命を燃やす
いよいよ、あと一日!
籠城戦において、敵を撤退させることこそ勝利。
であれば、ライナガンマの将兵たちにとって、敵が退いていく姿は歓喜以外の何物でもないはずだった。
だがしかし、その去っていく姿は、むしろ背筋を凍らせるものがあった。
「……あれだけの軍に、俺達は囲まれていたのか」
たった一枚の城壁だけが、自分達を守っていた。
その中で戦っていた者達は、この軍が目の前に現れた時と同じ絶望を思い出していた。
歓喜するべきであるのに、安堵さえできない。
退いていく姿が、変わらず十万の軍であるからこそ……途方もなく恐ろしかった。
それは城外に出た騎兵隊も同じである。
肌を晒したのはわずかな時間だったが、それでも去っていく姿が恐ろしかった。
時間さえ気にしなければ、今からでもこのライナガンマを落とせる。
それを思うと、勝利の雄叫びを上げようとさえ思わない。
ありえないことだが、それに腹を立てて戻ってきたら……と思うと、身動きが取れない。
「はあ……情けない奴らだぜ。ご自慢の攻城兵器もまだまだ残ってるってのによお……もう帰っちまうのかよ。これじゃあ飛んできた甲斐が無いってもんだぜ、まったく」
だが豪傑騎士団団長たるヘーラは、汗まみれで息を切らし、どっしりと腰を下ろしながらも悪態をついた。
その姿をみて、騎兵隊の隊長は笑った。
「ふ、ヘーラ。確かに大急ぎで来てくれて、助かった。本当に飛んできたかのような速さだったぞ」
「マジで飛んできたんだよ! どれだけ大変だったと思ってるんだ!」
飛んできた、を大急ぎで来たと解釈した騎兵隊長。
本当に飛んできたヘーラとしては、勘違いを訂正したいところであった。
「お前は悪態ついてただけだろうが!」
なお、本当に尽力していたガイカクは、自らも汗まみれになりつつ、大声で怒鳴っていた。
「ははは、まあまあ……彼女の武者働きも相当だったでしょう。ヒクメ卿もご存じでしょうが、彼女はそれはもう大慌てでこちらに向かい、ついてからは誰よりも多くの敵を倒して見せたのですぞ」
「むぅ」
「彼女へ対して貴殿が働いていないと言えば、我ら他の騎士団は面目もありませぬ」
疲れた顔で地面に座るオリオンは、すっかり疲れ切っていた。
フィジカルエリートの中では持久力に乏しい獣人であるため、これ以上は長く持たなかっただろう。
「おそらく我ら三ツ星騎士団は、次の攻城塔を燃やしたところで踏みとどまり、そこで一人でも多くの敵を道連れにする……というのがやっとだったでしょうな。まったく情けないことです」
「その次は私達水晶騎士団だったでしょうね……いやまあ、その覚悟できましたけど……助かったのなら何よりです」
水晶騎士団の面々も、そこまで余裕はなかった。
最初から、生きて帰れる見込みのない作戦だったのである。
むしろ敵のど真ん中から力づくで縦断して、そこからもさらに暴れまわった……そこまでできた時点で、十分すぎる武勲である。
ここから更に攻城兵器を全部破壊するなど、従騎士を含めて騎士団が勢ぞろいであってさえ、不可能なことだっただろう。
だがそこまでやれるかもしれない、と思わせた時点で勝利したようなものだった。
「しかし……本当に撤退が早かったですな。全体の半分も壊せていないというのに、なぜ全面撤退を」
「私たちの到着が、それだけ早かったということでしょう」
ウェズンは敵の逃げ足の速さに、疑問さえ覚えていた。
陥落が無理だと判断する、それ自体はそこまでおかしくない。
しかしその判断が決断に至るまでが早すぎた、と彼には思えた。
その理由をティストリアは補強する。
「私たちが到着したとき、攻城戦は序盤も序盤でした。そのタイミングで、四台の攻城塔が破壊。さらに破城槌や攻城塔一台が炎上……計画を見直すべきだ、と判断しても不思議ではありません」
騎士団の到着がもう少し遅れて、ライナガンマへ大きな被害が出ていた後でなら、騎士団がどれだけ暴れても撤退までは追い込めなかっただろう。
だが現状では、ライナガンマ城壁の砲台を黙らせただけ。
