30 記憶の宝探し
結界ドームの中はすっかり温まった。
地面を乾かしたから、皆が横になったり座ったりしている。私とヘンリーさんも腰を下ろした。
「魔法じゃありませんが、被災者に温かい飲み物を提供するのは? きっと喜ばれます。現場で様子を見たほうが必要な魔法がわかるでしょうし」
「そうですね。飲み物だけじゃ腹の足しにならないから食べ物も出します」
「それは費用が大変……ではないのでしたね」
「ええ」
朝になり、雨がやっと上がった。着ている服はすっかり乾き、靴も湿っていない。そろそろ結界と台風を消してもいいだろう。朝日が昇ってきたのをきっかけに結界を消した。とたんに冷たい空気に包まれる。
「うわ、寒い」
「結界が消えたんだな」
それから全員が三々五々家を目指して動きだした。私も帰って眠ることにした。徹夜だったからへとへとだ。
「家が被害に遭った人たちは休める場所があるのでしょうか」
「こういう場合はお互い様なので、数日なら無事だった近所の人が部屋を貸し出すのです。家が壊れた人は国が三か月限定で面倒を見ます」
「へぇ。仕組みがしっかりしていてすごいですね」
「相互に助け合う仕組みは、この国の麗しい習慣です。国と民が互いに力を合わせている。文官として、俺はこの国のそういう面を誇りに思っています」
ヘンリーさんがニコッと笑った。最近は笑顔を見せてくれることが増えた。
「避難に徹夜で付き合っていただいたことも、心配して見にきてくれたのも嬉しかったです。本当にありがとうございました。心強かった」
そう言ってヘンリーさんの右手を両手でブンブン振ったら、お顔が真っ赤になった。そんな美形のくせに純情少年みたいだわ。
店の前まで送ってもらってヘンリーさんと別れた。別れ際にヘンリーさんが少し迷ってから話をしてくれた。
「実母と養父母以外、俺の本当の姿を知った人は離れていくものだと思っていました。でもマイさんは違いました。それがどれほどありがたいか、上手く伝えられないけど感謝しています」
「私だってこの世界では異物です。こっそり紛れ込んで生きているけど、案外楽しいです。私はヘンリーさんに会えてよかったです。もし元気がなくなることがあったら、私が元気を分けてあげますからね」
ヘンリーさんは「ありがとう」とだけ言って帰った。
店がわずかに床上浸水していた。ソフィアちゃんのおうちの辺りに比べたらたいしたことはないのだろうが、初めての経験にしばらく茫然とした。薄く泥が積もり、床板は水を吸い込み、店の中はアオコの浮いた沼みたいな悪臭がする。
「こういうときこそ魔法だわ」
ドアの外にテーブルと椅子を積み上げ、床に向かって水を出し続けた。水圧を調節して床に溜まった泥と泥水を押し流し、温風で乾燥させた。周囲の家も皆掃除をしているから、私の店のことまで誰も気にしていない。イスとテーブルを拭きあげて掃除が終わった。
「私の魔力の限界って、どのくらいなんだろう」
いくらでも魔法で水と温風を出せる。魔力量の普通がわからないけど、私って結構魔力の量が多いのではないだろうか。
店が元通りになったのは夕方だった。高台に避難した人を寒さから守れたことに満足して、その夜は暗くなるのと同時にベッドに潜り込んだ。
翌朝は目の覚めるような青空が広がった。
本日は昼のみの営業にして、午後は炊き出しに向かうつもりだ。疲れた身体に沁みるような、働く元気が出るような、温かい料理を持って行こう。
提供するメニューはソーセージと根菜類をたっぷり入れたクリームシチュー、鳥の揚げ物という名の唐揚げ、それとクッキー。念のために自分で作ったポーションも。ポーションを配るための試験管みたいな容器を四十本作って、ワインの瓶から詰め替えた。試験管はコップを変換した。
いつもなら午後二時にやってくるヘンリーさんが来ない。仕事が忙しいのだろう。私は野菜の下処理を続けている。
シチューは出来上がったらすぐに、火から外した。「火から外して冷ましている間に味がしみ込むんだよ。それを繰り返すと前の日に作ったみたいな味になる」というのはおばあちゃんの口癖だ。
シチューを冷ましている間に大量の唐揚げも揚げ終えた。
「ふう。ちょっと休もう」
厨房の棚には、茶葉や乾燥させた香草の瓶と一緒に猫とウサギのぬいぐるみが置いてある。それを眺めていたら昔のことを何か思い出しそうになった。なんだっけ。人形にまつわる出来事。喉元まで出かかっているのに思い出せなくて落ち着かない。
