オンステージ
四機の気球は、休みなく進んでいた。
山も谷も、悪路さえも無視して、まっすぐに進んでいる。
最初こそ本当に進んでいるのか不安になっていた正騎士たちも、雲のように進む気球に安心さえ覚えて、窓の外を眺めることもなくなっていた。
なのだが、一人、水晶騎士団のエリートダークエルフ、アルテミスだけは違っていた。
「……失礼します、団長。そちらに行ってもいいですか?」
「どうしたの、アルテミスちゃん」
「少し気になることがありまして」
とても狭い真ん中の部屋にいた彼女は、ルナに確認をしたうえで、前の操縦席に向かった。
その中にある心臓やらなにやらに面食らいはしたが、それでもガイカクに質問をする。
「ヒクメ卿、進路についてお伺いしたいのですが、よろしいですか?」
「真面目な質問なら、大歓迎だ」
「とてもまじめな質問です」
アルテミスは、地図を広げた。
ある意味俯瞰の目線なので、地上よりも地図は確認しやすい。
「見覚えのある地形がいくつかあったので、地図で確認したのですが……現在地はここですね?」
「だいたいそうだな」
「そして、目的地はここ……大都市ライナガンマです」
「ああ、そうだ」
「なぜ空路なのに、まっすぐ進まないのですか?」
さて……地球儀以外の地図は、どれもなにがしかの不正確さを内包している。
これは本来球体である星の地形を、平面に落とし込むことで無理が生じるからである。
よって、平面地図ではまっすぐ進んでいなくても、地球儀ではまっすぐ進んでいるので結果最短である……なんてことも起きる。
だがそれは、地球儀規模での移動で初めて実体化する小さな歪みであり、当然ながら今はまったく関係ない。
もちろん、目標の反対側に進んでいる、なんてこともない。
ちょっと左に逸れている、という程度のことだった。
とはいえ、そのまままっすぐ進むのならば、大きくずれ込むことも必至であるが。
「おい、マジか! 速くそっちに行けよ!」
「お前は黙れ」
慌てるヘーラを、ガイカクは黙らせた。
アルテミスの質問は、それなりにもっともである。
だがヘーラの要求は、それこそ素人の考えであった。
「理由はいくつかある。まず第一に、風向きだ。この季節では、ライナガンマに向かって風が吹いているんだが……ちょっと角度がずれている。追い風ではあるが、右に逸れていく感じだな。だから昼の内に左の方に向かっておいて、夜になったら追い風を真後ろに受けながら進む予定だ」
「なるほど、視界の悪い夜に備えて、ですね」
「それからもう一つ。地図を見ればわかると思うが、まっすぐ進むと高い山の近くを通ることになる。山の近くは気流が不安定になるし、最悪接触しかねない。だから山の少ないルートを進むわけだな」
「……そういうことでしたか、ありがとうございます」
アルテミスは、ガイカクの説明に納得していた。
気球なので当たり前だが、帆船と同じような理屈である。
風向きで進路を考え、さらに暗礁のような接触しうるものの近くを避ける。
それはまさに……。
「おめえ、航海士みたいだな」
「舐めてるのか」
ヘーラはガイカクの事を褒めた。
褒めたのだが、ガイカクは怒っていた。
「今更なことをほざくな! 航海士のスキルもなく、気球の航行ができるか!」
ガイカクの基準では、最初からずっと航海士の仕事をしていたのである。
そのことに気付いていなかったヘーラに対して、キレてさえいた。
「じゃあお前、天気予報とかもできるんだな」
「当然だ! 気球を何だと思っているんだ! 浮かべたら、目的地に着くとでも思っているのか!」
(あの、オリオン卿……もしかしてヒクメ卿って、凄いんですか?)
