17 熱が出た
カルロッタさんにお会いした日の夜中、熱が出た。風邪をひいたらしい。頭痛が酷いし、寒気と関節痛もある。
『隠れ家』のドアに「本日臨時休業」の貼り紙をした。熱はかなり高い気がする。寒い。湯たんぽがほしい。
私があちらの世界で使っていた湯たんぽは電子式。電気がない世界だから無理だ。
結界を利用して湯たんぽを作ったけど、結界湯たんぽはぐにゃぐにゃの袋状で、コルク状の栓を作ってはめ込んでも口からお湯がジャージャー漏れた。結界には伸縮性があったものね。
鉄製の湯たんぽは?と思ったものの、厨房にはパイの型に使って三分の一以下に減っている鉄鍋しかない。ダメ元で湯たんぽを作ったら、両手のひらに乗るようなミニサイズの湯たんぽができた。
猫にも小さいわ!
「疲れた……」
立っているのもしんどいのに、私は何をやっているのだ。おとなしく寝たほうがいい。すごく寒い。まだまだ熱が高くなりそう。鉄鍋で作ったフライパンや焼き型は、繰り返し熱したり油を引いたりして、こびりつかないよう手間暇かけて育てたものだから使いたくない。
諦めかけたところで陶器の湯たんぽはどうだ? と思いついた。
最後の望みをかけてお皿を何枚もテーブルに置き、魔法をかけた。見覚えのある形の陶器の湯たんぽが二つ出来上がった。なんで二つ?
「腐るものでなし」
手のひらサイズの湯たんぽを材料に、鉄製の漏斗を作って熱湯を注ぎ入れた。鉄製の漏斗は三つ出来上がった。具合が悪くて魔力をコントロールできていないのかも。
これも腐らないからいいことにした。
お湯を詰めた湯たんぽをありあわせの布で包み、ハァハァ言いながら階段を上がる。陶器の湯たんぽは想像以上に重い。
「重い。重いよ」
どうにかベッドにたどり着いた。湯たんぽを抱えて丸まり、目を閉じる。柔らかい熱が伝わってくる。偶然の産物だけど、これはいい。
それにしても、こんなに熱を出したのは小学生のとき以来だ。
唐突に父の言葉を思い出した。風邪で寝込んでいる十歳の私の頭を撫でながら、映画好きの父が話してくれた内容だ。
「軍の攻撃もへっちゃらだった宇宙人が負けたのは、地球人なら負けないウイルスだったんだ。マイも負けないから大丈夫。すぐに治るよ」
私にはこの世界のウイルスに免疫がなかったのかも。逆に私がこの世界になにかの病気を持ち込んでいないことを祈る。
お母さんはよく「お前は赤ん坊のころから病気をしない子だった」と言っていた。丈夫な体に産んでくれてありがとうお母さん。私は久しぶりに熱を出しています。
解熱剤を変換魔法で作り出したいけど、解熱剤がなにでできているのか全く知らないからイメージできない。
食べ物だけは売るほどあるから、それだけでもありがたい。湯たんぽを抱えたまま震えが治まるのを待った。孤独死という言葉が頭をよぎる。せっかく生き延びさせてもらったのに。死にたくない。心細い。おばあちゃんと夜太郎に会いたくてグスグス泣いた。
「喉が渇いた」
でももう階段の上り下りをしたくない。そうだ、魔法で出せばいいじゃないか。なんでこんなことをすぐ思いつかなかったんだ。仰向けになり、大きく口を開けて指先を口に入れた。冷たい水をイメージして魔力を指先に流した。
「ゴアッハアァッ!」
バケツの水を一気にぶちまけたくらい大量の水が口の中に出現した。違う理由で死ぬかと思った。
「失敗したわ。ベッドも寝間着も髪もびしょびしょだ。もうやだ。冷たいよ」
超小型台風から温風を出してベッドを乾かす? ちょっと待って。よく考えよう。水の量だけじゃない。湯たんぽと漏斗も多くでき上がった。温風を出すつもりで火炎放射器みたいなことにならない? この家、木造だよ?
