10 春待ち祭りとは
年が明けて一月になった。
私の王都ライフは順調で、魔法の腕もかなり上がっている。水魔法で浴槽にお湯をためることは余裕でできるようになった。
足をゆったり伸ばして入れるサイズの自作の浴槽にたっぷりのお湯。風呂好き人間には嬉しい限り。毎日湯船に浸かって幸せを感じている。
今日は近所の洋品店のクアラさんがランチを食べに来ている。クアラさんは四十歳ぐらいで、旦那さんと二人で洋品店を切り盛りしている。赤髪をボブにしていて、クアラさん以外にボブヘアの女性を見たことがないから、おしゃれに尖っている人なのかもしれない。
クアラさんは魚介の炊き込みご飯が大好物で、今日もモリモリと食べている。これはパエリアもどきで、本物を作りたいけどサフランが見つからない。他の花のめしべを変換させたくても、今は冬だから花がない。
「やっぱり美味しい。うちでもこれを試しに作ったのよ。でも、なんか味が違うのよね」
「それはそれでクアラさんの味ですよ」
「ううん。私はこの味が好きなの」
実はその炊き込みご飯には、自作のだしが入っている。味の違いは多分うまみ成分。私は魚とキノコを乾燥させ、薬研もどきを自作してゴリゴリと砕いて粉末にしてだしを取っている。小魚やキノコそのままより、粉末の方が濃いだしができる。今度粉末のだしの素をお裾分けしてあげよう。
薬研はもちろん鉄鍋から作った。
「父ちゃん、鉄鍋が来たよ!」と十二歳くらいの息子さんが父親を呼びにいく声にももう慣れた。あれで一応声は潜めてるつもりなのよね。
今度「こんにちは、鉄鍋です。大好きな鉄鍋を買いにきました」って言ってみようかな。そんなこと言ったら今度は「父ちゃん、あのやばい人来たよ!」って言われるのかな。
クアラさんが炊き込みご飯を完食して話しかけてきた。
「マイさんも春待ち祭りに行くんでしょ?」
「春待ち……。いえ、決めていません」
そもそも春待ち祭りを知らない。これもウェルノス王国では知らない人がいないお祭りなのだろうか。日本におけるひな祭りみたいに全ての国民が知っているお祭りなら、下手なことは言わないほうがいい。
「マイさんは恋人いるの? いるんだったら行かなきゃね。彼氏がガッカリしちゃうわよ」
「そうですよね」
「彼氏を惚れ直させるには、おしゃれをして春待ち祭りに行くのが一番よ。その時はうちの店をよろしくね」
「はい。その時はぜひ」
曖昧な笑みを浮かべて調理台を拭く。
さて、誰かに聞いてみなくては。「春待ち祭りってどんなお祭りですか?」と聞くのは、誰がいいかな。「は? 本気で言っているの? いったいどこの出身なの?」などと言わない人は……酒場のロミさんかな。
あの人は不必要に客の事情に踏み込まない人だから。
そうだ、そうしよう。今夜ロミさんに春待ち祭りのことをこっそり聞いてみよう。
夜になるのを待って『酒場ロミ』に向かった。結界を使ったステルス防犯ウエアは着ていない、猫が本気で怖がるんだもの。猫はだいじな癒しだからね。
店はいい感じに混んでいて騒がしい。話し声や食器がぶつかる音で、他の人のおしゃべりの内容までは聞き取れなさそう。
カウンター席も混んでいて、どうにか空いていた席に座れた。左隣にはフードを被った男性がいたが、背中を向けるようにして座っているから「お隣失礼します」とも言わずに腰を下ろした。右隣はいちゃいちゃしているカップルだから声をかけなかった。
ロミさんがニコニコしながら私に寄ってきた。
「いらっしゃい」
「いつもの蒸留酒と、干し肉、それと内緒でロミさんに聞きたいことがあるんですが。忙しいのにごめんね」
「内緒? もちろんいいわよ、何かしら。あ、今すぐにお酒を持ってくるから。待ってて! すぐだから!」
ロミさんが俄然イキイキした。コイバナを期待しているかもしれない。そんな面白い話じゃなくてごめんね。
ロミさんは小走りで厨房に戻り、自ら蒸留酒と干し肉と野菜スティックを載せたお皿を持って私の席まで戻ってきた。目が輝いている。やはりコイバナを期待させてしまったよね。申し訳ない。
「はい、お待ちどうさま、野菜はサービスよ。それで? 内緒で聞きたいことってなあに?」
「あ、うん、チーズ、ありがとう。あのね、春待ち祭りって、どんなお祭りなの?」
ロミさんはたっぷり十秒ぐらい私を見たまま動かない。そんなに変な質問だったのか。
「本当に知らないの?」
「知りません。他の人には聞きにくくて。教えてください」
「それはいいけど……春待ち祭りを知らないって……」
相当驚いているなぁ。口の堅そうなこの人に聞いて本当によかった。
「春待ち祭りはこの国で何百年も続いているお祭りよ。もうすぐ冬が終わって春が来るのを祝うの。二月の二回目の休息の日ね。王都では大通りの両側にずらりとかがり火が並べられて、そこをゆっくり歩くのよ。冬の間に身体に溜まった悪いもの、穢れたものをかがり火が燃やしてくれるって言われてる。かがり火の間にはぎっしりと屋台が並ぶわね」
