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16 ep1【インゴとエラのその後】◆

あまり時間がたちすぎないうちにあの夫婦の話を。次回は本編に戻ります。

「あなた、ヤギの乳を温めて」

「おう、わかったよ」


 エラに言われてインゴが搾りたてのヤギの乳を鍋で温めた。

 インゴとエラの夫婦が息子夫婦の家に引っ越して数か月。二番目の孫はすくすくと育っている。嫁のリモーヌは休み休み家事をこなせるまでに回復したが、起きている間中動き回る二歳児の世話をできる状態ではない。


 エラが上の子のおむつが濡れていないか確認し、インゴは人肌に冷ましたヤギの乳を運んだ。リモーヌはヤギの乳を受け取ってスプーンでそっと赤子の口に運びながら頭を下げた。


「いつもすみません、お義父さんお義母さん」

「なんの。かわいい孫の世話ができて俺は楽しいよ」

「そうよリモーヌ。私だって孫たちから元気を貰って若返った気がするわ」


 リモーヌは優しい義父母の言葉に胸が温かくなる。

 畑仕事に家事全般、子育てもこなすとなると、五十過ぎの義父母にとって相当大変な労働のはずだ。だが夫の両親は嫌味など一度も言ったことがない。

 世間では「嫁は使うもの、働かせるもの」と思っている人のほうが多いから、(自分はなんて恵まれているのだろう。いつか必ずこの恩を返さなくては)と思っている。


 昼ご飯を食べにリモーヌの夫ギンズが戻って来て、エラが野菜を混ぜた麦のおかゆを温めた。大人四人と幼児一人で具沢山の麦粥を食べていると、インゴが懐かしそうな表情で話を始めた。


「マイは石を投げて鳥を仕留めるのが得意だった。マイがいる間は毎日肉を食べられたんだよ」

「はあ? あの貴族のお嬢様みたいな人がかい?」

「そうだよ。おそらくいいところのお嬢さんなんだろうけど、畑で見つけたときには骨と皮みたいに痩せていてね。そりゃあ気の毒な有様だったよ」


 ギンズが「はて」という顔になった。


「いいところのお嬢さんが石を投げて鳥を狩れるなんて、おかしいだろ」

「あら、だって本当に道具なんて持っていなかったのよ。マイは鳥のさばき方も火のつけ方も知らなかった。井戸から水を汲むのさえ、最初は物珍しそうな顔をしていたわね。よほどの家で育てられたのでしょうに、あんなふうに追い出されて気の毒だった。気立てのいい娘さんだったの」

「そう言えば」


 インゴが思い出し笑いをしながら話を始めた。


「王都に出発する時、きれいな石をくれたんだよ。『お世話になったお礼です』って。可愛いところがあるだろう? 私たちの懐に余裕があれば旅費を持たせたんだが。今頃どこでどうしているか。元気でやっているといいがなあ」

「きれいな石ですか? 見てみたいです」


 リモーヌがそう言うと、食事中のインゴが立ち上がり、自分たちの部屋からハンカチで包んだものを持ってきた。


「これだよ。マイの実家のある地方の石かもしれないね」

「まあ、きれい。こんなきれいな石があるんですねえ」

「俺にも見せてくれ」


 ギンズはインゴから渡されたハンカチを開いて中身を見た。大きさは微妙に違うが、球形の石が十粒。青、緑、赤が絡み合うように模様を描いている。立ち上がって窓際の明るい場所で見れば、石はいっそう美しい。


「これ、石じゃないだろ。いや、石と言えば石だが、宝石じゃないかな。こんなに真ん丸できれいな石が、その辺に落ちているわけないって。職人の手で研磨してあると思う」

「宝石? まさか。あの子は着の身着のままで倒れていたんだぞ? おそらく何か不始末をして家を追い出されたのだろう。追い出した親だって、宝石を持たせるくらいならもっとましな荷物を持たせるだろう」


 インゴの言葉にエラがうなずき、リモーヌは赤子の口を拭くのに気を取られている。ギンズだけは(いや、これがただの石なものか)と納得できない。


「親父、こんどリモーヌの薬を買いに行くとき、これを借りていっていいか? ひとつだけでいい。古物商に見てもらってくるよ」

「好きにするといいさ」


 週に数度、ギンズは近場の大きな街に出る。その日は野菜を売った帰りにリモーヌの薬を買うのだ。

 数日後、野菜を売りに出たギンズは、大きな街の古物商に初めて入った。


「すみません、ちょっと見てもらいたいものがあるんですが」

「はいはい。品物をどうぞ」


 店主とギンズの間には木の柵が設けられている。強盗に襲われるのを防ぐためだ。ギンズは柵にある穴から木の皿に載せた丸い石を向こうへと押し出した。

 古物商の店主はモノクルを右目にはめると、じっくりと石を眺める。しばらく石をいろいろな角度から眺めてから、店主がギンズを見上げた。


「これをお売りになるのですか?」

「いや、それは親父のものなんで、今すぐ売るわけにはいかないんだ。いくらくらいになるかなと思って。忙しい時にすみません」

「そうですか。とても質のいいオパールですので、もしお売りになる際は、ぜひとも当店にお持ちください。そうですねぇ、このお品ならこれくらいで買い取らせていただきます」


