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32 ディオンさんの話

 眠ってしまったソフィアちゃんを家に帰さなくちゃ。

 まずは荷車の準備をした。荷台に毛布を敷き、ソフィアちゃんを寝かせ、毛布を二つ折りにして掛けた。

 私も温かい服装に着替え、私と荷車全体を包むように結界を張ってから外に出る。


「行きますか」


 大雨で道は元通りのでこぼこ道に戻っているが、今夜は舗装は諦めよう。結界のおかげで寒くはない。真っ暗な夜道を荷車を引いて歩く。東京の下町で暮らしていたころには想像がつかない現実に、ゆるい笑いが込み上げてくる。

 

(おばあちゃん、私、犬獣人の子供を載せて荷車を引いているわよ。びっくりよ)

 

 もう灯りを消している家が多く、道は暗い。(お月さまが恋しいなあ)と思いながら荷車を引く。

 ソフィアちゃんの家がどこかわからないけど、とりあえず川の方へと通りを進む。行った先で聞きまくろう。三十分ほど歩いただろうか。静かな夜道にタッタッタッタと軽快な足音がこちらに近づいてくる。複数だ。


(誰? 何人来る?)


 さすがに知り合いもいない地区の夜道は怖い。水魔法を放つべく体内で魔力を練る。


「ソフィアー! 返事をしなさい! ソフィアー!」

「ディオンさん? ディオンさんですか? こっちです!」


 複数の足音が集まってくる。引きつった表情のディオンさん、半泣きのカリーンさん、初めて見る中年男性はおじいちゃんか。結界を消し、大きく手を振った。


「マイさん! ソフィア! ああ、よかった! 無事だった! 俺、もう二度とソフィアに会えないのかと……」

「マイさんがソフィアを保護してくれたんですね? ありがとうございます!」


 お礼を言うカリーンさんがソフィアちゃんを眺めながら泣き出した。


「うちのお店まで一人で歩いて来たんです」


 ディオンさんが崩れ落ちた。膝の力が抜けたみたい。おじいちゃんは私に頭を下げた後、脱力して星空を見上げている。

 

「私もドアの外に立っているのを見たとき、ギョッとしました。歩き疲れたらしくて、うちに来たらすぐに眠ってしまいました。おうちはまだ遠いんですか?」


 ディオンさんが目元をグイッと手の甲で拭ってから私を見た。

 

「この近くです。汚い家ですが、お茶の一杯も飲んでいってください」

「いえいえ、このまま帰ります」

「マイさん、ソフィアは、その……ソフィアは……」


 聞かれている。変身したのかと聞かれてる。絶対そう。

 カリーンさんとおじいちゃんが私を見つめている。どうしようかと迷ったけど、正直に答えることにした。


「ソフィアちゃんは短い時間だけ姿が変わりました。でも、見なかったことにします。誰にもしゃべりません。お約束します」


 短い沈黙。それから四十代と思われるおじいちゃんがソフィアちゃんを抱き上げ、渋い声を出した。


「お嬢さん、ソフィアがお世話になりました。ディオン、お嬢さんを送って差し上げろ。ソフィアは俺たちが連れて帰る」

「はい、父さん」


 おお。おじいちゃんは群れのリーダーっぽい。


「お嬢さん、お礼は明日にでも」

「マイさん、ありがとうね」

「お礼はお気持ちだけで結構です。カリーンさん、またソフィアちゃんを預けてね。大丈夫だから」


 それには返事がなかった。おじいちゃんとカリーンさんに見送られてディオンさんと家に向かう。荷車はディオンさんがそっと手をかけたので任せることにした。

 二人でしばらく沈黙して歩く。筋肉ムキムキのディオンさんが一緒なので暗い夜道も安心だ。しばらく歩いてから、ディオンさんが前を向いたまま話しかけてきた。

 

「ソフィア、なにか言ってましたか」

「ええ。犬になると怒られるって。わざとじゃないって言ってました。だから『怒ってるんじゃない、心配してるんだよ』と言いましたが、伝わったかどうか」


 また沈黙。これ、正直に言わないほうが正解だったのかな。でも私、嘘をつくのは下手くそだから。


「驚いたでしょ? 恐ろしかったですか?」

「ソフィアちゃんをですか? 恐ろしいわけないです。可愛くて可愛くて。夢かと思いました」

「可愛い?」

「太い脚も、大きな頭も、ぽんぽこりんのおなかも、小さな耳も、全部可愛かったです。茶色い眉毛も最高に愛らしくて。ただ、人間に戻ると裸になっちゃうから。街の中で姿を変えたら、ものすごく危険ですよね」

