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20 ヘンリー、リヨの痕跡を探す

 マイの看病から帰った日の夜。ヘンリーは一人の男性を思い出していた。

 

 五歳のとき、流行り病に罹患して高熱を出して猫の姿になった。

 熱は続き姿は戻らず、心配したハウラー子爵が八方手を尽くしてゴンザという名の獣医師を探し出した。

 子爵家に招かれたゴンザはヘンリーの全身を触り、口を開けさせ、目を覗き込んでから断言した。


「風邪です。猫になったのは、具合の悪さで身体が命の危険を感じたからでは。獣人の子が獣の姿になるのは病気ではないので、熱が下がれば人間の姿に戻ります」


 安堵したハウラー子爵が男にかなり多めに診察代を渡しながら「この子のことは決して誰にも言ってはならない」と、普段の温厚さからは想像もつかない鋭い眼差しでゴンザに釘を刺した。ゴンザは「もちろんです」とだけ返事をして、子爵家になぜ獣人の子がいるのかを問うことなく帰った。

 

(貰った薬の残りが心細い。ゴンザ医師なら、あの薬を作れるかもしれない。もしくは猫にならない方法を知っているのではないか)

 

 後日母に尋ねたが、母カルロッタは「あの薬は貰ったもので、くれた人はもうこの国にいない」と言っていた。

 困ったヘンリーは養父にゴンザの居場所を尋ねた。


「父上、あのときの獣医師の居場所を教えてください。猫にならずに済む方法がないか、尋ねたいのです」

「あれからもう二十年だ。あまり期待をせずに行ってみるといい」


 教わった住所は王都のすぐ隣の村だった。


 次の休みに訪問すると決めてベッドに横たわる。カーテンを閉め忘れたが、夜空を眺めながら眠るのもいいかとそのまま寝ることにした。夜空には見慣れない明るい星がひとつ光っている。数十年に一度巡ってくるほうき星だ。昔は凶事を招くと恐れられたらしいが、天文学者が周期を解明してからはそんな迷信は消えた。


「あれが最も近づくのは四月だったな。マイさんと一緒に観たいが無理か。マイさんには春待ち祭りを一緒にすごす恋人がいるんだし。でも、彼女は結婚しているわけじゃないからなんとか……」


 諦めの悪い自分を冷ややかに笑う気持ちと、そんな自分も悪くないと思う気持ちが半々だ。

 文官の同僚が「猫は一度狙った獲物を諦めないんだよなあ。うちで飼っている小鳥を毎日狙いに来る猫がいる」とこぼしていたのを思い出して苦笑してしまう。


 翌日城で仕事しているとキリアスがやってきた。


橋桁はしげた工事なら、魔法使い抜きでやることに決めたが」

「それじゃない。ポーションの入れ替え時期だから今月中にポーションを作って納品しろって言われたでしょ? 四百本全部入れ替えろと言われたけど、二百本ずつの分割で納めてもいいかな? 今、他の仕事も引き受けているから、九人で四百本はきついんだ」

「では、私ではなくて軍に直接交渉してもらえるかな。私を間に挟むより、そのほうが話が早い」

「嫌だよ。軍のおじさんたちは四百本揃えて納品しろって言うに決まってるもん。一度に四百本使うわけじゃないのにさ。ヘンリーさんが軍部に交渉してくれないかな」


 ヘンリーは返事をしないままキリアスを眺めた。

 いきなり魔法部の長を任されて、若いキリアスが苦労していることは知っている。軍部の責任者が慣例に従い、要求した数を揃えて納品しろと言うだろうことも想像がつく。


 作られてから半年を経たポーションは入れ替えられ、古いものは城内で売り出される。城勤めの人間の大きな特権だ。貴重な品なので、半年に一度売られるポーションは大変な人気だ。中にはそれを市中で転売する者もいるらしい。


「わかった。約束はできないが、なるべく分割で納品できるように交渉してみる。その代わりと言ってはなんだが、教えてほしいことがある。ちょっとこっちへ」


 大部屋を出て廊下の端まで歩いた。


「こんなところまで連れて来て聞きたいことって何?」

「魔法のことなんだ。魔力を他人に与えることって、できるものか?」

「ごく稀に条件が合えばできるね。まず与える側がその高い技術を持っていること。次に相手が魔力を受け入れて定着させられる身体であること。そして二人が近しい血縁者であること」

「かなり限られるな」

「うん。赤の他人に自分の魔力を注いで定着させるのは無理だ。なんでそんなことを知りたいの?」

「そんな小説を読んだものだから」

「ああ、魔法使いを主人公にした小説が人気らしいもんね」


 ヘンリーはそんな小説のことは知らなかったが、話を合わせることにした。


「そう、その小説のことだ。それともうひとつ、魔導具を使わずに誰かを遠くに送ることは可能か?」

「理論上はできるけど、僕が知る限り成功した人はいないよ。だから個人の能力に頼るのはやめて魔導具を開発しようってことになったんだから。リーズリー氏の師匠グリド氏は、昔それを研究していたんだ。その途中で恋人を死なせたって話、知らない?」


