絶対に成功する作戦
戦場に到着したら、既に友軍が負けかけていた。
まあ、普通に考えて最悪の事態である。
一戦の勝敗を左右する立場にいると言えば格好がつくが、実態としては『自分らが頑張らないと負ける』というものであった。
物語なら憧れるが、実際にやるとなればごめんこうむりたいところであろう。
奇術騎士団の面々は、早朝に集められ作戦を知らされる段階になったわけだが……。
ほぼ全員、内心では逃げたくなっていた。それでも逃げないのは、実質的に『自分らはガイカクの命令に従うだけだし……』という言い訳があったからだ。
ある意味、正しい認識である。
「知っての通り、昨日の手術で
そう、ガイカクの言う通り、エルフとオーガは今日お休みである。
奇術騎士団の最高火力と最強の歩兵、それが使用不能である。
にもかかわらず、それが愉快でたまらないという顔であった。
「あの……御殿様は大丈夫なんですか? 普通に考えて、一番疲れていると思うんですが……」
「きっちり寝たし、指揮をするだけなら問題ない。現場で戦ったり魔力を抜かれるあいつらとは、労働の前提が違うからな」
ダークエルフたちはガイカクの体調を心配するが、その返答は具体的で納得のいくものだった。
オーガやエルフたちも力を使い果たしたから当分戦えないとかではなく、ちょっと疲れているから明日まで休むとかそれぐらいであろうし。
「ま、話を戻すぞ。今日は……というか、今日が勝負どころだ。今日で可能な限り、敵兵の数を削ぐ。今日でこの戦争の、その大勢が決すると思え」
「族長、その理由をうかがってもよろしいですか?」
ガイカクは今日の作戦の重要性を説くが、その理由に獣人たちは食いついた。
ガイカクはあいまいなことを言わないので、『大勢が決する』と言えばそれには根拠があるはずだった。
「今日が、一番敵の数を減らしやすいからだ。どんなに大胆な作戦でも、
残虐な笑みを浮かべるガイカクのそれは、敵でなくてよかったと安堵させるものがあった。
「肝心のその理由だが……敵が、オーガの武将だからだ」
※
一方でオリオンは、早朝に幕僚をあつめ、軍議を開いていた。
その日の作戦を、当日の朝から決め始めるなど正気ではない。
だがそれを決めたのはオリオンであり、その幕僚たちもそれを受け入れてしまっていた。
もはやこうなれば、緻密な作戦などたてられるわけもない。
いやそれどころか綿密な打ち合わせさえもできず、これでは今日も絶望的な戦いを……。
そう思っていた幕僚たちを前に、オリオンは端的な説明をした。
「本日の作戦を発表する」
いや、決定事項を伝える構えであった。
本来なら将軍本人でも横暴であると文句を言われるところであり、本来は部外者である騎士団長にそんなことを言われれば反発は必至であった。
だが戦況が劣勢であり、ハルノー将軍が倒れて気弱になっている幕僚たちは、それを受け入れざるを得なかった。
それを見越しての、彼の発言である。
「奇術騎士団が先行し、敵をかく乱する。ついで全軍で正面から突撃し、敵へ攻勢を仕掛ける。以上だ」
その言葉を聞いて、幕僚たちの脳内には二種類の言葉が浮かんだ。
たしかに今から緻密な作戦をやるなんて無理だし、それぐらい単純じゃないとダメかも……。
いやいや。人数では勝ってるけど、士気では負けてるから。これで正面から戦うとか、無理だろ。
これらはいわば、『メリット』と『デメリット』である。
もっと言えば最善の提案に対する懸念事項、という関係かもしれない。
そして幕僚たちは優秀なので、奇術騎士団が先行して敵をかく乱する、という言葉にも理解を示していた。
(一番槍が危険なことは誰でも知っている……それをやってくれるのはありがたいが……)
(最初に我らがぶつかって、その後で彼らが突っ込む……なんて作戦でなくてよかったとは思うけども……)
今回の作戦の、唯一の作戦要素。それが奇術騎士団の先行であるという点。
ある意味騎士団らしい仕事であることも含めて、これに反対する理由はそうない。
よって彼らが難色を示しているのは、作戦がうまくいくかどうかである。
