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フロートチャート

 アマノゾン河。

 いわゆる大河であり、長く広く、とても緩やかな流れの河である。

 その水は、お世辞にも飲用に適するわけではないが、その分栄養を含んでおり、上流や中流は豊かな生態系を確立している。


 わかりやすく言うと、上流や中流には周辺に豊かな森があるのだが、下流は基本荒野である。

 これは地質の問題であり、まあぶっちゃけ貧しい土地であった。


 しかし、植物がそんなにない、動物もそんなにいない、というのも考え方次第であろう。

 対岸同士をつなぐ宿場町を作るには、むしろ便利であった。

 アマノゾン河の下流には、両岸に大きな宿場町が存在し、そこを大小さまざまな渡し舟が運航している。


 この、大小さまざまな、というのが本当に大小さまざまである。

 一番小さい単位では、十人乗れるか怪しい小舟を、一人の船頭が漕いでいくものとなる。

 河の流れが本当に緩やかであるため、こういう船でも問題がないのだ。


 が……そういう小舟だからこそ、半魚人なら簡単に転覆させることができる。

 事件が一つ二つなら(個人としてではなく領地としてみれば)小さな問題だが、これが長期に渡れば話は違ってくる。

 半魚人が転覆させにかかる小舟に、誰が乗るというのか。

 いや、そういう船頭たち自身も、怖くて船が出せなくなる。


 小舟の船頭など、貧困層と言っていい。

 度重なるいたずらに耐えかねて、彼らは領主に解決を要求した。


 また、そういう小舟を利用していた客層からも、領主へ改善を求めている。

 彼ら自身もそこまで裕福ではないのに、少々割高な大型の船を利用する羽目になったのだから、無理もあるまい。


 しかし、言われた方はすっかり参っていた。

 一体どうやって、広大で乳白色の大河に潜む、鰓呼吸の半魚人を探すのか。

 また見つけ出したとして、どうやって倒すのか。


 そしてそもそも……前の領主は病死し、後継者となる子息はまだ子供。彼を支える母も、この事態に頭を悩ませるばかりであり……。

 何も考えられず、ただ騎士団へ依頼を出すしかなかった。



 ガイカク・ヒクメ率いる奇術騎士団は、宿場町に到着していた。

 とはいっても、歩兵隊(にんげん)砲兵隊(エルフ)重歩兵隊(オーガ)工兵隊(ゴブリン)は置いてきた。

 同行しているのは、動力騎兵隊(ドワーフ)高機動擲弾兵隊(じゅうじん)夜間偵察兵隊(ダークエルフ)だけである。


 そのガイカクは、周辺を一望できる小高い丘の上に立ち、双眼鏡で河全体を観察している。

 部下たちはガイカクの後ろに立ち、なんとも神妙な顔をしていた。


「ここが、アマノゾン河かい……話には聞いていたけど、デカいわ濁ってるわ……ひでえ河だ」

「はっきり言って汚い、ここで暮らしたくはないな……」

「こ、ここで半魚人を探すなんて……いくらなんでも、無理があるんじゃあ……」


 観光名所ではないので当然だが、お世辞にも綺麗な河ではない。

 そのため初めて見た面々は、揃って嫌そうな顔である。

 また、今からここに潜む半魚人を探すのだ、と思うと嫌で嫌で仕方ない様子である。


「御殿様は双眼鏡で熱心に調べていらっしゃいますが、ここで見つけても意味がないのでは?」

「ここで見つけても、現場へ向かう間に逃げられる気が……」

「そんなことは御殿様もわかっていらっしゃるはず。ではなぜ、わざわざここで……」


 一方で、偵察兵であるダークエルフは、今現在ガイカクが双眼鏡で観察していることが、腑に落ちない様子であった。

 誰がどう考えても、ここで半魚人をみつけて解決する状況ではない。

 ではなぜ、ガイカクは初手でこれをしているのか。彼女らには、わからない様子だった。


「んん……いやしかし、半魚人が出るという噂だったが……船はそこそこに運航しているな。小舟が襲われているだけで、そこそこ大きい船なら大丈夫ということか」

「あれだけの大きさの船なら、並の半魚人ではひっくり返せまい……ということは、逆に言って今回の敵にエリートはいないのか?」

「しかし、どの船も武装している兵が……いや、用心棒が乗っているな」


 一方で獣人たちは、意外に河を船が往来していることに気付いていた。

 多くの積み荷を運ぶ船や、大勢の人を運ぶ船など、複数の漕ぎ手がオールを動かして進む船が行き来をしている。

 人間の視力では、船の上になんか人がいるなあ、としか見えないが、獣人やダークエルフの目には用心棒らしき武装している男たちも見えていた。

 当たり前と言えば当たり前だが、大型の船も半魚人へ対策をしている様子である。


