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『俺は賢いんだぞ』

 脱走兵たちを殺し、首を持ち帰ってきた獣人たち。

 彼はそれを受け取ると保存し、ボリック伯爵の待つ城へ赴いた。


 怪しい風体をした男が、保存された首二十個をもって城へ入る。

 なんとも納得のいく話であるが、見咎められなかったのは伯爵の配慮あってこそだろう。


「伯爵様、この通りでございます。少々荒くなってしまったため、この通り『傷物』ですが」

「ふむ、首だけか……傷だらけだが、顔はかろうじて判別できるな」

「……」

「まあよかろう、勘弁してやる」

「おお、寛大なお心に感謝します!」


 首の納品を、伯爵はもったいぶって受け取った。

 にやにやと笑いつつ、幾分か抜かれた報酬を渡す。


(くくく……報酬を中抜きされているとも知らずに……守銭奴の割には、計算ができないと見える)

(くくく……税金を一切納めていないのに得をした顔になっているな……悪徳のわりに帳簿をつけていないと見える)


 なお、本来搾り取れる税金を考えると、かなり損をしている模様。


「それでだ……」


 ごほん、と。

 伯爵は咳払いをした。


「実はな、この城へ貴人がいらっしゃる」

「なんと」


 本来であれば、伯爵は貴人と呼ばれる立場の人間だ。

 その伯爵が貴人と呼ぶのだから、それこそやんごとなきお方なのだろう。

 ガイカクの前で口に出せないほど、尊いお方に違いない。


「それでだ……」

「おお、皆までおっしゃらないでください! このガイカク、察しましたぞ……げひひひ」


 ガイカクは、本当に露骨なほど下衆な笑いをした。


「私のごとき卑しいものが、この付近にいるなど許されざること。いてはいけない者なのだから、いるはずがない。そういうことですな?」

「……まあそういうことだ。万が一お前の姿をご覧になれば、あの方の目が汚れてしまう。お前も使いようによっては役に立つが……まあそういうことだ」

「であれば……しばらくお暇をいただきます」

「うむ、まあしばらく好きなところに行っておけ」


 そういって、伯爵は少々の小遣いをガイカクの掌に置いた。

 ガイカクはいかにも守銭奴という振る舞いをして、それを懐へ突っ込む。

 あえての卑しい振る舞いだが、伯爵は笑って見下していた。


「それでは……下賤な者のことはお忘れになり、高貴なる社会へとお戻りください」


 ガイカクは腰を曲げて挨拶をすると、そそくさと立ち去って行った。


「ふん……所詮は小者だな」


 ガイカクが去ったことを確認すると、伯爵は愉悦に歪んだ顔で自室へと戻った。

 そして厳重に保管されている、一枚の手紙を読んだ。

 それは先日から来ていた、ボリック伯爵を騎士として迎えたいという要請だった。


「私とは違うのだ……そうだ、私は違うのだ!」


 ボリックはそれに対して、お受けする、という返事をしていた。

 数日後に貴人が来るというのは、彼を正式に騎士として認定しに来る者たちだった。


「騎士になるならば、私のように家柄が良く、勤勉で、高い役職についている者こそがふさわしい……!」


 彼の脳内では、万が一の可能性がよぎっていた。

 実際に成果を上げていたガイカクたちが、騎士団に見つかってしまうという可能性だ。

 そうなれば、彼が築いてきた武勇伝のすべてが失われる。

 それは彼の自尊心にとって、とんでもない傷だった。


「そうだ、あってはならない……あってはならないのだ……!」


 彼は焦っていた。

 その焦燥については、先ほどほぼ隠せていたのだ。

 それは彼が、完全に無能ではない証明である。

 悪人として、それなりの知恵が回るということだった。


「ガイカクがこのことを知れば……自分がやっていましたと言い出すに決まっている!」


 だがどれだけ知恵があっても、願望や主観から逃れることはできない。


「そんなことになれば……奴が騎士になりかねない! そんなことになれば、騎士団の名誉に関わる! いやそもそも、名乗り出ることすら……!」


 騎士とは、まさに実在するヒーローである。

 エリートだけで構成される、国民の憧れ。

 貴族も平民も、誰もが彼らを崇めている。

 異種族や人間の、抜きんでた実力者だけの組織。

 それには入れれば、と誰もが夢想するものだ。


 ボリック伯爵も、その一人だった。

 彼はその夢がかなう興奮と、それを守ることに執着していた。


「何も問題はない……仕事自体は奴に回せば、今まで通りだ……私は今まで通りにするだけで、騎士になれる……! 騎士受勲さえ受けてしまえば、あとはガイカクも何もできないはずだ!」