 マイから聞いた話を確認しようとしたらとんでもない話に出くわした。


「だいぶ前に父がそんなことを言ったから、興味を持って調べたことがある。何も記録はなかった。ただの噂だろう?」

「遺体が見つからなかったから公式な記録はないんだよ。でも、魔法使いの間では有名な話だ。五十年か六十年前の話。グリド氏がまだ若い頃に、自分の恋人を実験台にして瞬間移動魔法を試したんだ。行き先はすぐ近くの見える場所だったのに、恋人は消えて二度と見つからなかった」

「人体実験したのか」

「そう。リーズリー氏ものちに噂を聞いただけらしいけど、当時『グリド氏が瞬間移動魔法に失敗して恋人を深い土の中か海の底に飛ばした』って噂が広まったらしいよ。もっと酷いのは『自分より能力で優っていた彼女を妬んで、わざと失敗したんじゃないか』って噂もあったらしい。とにかくそれ以降、瞬間移動魔法を個人で試すのは禁忌ってのが魔法使いの暗黙の了解だね」

「グリド氏って……」


 常軌を逸していると言いかけてやめた。グリド氏はリーズリー氏の師匠だから、キリアスから見れば大師匠である。キリアスが「ふっ」と苦笑した。


「言いたいことはわかる。大師匠のグリド氏が恋人を実験台にしたことも、師匠のリーズリー氏が瞬間移動の魔道具と共に姿を消したのも、なかなかのクズっぷりだ。それは認める。ただ、僕は二人の気持ちもわかるんだ」

「ほう?」

「体力気力魔力の三つが同時に絶好調な時って、なかなかない。そんな時は『今試さないでいつ試すんだ』って思ってしまうんだよ。魔法を極めようと思っている人間なら誰でも思うことじゃないかな。研究馬鹿と言われれば『そうだね』としか言えないけど」

「体力、気力、魔力か」

「少なくとも僕はそうだ。だからリーズリー氏が黙って姿を消したことは腹立たしいけど、あの人を心の底から軽蔑することができない。子供のころからずっと指導を受けてきたし可愛がってもらったのもある」


 いつも過剰に元気で明るいキリアスが遠くを見るような目をしている。


「その消えた恋人の名前を知っているか?」

「消えた女性の名前は……ええと、ごめん、リーズリー氏から聞いたことがあるはずだけど、思い出せないな」

「そうか」


 ヘンリーは毎晩のように城の書庫でマイの祖母リヨに当てはまりそうな女性を探していた。

 高魔力保有者の記録に、一人だけ該当する少女をすでに見つけている。記録から計算すると、その少女は現在七十八歳。マイの祖母リヨと同じ年齢だ。


 その少女はオーブ村出身で農民の娘。生まれつき高い魔力を持っていたために村長が領主に届け出たのだ。しかしその少女は七歳で姿を消す。親は「娘は病死した」と答えたそうだが、備考欄には『売られた可能性あり』とあった。

 成人して国のお抱え魔法使いになるのを親が待てず、目先の金欲しさで売られたのかもしれないし、七歳なら本当に病死した可能性もある。売られたのだとしたら、高魔力持ちの子が貧しい家に生まれた場合の典型みたいな話だった。


 少女の名前はヘラー。リヨとは全く違う名前だが、もしこっそり売られたのなら名前を変えているのも納得だ。ヘラーの名前はその後、どこにも出てこない。


 ヘンリーは(こんなあやふやな情報をマイさんに聞かせても意味がない。そもそも彼女は祖母の出身を知りたがっているわけじゃないようだし)と胸に納めて他の情報を探していた。なぜ自分がこんなに熱心に調べているのかはわかっている。


 酒場ロミで出会って家まで送ったとき、マイは「夜に家で一人きりでいるのが少し苦手なんです」と言った。そのマイの言葉が忘れられないのだ。マイはいつも明るく笑っているが、本当は孤独に苦しんでいるのではないか。


 ヘンリーはマイに「あなたはこの世界で独りぼっちなのではない。おばあさんの故郷に、縁のある場所に送られてきたんですよ」と言ってやれたらいいなと思っている。さっぱりした性格のマイのことだから、それを知っても「へえ、そうだったんですね」と言うだけのような気もするが、それでもかまわない。


(恋人がいるマイさんに俺がしてやれることなんて、こんなことぐらいだからな)


 人間として生きてきたヘンリーの心は「彼女が恋人と仲睦まじいのなら、静かに身を引いて彼女の幸せを願うべきだ」と思う。その一方で最近目覚めた獣人の心は「かまうものか。恋人から奪ってしまえ」とけしかけてくるのだが。


「ヘンリーさん?」

「ああ、すまない、ちょっと考え事をしていた」


 キリアスがにへらっと笑った。


「僕は国の財産を盗んで消えたりしないから、安心してよね。それと、さっきの話だけど、なんていう小説? 僕も読んでみたい」

「なんだったかな。今度タイトルを確かめてくるよ」

「じゃ、僕は戻るけど、ポーションの分割納品のこと、頼んだよ!」

「約束はできないぞ?」

「わかってる。でもヘンリーさんは優秀な筆頭文官様だから、きっと軍部の頑固おじさんを説得できるよ! じゃあね」


 調子のいいことを言い、数歩進んでからキリアスがピタリと足を止めて振り返った。


「思い出した! グリド氏の行方不明になった恋人の名前は、リヨルだ」

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