「わ、我らは、現在士気ががたがたです。申し訳ないのですが、少々敵をかく乱していただいた程度では、正面からぶつかって負ける可能性も……」
「奇術騎士団の実力を疑うわけではありませんが、そこまで大きくかく乱させられるものですか?」
幕僚たちは、弱気であった。
だが無理もあるまい、多くの護衛を突破されて、その上で将軍を倒し、生還されたのだ。
これでは、自信を維持している方が問題である。
「それに……敵が我らの思惑を超えて、なにやらわけのわからないことをするかも……」
「それは、ない」
オリオンは、ため息をつきながら懸念を否定する。
ガイカクが作戦を失敗……自滅することはあり得ても、敵が作戦の阻止に成功することはあり得ない。
これはオリオンとガイカク、二人の共通認識だった。
「今回の作戦は、絶対にうまくいく。問題は敵の数をどこまで削ぎ落せるか、だ」
「その根拠は?」
「敵の指揮官が、オーガの将軍だからだ」
こんなことも説明しなければならないほど、幕僚たちの頭が弱っているのか。
獣人たる彼は、人間の幕僚たちの疲れぶりにまいっていた。
「敵は強大で、まっとうな将軍だ。だからこそ……絶対に成功する」
獣人の騎士団長は、獣人らしい獰猛で残忍な笑みを浮かべていた。
※
さて、敵陣である。
激戦の翌日であるが、士気は大いに高かった。
多大な犠牲を払いはしたが敵将に深手を負わせ、その結果敵全体の士気が下がっていることを把握しているからである。
ははは、敵の大将を倒したぞ。これで敵は怯えているに違いない。
そんな三文の台本のようなセリフを、誰もが言いあっていた。
実際、朝になって敵と対峙してみれば、遠くからでもその沈みようが分かった。
昨日とは、偉い違いである。
「ははは! みろ、敵陣を!」
「ああ、見ているとも、見ているとも!」
「自分達の大将を守れなかった間抜けどもが、今更俺達に震えてやがる!」
敵方の最前線に立つ者たちは、ほとんどが手傷を負っていた。
だが彼らの顔には、自信とどう猛さが溢れていた。
ムリもないだろう。彼らはつい昨日、ガゲドラと共に敵陣へ切り込み、生還した『勇者』たちなのだから。
先日までは一般兵に過ぎなかった彼らだが、激戦区から生還したことで覚醒を遂げていた。
もはや別の人間、格段の成長を遂げたと言っていい。
そんな者たちが、十人や二十人……どころではない。
およそ二百人ほども、歴戦の勇者としての空気を身にまとっていた。
それが一塊となり、『軍団』を成している。
「なあお前らも受け取ったんだろう? 金一封! ああ、金貨なんて初めて触ったぜ!」
「あのずっしりとした重さ……たまらねえよなあ!」
「今日の戦いで生還したら、同じ量がもらえるんだと……かあ、ガゲドラ様は太っ腹だぜ!」
仮に……今の彼らが敵と衝突すれば、恐怖を忘れて切り込み、大いに武勲を上げるだろう。
相手の士気が下がっている今、少々の負傷や人数差など、問題にならない。むしろ敵は、彼らに怯えて逃げるだろう。
これは鼓舞や欺瞞ではなく、客観的な事実である。
士気とは、かくも強いのである。
「ガゲドラ様はおっしゃっていたぜ……強ければ死なない、強ければ出世できる。自分も一人の兵から成り上がったって……」
「俺らはエリートでもなんでもないが……敵を殺すことなら一人前だ!」
「おうよ……この戦争で一旗揚げて見せるぜ!」
この世界にはエリートが存在し、エリートでなければなれない騎士やそれに類するものもある。
だが『平均値』の者であっても、十分に立身出世は可能だ。むしろそうでなければ、社会が立ち行かない。
彼らには夢があり、その一歩を踏み出している。
彼らがこのままサクセスロードを進む可能性は、十分にあった。
「しかし……話が旨すぎないか? 昨日はほら、敵の大将をぶっ殺すって話で、だいたいうまくいっただろ? だから金一封も不思議じゃねえが……」
「今日はただ戦うだけで金一封なんだろ? たしかになあ……」
そして彼らには、きちんと情報の開示もされていた。
なぜ今日という日に多くの報酬が約束されているのか、明確に目標や障害も示されている。
「なんだよ、聞いてなかったのか? 昨日敵の大将がやられた後で、騎士団が二つ到着したらしい」
