21 獣医師ゴンザ
今回まではヘンリーの側の話。
キリアスは手をヒラヒラさせながら去ってしまった。ヘンリーは波立つ心を鎮めるために深呼吸をしてから軍部に向かう。
軍務大臣ではなく軍医のベルゼンを選んで話をした。ベルゼンは軍部でポーションを直接管理している。
「ポーションの納品を半分ずつだ? 魔法部の連中はすぐそういうことを言う。一括で納めるように言ってくれ」
「現在魔法部は工事も請け負っていまして……」
「だめだだめだ。一括で納品させろ」
「分割といっても、残りは二ヶ月ほどで納品を完了させます」
「今までは毎回全部交換だったろう。分割などという前例を作りたくない。一括で納めさせたまえ」
ここで引き下がるような仕事はしない。ヘンリーは切り口を変えた。ベルゼンの面子を潰さずに意見を変えさせるのだ。
「今回、魔法部から分割納品の提案があり、ベルゼンさんが却下したことは記録に残ります。万が一、二十五年前のようなことが起きれば、『魔法使いが疲れているのに分割納品を断った』と咎める者が出てくるかもしれません。ポーションは魔法使いの体調が良い時に作られ、新しいほうが効果があります。分割納品なら、何が起きてもより良好な状態のポーションを王族に使うことができます」
王太子と第二王子が相次いで病没したとき、多くの医療関係者が処罰された。ヘンリーは資料で読んだだけだが、ベルゼンは現場にいた。ヘンリーはその当時のことをベルゼンに思い出させて揺さぶったのだ。
ベルゼンが少々落ち着かなくなったのを確認して、話を続ける。
「代わりに少し多めに納品させます」
「多めに? そんなことを君が約束できるのかね」
「できます。私が魔法使いたちに言い含めます」
「そうか。まあ、君がそう言うならそれでもいいが」
「ありがとうございます。ベルゼンさんはいつも柔軟な対応をしてくださるので本当に助かります」
褒められて満足げなベルゼンに礼を述べ、軍部を後にした。
(魔法使いたちには事後承諾となるが、ここは持ちつ持たれつで働いてもらおう。「多めに」の数は五本でいい。五本くらいなら魔法使いたちは了承する)
そこは自信があった。
(ベルゼンだって「五本じゃ話が違う」と腹を立てることはない。彼はとにかく責任を取りたくないだけだ)
ヘンリーは真面目だが頭が固いわけではない。こういう手も使う。
席に戻ってあらためてここまでの情報を整理した。
マイの祖母リヨと行方不明のリヨルと七歳で死んだはずのヘラーは、同一人物の可能性が高い。
ヘラーがリヨルなら、彼女は七歳で親に売られ、名前を変えさせられ、働かされたのだろう。気の毒なことに最後は恋人の実験によりマイの世界へ飛ばされたわけだ。
(そんな過酷な祖母の生い立ちを聞かされて、マイさんは喜ぶだろうか)
答えは否。だがリヨの過去については今後も調べ続けるつもりだ。
ヘンリーが二十二人抜きで筆頭文官に指名された理由は、仕事っぷりだけではない。どんな場面でも自分がなすべきことを正しく把握するセンスがあるからだ。
翌日、『隠れ家』で日替わりの肉の盛り合わせを食べながら獣医ゴンザのところに行く話をした。
「獣人に詳しい人が王都の隣村にいるかもしれないので、馬と自分の運動を兼ねて訪問してきます」
何げなく話すと、聞いていたマイがはっきりと羨ましそうな顔をしている。
(これはもしや休みの日にマイさんを誘ってもいいのか?)
「よかったらマイさんも一緒……」
「行きたいです! すごく行きたいです!」
「そう? では一緒に行きましょうか」
誘い終わる前に猛烈な勢いで行きたいと言われて驚いた。それに気づいたらしいマイが顔を赤くしている。
(赤くなっている。可愛い。すごく可愛い)
「風邪を引いて一人で苦しんでいたとき、これからは行きたいところにはどんどん出かけようと思ったんです。私、オーブ村と王都しか知らなくて。いつ行くんですか?」
「今度の休息の日にしようと思うのですが、マイさんの都合は?」
「何もないです。行きたいです。連れて行っていただけるならとても嬉しいです」
出発の時間を決めて店を出るまで、にやけそうになるのを全力で我慢した。
休息の日が来た。ヘンリーが操る馬にマイも乗って王都の外へと向かっている。馬上でヘンリーの腕の中にいるマイは馬に乗るのが初めてだと言う。
(これが初めてなら、絶対に怖い思いはさせないようにしなければ)
目の前のマイの髪からいい香りがしてくる。マイが変換魔法で自作したシャンプーの香りなのだがヘンリーは知らない。
(何を使って洗髪したらこんないい香りになるんだ?)
