人生で一度はやってみたかったこと、やってみたかっただけのこと
攻城塔が四台、立て続けに倒壊した。
加えて、マルセロ軍の食糧庫で火災が発生した。
それはライナガンマ側からも確認できた。
もちろん、敵が困っているのだからいいニュースである。
だがライナガンマ軍は、混乱していた。
「何がどうなっている!! 誰がやったんだ、誰が!」
ライナガンマ軍、司令部。
城壁の上から確認できた情報を聞いて、本人たちも現場へ行って確認して、愕然としていた。
司令部内では、誰が今回のことを指示したのか『責任者探し』をしていた。
「攻城塔が近づいたのは、ついさっきのことだぞ! つまり前の晩に、誰かが潜入して、細工をしたとしか思えない! 誰がそれをやれと言った!」
「誰がそんな優秀な工作員を抱えているんだ、言え、言え!」
「それに、食糧庫への火攻めもだ! アレだけの火災を起こせる火薬を、誰がどうやって持ち込んだんだ!」
「いや本当に、誰がどうやったんだ!?」
「外部の者がやったのでは……我が都市が陥落すれば、周辺の町も逃げ出さざるを得ないわけですし」
「この場に指示した者がいないのなら、そういうことだろうが……だとしても、どうやって?」
攻城塔を破壊してもらえた、敵の食糧庫を焼いてもらった。
非常に効果的な破壊工作だったが、定石でもある。
どう考えても、敵はそれを警戒していたはずだ。なんなら、それ以外は無警戒だった可能性さえある。
にも拘わらず、それを成功させていた。一体どれだけ凄腕の破壊工作員なのか。
「……特に、火薬が謎だな。食糧庫に忍び込んで火を点けることも大変だが、大量の火薬を付近に並べる方がよほど大変だと思うが」
「まったくだ……」
※
一方、マルセロ軍司令部。
マルセロは各地から集められた報告書を確認し、しばらく目を閉じた。
敵と戦って死んだのではない、敵の罠にかかって無為に死んだのだ。
敵の工作員の手柄になるだけで、彼らの人生は終わってしまった。
そこのことを、彼はしばらく悔やんだ。
その悔やみを、サヒアは感じ取る。
彼の繊細な、人としての部分の傷に、彼女自身も揺さぶられたのだ。
「恐れながら、マルセロ閣下」
部下が無為に死んで、悲しまない将はいらない。
だが悲しむばかりの将もまた、いらない。
「できるだけ迅速な指示をいただきたいものですな」
「……もちろんだ」
グリフッドの厳しい忠言に、マルセロは応じる。
「いったん、攻城兵器を下げさせなさい。敵の弓矢が届かない間合いまでね。そのうえで、各機の点検を行って欲しい。そのうえで、各地の食糧庫の警備を、より厳重に」
「以上でよろしいので?」
「ええ、問題ありません」
智将マルセロは、極めて冷静だった。
「大都市ランナガンマを攻め落とそうというのです、この程度の抵抗は当然でしょう。どれだけ兵を防備に当てても、大軍だからこそ抜かれる時は抜かれるものですからね」
指示した覚えのないライナガンマ側とは違って、彼はそういうこともあるだろう、とは思っていた。
実際、凄腕の工作員が複数いれば、物理的に不可能というわけでもない(と思える)。
そしてもっといえば、誰が何の目的でやったのかは、余りにも明らかだ。敵が、こちらを妨害するためにやったのだ。
究明すべき謎など、一つたりともありはしない。
「……マルセロ様、大丈夫でしょうか」
「問題ありません。攻城塔も修理できますし、食糧庫も数あるうちの一つが燃やされただけ。しかもここは国境付近、自国からの補給もあります」
おそらく、少人数の破壊工作員が死力を尽くしたのだろう。
費用対効果からすれば、すさまじい成果であろう。
だが、大勢を変えるには至らない。
「死亡した兵の数、戦闘不能になった兵の数は、合わせてもせいぜい百人。このライナガンマを落とすことに、何の問題もありません」
敵の破壊工作によって、ライナガンマを陥落させるための日数が、数日遅れるかもしれない。
だが、それだけだ。
陥落するという未来を、変えるには至らない。
「こうした破壊工作が成功されてしまうことも含めて、城攻めには十倍の戦力が必要なのです。逆に言って、十倍の戦力差があれば、この程度の妨害工作は問題になりません」
マルセロは、まったく焦っていなかった。
この作戦にある程度の予定を作ってはいたが、それは一か月以上も余裕を持たせている。
一日二日の遅延など、問題ではない。
いや、一日二日の遅延で破綻するような計画など、彼は最初から立てないだろう。
