28 同期の文官 ギルシュ
本日2回目の更新です。
城まで走って帰ったヘンリーは、自分の席に着くなり頭を抱えた。
(間違いない。俺はマイさんを誰かに取られるかもと思うと猫になる。そうかなとは思っていたが、今日の変身ではっきりした。マイさんは客商売だというのに客にまで嫉妬して変身するなど……狭量過ぎるだろう。マイさんに嫌がられるぞ)
山のように積んである書類の山に向かい、心を落ち着かせる。仕事はいい。こなせば確実に進む。進んだ分だけ新しい仕事が回ってくるが、それも片っ端から片付ければいい。
だが、マイとの関係は全然進まない。いや、指の幅一本分ぐらいは進んでる気もする。相変わらず猫のときだけはやたら距離が近いのだが。
クーロウ地区で勇気を振り絞って手をつないだ時、マイは顔色ひとつ変えなかった。恥じらう様子もなかった。迷子の話をしたら「ああ、なるほどね」みたいな顔をされた。
(俺、男と思われてないのか? その辺の猫くらいに思われてるのか?)
「ああ、もう」
「どうした優等生。仕事が上手くいっていないのか?」
「あ? ああ、ギルシュか。なんの用だ?」
ギルシュはヘンリーと同じ二十五歳。同期の文官だ。金色の髪に青い瞳。身長こそヘンリーよりも五センチほど低いが、美しい筋肉が自慢の陽気な男。有能だが出世欲が薄い。ギルシュに言わせると「あんなに働いているヘンリーと俺の給料はさほど変わらない。三倍違うならまだしも、あれしか変わらないのならほどほどに働いて楽しく暮らしたい」のだそうだ。
ヘンリーの生真面目でお堅い雰囲気に気圧されて同期の仲間が誰も話しかけてこない中で、ギルシュは最初から気さくだった。ヘンリーも最初は(ずいぶん気軽に話しかけてくるヤツだな)と思っていたが、今では気を許して素で会話できる数少ない仲間だ。
「お前さ、旨い店に詳しいだろ? 俺、城の食事にほとほと飽きたんだよ。なんでメニューを変えないかね? 投書箱にもう三回も投書したのになあ。なあ、同期のよしみで俺に旨い店を教えてくれよ。城から遠くないところがいい」
「知らない」
「そんなわけないだろう」
「クーロウ地区の旨い店なら知っている。安いぞ」
「遠いわ! 俺はお前と違って平の文官なんだ。一時半には仕事を始めなきゃならないんだよ」
『隠れ家』を教えたくない。ギルシュはヘンリーから見ても容姿が整っている上に愛想がいい。恋人が途切れたことがない。ギルシュとマイが親し気に会話しているのを見たら、また猫になってしまう気がする。
さっきは体が熱くなることもなく、あっさりと猫化した。猫化に身体が慣れてきたのだろうか。実母が「獣人はみんな十二、三歳くらいからそれを繰り返して、自分の意思で姿を変えられるようになる」と言っていた。
(俺は成長期の小僧か!)
「ま、いいや、そのうちお前の食事に同行させてもらうわ。あ、そうだ、本題はそれじゃないんだ。魔法使いに仕事を割り振ってくれてありがとうな。街道整備がかなり進んだよ。魔法使いは扱いにくいが、さすがは国のお抱えだ。一人で一般人の三十人分、人によっては五十人分は仕事をしてくれる」
「そうだな。だが……有能な魔法使いは少ない。彼らに頼らずとも工事を進められるようにするほうが、長い目で見たら技術の発展のためにはいいのかもしれない」
ギルシュが目をパチパチしている。
「ギルシュ、俺を見ながら目をパチパチするな。気色悪い」
「ヘンリー、お前変わったな。以前は効率最優先だったのに」
「効率を考えてのことだ。長い目で見たとき、魔法使いに頼らずとも工事を完遂できるようにすることこそが効率的だと思うようになった」
ギルシュが真顔でヘンリーを見る。ヘンリーは(やはり顔のいい男だな)と思う。
「お前の言う長い目って、どのくらい長いんだ?」
「百……いや、三百年とか」
「は? 大丈夫か? 昼になんか悪いもんでも食ったのか?」
「旨いものを食った。心配いらない」
「ふうん」
ギルシュがふと窓の外を見た。
「おい、ヘンリー、真っ黒い雲が遠くに見える。久しぶりに雨か?」
「ああ、そのようだな。このところ雨が降らないから土埃が酷い。雨が降ってくれたら埃が落ち着いてちょうどいいな」
半分猫獣人のヘンリーは天気の変化に敏感だ。今日は朝起きたときから天気が変わるのを感じていた。『隠れ家』で猫になったときも、ヒゲがビリビリした。
「今夜は早めに帰るかな」
「お前は毎日帰りが早いだろう」
「ははは。そうだった」
ギルシュは「とにかく、魔法使いを回してくれてありがとうな」と言って去って行った。