「つうかよ……この状況で、新兵器をどう活用するんだ? アタシらにはさっぱりわからねえ」

「いやまあ、使えないってこたぁねえだろうが……どうせなら大活躍させたい」

「棟梁の思惑が、マジで読めねえ。どうするつもりだ?」


 一方でドワーフたちは、入魂の『新兵器』をここでどう使うのかを考えている様子である。

 ガイカクはそこまで高い評価をしていないが、彼女らからすれば凄まじいほどの大発明なので、その初陣に大きな期待をしていた。

 だが任務の内容からして地味になりそうで、そのうえどう活用するのかわからないので戸惑っていた。


「ん~~……ふぅん。大体事前の情報通りだな、それに空模様も……よしよし、順調に進みそうだな」


 一方でガイカクは、自分の後ろで繰り広げられている会話を全部聞き流していた。

 双眼鏡での観察を終えて、うむうむ、と一人納得している。

 そのうえで、ぐいっと空を見上げていた。


 なんとも恐るべきことに、解決完了までの見通しが立った様子である。

 あるいは、ここに来る前から立てていた予定が、決定になったというべきか。

 

「いくぞ、お前ら。領主様の館へ向かうが……粗相のないようにな」


 一番粗相をしそうな男が、白々しくも注意をする。

 奇術騎士団の面々は、彼のまっとうな指示に呆れつつ、彼の後に続いた。



 この地を治めていた、ゲンギウ子爵。

 彼の残した屋敷に赴くと、奇術騎士団は当然のように手厚く歓迎された。

 だが大いに沸き立って大歓迎、という雰囲気ではない。

 ああやっと来てくれた、早く何とかしてください。という雰囲気である。


 騎士団長であるガイカクが案内された先には、ゲンギウ子爵の妻であるオーリ婦人、および跡取りであるナバタタ。そして二人を支えているであろうメイドや執事たちがそろっていた。

 本来貴人を招く応接室には、大勢の者が並んでいる。


 おそらく、オーリ婦人やナバタタにとって、信頼できる者達なのだろう。だからこそ、失礼とわかったうえで傍に置いているのだ。

 それを察したガイカクは『ちょうどいいな』とさえ思っていた。


「依頼を受けて参上しました、奇術騎士団……その団長の、ガイカク・ヒクメにございます。この領地を襲った難題を思えば、我らが来たことは不満やもしれませぬが、他の騎士団に劣らぬ働きをしますので、ご安心を」

「ああ、いえ……そのことに対して、不満などないのです。貴方はご存じではないでしょうが、ハグェ公爵の事件を解決した折に、私や息子もいたのです」

「そうでしたか、それは失礼を」

「いえ、しょせんは子爵家。あの場では埋もれ、気にも留められないでしょう。それよりも……私も息子も、貴方様の手腕は存じております。どうぞその知恵で、半魚人どもを捕らえていただきたい」


 容疑者が多すぎた殺人事件を、たちどころに解決した『名探偵』。

 それを知っているというオーリ婦人に対して、ガイカクは少し困った顔をした。


「ふむ」


 ガイカクが、ここで困った顔をしたのは、それこそその部屋の全員にわかることだった。

 それこそ名探偵を演じる舞台俳優が、何かに気付いた、という演技をしているようである。

 一同、今の言葉のどこに問題があるのか、さっぱりわからなかった。


「失礼ですが、オーリ婦人。私どもが問題を解決したとして、直接の被害者である船頭たちへの補償はどのようにお考えで? 金銭を援助するのであれば、その財源は? また詐称する者と真に救済を求める者をどのように区別なさるおつもりで?」

「は?」

「ナバタタ殿。失礼ですが、遠からずこの地を治める方として、私どもが来るまで、なにがしかの対策をなさったかと思います。それについてまとめた資料があれば、ぜひ拝見させていただきたい。また、私に提案できる作戦などがあれば、それについても意見を求めます」

「え?」


 良く聞けば、まともな質問であった。

 だが矢継ぎ早に、畳みかけるような質問に、二人は黙り込む。

 どれか一つでも話せればよかったが、どれ一つとして具体的な返事ができなかったのだ。

 二人はうつむき、黙ってしまう。


 ガイカクはそれ(・・)を確認すると、二人の傍にいたメイドたちや執事らにも視線を向ける。

 当然だが、誰もが黙って動けない。


「……そうかそうか、想定外はないな」


 何の返事もないことを確認すると、ガイカクは満足げに頷いた。

 それこそ、名探偵が容疑者を絞り込むときのような振る舞いであった。


「いきなり困らせてしまって申し訳ない、今の質問に回答は不要です。それよりも、皆さんに協力していただきたいことがいくつかありますので、聞いていただけないでしょうか?」