「三ツ星騎士団と奇術騎士団、だとよ。どっちもヤバいらしいぜ。だがそいつらの首は、将軍並みの扱いなんだと」
「へえ、マジか」
エリートの集団、騎士団。
本来なら……というか戦場という場所以外では、絶望の象徴である。
だが戦場において、強大な存在ではあっても絶望的な存在ではない。
なぜなら、敵も味方も完全武装であり、万に達する人数がいるからである。
常人の数十倍の力を持つのが数人いて、その護衛が百人いて……など、どうにかなる範疇であろう。
むしろ手柄の最上位。大勢に狙われて、そのまま潰されうる者達であった。
「いよし……それじゃあ俺らでぶっ殺そうぜ!」
「おう……これで俺も嫁さんを迎えられるな!」
ーー今日この時、事実上の初陣となる奇術騎士団。
彼らは戦場において『ただの騎士』として扱われ、同じように狙われる。
その上で、もっとも危険な一番槍として、単独で敵に突っ込む。
今日がそのまま、奇術騎士団最後の日になっても、全く不思議ではなかった。
だが逆に言って、それでもうまくいくと踏んでいるからこそ、一番槍を買って出たと言える。
絶対に成功する。
その確信をもって……改良型ライヴスが敵陣へ突貫を始めた。
「……おい、なんだありゃ」
「なんか妙な旗を掲げているが……ありゃ、奇術騎士団のそれじゃねえか?」
「……いや、まじでなんだ、アレ」
ガイカクがこの戦場に投入した、二台の戦闘車両。
前後左右の四面に分厚い木製の装甲をもつ、戦闘用ライヴス。
それは人間が持久走をする程度の速度を維持しながら、敵陣へ突っ込んでくる。
ぶっちゃけ速くないので、遠くからでもその動きは観察できた。
なまじ二台だけだったこともあり、敵方の兵たちはただびっくりしていた。
それこそ、奇術ショーで『なんだアレ』と思うのと同じである。
馬もないのに荷車が走っている。
しかも戦場を。
大砲らしいものでも積んでいれば話は違ったが、ただの装甲車両であるため、そのように危険視することもなく……。
「あの、隊長……あれ、どうします?」
「それは私が聞きたい……なんだアレ」
大量の敵軍を率いて突っ込んでくるならともかく、二台が先行してきているだけ。
とんでもなくデカいというわけでもないため、敵の隊長たちも困っていた。
だがそれでも、弓矢や魔術が届く間合いになれば、話は違った。
「……まあ敵だろう、魔術で攻撃せよ!」
「おうっ!」
向かってくる車両は、まあ敵だと判断する。
敵兵たちはライヴスへ魔術攻撃を開始した。
弓兵部隊は少し後ろにいたため、最前線からは指示ができなかったのである。
およそ十人ほどの兵士たちが、殺傷能力十分な魔術を放つ。
それの内半分は外れ、半分は前面に着弾した。
普通の人間、そしてその普通の人間が持てる程度の大きさの盾なら……。
ぼこぼこになったあげく、へし折れていただろう。もちろん盾を持っている人間も、吹き飛んでいたはずだ。
だが、車両の装甲である。
それもフロントガラス部分にも装甲がある、原始的な、しかし堅牢な前面の装甲である。
操舵手は本当に操舵するだけで、前や周囲を見るのは別の者に任せているという、潜水艦めいた操縦の車である。
よって、人間が軽く『なんか怪しいから攻撃しよう』などという軽いノリで攻撃したぐらいでは、装甲をへこませることぐらいしかできなかった。
「な、なんだ、アレ……思ったより硬いな」
「いやまて、もう突っ込んでくるぞ!!」
「嘘だろ?! 敵陣に突っ込むか普通!」
そうこうしているうちに、装甲車両、二台のライヴスは敵の最前列に突っ込んできた。
もう一度言うが、人間の持久走程度の速度である。
物凄く速いわけではないが、結構な速さであり、近づいてくると逃げるしかなかった。
「くそ、おい、避けるぞ!」
「横、横だ!」
仮に、このライヴスの前に出たとしよう。
並の人間ならば、それこそ交通事故になる。
速度がそれなりであり、重量が相当なものであるからだ。
そしてもちろん、トルクもかなりである。
人を踏みにじっても、それが原因で止まる、なんてことはない。
「て、敵陣に突入しました!」
「はははは! いよし、いよし、いよし……それじゃあ面舵一杯! このまま敵前線を蹂躙するぞ!」
