世界で一番バカな人
最新2巻、2月20日発売!
あと五日です!
さて……先代伯爵がどういう人物だったのか、一応説明する。
彼は傲慢で独りよがりで、自尊心が強く、また暴力的なところもあった。
だが伯爵家の跡取りとして生まれ、そのように教育を受けていたため、まったく問題はなかった。
彼は伯爵としての内政仕事をきちんとしていたし、武人として領地の害となる存在を排除することも怠らなかった。
やるべきことをやっていたので、その傲慢さも周囲からは許容されていたのだ。
それは……不幸にも彼が傷を負って、武人としては再起不能になった後も、正しく許容されていたのだ。
戦で傷を負ったのだから、仕事をやりきったのだと思われていた。
戦えなくなっても、伯爵を辞めても、惜しまれてさえいた。
跡取りである彼の息子も、父のようにやれない自分を恥じていた。
周囲もまた、父親に比べて今代は情けない、もっと頑張るべきだとさえ言っていた。
つまり彼は、引退したこの状況でも、模範的な領主だったと評価されているのだ。
よって『あいつは駄目だったな』とか『最初は良かったけど後半はなあ』とか言われることがなかった。
まさに勝ち組、と言っていいだろう。
だがそれは、客観的な評価に過ぎない。
彼にとって不幸なことに、彼はまだ満たされていなかった。
負傷による引退が、仕事や賞賛に飽き始めていた時期ならよかったのだ。
だが彼は領主としても武人としてもまだ全盛期と言える年齢であり、引退するには少々早かった。
そのこともあって、再起したいと願っていた。
戦えないほどの負傷と言っても、生活に支障をきたすほどでもなかった。
だからこそなおさらに、戦いへの恐怖などは薄く、むしろ渇望が増していた。
そんな時期に、ガイカク・ヒクメの噂を聞き……息子の救援要請に彼が現れ、更に負傷者多数との話を聞いて、一気に爆発したのである。
彼の主観からすれば、まあ仕方がないと言えなくもなかった。
だが周囲からすれば……蛮行を通り越して悪行、犯行に他ならなかった。
※
ガイカクの命令通り、奇術騎士団の多くはメラスの建造した野城へ移動することになった。
だが彼女らのほとんどは自力で移動できなかったため、伯爵軍の若手が馬車などに乗せて移動させることになった。
周囲を敵視していた彼女らは、やはり敵だったのかと、周囲の若者たちを睨んでいる。
睨まれている若手兵士たちは、正直それに罪悪感を禁じ得なかった。
同行している、先代に仕えていた猛者たちに、苦言を呈そうとするほどである。
「あの……マジであの城に運ぶんですか?」
「だからなんだ」
「いや~~……マズくないですか?」
奇術騎士団とカーリーストス伯爵軍の関係が、良好だったとは言い難い。
そのうえ今回の戦いも、始まりから終わりまで訳が分からないものだった。
しかし、これだけボロボロになった団員を見て、思うところがないわけがない。
「俺たちを助けるために来て、一生懸命戦って、こんなボロボロになったんですよ? それをこう、隠すみたいにするのって……」
「それはお前たちが弱いからだ、先代当主様には関係ない」
「ええ~~……」
「先代様が健在なら、騎士団の要請さえ必要なかった」
「いや、全然話が違うじゃないですか……」
「黙れ! お前たちの不甲斐なさを、私達や先代様に押し付けるな!」
猛者の暴力が、若手を襲う。
奇術騎士団の団員ほどではないとしても、傷を負っている兵士達にはどうしようもない暴力であった。
「口を開けば文句ばかり……それは今代の当主も同じだ! 先代様が復帰なされば……そんなだらけ切った日々は終わると思え!」
「いや……でも……今回のことが露見したら、それどころじゃないんじゃ?」
殴られてなお、兵士たちは反論していた。
学があるとは言えない彼らでさえ、この状況のヤバさはわかっていた。
「それこそ、大問題になるんじゃ……」
物凄くフワフワした言い方だが、奇術騎士団の面々も同意する話である。
負傷した団員を人質に要求を通そうとするなど、世間に知られれば家が潰されるレベルだろう。
「簡単なことだ……奇術騎士団は、メラス軍との戦いで全滅した、そういうことにすればいい」
「は?」
「この娘たちを見ろ……全滅も同然ではないか」
歴戦の猛者たちは、運ばれている団員を蔑んでいた。
「それにだ……この小娘たちを助けるよりも、先代様を助ける方が何倍も意味がある……国家全体への利益だと思わんか」
奇術騎士団の、ありのままの姿。
手品で隠されていない、素の彼女たち。
その体格から実力を見抜いた猛者たちは、まさに見下していた。
(ふん、今に見てろ……!)
