一網打尽にする
とある良家にて、魔導の授業が行われていた。
天灯を実際に作り、大きな庭の空に浮かべる実験である。
「先生、本当にこれで空に浮かぶの?」
「うまくできていれば、ふんわりと浮かびますよ。それでは試してみましょうか」
頑丈な紙と軽い木で、底のない四角い箱を作る。
そして底の部分には小さいロウソクを置く。
すると内部の空気が加熱されて、軽くなり、浮かび上がる。
自然界の原理を利用した『飛行』を見て、良家の跡取り息子は、思わず感動した。
自分が作ったものが、空に浮かんでいく。
魔導の原点ともいえる喜びを、少年は味わっていた。
「すごいよ、先生! 本当に飛んだ!」
「ええ、凄いでしょう? 熱された空気が軽くなる原理を証明する実験なのです」
「魔導って、凄いんだ!」
小さいとはいえ、火のついたロウソクを搭載している気球である。
大きな風が吹けば飛んで行って、そのまま火災になりかねないので、一応天灯には細い紐がついており、先生はそれを摑んでいた。
「ねえ先生……もしかして、これの大きいのを作れば、僕も乗れる?」
「ええ、乗れますよ。そういう大きな気球は、実際にあります」
「あ、そうなんだ……もうあるんだ……」
僕凄いことひらめいたかも! という少年の喜びは、あっさりと潰されていた。
まあ、誰でも思いつくことである。
「じゃ、じゃあ、その気球なら、アマノゾン河の渡し舟も安全にできるよね? 半魚人たちも、手が届かないし」
「それは無理ですね」
少年は諦めてなるか、と更なるアイデアを出すが、それさえもあっさりと否定されていた。
「まず、気球は軽くないとダメなのです。今浮かんでいる熱気球も、欲張って大きいロウソクを乗せたら、ほとんど飛びません。同じ理由で、人が乗れる気球も、そんなにたくさんの荷物を運べないんですよ」
重量問題は、およそどんな規模でも付きまとう問題である。
月まで飛んでいくロケットでも、水と空気で飛ぶペットボトルロケットでも、なんならマラソンランナーでも同じだ。
ぶっちゃけた話、飛ぶにせよ走るにせよ、動く物を作るときは『どれだけ高出力にできるか』よりも『どれだけ軽くできるか』の方が重要なのである。
「それにもう一つ……気球は、風に逆らえません。高度を上げる、高度を下げることはできても、進むことや戻ることはできないのです」
風向きというのは、同じ場所でも高度で多少変わることがある。
よって高度を変えれば、ある程度は向かう方向を調整できる。
しかし当然ながら、それにも限度はある。
無風状態なら上下しかできないし、逆に風が強すぎれば明後日の方向に飛んで行ってしまうのだ。
「そうなんだ~~……」
「アマノゾン河の半魚人については、騎士団の方が何とかしてくださいます。ですので坊ちゃまは、魔導の勉強を……ん?」
空に浮かんでいる天灯、そのさらに上空を『奇術騎士団のマーク』が刻まれた動力付き気球が飛行していた。
明らかに風に逆らい、ゆったりと、しかし確実に前進していた。
「せ、先生! あ、アレ、アレなに!?」
「あのマーク……噂の奇術騎士団……それにあのぐるぐる回っているものは……『トンボ』か!?」
さすがは教師である、ただ気球を知っているだけの貴族より魔導に詳しかった。
彼は持ち込んだ教材の中から『木製の竹とんぼ』を取り出す。
「これはトンボという異国の玩具でして……こう、ぐるっと回すと……」
「わ、飛んだ! 凄い速い!」
「このように、下に風を出して飛ぶのです。おそらくあの気球は、横にトンボをつけて、ぐるぐる回して前に進むようにしているのでしょう」