(まあ……なんでもできる方だ。何でもできすぎて……私も今、驚いている)
「さすがですね、ヒクメ卿」
騎士団長一同、今更ガイカクを褒めていた。
航行が順調すぎて目立たなかったが、ガイカクはガイカクで仕事をしていたのである。
「素人の質問で、お騒がせしました」
「ああ、いや、お気になさらず」
アルテミスは納得し、元の部屋に戻っていった。
その一方で、内心いろいろ考えてもいた。
(この気球……軍は欲しがるでしょうけど……ヒクメ卿がいないとまともに動かないわね)
心臓という基幹部品を作れるのはガイカクだけ。
動力付き気球を設計できるのもガイカクだけ。
その気球を目的地に向けて動かせるのもガイカクだけ。
船団としての運用ができるのもガイカクだけ。
基本的な理屈は説明してもらえればわかるのだが、実践できるのはガイカクだけなのだろう。
(仮に、設計図を盗み出して、何とか作ることができたとしても……まともに目的へたどり着けない)
それこそ、ゼロから海軍を作る、ぐらいの労力が必要だろう。
今回のように、いきなり初めての場所へ向かってくれ、というのは無理があった。
(よくよく考えれば、地図を広げて『ここに行ってくれ』と言われて『できます』というのは凄いことだったのね……)
アルテミスは、あらためて納得した。
(戦闘力以外を評価されて、騎士団長に選出されただけのことはある)
ガイカクが常に言うように、彼は騎士団長。
能力値が高いことなど、当たり前であった。
※
その晩の食事は、全員同じシチューであった。
ただ各種族に合わせて、バターを入れたり野菜をいれたり、シロップを入れるなどで変化をつけていた。
これはこれで好評であり、また追加を求める声もあったのだが……。
揺れる気球の中で一晩眠り、朝目が覚めると……和やかな空気は再びなくなっていた。
「皆さん、そろそろ目的地が見えてきました。双眼鏡や望遠鏡をお貸ししますので、どうぞご確認を」
気球は高いところを航行しているのだから、当然視野も広い。
まだ遠い、目的地を視認することもできた。
「おい、この狭い窓からじゃあ何も確認できねえ。扉を開けていいか?」
「命綱をつけるのなら、どうぞ」
「おう」
高ぶる騎士たちは、交替で気球の外に身を乗り出し、そのまま望遠鏡で戦場を見た。
高い防壁に守られたライナガンマの周囲に、遠くからわかるほどの大軍勢で包囲が成されている。
並の神経ならば、怖くて逃げ出してしまうだろう。
だが正騎士たちは、それこそ今すぐにでも飛び降りそうな気迫を押し殺しながら、装備の点検を始めた。
彼ら彼女らの戦意は、むしろ燃え上がるばかりである。
一方で騎士団長たちは、到着までの長いようで短い時間を使い、会議を始めていた。
「総騎士団長、報告いたします。我が水晶騎士団のアルテミス卿が確認したところ、周辺には友軍の姿がありました。ただ一塊になっているわけではなく、距離も遠い。おそらく付近の軍が、各々の判断で集まっているだけ、と思われます。大雑把な計算で恐縮ですが、総数でも二万に達することはないかと」
「そうですか、報告に感謝します。これで……めどは立ちますね」
ルナからの報告を聞いて、ティストリアは判断を下した。
「十分な数です。我らが機をもたらせば、呼応し交戦を開始してくれるでしょう」
ライナガンマの中に、一万の兵がいたとする。
周辺に、二万の兵がいたとする。
だが包囲しているマルセロ軍は、十万を超える。
これでも彼女は、攻勢に出るべきだと判断していた。
「我々の目的、軍からの要請は、ライナガンマを救うこと。陥落さえされなければ、我らの勝利です」
今更のように、彼女は自分たちの生存を度外視していた。
そんなことは、まったく重要ではない、という風である。
もちろん、騎士団長たちも異論はない。
「そのうえで、ヒクメ卿」
「はっ!」
「この気球に乗る騎士への指揮権は、貴方にゆだねたままです。貴方と奇術騎士団の役目は、可能な限り効果的に、我々を戦地へ投入すること。よいですね」
ーーー古今東西を問わず、船長には絶対的な権限が与えられてきた。
海において、船長の命令は絶対。これに反することは、誰にも許されない。
一方で、その権限には義務や責任がセットとなっている。
もしも船長が義務を放棄する、あるいは誤った判断をすれば、厳しく処罰されることとなる。
ティストリアは、ガイカクに強い権限を許していた。
それもこれも、自分たちという大戦力を、確実に戦地へ送り届けてもらうため。
その信頼に、ガイカクは今のところ応えている。
いや、あるいは、もうすでに『時間』という意味では達成されているのかもしれない。
なんなら、ここで墜落するように敵地へ突入しても、誰も文句は言えないだろう。
「ひゃ……ひゃひゃひゃ!」
だがティストリアは、ガイカクがそれ以上を準備していると悟っていた。
だからこそ、彼へ更なる要求を行う。
それが、ガイカクにとって愉快でたまらなかった。
「ひゃひゃひゃひゃ! ティストリア様……ひゃひゃははははは!」
誰かを助けに来た顔ではなく、戦いに来た顔でもない。
陥れに来た、驚かしに来た、脅かしに来た、そんな顔をしていた。
邪悪な策士以外の何物でもない顔を、彼はしていた。
「そのご命令を、お待ちしておりました。それでは、敵のマルセロとやらに……友軍であるライナガンマの将兵に! そしてそしてぇええええ!」
ティストリアのフリは、彼を乗せていた。
「仲間である他の騎士団に! 我が奇術騎士団の『力』を……見せつけてやりましょう!」
彼の言葉に反応していたのは、黙って操縦をしていた動力騎兵隊たちであろう。
彼女らも、今回の仕事の重要性はわかっている。
同じ気球に乗っているからこそ、他のまともな騎士たちの強さが、格の違いが分かっている。
自分達とは、生まれたときから格が違うとわかっている。
その彼らが頭を下げるほどの価値が、この気球に、この気球での移動にあるとわかっている。
それがすでに達成されており、もうこの時点で歴史に名を刻んでいることも……。
(でもアタシ達だって、騎士団だ!)
(これじゃあ、御者と変わらないじゃないか、ええ?!)
快適な空の旅を送ることが、騎士団の仕事であるものか。
何も成さず、死地に投じて終わりなどありえない。
「夜間偵察兵! 手旗信号で、各機に通達! 『総騎士団長からの命令だ、攻撃作戦へ移行する』となぁ!」
「はい、御殿様!」
奇術騎士団の流儀、戦法、兵法。
それは味方さえも震撼させる、否、させて見せる。
劣等感さえも力に変えて、彼女らもまた意気込んでいた。