「料理の作り方も大切だけど、おばあちゃんは魔法を使えたのならそっちを教えて欲しかったな。あっ!」
思い出した。私は子供時代、ミミちゃん人形を溺愛していた。そんなある日ミミちゃんの妹ララちゃんが発売されたが、大人気のために品薄で待てど暮らせど買ってもらえなかった。
「マイ、クリスマスプレゼントはサンタさんに何をお願いするの?」
母にそう聞かれて「ララちゃん!」と即答したら、母の顔が曇った。クリスマスシーズンはさらに入手困難だったのだろう。今思うと申し訳ないことをした。
それでもクリスマスの朝、私の枕元にはララちゃんが置かれていた。なぜか箱に入っていなかったけれど、それでも私は大喜びした。
ある日お友達のトモちゃんとお人形さんごっこで遊んでいたら「それ、偽物だよ」とトモちゃんに言われた。当時の私はサンタさんが両親であることを薄々気づいていたから、両親を侮辱された気がして腹を立てた。
「偽物じゃないよ。なんでそんなことを言うの?」
「だってほら、ここにマークがないもん」
友人の持っているララちゃんは、長い髪の毛を持ち上げたうなじに小さな刻印が押されていた。急いで確認したら、私のララちゃんには刻印がなかった。
「ね? マイちゃんの人形は偽物だよ。偽物をたくさん売って捕まった人がいるんだよ。お父さんがね、偽物を買う人も悪いって言ってた」
子供は残酷だから、ぐうの音も出ないところまで詰められた。私はその夜、両親と祖父母の家族五人の夕食時に母に抗議した。
「お母さん、このララちゃんは偽物なの? ここにマークがないから偽物だってトモちゃんに言われたよ?」
サンタさんを演じてくれていた母に、正体は知っていますよと言わんばかりの抗議をした。本当にいろいろ申し訳ない。
その時母が何と答えたのかは覚えていないのだが、慌てた母が助けを求めるような表情でおばあちゃんを見たのは覚えている。そしておばあちゃんが母に向かって一瞬だけ、実に申し訳なさそうな顔をした。
(なんでおばあちゃんがそんな顔をするんだろう)と不思議に思って過去に何度も思い出した場面だ。
まじめを絵にかいたような両親と祖父母は偽物と知って買う人たちではなかった。もしかするとあのララちゃんは祖母が変換魔法で作り出したのではないか。本物が品薄だから、どこかで偽物のララちゃんを見本にしたとか?
もしそうなら母さんはおばあちゃんが魔法使いだと知っていたってことになる。これはもしかすると、私の記憶にはもっと魔法の思い出が隠れているのかもしれない。両親の記憶は少ないが、おばあちゃんの記憶ならいっぱいある。
「おばあちゃん、他にも思い出せたら楽しいね。記憶の宝探しをしてみるよ」
おばあちゃんに話しかけた。おばあちゃんの笑顔を懐かしく思い出した。
シチューの入った大きな寸胴二つを縄でぐるぐる巻きにしていたらヘンリーさんが来た。
「あら、いらっしゃい。お仕事は?」
「休憩時間に来ました。差し入れをするなら手伝います」
「荷車を魔法で作ったら出かけますね」
「荷車を作るところ、見てもいいですか?」
「どうぞ。せっかくなのでクリームシチューを味見しながら見ませんか?」
ヘンリーさんの顔がパッと明るくなった。これは昼食を食べずにここに来たね? すぐに深皿によそって風魔法で冷まして出した。
ヘンリーさんの目の前で、店のテーブルと椅子に変換魔法をかけた。テーブルと椅子が消えて小さな荷車が現れる。
「こんな感じです」
ヘンリーさんを見たら、スプーンでシチューをすくった状態で目と口を丸くしていた。
「魔法の国の住人なのに、なぜそんなに驚くんです?」
「シャワーと温風は水魔法と火魔法の応用だなとわかりましたけど、こんな魔法は見たことがないから」
「あら、そうなんですか? さ、これに鍋とお皿とスプーンを積んで出発しましょう。クッキーがたくさんとポーションもおよそ四十人分はあります」
「ポーションも? それは助かります。では篤志家からの差し入れということにして現場で他のポーションに紛れ込ませます」
普段ポーションがどこで売られているのか知らなかった。だから現場でポーションのことをどう説明しようかずっと考えていたのに。私の悩みは瞬時に解決されてしまった。