 彼もわかってはいるのだ、これがリスクを伴うと。

 いやさ、高確率で失敗すると。

 だがしかし……道を誤る者は、大抵そうである。


 つまりは、案外何とかなる、と。



 エルフという種族に対して、一般的に『魔術がすごい』『弓矢が得意』というイメージがある。

 これはエルフとダークエルフのイメージが混同したものであり、エルフは弓矢など使えないし、ダークエルフは人並み程度にしか魔術を使えない。

 こと戦闘面、能力値で言えば全く別の種族なのだ。

 では見た目以外に共通点がないかと言えば、そうでもない。ダークエルフもエルフも、社会的、精神的には非常に似通っている。

 オーガや獣人とは、結構違うのだ。


 具体的にどこがと言われれば、貞操観念である。

 オーガたちも獣人も、基本的に結婚という概念がない。意義はわかるし理解もできるのだが、社会的にそういう考えがない。

 また、多人数と同時に、ということもある。よって浮気という考え自体がほぼなく、部族全体が家族のような連帯感さえある。

 これは違う生物だからであり、欲の強さが違うということだろう。


 対して、エルフたちはそもそも欲が弱い。

 そのためそうした行為を大事に思っており、多数同士というものを好まない。


 これを言うと人間と同じだな、というのだが……。

 人間よりも潔癖だ、とエルフたちは眉を顰める。

 実際エルフたちの浮気率、あるいは伴侶が死んだあとの再婚率はとても低い。

 全くないわけではないのだが、とても少ないのだ。


 であれば、ガイカクのところにいるエルフたちも同じなのかと言えば……。

 彼女たちに、そんな贅沢は言えなかった。


 彼女たちとて、恋愛にあこがれはあった。

 素晴らしい伴侶を得て、子を得て、幸せな家庭を作りたいと願っていた。

 だが落ちこぼれの彼女たちにそれは望めず、奴隷として売られ、ガイカクの元に流れて来た。


 オーガたちほど同族の雄へ憎悪を抱いているわけではないが、それはそれとして諦めてはいる。

 そんなエルフたちも、年に一度ぐらいは抱かれたくなる。

 そしてここにいるのはガイカクだけであり、正直そこまで悪感情を抱いているわけでもないので、彼に抱かれているのだ。

 とはいえ、事務的に解消されるのも嫌なのだ。せめてもの配慮ということで、一年に一人ずつ抱かれるようにしている。


 ガイカクの寝る研究所の二階、その窓に梯子をかけて、入ってくるのである。

 ガイカクもまあいいかとそれを受け入れて、それなりに対応をしていた。


 その日もエルフの内一人が彼の元を訪れて、一晩抱かれ、その朝を迎えたのである。


「……んん……いやあ、いい朝だ! なにがいい朝かって言えば、当分あの伯爵の顔を見なくていいってことだな!」

「客人に見つかるとまずいから来るな、でしたっけ? 普通なら怒るでしょうけど、先生は怒らないんですね」

「俺は賢いんだぞ、という顔を見て楽しいと思うか?」


 ガイカクはベッドから起き上がると、体を動かし始めた。

 陽気に雇用主の悪口を言っているが、それぐらいは見逃されてもいいだろう。


「最近は仕事が多かったからなあ、あのエリートエルフのこともあったし……しばらくは研究開発に没頭できそうだぜ。獣人たちにシー・ランナーを実際に使ってもらって、データもそろってきたしな。フレッシュ・ゴーレムの改良にも手を付けたいし……」

