22 夜の妖精とおばあちゃんの思い出
ヘンリーさんが王都の隣村に行くらしい。
(いいなあ。私も行きたい。でも、誘われていないのに一緒に行きたいとは言えないよねえ)と羨ましく思っていたら誘ってくれた。
「もしよかったらマイさんも一緒……」
「行きたいです! すごく行きたいです!」
完全にフライングだった。品がなかったわ。でもヘンリーさんが口の両端を少し持ち上げたから、迷惑には思っていなかったと思う。
ヘンリーさんはお肉の盛り合わせをご機嫌な感じで食べて帰った。あんなに嬉しそうな顔をするのなら、また近いうちに日替わりで肉の盛り合わせを出してあげよう。
最近の私はウォーキングがてら道を整備している。
王都の大通りは石畳だが、一本裏に入れば土の道だ。雨の後はぬかるんだ道を馬車や荷車が通るから、路面のでこぼこがすごい。気を抜いて歩いていると、乾いて固まったデコボコに足を取られて捻挫をしそうになる。
荒れた土の道は乾燥すれば土埃を生む。風が吹くと土埃が巻き上げられ、周囲を薄茶色に煙らせるほどだ。
最近は雨が少ない。土埃のせいで窓ガラスはすぐに汚れるし、洗濯物は薄茶色になる。風の強い日が続くと咳き込む人が増える。結膜炎になるのか、目を赤くしている人もいる。だから私が路面を整備することにした。
夜、目立たないように上下黒い服を着てランプも持たず、右手の人差し指に灯した小さな炎を頼りに歩く。最近は魔法を使うことに慣れて、右手と左手で違う魔法を同時に放てるようになった。
右手の炎で足元を照らし、左手で土魔法を放つ。私が歩いた後ろにはロードローラーでならしたように平らな道ができる。
繰り返しているうちに魔法を一定の力で長時間放つコツを身につけた。
一時間から二時間ほど歩き続け、魔法を放ち続けて帰宅。道路を整備した日は心地よい疲れと(いいことしたわ)という満足感で気分よく眠れる。
今日、お昼のお客さんたちがそのことを噂していた。
「お前さ、最近この地区の道がやたらきれいになってることに気づいてるか?」
「もちろんだよ。工事もしていないのに、ぐちゃぐちゃだった裏通りが、槌で念入りに叩いたみたいになっている。それも夜のうちにだぜ? 妖精の仕業じゃないかってうちのかみさんは言っているよ」
「妖精なんているかよ」
「それがさ」
話し手が身を乗り出し、聞き手も身を乗り出した。なんだなんだ、私も聞きたい。さりげなく近くのテーブルを拭くふりをしながら背中を向けて話を聞いた。
「俺見たんだよ。小さな灯りが動いてるなあ、誰かがロウソクを持って歩いてるんだなあと思って窓から見ていたんだけどさ、おかしいんだよ」
「なにが」
「ロウソクをむき出しで持って歩いたら、炎が揺らぐだろ? 早足で歩いたら火は消えるだろ? それが全然炎が揺らがないし消えもしない。だからもしかすると本当に妖精かなと思い始めたところだ」
相手の男性が苦笑した。
「妖精はいないだろう。魔法使いならあり得るな。だけど魔法使いを雇うにしても、わざわざ夜に貴重な魔法使いを働かせるのはおかしい。不思議だよなあ」
気をつけよう。暗視できる道具を作れたらいいけど、仕組みを知らないものねえ。本当は二度とぬかるまないように道路の表面をガチガチに舗装してしまいたいけど、それは我慢している。
もしこの先、王都の整備計画が進んで「道路に下水路を埋設しよう」「裏通りも石畳にしよう」となったとき、魔法でアスファルトを敷いたように舗装してしまったら、スコップやツルハシが刺さらない気がする。
おばあちゃんはいつも言っていた。「マイ、何事もほどほどがいいんだよ」とか「出しゃばり親切は知らん顔するよりたちが悪いんだよ」とか。
だから雨のたびに整備をやり直すことになったとしても、道の表面を固めるだけにしている。
静かな夜の道を歩くときは、おばあちゃんのことを思い出していることが多い。
おばあちゃんには友人がたくさんいた。映画館や美術館に通い、たまに演劇を観て帰りにレストランで友人と食事するのを楽しみにしていた。
おじいちゃんが生きていたころは、おじいちゃんと二人で仲良く旅行に出かけていたっけ。
白髪に品よくパーマをかけ、私が知っているおばあちゃんは、いつでも人生を楽しんでいた。
「笑って生きなきゃ人生がもったいないんだよ」が口癖だったおばあちゃん。
家計も店の経理も昔から全部おばあちゃんがやっていて、今思うとおかしいことはいろいろあった。まず、我が家の暮らしがそこそこ贅沢だったことだ。家族で温泉旅行も行っていたし、おばあちゃんはいつも「そんなに必死に働かなくてもなんとかなるよ」とお気楽なことを言っていた。