「店の暖炉の前で横になろう」
濡れた服を脱ぎ、ガタガタ震えながら別の寝間着に着替えた。
毛布をズルズルと引きずって階段を下りた。火魔法を使うのが怖いから、着火用の金属棒とザラザラの金属板で火をつける。万が一の時のために作り置きしてある細い木くずに火がついた。その火が消えないうちに藁を足し、細めの薪も足した。この作業に慣れていてよかった。
火のつけ方を教えてくれたエラさんとインゴさんありがとう。
ゼイゼイと息荒く暖炉の前で座り込む。毛布は最近魔法で作り出した二枚合わせの分厚いものだ。普段ならぬくぬくなのに、体の中から寒い。だるくて頭が痛くて、呻いているうちに眠りに落ちた。
うるさい音で目が覚めた。誰かがドアを叩いている。休業の貼り紙をしてあるのに。
ガンガンとしつこく叩いているけど、いいや。そのうち諦めるだろう。私は毛布にくるまったまま、暖炉の前から動かなかった。
「マイさん! マイさん!」
うん? あの声は。
痛む頭を動かして窓を見ると、カーテンのすき間からヘンリーさんがこちらを見ている。いつもどおりの文官用の制服だ。よかった、仕事に戻れたんだ。そこまで思ってまた眠ろうとしたら再びドアを叩かれた。
「ううう」と呻きながらノロノロと歩いてドアを開けた。
「よかった。生きていた! 床に倒れているから驚きました」
「風邪をひいたのでお店はお休みです」
「俺にコートを貸したせいですね。なんてお詫びをしたらいいのか。顔が赤い。熱は?」
「熱、あると思います。それと、風邪はヘンリーさんのせいじゃありません」
ヘンリーさんが私の額に手を当てた。大きな手が冷たくて気持ちがいい。風邪の原因はそこらじゅうにいるウイルスですから。あなたのせいじゃないのよ。
「こんなに熱があるのに、何で床で寝ているんです?」
「ベッドにお水をこぼしちゃって。でも大丈夫。ここで寝ていれば治ります」
「そんな……」
ヘンリーさんは毛布をギュッギュッと私に巻き付け直すと、何か考え込んでいる。
「本当にもう大丈夫ですから。お昼を食べに行ってください」
「この状況が大丈夫じゃないことは明白です。少し待っていてください。ドアの鍵は?」
「厨房の壁にかかっています」
「買い物に行ってきます。僕が外から鍵をかけますから、ベッドで……ああ、濡れているんでしたね。ではこのまま暖炉の前で寝ていてください。すぐに戻ります」
面倒見がいい人ね。
薪を足し、またウトウトした。ガチャッと鍵が開く音とドアベルの音がして、大きな荷物を抱えたヘンリーさんが入ってきた。抱えていたのは毛布だ。それをたたんで床に敷き、「寝てください」という。私が横になると、体に巻き付けていた毛布を上からかけ直してくれた。
「味が気に入らないかもしれませんが、玉ねぎスープを買ってきました。飲めますか?」
「喉が痛くて無理」
「熱を出した時は水分をとらないと危険です。玉ねぎは食べなくてもいいので、汁だけでも」
水筒も買ったらしい。水筒からスープをカップに移し、私を起こして背中を支えてくれる。頭が痛いし、やたら目が眩しい。しんどくて目を閉じていたら、口にスプーンが触れた。
「目を開けるのがつらかったら、そのままでいいです。口を開けて。少しでも飲んで」
「はい」
汁が喉にしみて痛い。痛いけど、身体が温かいスープを要求している気がした。飲ませてもらって、カップ一杯のスープを飲み干した。
「お代わりできますか?」
「ううん」
目を閉じたまま返事をしたら、そっと横たわらせてくれた。薄く目を開けると、ヘンリーさんが眉間にシワを作って私を見ている。
「ヘンリーさん、お昼は?」
「そう言うと思って、俺の分はパンを買ってきました。お茶を飲みますか?」
「ううん」
私が「お礼に『俺』を使ってくれ」とお願いしたからだろう。今までずっと「私」と言っていたのに、「俺」と言っている。ほんと、律義な人だ。ああ、気分が悪い。頭が痛い。そしてドロドロに眠い。
いつの間にか眠って、目が覚めたらヘンリーさんが近くに座って私を見ていた。
「目が覚めましたね。汗をかいているから着替えたほうがいいのですが、どうしましょうか。二階まで俺が抱えて運びましょうか。俺がタンスを開けるのはお嫌でしょう? それとも服を買ってきましょうか?」
「買わなくていいです。ヘンリーさん、お仕事は?」
「早退しました。今回はちゃんと連絡したので問題ありません」
ヘンリーさんがドヤ顔をしている……ような気がする。
「ごめんなさい。でもありがとう」
「困ったときはお互い様、でしょ?」
仕事を休ませたのは申し訳ないけど、いてくれるのは本当に心強い。具合が悪すぎて。こちらに来る直前のことを生々しく思い出してしまうんだもの。
汗で湿っている服を着替えるため、ヘンリーさんの肩を借りて階段を上がった。ゼイゼイ言いながら階段を上っていたら、ヘンリーさんが話しかけてきた。
「恋人はこの状態を知っているんですか?」
「……はえ?」
「たぶん知らないんですよね? 私が看病して、マイさんがあらぬ疑いをかけられたら言ってください。ちゃんと俺がなにもありませんて証言しますから」
「……はえ?」
ごめん、恋人って誰の? 今は、しゃべるのもしんどいんですけど。ややこしい話はあとにしてほしい!
ヘンリーさんは苦笑して「今は無理そうだ」と言って黙ってしまった。
寝室の前で待ってもらって、ノロノロと着替える。一人なら汗で湿った寝間着のまま震えながら寝てるところだったわ。
「もう、大丈夫。風邪がうつるから」
「半分獣人の頑丈さをなめないでください。そんなに苦しそうなときに俺の心配なんてしなくていいです。寝てください」
「うん」
また店の暖炉の前で眠ることにした。
敷いてある毛布のシワをヘンリーさんが丁寧に伸ばし、甲斐甲斐しく寝床を作ってくれる。また横になってウトウトしていると、窓ガラスをバンバンと叩く音がした。窓を見ると、キリアス君がカーテンのすき間からこちらを覗いていた。
「あのすき間は塞いでおくべきでした。わかったから! そんなに強くガラスを叩くな。割れてしまうじゃないか」
ヘンリーさんは怖い声を出し、しなやかな動きでドアに向かった。