まだまだ、ライナガンマには大勢の兵が残っている。
「戦争は削り合いです。そのうえ城攻めでは、攻める方が圧倒的に不利。にもかかわらず、相手を削れないまま戦力を消耗していけば、退いても不思議ではありません」
改めて、騎士団たちは退いていく敵を見る。
自分たちが退かせた、途方もない数の敵を見る。
「今回の作戦は、我ら騎士団の歴史に刻まれるほどの、大きな出来事と言っていいでしょう。騎士の皆には、心から感謝します」
敵の気持ちが少しでも変わっていれば、自分達は死んでいた。
それでも奮戦した部下を、ティストリアは労っていた。
「それは……それは、ズルい!」
騎兵隊長が、あわてて下馬をする。
他の騎兵たちも、大いに慌てて地面に足をつけた。
「騎士団の皆様……お礼が遅れたことを、深くお詫びいたします!」
「ありがとうございました!」
「我らライナガンマの兵は、最後の一人になるまで戦う覚悟を決めていました。もしもの時は、女子供にも武器を持たせるつもりでした」
「……ですが、叶うなら家族の元に戻りたかった……家族に武器を持たせたくなかった!」
「皆様がここまで早く来てくださらなければ……家族の元に帰れぬ兵がどれだけいたか、父や息子を無くす人々がどれだけ増えたか……」
被害をゼロにできたわけではない、だが十万の兵に攻め込まれたことから考えれば、奇跡のように少なかった。
「騎士の皆様を、ライナガンマを挙げて歓迎いたします! どうぞ、いらっしゃってください!」
「そうしたいのはやまやまですが、いましばらく時間をいただけないでしょうか」
もはや脅威は去った。
門を堅く閉ざす理由など、どこにもない。
大都市を救った騎士団をライナガンマを挙げて歓迎しようとしていたのだが、ティストリアは速攻で断っていた。
「奇術騎士団の団員のほとんどが、我らと別行動をとっています。既に脅威が去った今、彼女らと合流せずに歓迎を受けることはできません」
「そ、そういうことでしたか……」
騎兵隊の隊長は、『奇術騎士団』の旗を見る。
それを持っているのは、フードを被っている男性、ガイカクだった。
(なぜこの男一人なのだ……)
騎兵隊からすれば、奇術騎士団が一人しかいない上に、まったく戦っていないのだ。
それでさも戦闘に参加していました、という体を保つのは図々しい気もする。
(いやまあ……彼が奇術騎士団の一員ならば、ここにいるだけでも偉いのだが……他の方は、文句が無いのだろうか)
その視線を感じたガイカクは、フードを被って悪ふざけを始めた。
「ティストリア様~~……ご、ご覧になりましたか、あの騎兵隊長の顔を! この私めがここにいることを、さも場違いであるかのように……!」
彼は小物を装って、ティストリアに縋りつく。
その悪ふざけに、オリオンやルナは苦笑いをして、他の騎士たちは呆れていた。
「わ、我ら奇術騎士団は、たしかに騎士団の仲間でしょう?! わ、我らの働きが無ければ、他の騎士団もここにこれたかどうか……! どうか、どうか、ティストリア様……この男に言ってやってください、我ら奇術騎士団が、どれだけ貢献したのかを~~!」
(なんなんだこいつ……)
いきなり始まった寸劇に、騎兵隊は何も言えない。
「そうですね。貴方がたの働きを伝えることもまた、総騎士団長の務め。その要請をお受けします」
だがティストリアは平常運転だった。
「我ら騎士団は、軍部からこのライナガンマを救うよう要請を受けました。しかし我らがどれだけ急いでも、ここまで早くたどり着くことはできませんでした」
「それは……そうですね」
「我らを戦場に運んでくれたのは、彼とその部下たちです。詳しいことは軍事機密なので申し上げられませんが、敵陣の中枢に現れることができたのも、彼の功績です」
「なんと!!」
ティストリアの説明が事実ならば、たしかに功績は計り知れない。
そして彼らの知る理屈で、この短期間で強襲を仕掛けたことや、敵の本部に直接現れる手段もない。
「その通り……この私、ガイカク・ヒクメはその手腕を買われ、ティストリア様直々にスカウトされたのです……ヒヒヒヒ!」