「そうなんです。普通はあんな幼い子は変身しないんですが、大雨の前日に怖い思いをしたんです。それがきっかけになったみたいで」


 何があったか聞いてもいいのだろうか。興味本位で聞いちゃいけないよね。


「マイさんは何があったのか、聞かないんですね」

「ディオンさんが話してくれることは聞きます。私からグイグイ質問したら、ただの興味本位でしょう? ソフィアちゃんが怖い思いをしたのなら、興味本位では聞きたくないから」


 ディオンさんがしばらく沈黙してから事情を話し始めた。


「ソフィアには『繋がれている犬に近づいてはならない、目を見つめてもいけない。逃げられない犬は、自分を守るために噛むことがある』と、しつこいほど繰り返し教えてきました。でもまだ三歳だから……」


 ああ、怖い話になりそうだ。


「夕方、おふくろがソフィアを連れて野草を摘みに行きました。そのときにイノシシ猟帰りの集団が近くを通りかかりったんです。おふくろが止める間もなく、ソフィアがその集団の方に駆け寄り、先頭の犬をじっと見たそうです。すぐ近くではなく、結構距離はあったようですが、犬にしてみれば挑発するように近づく生意気な態度に見えたのでしょう」


 はああ、とディオンさんが震える息を吐いた。


「先頭の犬は群れを率いる血気盛んな若犬だったのです。なだめようとする貴族の使用人を振り切り、紐をつけたままソフィアに飛びかかって押し倒したそうです」

「うわ……。それ、ソフィアちゃんより大きな猟犬だったんじゃ」

「ソフィアの倍はある犬だったそうです。犬は幸い口輪をしていましたが、何度もソフィアを噛もうとしたのです。母が駆け寄ってその猟犬を追い払ったのですが……」


 ソフィアちゃんは殺されるかと思う恐怖体験をしたんだ。気の毒に。どれほど怖かっただろう。


「ソフィアはその日の夜、うなされながら変身しました。それ以降、ちょっとしたことで姿を変えるようになってしまって」


 ディオンさんがしんみりしている。


「普段なら犬は犬型獣人を襲わないんです。俺たちが獣化すれば犬は敵いませんから。でも人間姿のソフィアは自分より下位の犬だと思われたのでしょう」

「ソフィアちゃん……」

「あの子が人の多いところで変身したらと思うと不安で。俺もおふくろも、心配のあまりついついきつい口調で『二度と繋がれている犬に近寄るな』『街の中で犬になったら大変なことになる』と注意していました。あの子が家出したのは俺のせいです」


 誰もどうしたらいいかわからない話だ。


「ディオンさん、またソフィアちゃんを預けてくれますか? 客商売ではあるけれど、お客さんの視線にさらされないように工夫しますから」

「でも、もしお客さんに知られたら、マイさんに迷惑がかかりますから」

「だって、ディオンさんがおんぶして働くほうが人目に触れるわ。私ね、誰かの役に立ちたい。ソフィアちゃんを預かることでお役に立てるなら、嬉しいですよ」


 ディオンさんが少し考えてから返事をしてくれた。


「今のソフィアの状態では、俺の一存では決められません。両親と相談させてください」

「もちろんです」


 家にたどり着き、ディオンさんは帰った。暖炉に火を入れた。湯上りだったから結界を張ったものの身体は冷えている。ディオンさんが真冬に半袖で働いているのも、ソフィアちゃんがたいして寒そうな様子も見せずに薄着でここまで来たのも、犬型獣人だったからだと納得した。人間の子供じゃ、あんな薄着で冬の夜道を何キロも歩くのは無理だ。


「興奮しすぎてだるい……」


 ソフィアちゃんに尻尾が現れたあたりから、興奮してアドレナリンが大量に放出されていたんだと思う。重くて抱っこは無理と思ったはずなのに、ソフィアちゃんを羽枕かなんかみたいに軽々と小脇に抱えて走ったわ。


「あの時の私、瞳孔全開だったんじゃない? ふふふ。ああ、だるい。寝る前だけど、何かおなかに入れよう。眠れそうにないわ」


 皮つきのままお芋を四つに切って暖炉の火でゆでた。ゆであがったお芋にバターと香草塩をつけて食べた。お芋はこの国の大切な主食のひとつだ。

 

「このお芋をジャガイモに変換できるかな。できたら裏庭に植えて、こっそり自分のためだけに増やしたいな。このお芋も不味くはないけど、日本のジャガイモのほうがやっぱり美味しい」


 ドングリをコーヒー豆に変換できるから、たぶんできる。

 その思いつきに満足したら、やっと眠気がきた。 

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