だけど『喫茶リヨ』はそんな暮らしができるほどの利益を出していなかった。それこそほどほどだった。
我が家の生活費はどこから出ていたのか。両親の生命保険は私の名義だったから、私はおばあちゃんの老後の費用と、いつか店舗兼住宅を建て直すときのために、保険金には手を付けずにいた。
おばあちゃんは変換魔法で何か作って売っていたのだろうか。そうだろうねえ。
私が高校生の頃、友人の家に比べると我が家は両親がいないし収入も多くないのに、かなり大らかに暮らしていると気がついた。不思議に思って「おばあちゃんはなんでそんなにお金を持っているの?」と聞いたことがある。
おばあちゃんは笑って答えなかった。だから宝くじを昔に当てていたのか、疎遠なはずのおばあちゃんの実家から遺産でも貰ったのだろうと思い込んでいた。
七十八歳のおばあちゃんがおじいちゃんと結婚したのが二十八のときと言っていたから、すくなくとも五十年以上日本で暮らしていたことになる。おばあちゃんはこの世界の出身だったろうに、完璧に現代日本の暮らしに馴染んでいた。
地下鉄の乗り継ぎもスマホの扱いも不自由はしていなかった。そこは本当に感心する。てっきり東京近辺の生まれ育ちだと思っていた。私が薪に火をつける方法を習得したように、おばあちゃんも日本の生活に馴染むまで頑張ったんだろうな。
顔立ちはちょっと日本人離れしていたけど、「親が派手な顔立ちだったからね」という言葉を本気で信じていた。
それにしても、おばあちゃん。あなたはなぜ私に魔法のことを秘密にしていたのかな。お母さんはおばあちゃんの秘密を知っていたのかな。
今となっては知りようがない。
◇ ◇ ◇
休息の日、初めて馬に乗った。馬の背中はかなり高くて(落ちたら怪我しそう)と思ったけれど、後ろからヘンリーさんが私を抱え込むように手綱を持っていたから落ちる心配はなかった。
結論から言うと、獣医さんは「猫化することは仕方ない」というご意見だった。ヘンリーさんががっかりしていて気の毒だった。あの時、猫のヒゲが生えていたら全部下を向いていたと思う。
だから、前から行ってみたいと思っていたクーロウ地区に行きませんか? と誘ってみた。ヘンリーさんは美味しいものが好きだから、美味しいお昼ごはんを食べて元気を出してもらいたかった。
少々活気がありすぎる地区だそうだけど、ヘンリーさんは体格がいいから一緒なら安心だ。
ただ、子爵家のご令息だからそんな場所は断られるかなと思った。ところが「行きましょう」と即答してくれた。ありがたい。
「いいんですか? 酔っ払いに絡まれるかもしれませんよ?」
「そのために強そうな男が必要なのでしょう? それに、クーロウ地区なら何度も行っています。美味しい店にも心当たりがあります」
「えっ? ヘンリーさんが? どうしてそんな場所に?」
「私の楽しみは美味しいものを食べることなので。だから『隠れ家』を見つけられたのです」
活気がありすぎる地区の食事をも経験済みだったとは。味にこだわる人だとは思っていたけれど、そこまで美味探求していたか。
「王城の筆頭文官になってよかったことが一つだけあります。やるべきことさえやっておけば、昼休憩を少し長めに取っても誰にも文句を言われないことです。こう見えて、俺はなかなかの働き者です」
「働き者なのは知っています。全身から漂い出ていますから。それと、昼休憩を長めにとっても文句を言われないぐらい遅くまで働いていることも想像がつきます」
「バレてましたか」
「なんだかんだで私も仕事中毒ですので、匂いで分かります。同族の匂いがします」
「毎晩湯あみは欠かさないので、そんな匂いは出していません」
楽しい。こんな言葉のやり取りに私はずっと飢えていた。
二人で笑いながらクーロウ地区を目指した。そのうち、クーロウ地区に近づいたのだなと気づかせる香りがしてきた。強い香草の香りだ。ココナツミルクの香りもする! ここはいろんな国の出身者が集まっている地区だそうで、彼らの故郷の味が売られているらしい。
「懐かしい匂いがします」
「マイさんの故郷の料理の匂いですか?」
「少し違いますね。エスニック料理という系統の香りです。その料理が大好きでした。なんて懐かしい」
「喜んでもらえてよかった。さあ、お薦めの美味しい店に案内しますよ」
「来てよかったです。すっごく嬉しい! おなかが空きました!」
「ふふ」
ヘンリーさんが笑い、私も笑った。
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