「おいヘーラ、本当にこの男がそれを?」
「ん……ああ、マジだ。認めたくねえが、マジでこいつはすげえぞ」
胡散臭い小悪党を演じる騎士団長。
いろんな意味で、内心が分からない存在であった。
「……そういえば、他の奇術騎士団の子はどうしたの?」
ここでルナが、ガイカクに尋ねた。
彼女らは任務を果たすと、戦場の空から離脱して合流したはずだった。
だがその後のことは、まったくわかっていない。
「アイツらなら、全員が合流した後に機密を処理して、それから友軍に合流するよう指示をしました」
「へ~~……そっか、じゃあ大丈夫だろうね……って、えええ!?」
ガイカクが『機密を処理』と言ったことで、ルナは一拍遅れて大いに驚いていた。
なんなら、他の騎士たちも目をむいて驚いている。
「それってつまり……気球を燃やしたってこと?!」
「そうですよ?」
「なんで『そうですよ?』って不思議そうに言ってるの?! 帰りは?!」
「普通に帰ればいいじゃないですか」
途方もない大戦果をたたき出した、奇術騎士団の気球。
いくら初の実戦投入だったとはいえ、敵を大いに混乱させつつ、多くの成果を上げていた。
それが、もう燃やされているという。
騎士たちはその有用性を理解したからこそ、ほぼ全員が驚いていた。
「……一応言っておくけども、本当に急な任務だったから、帰りの燃料とか栄養剤とか、まったくなかったからな。片道でぎりぎりだったんだからな」
この世界にはまだ、蒸気機関も内燃機関もない。
なので燃料イコールエネルギー源、という考えはそこまで普及していない。
だが物が気球なので、燃料が必要、と言うことはわかる。
同じように栄養剤が無いというのだから、多分同じように必要なのだろうと察することはできる。
「その補充をするにも、それなりの設備が必要だ。もちろん、そんなものを積む余裕はない。だからどのみち、乗り捨てるつもりだった。それに、大勢乗ったせいで一号機はだいぶ軋んでいたしな~~」
「……そ、そっか」
「まあそれに……帰りは逆風だから、普通に帰った方が早いぞ」
ガイカクはあけすけだった。
そして言っていることはよくわかるので、とがめることはできない。
それに、機密処理を反対する理由も『もったいない』ことだけなので、強硬には言えなかった。
「なるほど、適切な判断ですね」
もちろんティストリアは全面的に賛成する。
アレだけの新兵器である、機密保持を優先するのは正しい。
彼女は彼女で『惜しむ』からは遠い女なので、不要なリスクを避ける判断を奨励していた。
(そうだな……そもそもヒクメ卿が一人いれば、あの気球はいくらでも作れるのだからな……)
改めてオリオンは、自分の顔を抑える。
まったくもって、とんでもない男と同盟を結んでしまったものだった。
※
『いいか、俺達はこれを一生懸命がんばって作った。この気球は、俺達の命と言っていい』
『俺たちは騎士団だ、命を燃やしてなんぼだ。だから、気球を燃やしておけよ』
一方そのころ、奇術騎士団の面々は涙をぬぐいながら四台の気球を処理していた。
一生懸命頑張って作って、しかも大いに戦果を挙げた気球を燃やすことには、とても抵抗があった。
だがそれでも、この気球に限界が来ていたことは、動力騎兵隊や夜間偵察兵隊にはよくわかっている。
この気球をもう一度飛ばせば、空中分解あるのみだった。
だから、ここで終わる。
何も惜しいことはない、粗末に使ったわけではないのだ。
「……次は、もっといいのを作るよ。すぐ壊れない、頑丈なのをな」
「だから、だから……ううう、ううおおおおおおお!」
奇術騎士団たちは、一晩の家になった動力付き気球たちを葬った。
力尽きているエルフたちでさえ、それを見ていると涙が止まらない。
しかし、これでいいのだろう。
任務は達成され、国難は乗り越えられた。
奇術騎士団は、さらなる躍進を遂げる。
そして、誰も死ななかった。
彼女たちには、次の機会があるのだった。
特設サイトもありますので、ご確認願います!