二台のライヴス、その片方に乗っているガイカクは、観測手からの報告を受けて高笑いをしていた。
案の定、である。
敵はこのライヴスにどう対応していいのかわからず、突入を許してしまった。
「う、うまくいったなあ、棟梁!」
「ここからが本番だ! わかってるな、全心臓を常に回しておけ! この車両は重いから、一度止まると再起動できないんだからな! それと……」
車内のドワーフたちに応じつつ、ガイカクは天井……否、車両の屋根へ指示を出した。
「擲弾兵部隊! わかってるな、新型と旧型の焙烙玉を投げまくれ! 在庫は気にするな、今日で使いきるんだからな!」
「は、はい! 族長!」
このライヴス、二階建て……ではない。
だが屋根の上に人の乗るスペースがあり、そしてその周囲には遮蔽物がある。
固定型の盾、と考えればあっているだろう。
そのバリケードに囲まれている獣人擲弾兵部隊は、新型と旧型の焙烙玉に火を点け始めた。
「……くくく!」
「……これを、喰らわせてやる!」
いまさらだが……手りゅう弾、手投げ爆弾にもいろいろな種類がある。
棒をつけているタイプもあるし、紐で振り回して投げるものもある。
それらに比べて、手で直接投げるタイプの手りゅう弾は、そこまでの飛距離が出せない。
だがしかし……遮蔽物に隠れて、大勢で投擲するとなれば……変に加速させると事故、自爆の元となる。
そのため、焙烙玉は普通のボール同様の投げ方になっていた。
彼女らは欲を出さず、しかし確実に、左右へ焙烙玉をえいえいと投げ始める。
「……おい、なんか投げてきたぞ!」
「ほ、焙烙玉じゃねえか! 逃げろ!」
「おい、いそげ……ぎゃああああ!」
再三いうが、爆弾は音と光、煙と破片、それらすべてが『凶器』である。
直撃を免れたとしても、有効範囲内にいなかったとしても、ダメージはある。
突撃前だったからこそ、人口密度が上がっていた。その関係もあって、十分な効果を発揮していた。
「あああ! くそ、逃げろ!」
「なんだこれ! どうなってるんだ?!」
「そんなこと知るか! 焙烙玉を投げてきていることは事実だろうが!」
こうなれば、『歴戦の勇者』も形無しである。
激戦を生き抜いたはずの猛者たちは、民間人のようにライヴスから逃げていく。
そして、それが実際有効だった。
持久走程度の速さしかないのだから、積極的にぶつからなければ轢かれることはない。
また焙烙玉もそこまで遠くに投げられないのだから、逃げればそうそう当たらない。
なにより、焙烙玉の数には限度がある。
相応の準備をしてきても、製造できる数や持ち運べる量に限りがある。
周囲にばらまきながら走っていれば、その内尽きるのは当然だった。
「族長! 焙烙玉が尽きた!」
「もう空っぽです!」
「棟梁! そろそろライヴスもヤバいぜ!」
「側面にガンガン魔術が当たってるぞ!」
「よし、撤収! 自陣に戻るぞ~~!」
ガイカクたちは、すぐに撤収を始めた。回れ右をして、二台揃って自陣に逃げていく。
最前線を荒らして帰還できるだけでも大したものだが、倒せた数は二十人にも満たないだろう。
ライヴスという画期的な兵器を用いたわりに、しょぼくさい戦果でしかなかった。
「くそ、なんだったんだ、あの車は!」
「爆弾ばらまくだけばらまいて、逃げ帰りやがった!」
「追いかけてぶっ殺してぇが、くそ、それどころじゃねえぞ!」
だがしかし、敵陣はしょぼくさい、などという評価をしなかった。
もちろん、追いかけてぶっ壊そうなどとも、思っていない。
なぜならガイカク一行が逃げた先には、こちらに向かって前進してきている軍がいたのだから。
オリオン率いる三ツ星騎士団を筆頭に、士気に乏しいながらも攻勢を仕掛ける軍。
これを迎え討たなければ、それこそ壊滅である。
「陣形を整えろ! 穴を塞げ!」
「あんなおんぼろ、放っておけ!」
「怪我人を下がらせろ!」
敵兵たちは、迅速な対応をした。
先日の戦いで勇敢に戦い生還した彼らは、少々の妨害工作で取り乱したりしない。
敵よ、来るならこい。
整然と並び直し、迎撃しようとして……。
その陣のど真ん中で、爆発が起きた。