ガイカクが画期的ではない、というだけあって、既存の物で原理は説明できた。
だが、一番肝心なことは、まるでわからない。
「じゃあ、どうやって回しているの?」
「さあ……?」
超巨大な竹トンボ、つまりプロペラを回して推進力にしていることはわかる。
だがその動力源がなんなのか、さすがに外観だけではわからなかった。
「どんな手品なのか、想像もできません……」
※
新兵器、動力付き気球『ドラゴン・フライ』。
竹トンボの原理を利用していることから、そのまんまトンボの名前を冠した兵器。
外観からするとむしろ『握り寿司』なのだが、それでもドラゴン・フライである。
風船部位の下にある本体、その前部が機関室となっており、そこではドワーフたちやダークエルフ、そしてガイカクが慌ただしく作業をしていた。
「いや~~……ドラゴン・フライの演習がしたいと思っていたところに、いい任務もらえたわ。これなら発着の練習を何度も繰り返せるもんな~~~」
「そりゃあそうだけどよ……もうなんか、全然ありがたみがねえんだが……」
再三いうが、このドラゴンフライの構造は画期的ではない。
ライヴスと比較して、ストーブと燃料が増えただけである。
もちろん高度計や気圧計、水平器などもあるのだが、その程度であった。
「棟梁、せっかく空を自在に飛べるってのに……コレ、マジでただの渡し舟じゃねえか!」
「乗り物ってのは、そういうもんだ」
「まあ……まあそうだけどもさあ!」
さんざん実験や研究をして、出来上がったのがこのドラゴン・フライ試作機。
凄い、飛んでる! と感動していたドワーフたち。
こんな凄いものを作れるなんて、操縦できるなんて! と思っていたのに、やっていることはバスである。
運賃ゼロで、お客さんを乗せて運んでいるだけである。
それも、対岸から対岸へ、往復しているだけであった。
「折角の新兵器なんだから、大活躍させようぜ、マジで!」
「何を言う。ぶっつけ本番なんてしたら、それこそ大恥をかくぞ。そもそもな……」
どんな兵器も、運用する側が慣れていなければ、うまく稼働することはない。
それこそ『何もしていないのに壊れた』とか『説明書を読んだけどよくわからん』ということになる。
そのため『車庫入れして、車庫から出て、ぐるっと回って、車庫入れする』という単調な作業もどのみち必要な演習なのだ。
「俺の魔導兵器が万全でも、お前ら全員が熟練しねえと本番で使えねえよ。それに、実際に運航して、どんなトラブルが起きるのかも確かめたいしな」
「まあ、そうだけどもさあ……」
ロマンがあるのか無いのかわからないことを、ガイカクは口にする。
実際操作感はライヴスと大きく違うので、ドワーフたちも練習すること自体に不満はないのだが……。
それでも、もやもやはあるわけで。
「あの~~……御殿様、本当にこれで大丈夫なんですか?」
ドワーフたちと同様にドラゴン・フライの操縦を練習しているダークエルフたち。
彼女らは、本来の目的、任務の達成について疑問をぶつけた。
「半魚人を一網打尽にする作戦は、どうなってるんですか?」
「大丈夫大丈夫、水面下で進んでいるから。お前らは余計なことを考えるな、な?」
「水面下って……」
今もまさしく、水面下で活動しているであろう半魚人。
現在ガイカクは、それを探そうともしていない。
それはガイカク配下である、奇術騎士団こそが一番わかっている。
そして、考えるな、と言われれば考えたくなってしまうのがサガというものだ。
(失敗するかどうかは別にして、棟梁は一網打尽までの作戦を立てているってことだよな?)
(御殿様は、半魚人を探さなくても、一網打尽にできるつもりなの?)
