2 王都を目指す
「俺たちは息子夫婦の家へ行くことになった。三月前、息子のところに二人目の孫が生まれたんだが、嫁の産後の肥立ちが芳しくなくてね。二人の孫の世話、畑仕事、家のこと。今すぐにでも人手が必要なんだよ」
「マイと暮らすのは楽しかったけれど、私は膝の具合が悪いから、息子の家まではとても往復をできないの。それで……引っ越すことになったんだけど、その前にこの家を売らなきゃならないの」
つまり私はここを出て行かねばならないということだ。
どうしよう、と思ったが、すぐ気を引き締めた。優しい二人に気を使わせてしまうから、がっかりした顔は禁物だ。ことさら何でもないような顔で笑った。
「実は私も王都に行こうかと思っていたのです。だから謝らないでください。今までお世話になりました。インゴさんとエラさんに保護してもらわなかったら、今頃あの世に行っていましたよ。お二人は私の命の恩人です」
「すまないね。許しておくれ」
「いえいえ! こちらこそお世話になりました」
涙ぐんで何度も「悪いわね」と繰り返すエラさんに「本当に大丈夫ですから。心配しないで」と言ってからベッドに入った。三畳ほどの広さの元納戸が私の部屋だ。ベッドは四角い枠に藁をたくさん詰め込んでシーツを被せたもの。案外寝心地がよかったこのベッドとも今夜でお別れだ。
藁ベッドの中で、入院用のパジャマのポケットからある物を取り出した。直径五ミリから一センチくらいまでの、大小さまざまな球形の石。石は私が変換魔法で作ったオパールだ。青と緑と赤が複雑な模様を描いている。
おばあちゃんの得意技らしい『変換魔法』で作った。手に入れたい物を脳内に思い浮かべながら、AをBに変換する魔法。材料を必要とするところが火・水・風・土の基本魔法とは系統が違う。
最初に試したのは、木の枝を木のスプーンや皿にすること。全く疲れずにスプーンと皿を作り出せた。木から木製のものを作るのは簡単。そこで、昔の記憶を思い出した。高校で物理の教師をしていた父の言葉だ。
『ダイヤと炭がどちらも炭素からできているように、オパールはそこらへんの砂や土に含まれている石英と材料は同じ。二酸化ケイ素が主な材料なんだよ。少し水を含むところが特徴かな』
だったら、おばあちゃんの知識にあった土魔法と変換魔法の両方を使って、土の中の二酸化ケイ素と水分を集めたらどうだろう。それらを集めてオパールに変換できるんじゃないだろうか。それができたらお金に不自由しないのでは?
自分の思いつきにワクワクしながら地面に手を当てた。オパールをイメージしながらダメ元で魔法を放つ。
指輪に使われるような楕円形のオパールを思い浮かべながら魔力を地面に流し込んだ。冷や汗が出るまで魔力を流し続けた結果、大きさが違う球形のオパールが三個、私の手のひらと地面の間に現れた。楕円形のオパールをイメージしたのに、なぜか出来上がるのは全て球形だ。だけど球形でもいい。初回で成功なんてすごいんじゃない?
それからはこまめに地面に手を当て、小粒のオパールをコツコツと作った。この調子で炭からダイヤも作れるはずだけれど、今はまだ試していない。炭は貴重品できちんと管理されているから、私が手を出す機会がなかった。
王都に向かう旅費と宿泊費は、道中でこのオパールを売って賄おう。小銀貨一枚で平民相手の宿に一泊できることと、私の足なら六日間くらい歩き続ければこの村から王都に着くことは夫婦に教わった。
明日にはこの家を出て行こう。
ベッドの中でこちらに来てからの二ヶ月間を思い返した。
こちらの生活に馴染むまでは大変だったが、エラさん夫婦に保護されたことは最高の幸運だった。この世界で役立つ生活技術を何ひとつ持っていなかった私を、夫婦は優しく面倒を見てくれた。
夫婦の言葉の端々から「マイはどうやら異国の裕福な家のお嬢さんらしい。きっと何かやらかして追放されたのだろう」と思っていることが伝わる。ご夫婦には何度も「大変だったね。こんな粗末な家で申し訳ない」と言われたっけ。裕福な家のお嬢さんは石で野鳥を撃ち落としたりしないだろうと思ったけど、それは言わなかった。
私はまだ二十五歳。今はすっかり健康だ。魔法も使える。
元気ならばなんとかなる。元の世界でもそうやって生きてきた。善良な夫婦と別れるのは寂しいけれど、王都に行っても、私はきっと大丈夫。
大変なときこそ楽天的に考える。これが心を折らないで生きるコツだ。
「マイ、知らない人に声をかけられても、ついて行ってはいけないよ」
「暗くなる前に宿に泊まるんだよ。野宿なんかしてはいけないよ。本当に手持ちのお金はあるのかい?」
「ありますよ。心配してくださってありがとうございます。お世話になりました。どうぞお元気で」
エラさんは私にパンを、インゴさんは貴重品であろう金属製の水筒をくれた。その優しさがありがたくて泣きそうになったけれど、泣かない。二人は私が家を出なきゃならなくなったことを気にしているから、泣いたら二人に気を遣わせてしまう。
この世界に来た時の入院用パジャマで出発するわけにいかず、エラさんのおさがりを着て出発することになった。最後までお世話になりっぱなしは嫌だから、せめてものお礼はしたい。