「私たちへの授業も……」

「……まあ時間が空いたらな」


 楽し気に予定を語るガイカクは、こきこきと首を曲げていく。


「ところで、先生。少し聞きたいのですが……領主にまつわるあの噂については、どう思っているのですか?」

「噂? 騎士として招集されるって話か?」


 先日討ち取った、元騎士のエリートエルフ。

 彼がなぜ騎士をやめたのかはわからないが、少なくとも実力は本物だった。

 彼を倒したことになっている伯爵を、王家が呼んでも不思議ではない。


「馬鹿馬鹿しい、あんな話はありえないだろ」

「……やりそうな気がしますが」

「あのなあ……『実力を確認したいから、今ここで実演してくれ』って言われるだけで詰むぞ?」

「それはそうですが、バカというのはそれを考えないものでしょう」

「もしも本当に伯爵がバカなら、俺を雇わずに適当な死体を作って『これが下手人です』って報告しているよ」


 エルフの懸念を、ガイカクは一笑に付した。


「そうすれば中抜きするまでもなく報酬は全部懐に入る」

「肝心の元騎士のエルフは野放しでは?」

「そうだな、ばれたら問題だ。だがその時は適当な死体を用意して『こいつが嘘ついてました』って言って終わりだ」

「終わりますかね?」

「終わらないかもな。だがあの伯爵が本当に馬鹿なら、そういうことをしているって話だ」


 裸だったガイカクは、服を着始める。

 そしてまだベッドに寝ているエルフへ、いっぱいの水を差しだした。


「確かにあの伯爵は馬鹿だ。だがな、バカにもレベルってもんがある。そこまでのバカなら、俺は使われてねえよ」


 彼女が飲んだ後、自分も一杯の水をあおった。


「大体頭が良かったらな、俺の首根っこを押さえてこき使ってるぞ。痛いところを突かれたくなかったらもっと働けってな」

「そっちの方が困りますね……」

「だろう? 場合によっては、俺の違法技術もなにもかもを吐き出させてくるな」


 頭がいいということは、善良であることを意味しない。

 そもそもこのガイカク自身が、それを証明している。


「まあそれが嫌だから、適度なバカに使われているんだ。あのデブが身を持ち崩すようならそのときは、大慌てでとんずらだな」


 そんな彼を見るエルフは、不安を覚えずにいられなかった。

 なぜなら、そういって笑う彼の姿は……そのまま『俺は賢いんだぞ』という顔だったのだから。



 さて、騎士団である。

 これは騎士団長と数名の正騎士、百名ほどの従騎士からなる集団である。

 これがこの国には五つ存在し、さらにそれを束ねる総騎士団長がいる。


 従騎士の段階で、既に精鋭と言っていいだろう。

 基本的に人間だけで構成されており、優れた資質と鍛錬を越えたものだけがなることを許されている。

 しかし正騎士および騎士団長は、各種族の最高値ばかりで構成されている。精鋭とされる従騎士と比べてさえ抜きんでるスーパーエリートであり、一般に騎士とはこれらを呼ぶのだ。

 ではそれらを束ねる総騎士団長はどうかというと、これは人間種のエリートだけと決まっている。

 如何に門を開いているとはいえ、他種族に精鋭の長を任せるのは良くないということだろう。


 そして今代の総騎士団長は、ティストリアという女性である。

 人間種のエリートである彼女は、人間の美点とされる能力値がすべて高い。

 その腕力は大抵のオーガをはるかに超え、そのスピードは大抵の獣人をはるかに超え、その魔力は大抵のエルフをはるかに超える。

 人間最大の強みである『習得』もまた抜きんでていた。人間に扱える武器、人間に扱える魔術、人間に扱える芸術なども、常人の努力の十分の一ほどの時間で達人の域に達している。