それはさながら、技術開発ツリーにも似る。
ゴールから逆算しても、スタートラインにたどり着くことはできない。
なぜなら彼女らは、絶対の『数式』を知らないからだ。
※
両岸に設置された、ドラゴン・フライ発着場。
この世界初の商業空港と化しているこの地には、それこそ大した設備がない。
バス停のように時刻表と看板があるだけで、他には上空からでもわかるように大きく白いラインがあるだけだった。
とはいえ、そこには大勢の人が集まっている。
空を飛べるというのもそうだが、無料で対岸に渡れるというのはありがたい。
そう、無料である。
ある意味補償なので当然だが、結構な数の平民たちがずらりと並び、乗り込む順番を待っていた。
ドラゴン・フライは、それなりには早い。しかし『上昇して対岸に向かって下降する』という手間があるため、そこまでの回転力がない。
また、『手荷物のみ、一度に乗れるのは十人まで』という制限もあったため、順番待ちが起きるのは当然だろう。
「は~い、並んでくださいね~~」
「追い越し、割り込みは禁止だぜ~~」
「違反したら追い出すからな~~」
船頭たちは比較的慣れた様子で、並んでいる客たちをさばいていた。
まあ船賃を取り立てるとか、チケットを拝見するとか、整理券を配るなどの手間がない分、かなり楽と言えるだろう。
加えて……。
「今回の渡し舟は、騎士団長からのご厚意だ。にもかかわらず、不満や文句があるというのなら……」
「この鉈が、お前たちの頭をカチ割ると知れ」
騎士団所属の獣人たちが、並んで鉈を構えている。
何か問題行動が発生すれば、この鉈で頭をカチ割って、アマノゾン河に投げ捨てる所存であった。
貧民たちといえども、そこまでバカではない。
わざわざ騎士団に反抗したくないし、そもそも向こう岸にわたりたいだけなのである。
むしろ治安がいいなあ、と安心さえして、自分の荷物を抱えながら待っていた。
とまあ、本当にただ、貧困層への救済措置となっていた。
船頭たちは雇用によって日当を得ることができ、貧困層は対岸に行くことができる。
どういう趣旨で行われているのかわからないが、とりあえず確実に救われてはいた。
さて……この、世にも奇異なる『動く気球』。
懐に余裕のある方々の中には、ちょっと乗ってみようかな~~、という者もいた。
いたのだが、この並んでいる貧困層を見ると、躊躇せざるを得なかった。
「……帰るぞ」
「え、なんで? 乗せてくれるって言ったじゃん!」
厳格そうな父親と、その息子。
見るからに生活に余裕がありそうな二人は、発着場を前にして動きを止めていた。
発着場の前まで来たのに、気球に乗ることを拒んだのである。
「はあ……いいか、良く聞きなさい」
「うん」
「金持ちが全員悪党、というのは偏見だ。もちろん、貧困層全体が悪党、というのも偏見だ」
「ま、まあそうだよね」
「だが、私たちがあそこに行けば、悪人を招くことになるのも事実だ」
大勢の貧困層に混じって、富裕層の親子が並んでいる。
その姿を見て『今なら疑われない』と思って悪党が接近してくる可能性がある。
その可能性がある時点で、近寄らないことが賢明だ。
「え、でも騎士団の人が見はっているんじゃ……」
「一人前のスリなら、気付かれずにすり取ってくる。それに見ろ……」
発着場には、こんな注意文があった。
『当発着場で起きた事件、事故に、奇術騎士団、および領主は責任をとりません』
『万全の整備を行っておりますが、気球が墜落する可能性もございます。ご了承ください』
金をとっていないので当然だが、責任を取る気はないらしい。
ある意味、正直であった。
「まあ、こういうことだ……諦めなさい」
「……は~~い」
息子はまだ未練があるようだが、父に言われれば仕方ない。
彼は諦めて、その場を去った。
※
さて、ナバタタ少年、およびオーリ婦人、そしてその側近たちである。
彼ら彼女らには、ガイカクから『台本』が配られていた。
ナバタタにも、オーリにも、執事やメイドにさえセリフが用意されており、それはまさにお芝居であった。
まさしく名探偵が『私がこういったとき、証拠を出してください』とか『犯人がこう言ったら証言をお願いします』とか、そんな根回しなのだが……。
全員、目を丸くしていた。
名探偵の補佐とは、こういうことなのかと理解していた。
「……そういうことだったのね」
「さすがは奇術騎士団の団長……なんて、名探偵ぶり……」
恐るべきは、ここに来る前から、既にこの台本が用意されていたということ。
もはや予言書に等しいそれを持つ者たちは、天命を受けたがごとく、それを全うするばかりとなっていた。