「は!? あ、ああ!?」
並んでいるなかで、いきなり爆発が起こった。
さきほどまでのように、車から爆弾が投げ込まれてきたのではない。
自陣のなかで、唐突に、前置きなく爆発が起き始めたのである。
整然と並び、だからこそ焙烙玉の有効範囲に人が密集していた。
その状況での、さく裂であった。
「な、なんだよ、なんの手品だよ! ど、どこから焙烙玉が……! 出てきたんだよ!」
「まずい、逃げろ! いやまて、逃げるな! もう敵が目の前に……!!」
もちろん、その数もたかがしれている。
戦場全体で大爆発、なんてことはない。
この爆弾で倒れた人数も、百に達することはないだろう。
だが自分の前方、後方で唐突に爆発が起きたことで動揺した兵の数は……。
ゆうに、千を超えていた。
一万ほどの軍で、しかも前方の千人。それも敵と衝突する直前。
これはどうしようもないほど決定的な、『崩し』であった。
「無理だ……無理だ、逃げろ~~!」
先日の戦いを勝ち残った、ガゲドラの兵たち。
彼らは煙で目から涙を流し、爆音で耳を潰され、さらに破片でケガを負いながら……。
一瞬も戦わず、逃走を開始した。
「ま、待て、逃げるな、こっちに来るな!」
「うるせえ、こんなんで戦えるか!」
「せめて死ね! こっちの邪魔を……くそ、これで戦いになるか! 退くぞ!」
「ああもう……なんということだ!」
元より軍と軍の正面衝突である。
ガゲドラの兵が逃げるとすれば、味方のいる方向であろう。
それは被害を受けていない味方にとって、ものすごく邪魔であった。
まさか逃げてくる味方を殺すわけにはいかないし、それをしながら敵と戦うなどありえない。
であれば、もはや全員で逃げるしかないが……。自分たちの後方には、また別の味方がいるわけで……。
「逃がすな! 追え、追え!」
「叩いて叩いて叩き殺せ!」
「今日はどれだけ深追いをしてもいい!」
元より攻勢を仕掛けるつもりだったハルノー軍によって、多いに倒されていく。
すさまじいほどに単純で、しかし決定的な大攻勢。
それはハルノー軍の士気が低いことなど、問題にならない有利さであった。
「げひひひ! げひひひひ! 決まった、最高だ! 新型の焙烙玉は、奇麗に決まったな!」
「最初はなんの意味があるのかと思ったのですが……さすが族長、見事な狩猟です」
自分の作戦が大当たりしたことに、車内のガイカクは大喜びしていた。
それはもう、車内がうるさくなるほどである。
しかしながら、それはドワーフや獣人たちも同じであった。
もとより気性の荒い種族である、目論見通りに事が進めば大笑いをしたくなる。
「はははは! これで我ら擲弾兵部隊の名前は、大いにとどろくだろうな!」
「最高だねえ! アタシらが作ったライヴスは、軍に知れ渡るんだろうよ!」
「ああそうだ! 奇術騎士団擲弾兵部隊、および動力騎兵部隊も、俺の名前同様に売れるぞ! 国一番の医者の部下、とかじゃなくてな!」
まだ初日の戦が始まったばかりなのに、車内は戦争に勝ったかのような大騒ぎだった。
だがそれでも、一行は勝利に酔いしれていた。
「ですが、新型の爆弾を使い切ったのは、少しもったいなかった気もしますね。あれだけ有効なら、明日以降も使いたかったのですが」
「何を言ってやがるんだ、アレは『ある』と知られた時点で使い物にならねえよ。今日以降に残しても、対応されるだけだ」
さて、この度獣人の擲弾兵部隊がばらまいた新型の焙烙玉。
これがどのようなものかと言えば……ざっくりいって、不発弾に見せかけた『時限爆弾』である。
着火して数分後に燃焼を始める、奇怪な性質を持った『のんびりマキ』と呼ばれる樹木。
それを素材に使用することで、時間差での爆発を実現している。
これを一切の事前情報なく使用された敵は、『どこから投げられたのかわからない爆弾』をくらったようになる。
とはいえ、すこし時間をおいて冷静になれば『導火線を長くした焙烙玉があったのでは?』などと推測するだろう。
そうなれば『転がっている不発弾を遠くに投げる』などの対処をされうる。
「しかし……マジで上手くいったな。棟梁の言う通りにだったぜ」
「そうですね、族長の推測通り……何もなかった」