 店主は小さな紙に金額を書いて差し出す。

 それはギンズが野菜を売って稼ぐ一年分の金額よりもはるかに大きい。ぎょっとするギンズ。


(焦っちゃだめだ。足元を見られてしまう)


 じっとりと背中に汗をかきはじめたが、何気ない顔で戻されたオパールをハンカチに包んで胸ポケットにしまった。


「親父に相談してきます」

「承知しました。よろしくどうぞ」


 ギンズは大急ぎで家に帰ると、鶏の世話をしているインゴに駆け寄った。


「親父、聞いて驚くなよ。やっぱりこの石は宝石だったぞ。オパールだと言われた。これ一個で俺の一年の稼ぎの二倍近い金額で買い取ってくれるそうだ」

「見てもらったのはそこ一軒だけかい?」

「そうだ」

「どうだろうなあ。そんなに高価なものなら、王都で見てもらったほうが間違いがないんじゃないかねえ」

「王都か。そうだな。一番小さいのであの値段なら、一番大きいのはいったいいくらになるんだ? 親父、やっぱりあのお嬢さんはお貴族様のご令嬢だったんだな」

「だから最初からそう言っているじゃないか」


 ギンズは次にリモーヌのところへ走った。


「リモーヌ、親父たちが貰ったあの石、オパールだってよ。今日、古物商に見てもらったんだ」

「オパール? 宝石ってこと?」

「そうだよ!」


 リモーヌは目の前に差し出された丸い石を眺めて少し考える。


「お義父さんとお義母さんがその女性を助けて、お礼に貰ったものでしょう? あなた、勝手に売ったりしないわよね?」

「勝手には売らないけど。親父に了解を貰ってから売るつもりだ」

「売るかどうかはお義父さんとお義母さんが決めることよ。それ、あなたのものじゃないもの」

「いや、俺たちと一緒に暮らしているんだから……」


 リモーヌはゆっくり首を振った。その腕には赤子が幸せそうな顔で眠っている。


「一緒に暮らしていても、お義父さんのものは私たちのものじゃないわ。私、具合が悪い時に助けてもらって毎日感謝をしているのに、そんなことはしないでよ。今だって暮らしていけないわけじゃないし。本当は私たちがお礼をすべきなのに、お義父さんたちが貰ったものを売って私たちが使うのは……どうなのかしら。私は気が引けるわ」

「まあ、そうだな。そう言われたら確かに俺も考えが足りなかったか」


 その夜、リモーヌの言葉を伝えられたインゴは、ニコニコしながらテーブルの上でハンカチを広げた。


「大きいのから配ろう。それでいいさ。もともとは貰ったものだ」


 インゴは大きいのから順番に四個を選んでギンズに渡す。それから自分たちが二個。残りは四個。


「お前たちの分はお前たちが好きにすればいい。残った四個は売って何かのときの備えにすればいいんじゃないか?」

「親父、なんだか悪いな」

「悪くなんかない。俺たちもこれで嬉しいんだ。それにしても、マイはいったいどんな家のお嬢さんだったのかなあ」

「なぜ放り出されたのかしらねえ。素直で働き者のいい子だったのに」


 オパールはすぐに売られることはなかった。

「いざとなったらあのオパールがある」と思う心のゆとりは、ギンズを「いつでも売れるんだから、今はまだいい」という気持ちにした。


 ある夜、エラはベッドの中でインゴに話しかけた。


「あなた、不思議よね。あんなに弱っていたマイが、宝石を持っていたなんて」

「俺もそれが不思議だよ。オパールを売れば、さっさと王都に行ってうちにいるよりずっといい暮らしができたろうに」

「神様が私たちをお試しになったのかもよ?」

「マイが神様の使いだって言いたいのかい? そんなわけはないだろう」

「神様の使いじゃないだろうけど、そういう巡り合わせを神様が運んでくれたのかもしれないと思うの。私たちが困っている娘さんに優しくできるかどうか、試されたのではないかしら」

「ふむ。そう言われると、そんな気もしてくるな」


 しばらくして、もう眠ったのかと思っていたインゴの声が聞こえた。


「俺はお前が女房でよかった。強欲な女房だったら、俺があの子を連れ帰ってもさっさと追い出していただろう。それに、痩せて歩くのもつらそうだったマイを親身に面倒見たのはエラ、お前だ」


(腰痛持ちのくせに意識のないマイを必死の形相で連れ帰った人が、何を言っているのやら)


 返事はしなかったが、エラは幸せな気持ちで微笑んだ。

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