 また……その美貌、魅力もまた、常人の十倍、二十倍に達しているという。

 これについては数値化できないためあくまでも噂なのだが、実際に見た者たちはそれでも足りないと言い切る。


 そのティストリアが、ボリック伯爵の元へ訪れていた。

 当然公的に訪れたのであり、パレードが催され、人類最高峰の美貌を見るために多くの見物客でごった返した。

 遠くから見ても美しく、近くで見れば目がつぶれる。

 それほどの美しい女性が『あのデブ』の元に訪れたというのだから、誰もが酒の肴にしていた。


 誰もがこういうのだ……。


 あんな男でも、強ければ会えるのだなあ、と。


「どうも初めまして、ボリック伯爵様。私が総騎士団長、ティストリアですわ」


 金色の髪に、銀色の目、白い肌、細い手足、豊満な胴体。

 これが人類最強の女性の肉体と言われても納得しにくいだろうが、美と強さを併せ持つと言われれば、納得するのかもしれない。

 その彼女はボリック伯爵の執務室で、彼とその妻、跡取り息子に会っていた。


 彼女の傍には総騎士団長お付きの正騎士、彼女と同等の実力を持つ人間の男性が数名控えている。

 彼らもまた精悍な美男子なのだが、ボリック伯爵とその家族はまるで目に入らなかった。

 それほどに、ティストリアが美しかったのである。


 ボリック伯爵と、その彼によく似ている息子は、当然見惚れていた。

 彼女に会えただけで、生まれてきてよかったと思うほどだ。


 ボリックの妻はそれに目くじらを立てるかと思えば、まったくそんなことはない。

 同性愛の趣味を持たぬ彼女をして、彼女に抱かれたいと思ってしまっていた。


「……さて」


 人によっては、そう見られることを不快に思うだろう。

 実際のところ、彼女に従う正騎士たちは、ボリック一家が鼻の下を伸ばしている顔を見て、心底から不愉快そうにしていた。

 だがティストリアからすれば、大したことではない。

 もはや彼女にとって日常的なことであり、むしろ『人間とはこういう顔だ』と思ってさえいる。


 だからこそ、あくまでも事務的に話を進めていた。

 その、愛想笑いのない事務的な振る舞いでさえも、周囲を魅了してしまうのだが。


「ボリック伯爵、この度は私どもの要請に応じてくださり、正騎士になってくださるとか……伯爵という重責を負う身でありながら、この願いを受けてくださりありがとうございます」


 極めて事務的ではあったが、そのティストリアから感謝の言葉をもらった、

 もはやボリックは、天にも召されそうな心持であった。


「わ、私の息子はもう領主の座に就けるだけの器量を持っております。なので今後は息子に領主の座を譲り、私は騎士として国家に貢献しようかと……」

「貴人として、素晴らしい心がけです。貴方こそ、真の貴族でしょう」

「おお、もったいないお言葉……」


 ボリックは歓喜の涙を流し、彼の妻と息子も同じように泣いていた。

 そうして喜ぶ一家へ、ティストリアは一応の念押しをする。


「さて……騎士として立つことを受けてくださった貴方に対しては、この質問は侮辱に聞こえるかもしれません。ですが儀礼として確認させていただきます」

「はっ……!」

「これまでの貴方は騎士団に守られる立場であり、騎士団に助けを乞う側でした。ですがこれからは騎士団に入り、守る側であり助ける側となるのです。そして……この年若い私の、部下になるということでもある」


 彼女はあくまでも真面目に、一切色気を出す気のない顔で、ボリックへ問う。


「私の命令に従い、命を捨てる覚悟はおありですか」


 この問いに、否と言えるものがいるだろうか。

 ボリックは顔を引き締めて、決然と応じる。


「はい、お任せを!」


 その言葉を聞いて、ティストリアの傍に立つ騎士たちの表情が曇った。

 それこそ、軽蔑に近い。どう見ても、新しい仲間に向けるものではない。

 だがしかし、それにボリック伯爵は気づくことはなかった。


「では、これより貴方は騎士、部下となります。ではボリック、最初の命令を下します」

「はい、なんなりと!」


 ボリック伯爵……否、騎士ボリック卿の脳内では、華々しい騎士としての任務をこなす自分が描かれていた。

 なにせ最初の任務である。王都へ呼ばれて名誉ある式に招かれ、そこで正式な受勲を受けるに違いない。

 これを愚かとは、誰も思うまい。

 なぜなら彼の妻も息子も、同じような考えを抱いていたのだから。


 普通はそうなのだ、普通は。

 だがしかし、そもそも……ボリック卿()、『普通の騎士』ではなかったのだ。


「貴方の力量を確認します。私が切りかかりますので、それを受け止めなさい」

「はっ! は……?」

「安心しなさい、手加減はします。貴方に噂通りの力量があれば、防ぐことはたやすいはず。ああ……奥様と次の伯爵殿は、少し下がってください。少々手荒になりますので」


 ティストリアは表情一つ変えずに、腰に下げていた剣を抜いた。

 それは彼女の姿にふさわしくない幅広の剣であり、その剣の表面にはとても線の太い、複雑な魔法陣が刻まれていた。

 超一流の魔導士が長い年月をかけて作った、国宝級の宝剣。それを彼女は、高々と掲げたのである。


「お、お待ちください……ティストリア様……な、なにゆえ?」

「私は武人たちの長……部下の力量は、自分の目で確かめることにしています。先ほども言いましたが全力は出しませんので、戯れと思って気楽に受け止めてください」

「て、手加減ということですが! ど、どの程度の手加減でしょうか!」


 ここに来て、ボリックは血相を変えた。

 先ほどまでは下心丸出しの顔をしていて、ついさっきは精悍な顔をしていたが、今は青ざめて汗だらけになっている。


「そうですね……仮に貴方が一般人だとして、無防備に食らった場合……即死は免れますが、手の施しようのないほどの重傷を負い、意識を失うこともできず、長く苦しんで絶命する。その程度の力で斬ります」


