に一度も盗まれたことがなかった。
長年盗まれなかったゆえに魔法使いたちも警備兵も、ポーションが盗まれるとは思っていなかった。油断である。
その事件が解決されたのは城のポーションを飲んで治った人が、後日近所の人に「息子がお城のポーションを買ってきてくれたおかげで治った」と自慢したことがきっかけだ。
当時、国中に蔓延していた流行り風邪は王都でも猛威を振るい、城のポーションは王族、貴族、軍人、その家族に優先して使われた。魔法部がいくらポーションを作っても足りず、一般人がお金を出したところで買える状態ではなかった。
だからその男性の話は怪しまれて密告され、調査が始まった。
犯人を捕まえてみれば、ポーションをすり替えたのは城の使用人だった。犯人はそこそこの魔力を持っていて、魔法使いが作ったポーションを金持ちの平民に高値で売りさばき、大金を手にしていた。
その使用人に魔力があることを人事部は把握していなかった。
魔力があれば賃金の高い仕事を得られるから、人事部側は魔力の保有を報告しない使用人がいるという視点に欠けていた。
その使用人は最初から窃盗目的の就職だった。盗んだのはポーションだけではないことも後に判明する。
真相の判明後、国の重鎮たちは会議で「魔法使いたちにポーションの管理は任せられない」と判断を下した。
それ以降、ポーションの保管場所は昼夜を問わず軍人が警護する建物に変わった。魔法使いたちは自分が作ったポーションであっても自由には近づけない。自宅でポーションを作って売りさばくことは事件以前から禁止である。
「国はその能力に大金を払っているのだから私的にたくさんの魔力を消費するのは禁止」という理由だ。
事件を機に、ガラス瓶は国が指定した店でだけ作られることになった。その店は同じガラス瓶をお城以外に納めることを厳しく禁じられている。そんな背景があっての今回だ。
キリアスが洗い場に到着した。
「君、ちょっとその瓶を見せてくれる?」
「はいっ!」
さっきのマイヤーに続いてキリアスも瓶を厳しい目つきで見ている。モルは(俺、丁寧に洗っていたよな?)とドキドキしながら立ち尽くした。
「君、小箱をひとつ持ってきて」
「はいっ!」
モルが走って空き箱を持ってきた。小箱を受け取ったキリアスは、九十本の瓶を一本ずつじっくりと眺めては分別して箱に入れていく。瓶は全部熟練ガラス職人の手作りだが、通常は瓶の底の三角の印が微妙に位置と形が違う。側面の歪み方も違う。
他の人間には見分けられない程度の違いだが、キリアスには見分けられる。九十本のうち四十本は三角の形も位置も完璧に同じで、本体の歪み方も全く同じだった。数の多さに考え込む。
(一本一本手作りなのに、四十本も完璧に同じ仕上がりなんてありえない)
「キリアス様、僕はなにか失敗したのでしょうか」
「いや。君は何も失敗していないよ」
(んんん……。鑑定係に聞くか。それなりのポーションが入っていたことは間違いないのだし)
洪水の現場でポーションを管理していた女性は、軍医の下で働く魔力持ちだ。彼女は魔法こそ使えないが、魔力を使ってポーションの品質を鑑定することができる。何も報告がないのだから、ポーションはそこそこの品質だったはず。
(彼女は今日も川べりのテントか。人が多い場所でこの話はしたくないな)
キリアスは怪しい瓶の入った箱を持って土砂崩れの現場に行き、仕事を終えてから彼女と話をすることにした。
土砂崩れの土を片付け終え、城に戻る途中の店で馬を止める。魔法を連発して疲れていたから甘いものを食べたかった。店に入ったところで大師匠のグリド氏を思い出した。大師匠は恋人に瞬間移動魔法をかけた人である。
「この店のベーコン入りパンはグリド氏の好物だったな。たまには顔を出すか。鑑定係は城の宿舎住まいだから帰りが遅くなっても問題ない」
グリド氏の屋敷はこの店から近い。
氏は現在八十五歳。この国ではめったにいない年齢だ。現在はさすがに日常生活を一人でこなすことができず、身の回りの世話は使用人に任せて終日横になっている。現役の頃は豊かな魔力を誇る魔法使いだったが城には勤めたことはなく、ずっと在野の魔法研究家を貫いた人物だ。
キリアスは大師匠にあたるグリド氏から直接指導を受けたことはない。師匠のジュゼル・リーズリーがお見舞いに行くときにお供で通ったことがあるぐらいだ。それも自分が城に就職してからは忙しいのもあって行かなくなっている。
師匠のリーズリー氏は休むことなく週に二回ずつお見舞いに通っていたが、彼が行方不明になってからもう半年だ。師匠の代わりに月に一度くらいは見舞いに行かねばと思いつつ、実際は一度しか見舞いに行っていない。魔法部の長に指名されてからはとにかく忙しかった。
「忙しいからって後回しにしていると、行かないままになるな。よし、これから行くか」
グリド氏の好きなベーコン入りのパンとポーション瓶の入った箱を抱え、キリアスはグリド氏の家を目指した。