「これだけの都市を陥落させるのです。順調に行かなくて当然、敵の妨害が成功して当然。そのうえでの計画です」
陥落させることに支障がない以上、彼はまったく動揺が無い。
「心理的要素など、些細な変化を起こすだけ。この戦いの大勢は、既に、物理的に決している!」
※
一方、ライナガンマ上空。
唯一戦場の空に浮かぶ一号機内で、騎士団は下界の戦況を見守っていた。
望遠鏡や双眼鏡に映る敵の流れは、一旦城壁から離れている。
包囲を維持しつつ、点検や警戒を重点的に行う構えであった。
「やはりこうなりましたか。敵はまったく焦っていない、だから余裕をもって慎重に戦う……もちろん、敵側である我らに読まれることも想定済み。そのうえで、読まれたからなんだ、と思っている」
十万からなる敵軍を、自陣から一切被害を出さないまま翻弄する。
その悦で、ガイカクは震えていた。というか、踊っていた。
それはもう、奇妙な民族舞踊であった。
「妨害工作の目的が、マルセロ軍の攻撃をいったん止めるためだ、とマルセロ軍もわかっている。そのうえで、十万も兵がいる自分たちが、何かされるわけがないと思っている。だってまあ、実際そうですからねえ! いきなり十万の敵が現れたとか、いきなり味方が半分死んだとかじゃないですからねえ!」
気球の中で奇妙な踊りをしながら、彼は笑っていた。
「ひゃはははははは! だが残念! 犠牲を抑えつつ、堅実に戦おうとする智将……俺の大好物! お前が定石を守る者なら、俺は定石を作る者! 判断ミスですらない、思考の死角からの攻撃、備えられるものなら備えてみろ!」
ガイカクはフードを被ったまま、全力で負のオーラをまき散らしていた。
「いや~~、戦争しているな~~! 俺はこういう戦争がしたかったんだよな~~! あ、如何ですか、ティストリア様! 貴方様の思い描いていた戦術は、これでいっそう容易になったのでは?」
「ええ、その通りです。流石はヒクメ卿、見事な戦術眼です」
「ゲヒヒヒヒ! お褒めに与り、恐縮至極……!」
ライナガンマは、包囲されたままではある。そのうえで、敵が攻撃の届かないところにいるため、何もできない状態になっている。
だがそれは、打って出やすい状態と言うこと。
「さあ、皆さん! 感想をいただきたいですね! 私の部下へ、惜しみのない賞賛を!」
「……それはもちろんそうなのですが」
ティストリアは、相変わらず平坦だった。
だがその一方で、他の騎士たちはまた別のことを気にしていた。
代表して、ウェズン卿が感想を述べる。
「……上空から気球で、望遠鏡や双眼鏡で戦場を俯瞰するのは、その……とても良いですな」
「そこですか……え、そこですか? いやまあ、それはそれでそうかもしれませんが……気球ぐらい、誰でも作れるでしょう?」
「それはそうですが、ここまでいいポジションに移動できないでしょう」
一目瞭然という言葉が、まさにぴったりだった。
敵がガイカクの言うように動いていることは事実だが、それ以上に実際に見られるというのが大きい。
今回は比較的単純な攻城戦なので意味合いは薄いが、もしも高度な読み合いをする野戦だったならば……。
「ん~~……おっしゃりたいことは想像がつきますが、これは『こんな戦場で気球を飛ばしているわけがない』という思い込みがあるからでしょう。今回の武勲が世に知られれば、逆にちょっと空を確認するだけで、こっちを認識されかねません。そのまま魔術で撃墜されるでしょうな」
「それは……まあ、そうですが」
「私が敵なら、それこそ破壊工作員に離着陸の時を狙わせますよ」
妙に白けた顔になって、冷淡なことを言うガイカク。
彼はやはり、新兵器が『新兵器』に過ぎないと理解している。
初めて実戦投入したから敵が対応してこないだけで、次からはむしろもっとも警戒され、必要以上の攻撃をされるとわかっていたのだ。
「そんな先の話より、今の任務に臨むとしましょう」
ここでガイカクは、語気を検めた。
その雰囲気で、騎士たちも顔色を変える。
「いよいよ、奇術騎士団の手品も、タネが尽きます。次の一手で、皆さんを戦場に送り届けて……そこから先、我らにできることは一つもありません」
ガイカクは、あくまでも現実を見ていた。
そもそも自分達だけで戦局を変えられるのなら、最初の段階で話を引き受けていただろう。
「十分です。貴方達奇術騎士団は、想定をはるかに超える役目を果たしてくれました。総騎士団長として、感謝を」
ティストリアに合わせて、他の騎士たちもガイカクに、そして動力騎兵や夜間偵察兵に礼をする。