実力への評価を認めつつも、団員たちは憤りを隠さなかった。
自分たちが何をするまでもなく、ガイカクが何とかしてくる。
外に情報を漏らすことができれば、それだけで問題は解決する。
それをガイカクが達成できないわけがない。
ガイカクの実力を疑わない彼女らは、ガイカクなら何とかしてくれると信じていた。
ただ一つの部隊を除いては。
(御殿様は……多分何もできない)
夜間偵察兵隊、ダークエルフである。
知的で慎重な彼女らは、この状況が仲間の考えほど簡単ではないと理解していた。
(外に漏れたら話は終わり……それはこいつらもわかっている。だから御殿様を徹底して監視して、何も外に漏らさない……)
外に協力者でもいるのならともかく、そうではないのなら情報の漏洩は困難を極める。
それこそ、この場の兵士たちが罪悪感から匿名の報告でもしない限り。
それを『敵』もわかっているので、若い兵たちを一緒に野城に閉じ込めるのだろう。
(でも……きっと大丈夫。うん、絶対大丈夫)
そのうえで、ダークエルフたちはある種の確信を抱いていた。
(何もしなくても、こんなことは解決する……!)
※
一方でガイカクは、先代と共にカーリーストス伯爵の城に案内されていた。
もちろん周囲にばれないように、隠されながらである。
そうして彼の私室に案内、連行されたガイカクは神妙な顔で、先代と向き合っていた。
「私の要求はわかっているか」
「オタクの息子から聞いている、引退する原因になった傷の治療だろう。それを失敗するなり断るのなら、俺の部下を殺すって話だ」
「その通りだ、話が早くて助かる」
強者であるが故の傲慢さを前面に出して、先代は見下していた。
「私が傷の治療を騎士団に依頼した時点で来れば、こんなことにならなかったものを……後悔しているのではないか?」
「俺は奇術騎士団の団長であり、ティストリア様の忠実なる下僕だ。その許可がなければ、任務は受けられない。上官に逆らう下士官を、アンタは認めるのか」
「ふむ……まあそれはそうだ。お前の元に、私の依頼が届いていなかったのだろうしな」
反発しているガイカクに対して、先代はそれなりに認めていた。
軍人であると自認している以上、ガイカクの主張はもっともである。
「では仕える主を、従える部下を間違えた、とは思わないか?」
「いいからとっとと患部を見せろ。アホの説法なんて、聞きたくもねえ」
「ふん……それもそうだ」
先代はイヤそうに、自分の右腕の裾をまくった。
そこには戦の傷と、処置の跡が残っている。
「この通り負傷してな……利き腕が使えなくなった。医者どもに命じたが、どいつもこいつも役立たずだった」
「ああそうかよ、ったく……」
ガイカクはうんざりした顔で、その腕の触診を始めた。
そのうえで、ああ、と納得した顔をする。
「こりゃあ確かに、合法の医療じゃあ無理だな。俺の施術なら何とかならなくもないが……」
「なんだ、ハッキリ言え」
「すぐ前のように、とはいかないぞ」
ガイカクは持ち込むことが許された、医療用の魔導道具を使い始めた。
大きめの包帯、に見える布に医療用魔法陣を描いていく。
そしてそれを、先代の利き腕、患部に張り付けて固定する。
「まずはこれで……さて、指は動かせるか?」
「ん? 感覚はないが……お、おお?」
先代にとっては奇妙なことだったが、指を動かそうと思ったところ、指の感覚がないままで指がわずかに動いた。
開こうとすれば開く方向にわずかに動き、閉じようとすればわずかに閉じた。
「ああ……やっぱ関節が固まってるな。腕を斬って新しいのをつけることもできるが、培養するにも設備がない。完治までを考えたらこのまま治療したほうが早いぞ」
「そ、そうか……そうか!」
ここで先代は、ようやく口角を釣り上げた。
専門用語など、どうでもいい。
とにかく、ようやく治せる医者に出会えたのだから。
「完治までどれだけかかる?」
「ま~、一年ぐらいだろうな」
「……長いな、もっと短くしろ」
「健康に被害が出るやり方でいいなら、半分で済むぞ。その場合……」