 剣を振りかぶってなお、彼女は美しかった。

 だがその言葉は、余りにも残酷だった。


(この言い回し……バレている! いや、そうでなくとも、疑ってはいる! 確かめようと思われている!)


 騎士ボリック卿は、おもわず失禁するところだった。

 できるだけ考えないようにいていた、起きたらどうしようもない、最悪の事態がまさに起きてしまったのだ。


「ティストリア様……!」

「聞けば貴方は、呪文を詠唱せず、魔法陣も展開せず、汗一つかかずに大魔術を行使できるとか……楽しみです」

「お、お待ちください!」


 まさに、醜態だった。

 ついさきほどまで言っていた美辞麗句は虚飾にすぎず、ありのままの彼との落差は甚だしかった。

 命を懸けるかと聞かれて二つ返事をした男とは思えないほど、見苦しく頭を下げて許しを乞うていた。


「……わ、私は……!」

「どうしました、今斬ってもいいのですか」

「お、お許しを……!」


 仮に彼女が普通の女子で、普通の鉄の剣をなんとか振りかぶっているだけだとしても、それでも切りかかられたらボリック卿は死ぬ。

 ましてや人類最高値を誇る彼女が相手なら、それこそ彼女が脅しめいて言ったとおりになるだろう。

 彼はもはや、絶対にバレたくなかったこと、隠し通そうとしたことを明かすしかなかった。


「アレは、手品なのです!」

「ほう、手品」

「ええ、種も仕掛けもある、奇術なのでございます!」


 いや、彼はこの期に及んでも、一番肝心なところは隠していた。

 それさえ隠していれば、まだ騎士でいられると考えるがゆえに。


「ゆえに、アレには入念な準備が必要でして……」

「魔術ではなく、奇術、手品……そうでしたか」

「失望、なさりましたか」

「いえ、まったく」


 ティストリアは、まだ剣を掲げたままだった。

 その剣を掲げて微動だにしないだけでも、彼女の肉体の強さは明らかであり……。

 彼女がまだ殺意を持っている証明である。


「私の元部下……エリートエルフのアヴィオール。どんな手品であれ、彼を討ち取ったことは事実。ならばそれはそれで、十分に騎士の資格がある」

「お、おお……なんと寛大な……己の卑小さを恥じるあまり、隠そうとした己が情けなく思います。これならば最初から話すべきでした……」


 ボリック卿は、乗り切ったと思った。

 いささか情けないが、手品師として騎士になれるはずだった。


「では、その種と仕掛けを明かしてもらいましょうか」

「……は?」

「まさか私に言えないと?」

「……そ、それは」

「どのような準備が必要なのか、事細やかに報告しなさい。貴方は私の部下なのですから、当然でしょう。私は上司として、貴方に何を支給しなければならないのか、把握しなければなりませんので」


 だがしかし、彼女は『まとも』だった。

 実に理路整然と、当然のことを聞く。

 彼女が観客なら断ることもできたが、上司なのだから答えないわけにはいかない。


 そしてそれこそが、彼が一番、絶対に、何が何でも言いたくなかった、認めたくなかった……。


 己の口から言いたくなかったことだった。


 家族の前だとか、総騎士団長の前だとか、そういう問題ではないのだ。

 なんであれば、独り言でも、心の中でも発声しなかったことだ。

 だがしかし、それは……。


 本当は、わかっていたことなのだ。

 真実だからこそ、認めたくなかったのだ。


「わ、私は……私が手品をするときは……!」


 ここで、手品の種と仕掛けを説明できるのなら、こんな楽な話はなかった。

 だが彼には、それはできなかった。なぜなら彼は、何も知らずに注文するだけだったのだから。


「ひ、人に命じておりました……」


 彼の回答には、まだ自尊心があった。

 自分を守ろうとして、言葉を選んだのだ。


「そうですか、では貴方は……」


 だがその防御は、余りにもささやかだった。


「何もしていないのですね?」


 絶対的な存在である彼女の問いに、答えるしかなかった。

 