「ありがとうございます。では……」
「あ、あの!」
ここで、弁えもせず、夜間偵察兵の一人がガイカクに寄った。
「御殿様、後部に搭載した……アレを使う気ですか?」
「もちろんだ、アレを使わなければ、敵の中枢に騎士を送り届けられない」
「……危険です」
その言葉の意味を騎士たちは測りかねた。
だがガイカクには、もちろんわかっている。
「そうだな。だがな、俺は……三号機の奴らに、危険な爆弾を大量に持たせて、揺れる気球で移動させた。その俺が、危ないからやめる、なんてのは許されないだろう」
「それは、そうですが……」
「それに、アレは俺以外に操縦できない。だから俺が行く、そういうことだ」
その言葉を聞いて、オリオンは察した。
つまりこの場の騎士たちを下へ送り届ける任務は、ガイカク自身がやるのだと。
あらゆる魔導に精通しているこの男は、その命を惜しげもなく最前線に投じようとしている。
(エルフの評議会が聞けば、どう思うか……いや、今更だな)
夜間偵察兵は、騎士たちに頭を下げる。
それを終えると、彼女は後方に走っていった。
「……それでは皆さん、後方へ! 一号機に搭載している、強行着陸用車両『タラクサクム』へご搭乗願います! 座席に名前を書いてありますので、その通りに座り、体をベルトでしっかりと固定してください!」
正騎士、騎士団長たちは、いよいよ出番が来たと動き出す。
今までただ驚くばかりだった彼らは、迅速に、いままで立ち入ることが許されなかった後方へ向かう。
そこには、ライヴスにも似た巨大な車があった。
だが大きく違うのは、車輪が無く、そのかわりに『ソリ』が付いていることだろう。
そのそりが、まるで跳び箱の踏切板のような形をしており、ショックを吸収するためのものであると察しはつく。
(なるほど。ある程度高度を落として、これを投下する形か)
いくら何でも、敵陣のど真ん中にこの気球を下ろすことはできまい。
止まってしまったら、それこそいい的である。
だからこそ、移動しながら、強行してこれを投下するのだろう。
それを肯定するように、『タラクサクム』の内部にある座席は、かなり頑丈に作られていた。
そのうえ、椅子の柱にはバネが仕込まれており、極力座っている者を保護しようという努力が感じられる。
特にゴブリンであるルナ用の座席は、これでもか、と衝撃緩衝材がぎっちりとした、チャイルドシートのようになっていた。
それぞれの席に座った騎士たちは、体をしっかりとベルトで固定する。
もはやガイカクへの疑いはない、この男の力は理解している。
この男を信じて、この男に命を預けていた。
「よおし、全員座りましたね! それでは……おい、後方の扉を開け!」
「はい、御殿様!」
「それじゃあ、行ってくる!」
「はい! お気をつけて!」
「ご武運を祈っています! どうか、ご無事で!」
運転席に座っているガイカクと、タラクサクムの外にいる夜間偵察兵隊との会話を聞いて、騎士たちは『ん?』となった。
一応言っておくが、気球はまだ何百メートルも上空にある。
にもかかわらず、なぜ今いきなり後方の扉を開けるというのか。
そしてまるで、今からこの車体を投下するようなことを言うのか。
その疑問を口にするより先に、タラクサクムの車体が、大きく後ろへ傾き始めた。
正しく言うと、この動力付き気球ドラゴンフライ一号機の、その機体そのものが後ろに傾き始めたのである。
先ほど攻城塔が傾いたのと同じ理屈で、重武装していた一団が、一気に後方へ動いたので、機体の重心が後ろに傾いたのである。
その上、後ろの扉が開いているのなら……。
「お、おお……」
ずず、ずずず……と。
タラクサクムは、後ろに向かって滑っていく。
そして、そのままドラゴンフライから落っこちた。
「おおおああああああああ!」
「ぎゃあああああああああ!」
「はははははは!」
いきなり上空数百メートルから落っこちて、絶叫する騎士たち。
その声を聴いて、ガイカクは爆笑する。
「いやあ、驚かせてすみません。でも大丈夫、これならすぐ地上に着きますから!」
大いに笑いながら、ガイカクは愉快そうにお詫びをしていた。
もちろん、全然誠意が感じられない。
『御殿様、後部に搭載した……アレを使う気ですか?』
『もちろんだ、アレを使わなければ、敵の中枢に騎士を送り届けられない』
『……危険です』
さっきの問答は、こういう意味だったのか。
確かにこれは、とても危険だった。