「そうでない方で、最短で、だ!」
「それが一年だって言ってるんだが」
苛立つ先代に、ガイカクは呆れていた。
「まずな、完治っていうのは前通りになるのが一年だ。一年後にいきなり全快するんじゃなくて、じわじわよくなっていくんだよ。そういう意味じゃあ、お前が期待する水準になるのはもうちょっと早い」
「む」
「それにどうせ、俺のことも部下のことも、死んだことにして帰さないんだろう? だったら一年ぐらいの治療期間は諦めて受け入れろ」
「嘘はないか?」
「俺の命令で死にかけた部下の命がかかってるんだ、そこは信じてほしいね」
ガイカクの戦績は、先代も良く調べた。
そのうえ、治療を受けた『雑魚兵士』の姿も見ている。
(何を考えているのかはわからないが、あんな雑魚でも部下として気に入っているらしい……それなら万が一はないか)
ずい、と。
先代伯爵はガイカクに圧迫を仕掛けた。
「ならば、誓ってもらおうか。私に最高の治療をするとな。そして外部に救援を求めるな。それに違反すれば……」
「部下の命はないってんだろ? はいはい」
まったくどの口が誓いなどと言っているのか。
ガイカクはすっかり呆れていた。
だが先代は、そんなこともお構いなしに追加で要求をする。
「私の部下にも、傷を負っている者がいる。その者達にも、同じ治療をしてもらうぞ。自分の部下の命が惜しいのなら、寝る間を惜しんで働くことだな……!」
「ああもう、好きにしてくれ」
抵抗する気のないガイカクは、無駄になると知ったうえで治療を続けることにしたのだった。
(なんかこいつら勘違いしているよなあ……もうとっくに、手遅れなんだが)
※
さて、一方そのころ、騎士団総本部では……。
騎士団総本部にて、ティストリアは普段通りに仕事をこなしていた。
当然ながら、彼女はまだ奇術騎士団に起きた非常事態を知らない。
なんであれば、半月後に彼女の元へ、先代が当代に書かせた『メラス軍に勝利したものの、奇術騎士団は壊滅、全員が名誉の戦死を遂げました』という報告書が届くはずであった。
彼女がそれを不審に思っても、行動するのはその後ということになる。
だがそれより先に、彼女の元へ一枚の手紙が届く。
それを持ってきたのは、彼女の直属の正騎士、ウェズン卿であった。
「ティストリア様! 急報です!」
「どうしましたか、ウェズン卿」
「奇術騎士団周辺を監視していた密偵が、先代のカーリーストス伯爵に不穏な動きがあり、とのことです!」
「……具体的には」
「彼は直属の部下を率い、奇術騎士団が疲弊する瞬間を狙っていると……手紙が届くまでの時間からして、もうすでに奇術騎士団は拘束されているかもしれません!」
ーー騎士団を監視する密偵、なんてものは流石に普通ではない。
だが奇術騎士団はその性質上、通常よりはるかに有害な危険性を秘めている。
秘めている、という表現が不適当なほどだ。
だからこそティストリアは奇術騎士団の派遣先には密偵を送り、ガイカクが世間へ害をなしていないかを常に警戒していたのである。
今回はそれが、逆の方向で作用していた。
ガイカクは当然ながら、夜間偵察兵隊もそれを察していたのである。
「わかりました。それでは、各騎士団へ、非常招集の通達を」
そして、ティストリアに報告が達した時点で、既に状況は詰んでいた。
「これより騎士団は総力を動員し、カーリーストス伯爵との内戦に移行します」
この国で一番危険な人物は、ガイカクではない。
そのガイカクでさえ絶対に勝てないと心服している、総騎士団長ティストリアこそ……。
もっともバカな判断ができる、最悪の怪物に他ならない。
「作戦目標は、奇術騎士団の救助、そして伯爵家の殲滅です。これから私は関係各所へ通達しますので、貴方は出動の準備をお願いします」
「はっ!」
まだ奇術騎士団が拘束されているかも知らないままで……。
ティストリアは一秒も迷わず、眉一つ動かさず、全面戦争への手続きを始めていた。
その脳裏に、政治的、平和的な解決は一行も浮かんでいなかった。