「それが春待ち祭りなのね?」
「ええ。冬の間に流行り風邪や腹下しの病で命を落とす人が多いでしょう? お互いに厳しい季節を無事に生き延びられたね、もうすぐ春でよかったねって祝う意味も兼ねているの。老いも若きも出てくるから、すごい混雑になるわ」
「なるほど」
冬に命を落とすのか……。そうだよねえ。抗生物質もワクチンもないしねえ。うちのお客さんも命を落としたりするのかなあ。それは嫌だなあ。
「それと、この国は国民の多くが農民でしょ? 春になればみんな農作業で忙しくなる。その前に恋人同士で甘い時間を過ごしましょうっていう日ね。農村では恋人たちがかがり火の間を歩いた後で、二人で甘い夜を過ごすわけ。もちろん王都の恋人たちもね」
「わかった。恋人と甘い時間ね」
「そうよ。甘い時間は元気の源よ。じゃ、私は戻るわね。彼氏と楽しい時間を過ごしてね」
恋をする予定はないけど、話に乗っておこう、
「はい、そうします。ありがとうございます。それとロミさん、私がこんな質問をしたことは……」
「あら、客商売の基本は『口は堅く腰は軽く』よ? 安心して」
ロミさんがウインクをして去って行った。
大昔から国中が祝うお祭りか。知らない人はいないわけね。
「他国の出身なもので」って言い訳するのも無理がある。私、他国どころか王都とオーブ村以外は、この国のことさえ全く知らないもの。情報の仕入れようがないし。
よけいなことは言わないようにしてここまで無事にやってこれたけれど、思わぬところでボロを出すところだった。ほんと、知らないって怖い。
スマホかパソコンがあれば秒で得られる情報も、この世界では自分の足で歩き回らないと手に入らない。情報が物理的に遠い。
魔法で瞬間移動ができたらいいのに。それにしても……。
「危なかったわ」
「マイさん」
「はい」
考え込んでいたものだから、返事をしてからギョッとした。私に背中を向けるようにして座っていた左隣の客がこっちを向いていて、ヘンリーさんだった。
「やだ、ヘンリーさんだったの? 気づきませんでした」
私もロミさんもだいぶ小声でしゃべったけど、今のやり取りを聞かれただろうか。心臓の鼓動が速くなる。
「マイさんは……その……」
「もしかして私とロミさんのおしゃべりが聞こえましたか?」
「聞かないようにしようと思ったんですけど、私は耳がいいので。隣で耳を塞ぐのも失礼だからためらわれて。ごめんなさい、聞こえてしまいました。それでマイさんは……」
何も聞かなかったことにしてください! お願いします! と拝み倒そうとしたらヘンリーさんが立ち上がった。顔をしかめていてかなり具合が悪そう。
「話の途中で失礼。帰ります」
「あ、はい。おやすみなさい」
ヘンリーさんはゆらりと立ち上がり、カウンターにお金を置くとフラつきながら店を出て行った。とても具合が悪そうだけど、大丈夫だろうか。ガタイのいい若い男性だから襲われることはないよね?
いや、具合が悪かったら襲われるかもしれないか?
急に心配になった。私が隣に座っていなかったら、のんびり酔いを冷ましてから帰るつもりだったのかも。話を聞いちゃって気まずいから無理をして帰ったのかも。
そう思ったら知らん顔はできなくなった。私も代金を置いて店を出たが、たった今店を出たばかりのヘンリーさんが見当たらない。右に左に走って探した。
「ヘンリーさん! どこ? ヘンリーさん!」
返事はない。馬車を待たせていて乗って帰ったのだろうか。それならいいけれど、ヘンリーさんて普段は馬車を使っていないよね? なんだか酷く胸騒ぎがする。
近くの路地を一本一本覗いて回った。すると、何本目かの路地とも言えない建物と建物の間に、ヘンリーさんが着ていたフード付きコートが乱暴に脱ぎ捨てたように落ちていた。
胃の辺りがギュッと縮こまる。襲われたのだろうか。
ヘンリーさんのコートを拾い上げたら、少し奥まった場所に真っ白なシャツとズボンと下着。そしてブーツと靴下まで転がっている。これ、絶対になんかあったよ。
震える指で落ちていた衣類とブーツを拾って抱え、人を呼び集めるためにロミさんの店に引き返そうとした。そのとき、背後から弱々しい声が。
「待って。服を持って行かないで」
驚いてビクッとなった。声、ヘンリーさんの声じゃないよね?
そっと振り返り、声がした方に目を凝らすと奥の暗闇に誰かいる。水魔法の準備をしつつ、いつでも逃げ出せるように構えて目を凝らした。
次第に暗闇に目が慣れてきて、シルエットが見えた。
建物と建物の間の八十センチぐらいのすき間に佇んでいたのは、子馬くらい大きい猫だった。
朝からウンウン言いつつ あとがきの下に私の作品の画像を貼りました。