「……は、はい、もちろんです」


 ガイカク・ヒクメが名探偵めいた振る舞いをすることは、オーリやナバタタは知っていた。

 だがしかし、半魚人が船を転覆させているという状況で、なぜ名探偵めいた振る舞いをここでするのか、誰にも分らなかった。


「ではまず、私どもの指示する場所に……被害を受けている船頭たちを集めてください。彼らにも協力を仰がねばなりませんので」

「そ、そうですね……わかりました」


 とはいえ、指示はもっともであった。

 確かに直接の被害者である船頭たちから話を聞くべきであるし、船頭と協力すれば半魚人を捕まえやすい。

 むしろそれらがないのに、どうやってこの乳白色の大河から、半魚人を捕まえるというのか。


 いや、小型の船と協力するより、転覆の恐れがない大型の船と協力するべきでは。

 オーリがそう思っても、不思議ではない。


「あ、あの……大型の船の船主たちは、いかがしましょうか?」

「そちらについては、向こうから要望(・・)があるまでは放置でかまいません」

「そ、そうですか……」


 気を利かせたつもりの提案も、想定していた、と言わんばかりに即答されてしまった。

 また、言い回しもいささか奇妙であった。


 なぜ半魚人を捕まえる話なのに、こんな展開になっているのか。

 それこそ、誰にも理解できなかった。


(こ、これが奇術騎士団……たしかに、普通の騎士団とは違い過ぎる……)


 この部屋の誰もが、奇術騎士団の色物たるゆえんを体感していたのだが……。


 実際には、そうでもない(・・・・・・)のである。


 とはいえ、彼らがコレを知るのは、事態が解決した後なのだが。



 町はずれの、なだらかな荒野。

 そこは森も陸もなく、ただだだっ広いだけの、見晴らしがいい場所。

 とはいえ、この周辺ではまったく珍しくない立地である。

 そこに集められた船頭たち、および集めたオーリやナバタタも、何も思うところはなかった。


「奇術騎士団ねぇ……騎士団なんだから、半魚人のエリートでもいるのかね?」

「それがいるなら、こんなありがたい話はねえが……半魚人のエリートが、騎士団に属していたなんてそうそう聞かねえぞ?」

「それじゃあ探すのは大変だなあ、仕事の再開はいつになるやら」

「騎士団がいる間は、さすがに出てこねえだろう。それなら再開を……」


 事態の解決を誰よりも願っている船頭たちは、事件の解決こそ疑っていないものの、いつ解決するのか不安になっているようだった。

 生活がかかっているので無理もないが、仮に解決しても長引くようなら抗議をするだろう。

 あるいは、長くかかるようなら、それだけで文句を言うに違いない。


 そんな市民たちを前に、オーリもナバタタも不安になる。

 早く奇術騎士団に来てほしい、と思いながら周囲を見る。

 あとからくるとは言っていたが、見晴らしのいいこの場所から見ても、彼らの影さえ見えず……。


 まさか、来ないのか?