「……はい」


 ただイエスということの、なんと苦しいことか。

 今日この状況でなければ、何があっても言わなかったであろう言葉だった。

 自分が無能だと認めるなど、貴人の前で明かすなど、それこそ自分の命がかかっていなければありえなかった。


「そうですか、ではその『手品師』を呼びなさい。それが貴方の、騎士として最後(・・)の仕事です」

「……!」

「返事は?」

「はい……!」


 これ以上に、絞り出しようのない、絞るだけ絞った言葉だった。

 もはやボリック卿の油ぎった体には、一滴の精魂も残っていない。



 違法魔導士であるガイカク・ヒクメがボリック伯爵の城へ訪れたのは、公的(・・)にはティストリアが去って十日後のことだった。

 雇用主である伯爵のことをそこまで馬鹿ではないと信じていた彼は、何も疑わずに伯爵の元へ向かった。

 いつものように誰もいない裏口から入り、誰もいない裏道を通って、こそこそと彼の私室へ入った。

 もしも彼が普通の道を、城の人々がいるところを通っていれば、城の雰囲気が怪しいことを察して逃げられたのかもしれない。

 しかし彼は普段通りに入ってしまったため……肝心のティストリアがいる、伯爵の執務室まで来てしまったのだった。


「キヒヒヒ……伯爵様、ご機嫌麗しゅう……うるわ……は?」


 フードをかぶったままで顔の見えないガイカクは、それでもわかるほどに腰を抜かしていた。

 わざとらしいほど腰を曲げていた彼は、奇麗に床に座ってしまったのだ。


「貴方がガイカク・ヒクメですね? 私はティストリア、この国の総騎士団長です」


 執務室には、伯爵もいた。

 絨毯の敷かれている部屋に、そのまま正座させられていた。

 だからこそ、ガイカクが見たのはティストリアだった。

 圧倒的な存在感を持つ、美の女神のごとき女騎士。

 その姿を見ただけで、ガイカクはすべてを悟った。


「こ、このデブ! ここまで馬鹿だったのか?!」


 思わず、思ったことが口から出ていた。

 それはそのまま、同じ部屋にいるボリック伯爵の耳にも入っていた。


「貴様……!」


 思わず、怒りが燃えた。

 この高貴なる自分が直接命令してやっていたにも関わらず、その大恩を忘れての暴言だった。

 それこそ、殺されても文句が言えないほどの不敬であった。


「同感ですね、私も同じ気持ちです」


 だがしかし、ここにはティストリアがいた。

 彼女は心底から同意見だ、とばかりに素直な気持ちを明かしていた。

 そういわれると、ボリック伯爵は何も言えない。


「一応言っておきますが……貴方たちの手品で、領民を欺いたこと……それは気にしていません」


 彼女はあえて、理解を示した。

 伯爵が自尊心を満たすために行った茶番を、正しいと認めたのだ。


「見栄を張るのも、貴族の仕事。弱い領主に対して不安を感じる領民もいるでしょうし、偽物であれ力を誇示するのは悪ではない」


 一々目くじらをたてることではない、と彼女は認めた。

 まあ実際、悪事というには可愛いものだった。


「加えて……この愚か者が貴方にアヴィオールの討伐を命じたことも、特に怒っていません。領主が配下に賊の退治を命じるなど、ごく普通のことです」


 彼女は改めて、何に腹を立てているのかを明かした。

 いやさ、問題は最初から一つだけだ。


「問題なのは、自分が騎士になると言ったこと。私を前にして、さも自分に実力があるかのように振舞ったこと。それも……自分の命が危うくなるまで、口にしなかったこと。それだけです」

(まったくだ……!)