「ヒクメ卿。このままでは地面に激突して、全滅は必至でしょう。何か対策はあるのですか?」
なお、ティストリアはこの状況でも平然としていた。
彼女は落下のさなかでも、人間味を感じさせなかった。
「もちろんです、ご安心ください! 落下傘、展開!」
やはり楽しそうなガイカクは、運転席天井に着いていたレバーを引っ張る。
すると、タラクサクムの天井部分、屋根の外側部分が勢いよく解放されていた。
そして、そのなかに収まっていた巨大な布……特大のパラグライダーが展開された。
「ん、おおおおお!?」
その展開と同時に、騎士たちの体は下側から押し上げられるかのような圧力を受けた。
それが収まると再び落下を味わうが、それが明らかにゆっくりとなっており、さらに前進している感覚も覚える。
「ヒクメ卿、説明をしていただけますか?」
「現在このタラクサクムは、落下傘を使って……タンポポの綿毛のような原理で、空中を移動しています。とはいえ、滑空しているだけなので、上昇も後退もできませんが……前進と左右への方向転換は可能です」
巨大な車体の重量を支えられるだけの、巨大な落下傘。
それと車体をつなげる、頑丈なケーブル。
どれもガイカクの作った、珠玉の品である。
「これでこのまま、敵陣に突っ込みます。ただ着陸は本当に荒っぽいので、御覚悟のほどをお願いしますね」
「承知しました」
だがそれでも、強行着陸であることに変わりはない。
それこそ飛行機の胴体着陸より荒っぽい、危険極まる凶行着陸であろう。
「それじゃあいくぞおおおお! ひゃははははは! 戦争しているなあ! 最高に戦争だな!」
科学者的な意味で血の気の多い男、ガイカク。
彼は大笑いしながら、運転席のかじを切る。
パラグライダーを操作して、十万からなる敵軍の、その中枢に突撃を仕掛けていた。
もう誰も、この男に突っ込みを入れる余裕はない。
「皆さん、聞いた通りです。気を付けてくださいね」
もちろん、ティストリアに対しても、であった。
※
一方で、マルセロ軍、司令部。
ライナガンマを見る、軍のど真ん中。
多くの部隊に守られた、ある意味ではライナガンマよりも安全な場所。
ある人は『人は城、人は石垣、人は堀』というのなら、多くの兵に守られたここは城の中枢以上に安全だった。
だがしかし、その城や石垣、堀を飛び越えて滑空してくる物体があった。
巨大な落下傘を広げて、一直線に向かっている巨大車両。
その大きな影に、マルセロの側近たちも気付く。
「な、なんだ、なんだアレは?!」
「なんでもいい、なんでもいいから逃げろおおお!」
もはや隕石が降ってきたような騒ぎである。
いきなりライナガンマの反対側から、馬車の荷台のようなものが滑空して来たら、驚かない者はいない。
流石のマルセロも、その側近たちも、精強なる護衛兵たちも、誰もがその車両を左右に避けていく。
そしてただ滑空していただけだった車両……タラクサクムはやがて接地した。
下面がバネ付きのソリとなっているタラクサクムは、小さくバウンドしながら、本陣近くの地面を移動する。
だがそれも、やがて滑っていくことになり、本陣の大きなテントに激突することで停止していた。
「な、なんだ……?」
マルセロもサヒアもグリフッドも、本当に何が何だかわからなかった。
まったく未知のものが自陣に飛び込んできたので、どう対応していいのかわからない。
「だ、だだだだだだだだ、だだだだだだ、だ、だ、だ!」
そう思っていると、車内から声が聞こえてきた。
これは、口でドラムロールのようなことをやっているようである。
「じゃじゃ~~ん!」
運転席の上に、ハッチがあった。
それを開いて、中から人が飛び出してくる。
「遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ!」
ノリノリで見栄を切るのは、怪しいフードの男。
ダンス大会で最後の〆に入ったかのような高揚感で、彼の周囲には星が輝いているようにも見える。
「我こそはティストリア様の忠実なる部下! 奇術騎士団団長、ガイカク・ヒクメ!」
ここで、車両から奇術騎士団の、ポップな旗が飛び出してくる。
「参上、仕り候!」
実に、堂々たる名乗りであった。
名誉ある一番槍を成し遂げた彼は、満面の笑みを浮かべている。
彼は戦場で正しい作法を踏んでいるだけなのだが、それを見る誰もが理解に苦しんでいた。
否、もはや理解を放棄しかけていた。
天才とは、こういうものなのかもしれない。