 という疑念さえ湧いたところで、『空』から奇妙な音が聞こえてきた。

 真上ではない。河とは反対の陸の方からである。


「……は?」


 そう漏らしたのは、だれだったか。

 全員がぽかんとして、その『機体』を見る。


「気球だ……母上、気球です」

「え、ええ、そうね……多分、そうね……」


 オーリとナバタタは、それを見て『気球』だと言った。

 奇術騎士団の新兵器、空飛ぶ機体を見て気球だと判断した。


 そう、気球である。

 この世界にも気球自体は存在し、広く知られている。


 そもそも気球は、構造自体は簡単である。

 ただ飛ばすだけでいいのなら、紙と木とロウソクだけでも『熱気球』として再現できる

 オーバーテクノロジーだの魔導だの魔術だのさえ、まったく必要としない。


 よって違法でも異端でも何でもないのだ。


 なので親子は、空を飛ぶ新兵器を見ても、それ自体は驚かなかった。

 驚いているのは、その気球が普通と異なっていることである。


「なんで、こっちに向かって進んでいるんでしょう……風向きが、明らかに違うのに……」

「ええ、そうね……それに、風船の部分が、小さすぎるような……」


 気球には、二つの問題がある。

 一つは推進力を持たないため、好きな方向に移動できないこと。

 もう一つは風船部分に対して人や物を乗せる部分を小さくせざるを得ないことである。


 ガイカクの新兵器は、この二つの問題を解決していた。


 まず推進力については、ライヴスと同様に心臓(エンジン)を動力源とするプロペラを機体側面に取り付けることで解決している。

 まあつまり、ライヴスはタイヤを動かしているが、この新型気球はプロペラを動かしているだけだ。

 なるほど、技術的には画期的でもない。


 ついで風船部分、浮力を生む部位なのだが……。

 ここは樹脂(・・)性の、巨大なゴム風船となっている。

 この巨大なゴム風船の内部には、常温では液体、少々加熱することで気体となる魔導物質が入っている。

 機体本体で下からあぶってやれば、ゴム風船内部の液体が熱され気化し、非常に軽い気体となってゴム風船が膨らみ、浮力を生むようになっている。


 熱気球とガス気球の特性を併せ持つこの構造は、当然ながら普通の熱気球やガス気球よりも複雑である。

 だが生み出される浮力は、それらの比較にならない。膨らんだ風船の半分ほどの大きさの機体を持ち上げられるほどであった。


「……おい、こっちに飛んでるぞ」

「夢でも見てるのか……」


 気球を知っている貴族の二人でさえ驚くのだから、船頭たちはより一層驚いていた。

 これがグライダーや紙飛行機のように『滑空』しているだけなら、まあそういうもんもあるだろうと納得できる。

 だが明らかに飛行しているので、目を疑うばかりであった。

 なお、その気球には、明らかにポップな奇術騎士団の旗印が描かれている。


 その機体はほどなくして、この荒れ地に集まっていた面々の前で着陸する。

 膨らんでいた樹脂の風船はしぼんでいき、回転していたプロペラもゆっくりと止まっていった。


 そして、機体の扉が開き、人が出てくる。

 そう、当然ながら奇術騎士団の団長だった。


(奇術騎士団は手品が得意って言うが……限度があるだろ!)

(いったい、どんな手品なんだよ!)


 誰もが言葉を失い、ガイカクと言う男に畏怖の目線を向けている。

 それを受けて、ガイカクはにんまりと笑っていた。


「どうも皆様、初めまして……奇術騎士団団長、ガイカク・ヒクメにございます……ゲヒヒ!」


 全員、唖然としていた。

 半魚人が小舟を転覆させているとか、生活がかかっているとか、住民から不満が出ているとか、そういうことが一切頭から抜け落ちていた。


 そしてそうなったら、口から出る言葉は決まっている。


「あの、ガイカク・ヒクメ卿……お伺いしたいのですが、この気球はどうやって進んでいるのですか?」

「は?」

「私も気球は知っていますが、風に逆らって飛ぶなんて聞いたことが無いのです」


 若き貴族ナバタタは、野暮とかそういうことを考えず、素直に質問をしてしまっていた。

 状況からすれば半魚人対策について話すべきだが、それどころではなかったのだ。


「はははは! 何をおっしゃる、ナバタタ様! 見ればわかるでしょう! ねえ!」


 ガイカクは名探偵らしい振る舞いをせず、むしろ道化めいた振る舞いをした。

 それこそ、バカ笑いである。


「オーリ婦人も、そう思いませんか? まさに一目瞭然だと!」

「いえ……私も、息子と同じように、まったくわかりません……教えていただけませんか?」

「……なんと」


 ガイカクは、わざとらしく周囲を見た。

 これから協力を要請するはずの船頭たちも、ガイカクからの説明を待っている。

 一体何が、一目瞭然だというのか。


「皆さん、気は確かですか? 本当にわからないんですか? 私からの説明を求めているのですか、質問なさるのですか?」


 真面目ぶって、確認を繰り返すガイカク。

 彼は散々もったいぶった後、機体に描かれた奇術騎士団のマークを見せた。


「この奇術騎士団のマークが、目に入らないのですか?」


 当然だが、ただの絵である。

 それがこの気球に何の影響も及ぼしていないことは、船頭でもわかることだった。

 それをみて、何を分かれというのか。



「軍事機密です!」



 全員、釈然としないが、納得はした。

 よく考えれば、ガイカクには説明責任などない。

 軍事機密ですよ、と言われたら誰も追及できなかった。


「それでは船頭の皆さん……我ら奇術騎士団による……半魚人を一網打尽にする作戦へ協力していただきます!」


 そして、やはり、改めて原点に立ち返る。


「我が騎士団は、この気球を使い……」


 潜水艦とかならまだしも、気球でどうやって半魚人を一網打尽にするのか。


「このアマノゾン河で、無料の渡し舟を行います!」


「は?」


「皆さんには、発着場の整理、接客をお願いします! もちろん、お給料はお支払いします!」


 できるかできないかで言えば、まあできるだろう。

 お給料がもらえるというのだから、ありがたいはずだった。

 それにこの気球で無料の渡し舟をするのなら、それで助かるものもいるだろう。


 だがそれが、半魚人を一網打尽にすることと、なんの因果関係があるのか?


「ふっふっふ……皆さん、不安に思われていますね? ご安心を!」


 その不可解さを全力で演出する『曲者』は、まさに問答無用の説得力でごり押しする。


「私は騎士団長ですので!」


 とりあえず、説明する気がないことだけは伝わったのだった。

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