 ガイカクは、心の底から賛同していた。

 それさえしなければ、ティストリアも本気で調べようとはしなかったし、黙っていても怒ることはなかったはずだ


「せめて自分から言えば、ここまでのことはしませんでした。ですが……信頼できないということはわかりました」

「お許しを……!」

「許しません」


 ティストリアは、もう見る価値もないとばかりに、ボリック伯爵から視線を切った。

 そして、ガイカクを見つめる。


 美しいが、それ以上に威圧感を受ける。

 圧倒的な存在感に、ガイカクは腰を抜かしたまま震えた。


「貴方自身はただのメッセンジャーかもしれませんが、あえて言いましょう。私は貴方を高く評価しています」

「こ、光栄です……!」

「貴方が討ち取ったアヴィオールの実力は、上官である私も知るところ。もしも正規の騎士団を送れば、一人二人は道連れにされたかもしれません。それを貴方は討ち取り、なおかつその後も小さな仕事をこなしていった……それを有能と言わず、なんというのか」


 ボリック伯爵は、震えていた。

 彼女からの称賛は、本来なら自分が受けるはずだった。

 にもかかわらず、どこの馬の骨とも知れぬ、無作法にも絨毯の上にしりもちをついている男に向けられている。

 耐えがたい屈辱であり、嫉妬だった。

 如何に自分が何もしていないとはいえ、分不相応にもほどがあった。

 だがそれは、彼の基準、彼一人の基準に過ぎない。それも、彼の自尊心を守るためだけの基準である。


「本来であれば、私が出向くべきでした。あの討伐依頼も……半分はボリック伯爵の噂を確かめるためでしたが、半分は注意喚起に近かった。元騎士のエリートエルフが賊として領地にいると知れば、うかつな動きを抑えられるかと……結果は貴方の知るところですが……」


 ティストリアの評価こそが、適切であった。


「話が長くなりましたね、ガイカク・ヒクメ。総騎士団長である私は、貴方(・・)を勧誘します」


 彼女は総騎士団長として、正式な勧誘をしていた。


「わ、わたしめを、騎士に?!」


 ガイカクは、素でおののいていた。

 まったく望んでいなかった、なんなら恐れていた事態に驚嘆している。


「いえ、騎士団長です」


 だがしかし、現実はそれを越えていった。


「はああ?!」

「はああ?!」


 ここで、ボリック伯爵とガイカクの反応が同期した。

 二人の心は、ここに一つとなったのだ。


「わ、私でさえ、騎士に勧誘されただけだというのに……この怪しい男が騎士団長?! 意味が分かりませぬ! お考え直しを!」

「まったくこのデブ伯爵のいう通り! 俺が騎士団長とか、意味不明すぎる!」


 二人とも混乱しすぎて、口調がめちゃくちゃになっていた。

 その混乱を、ティストリアは受け入れる。

 こう提案すれば、そうなるとわかっていたのだ。


「黙れ」


 ガイカクが何を言っても許すが、ボリックの発言は許さない。

 ティストリアははっきりと、ボリックだけを黙らせた。


「本来なら、お前を騎士団の長にしてやってもよかったのだ。お前が正直に実情を明かしていればな。そのチャンスを不意にしたのは、お前自身の愚かさだ」

「そんな……」


 正直に話していれば、騎士団長になれた。

 その事実を知って、彼はさらに呆然とする。

 地獄の底に落ちたと思ったら、さらなる下に落ちた気分であった。


「ガイカク・ヒクメ。貴方の実績は疑うものではないが、さすがに一人でやったとは考えにくい。そしてその手法も……手品、という表現が適切なのでしょう。深い詮索はしませんが、表に出せない何かがあると見ました」

(その通りだけども……!)

「ならば既存の騎士団へ組み入れるよりも、貴方の組織をそのまま騎士団として昇格させる方がいいと判断します」


 後ろめたいところがあるとわかったうえで、彼女はガイカクを、ガイカクたちを勧誘していた。

 それはそれで、清濁併せ吞む、偉い人の傲慢さであった。


「もしも私の部下になってくだされば……任務をこなす限り、私が貴方を守ります。貴方が度を越えない限り、貴方の自由を保障します。しかしもしも、この話を受けないならば……」


 それは、イエスだけを聞きたい、傲慢な質問である。


「その時は、貴方を正式に調べます。それがどの程度の意味を持つかは、貴方が知るところでしょうね」


 それに対してガイカクは、何とか言葉を選んだ。


「……一度、持ち帰ってもよろしいでしょうか」

「ええ、かまいません。持ち帰って相談してください」


 拒否は許されないが、熟慮は許可された。

 そう、拒否が許されないうえで、熟慮だけが許されたのだった。

次回は明日6:00投稿予定です。

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