「馬に乗るのは初めてですが、ヘンリーさんが後ろにいてくださるから安心して乗れます。馬に乗るのは楽しいですねぇ」
「それはよかった」
(馬でのお出かけを好きになってもらえたら、他の場所にも誘いやすい)
目的の場所には、大きくて立派な家があった。
広い庭にはささやかな畑があり、井戸と厩が見える。門には『動物専門医ゴンザ』と書かれた看板が一枚。
折よく建物から人が出てきた。大きな籠を背負いクワを持っているところを見ると、菜園に向かうところだったらしい。ガッシリした体格。髪は濃い茶色。顔の下半分を覆うヒゲも頭髪も半分ほど白い。六十代くらいか。
ゴンザはヘンリーたちに気づくと明るい笑顔になった。
「おはようございます。私はゴンザですが」
「おはようございます。ヘンリー・ハウラーと申します。本日は先生に教えていただきたいことがあり、訪れました。予約もせずに訪問した失礼をお許しください」
「うちは予約してから来る人なんていませんよ。中へどうぞ」
招かれて入った家の中は広く、部屋の壁は作り付けの書棚になっていて本がぎっしり詰め込まれている。
「それで、本日はどのようなご相談でしょうか」
「私はハウラー子爵家の息子で、二十年前、先生に診察していただいたことがあります」
ゴンザがヘンリーをしげしげと見る。
「ハウラー子爵、二十年前……。おや、あなたはあの時の? そうでしたか。すっかり立派になられて。あの時は診察しただけで治療もしていないのに診察代をたっぷりいただき、恐縮したものです」
「先生がお気になさる必要はありません。口止め料込みでしょうから。今日はお尋ねしたいことがあるのです。実はつい最近、私が……」
「同じ経験をした、ということでしょうか?」
言い淀んだところでズバリと言い当てられた。ゴンザはニコニコしたままマイを見た。
「こちらのお嬢さんは事情をご存じで?」
「はい」
マイが答えると、ゴンザは優しい笑顔で何度もうなずいた。
「あなたが猫になるのは病気ではなく自然なこと。心配はいりません。その年齢まで猫にならなかったのならば、おそらくご両親のどちらかが人間なのでしょうね。とても珍しいことです。ああ、もちろん詮索する気はありませんし、他言もしません。医師としての誇りは持っております」
「自然なことならば、抑えようがないということでしょうか」
「そうです。本能ですから。上手に折り合いをつけて生きていくことが一番です。変身を抑える薬もありますが、私はお勧めしません。副作用が大きいのです。常用すれば子ができなくなります」
ヘンリーはがっかりしたが顔には出さない。
「どうしようもないことなのですね。マイさん、せっかく同行してくれたのにもう用事が終わってしまった」
「そうおっしゃらずにゆっくりしていってください。ヘンリーさんはどうして自分だけがこんなことに、と思っているかもしれませんが、そうでもないのですよ」
ゴンザは少し考えるように顔のヒゲをザリザリと撫でてから口を開いた。
「獣人の子として当然の変身を悩んでいらっしゃるから教えて差し上げますが、ここから先は内緒にしてください。この大陸には獣人はほとんどいないとされていますが、実はそうでもありません。ここに来たことがある獣人だけでも十人はいます。うちに来ていない獣人を入れたら、王都とその周辺だけでも、おそらくその十倍はいるんじゃないでしょうか」
目元で笑いながら語られる言葉に、ヘンリーが絶句した。
「獣人は縄張りを広げたいと思う本能があります。厳密にいえば人間も縄張り意識がありますが、獣人の場合はそれがもっと強い。他国へと出て行く獣人は案外多いのです。彼らもまた獣人であることを隠して暮らしているでしょうが、縁があれば出会うこともあるでしょう」
「先生はどうして獣人のことにくわしいのですか?」
「私は諸事情で古大陸で生まれて育ち、三十歳になるまであちらで暮らしていたのです」
相槌を打って聞いていたヘンリーはゴンザの話を聞き終わると立ち上がり、笑顔で礼を述べた。
「お時間を下さりありがとうございました。そろそろ失礼します」
辞退するゴンザに表示されている診察代を渡し、馬に乗ってからは心掛けて明るく振る舞った。収穫もないまま帰ることより、空振りのお出かけに付き合ってくれたマイに申し訳なく思う。
ところが王都に入ったところでマイが「ヘンリーさん、このあと予定がありますか」と声をかけてきた。予定など無い。あったとしても全力で変更する。
「予定は何もありません。どこか行きたいところでも?」
「クーロウ地区に連れて行っていただけませんか? とても美味しい魚料理のお店があるとお客さんに聞きました」
「クーロウ地区は活気がありすぎる場所ですよ?」
「ええ。だから行くなら強そうな男性と昼間に行けと言われました」
「わかりました。行きましょう」
(俺って強そうに見えたっけ?)とは思ったが、ヘンリーは馬の行き先を変えた。
次回はマイ視点に戻ります