別れ際に「私がいなくなってから中を見てね」と言ってハンカチに包んだ十粒のオパールを渡した。こつこつ作って集めておいた物の中から、なるべく大粒のものを選んだ。
「さようなら! 二ヶ月間、お世話になりました! どうぞお元気で!」
「気をつけるんだよ! マイ、がんばってね!」
手を振って見送ってくれる二人を、一度だけ振り返った。それからは振り返らず、グスグスと泣きながら歩いた。さようなら、優しい人たち。私を助けてくれてありがとう。このご恩は一生忘れません。
何度もそう繰り返しながら歩いた。
そこからひたすら徒歩。日の出から日の入りまで休み休み歩く。
七月だから日の出は早く、日の入りは遅い。一日に八時間ぐらい歩いている。こんなに歩いたのは生まれて初めてだ。足の裏は水ぶくれができたし、足の皮があちこちむけた。姿勢が悪かったのか、首と肩まで筋肉痛だ。足腰背中は言うまでもなくバリバリのバリバリに筋肉痛。
宿のベッドに倒れ込むほど疲れたけれど、疲れすぎて眠れないこともあった。それでも王都を目指して歩き続けた。王都までは一本道なのがありがたい。もはや気分は修行僧だ。
六日目。やっと前方に王都が見えた。遠くに高い建物がたくさん見える。
安堵のあまり街道に崩れ落ちた。道にへたりこんだまま「やったあ!」と大声で叫んだ。道行く人たちが怯えた顔で私からサッと離れていく。怖がらせたのは申し訳なかったけれど、どうか許してほしい。人生初の強行軍だったのだから。
たどり着いた王都はさすがに人が多い。建物も石やレンガを使った三階建て四階建てがたくさんある。
そして物々交換が主流だったオーブ村とは違ってお金で買い物ができるよ! さすがは都会!
オパールを売ったお金で、甘いものを食べまくった。オーブ村には干した果物以外に甘い物が全くなかったからね。
「生き返るぅ!」
満腹するまで焼き菓子を食べてから、女性が一人でも安心して泊まれそうな小ぎれいな宿を選んで入った。これからしばらくこの宿を拠点にして、店舗兼住宅を探すつもりだ。
へとへとの身体で思い出すのは、おばあちゃんと夜太郎のことだ。
私は東京でおばあちゃんと二人で喫茶店を営んでいた。古い喫茶店は最近の喫茶ブームで賑わっていたのだが。
おばあちゃんは今、どうしているだろう。お店の常連さんたちもいるから、きっと大丈夫だとは思うが。
夫に先立たれ、娘夫婦にも先立たれ、独りになるのを承知で孫の私をこの世界に送り出してくれた。本当に強い人だ。
それにしてもおばあちゃん、あなたは何者なのよ?
考えてみれば祖母の子供の頃の話を聞いたことがない。二十八歳で祖父と出会い、私の母を産んだところからしか聞いたことがない。
七十八歳のリヨおばあちゃんは、この世界とどういう関係だったのだろう。いつかこの謎が解けるといいのだけれど。
◇ ◇ ◇
私は宿に滞在しつつ宝石を換金してお金を貯め、飲食店を回っている。この国の食事情や好まれる味を調べているのだ。
出かけようとしたら、宿のご主人が愛想よく話しかけてきた。
「マイさん、今日も王都見物ですか?」
「ええ。せっかく田舎から出てきたんですもの、隅々まで見て回りたいと思いまして」
王都の食事情を調べ回ること三週間。大衆食堂から高級料理店まで食べ歩いた。
肉は豚肉が中心。その次が羊と鶏。牛肉は高級品だ。味付けはシンプル。手の込んだ味付けはしていない。臭み消しや風味づけに香草を使っているが、庶民が通う店では香辛料の利用はほんの少しだけ。
「今日の肉も硬かったなあ」
肉は硬い。おろし玉ねぎや果物、ワインなどで肉を柔らかくする手法は、少なくとも庶民が行く店では使われていない。燃料費の関係か、長時間煮込んで柔らかくすることも稀だ。
柔らかい肉を提供したら歓迎されるのでは?
それとも「食べ応えがない」と嫌がられるのか?
宿の部屋に戻って考える。店を構えたらあれこれ試そう。私には現代日本の知識と料理の経験、それに魔法がある。
「さて、そろそろ本格的に住処を決めますか」
宿屋の三階の窓から王都の街並みを眺めながら覚悟を決めた。
大通りを避け、裏通りを中心に物件を探した。業者さんに案内されつつ何軒も見て回り、二階建ての店舗付き住宅を見つけた。「売家」の看板に駆け寄ると、案内してくれていた男性は顔を曇らせた。
「この先は行き止まりですから、人通りは期待できませんよ。塀の向こうは農園で、もっと目立つ場所に……」
「いえ、ここに決めます」
王都の繁華街から裏に入り、行き止まりの手前の一軒家。隠れ家みたいでいいじゃないか。すぐにその建物を買い取ることにした。
「全額を今、即、お支払いですか?」
「ええ。宿まで来てくださる? 重い袋を私が一人で運ぶのは危険ですし」
私の部屋で革袋をテーブルに置き、中の金貨を数えてもらう。男性は(こいつ何者?)という目で金貨と私を見たから、遠くから来た出戻り娘という設定を話した。信じたかどうかは不明。契約は完了して、行き止まりの家は私のものになった。
「よし。準備は万端だ」
不安も孤独も全部心の引き出しにしまい込んで、私はこの国の王都の片隅でカフェを開く準備を進めた。