奇術騎士団と三ツ星騎士団が到着したことを、ガゲドラ軍も把握していたはずである。
にもかかわらず、ガゲドラ軍は普段通りだった。
何の備えもせず、ただ軍を配置していたのである。
「だから言っただろう、絶対に成功するってな。問題は、どこまで数を削れるかだが……」
今回は正面から追い込んでいるのだが、これはあまりいい形ではない。
どうせなら包囲、別方向からの奇襲などもしたいところだった。
「ガゲドラ軍は一目散に逃げていてもう勝ち目はない、こっちの被害はほぼないだろう。だがその分、敵も逃げ切るだろうからな……」
一方的な展開だが、殲滅ができる流れではない。
二三工夫をできていればより敵を潰せただろうが、ハルノー将軍を欠いた状況でそれは無理だった。
だからこそ、複雑な指示の必要がない作戦をせざるを得なかったのだが……。
「……今日の大勝を基準に、敵を測るなよ。明日以降は、マジで力比べになると思え」
今回の作戦が上手くいったのは、敵がまともだからこそ。
そう……ガゲドラは正しい判断をしたのだ。
※
敵将、ガゲドラ。
現在彼の軍は、大いに負けている。その責任者たる彼が何をしているのかと言えば……。
後方の陣で、大勢のオーガ女に抱かれながら眠っていた。
「ん、んむ……んん……」
彼の体には、多くの包帯が巻かれている。
それには血がにじんでおり、彼の出血が止まっていないことを示している。
だが多くの女性に囲まれていることを考えると、『必要な休憩』をしているようには見えないだろう。
だがこれは、必要なことだった。
ガイカクの部下もそうだが、オーガという種族は戦闘種族である。
一度戦闘態勢に入ると、
それはプラスにも働くが、体を休める時には邪魔になる。
その興奮を解除する手段の一つが、異性を抱くことだった。
一度戦場に立ったオーガがきちんと気を抜くには、ガス抜きが必要なのである。
そう……彼は最初から、昨日の夜の時点から、既に『今日は休む』と決めていたのだ。
昨日の攻勢でハルノーの首を取れなかった時点で、今日は休むしかないと判断していたのである。
「ん……ん……」
昨日の突撃は、エリートオーガである彼にも負担だった。
大勢の将兵に守られた陣地に突撃し、その中にいるハルノー将軍を討つ。
そんな力技を実行すれば、疲れ果てて当然だった。
仮に彼が疲労を押して今日の戦場に出ていれば、ガイカクの作戦を失敗させることはできていたが……。
その場合、エリート獣人たるオリオンに殺されていただろう。
つまり彼は、今日の戦場に出てはいけなかった。しっかり休まなければならなかった。
彼はまともだからこそ、今日の敗北を受け入れていたのである。
「んごぉ……」
ガゲドラはハルノー将軍を倒したが、引き下がった。普通ならそのまま首を切り落とし、戦場を巡ってハルノーを討ち取ったことをアピールしただろう。
そうすればそれこそ、そのまま戦争は決していたはずである。
なぜ彼は、そうしなかったのか。
できない、と判断したからである。
ガゲドラは敵陣を突破するために体力を消費し、ハルノーを倒すためにも体力を消費していた。
そしてそれでほとんどの力を使い果たしてしまい、ハルノーの首を取ろうとすれば周囲の護衛に殺されると判断した。
ここが引き際と判断し、そして撤退に成功した。
彼の判断は、どれも筋が通る、まともなものであった。
「ガゲドラ閣下……一応報告を」
人間の将校の一人が、寝ている彼に耳打ちをする。
それを聞いて、ガゲドラは片目だけを開いた。
「なんだ?」
「予想通り、敵の猛攻によってわが軍は大いに崩れました。今日のところは、大敗でしょう。とくに最前線に配置された……昨日の戦いで消耗した兵たちは、全員死ぬものと」
「そうか」
ガゲドラは、やはりという顔をしていた。
慌てて戦場に向かおうとする、なんてことはなかった。
どうせ数を削られるなら、怪我をしていて、疲れている者たちにしよう。
そんな合理的な布陣を最初からしていたのだから、作戦通りに他ならない。
「だがそれぐらいだろ? 一気に全滅まではいかないはずだ」
「ええ、ハルノー将軍は倒れたままの様子。敵の作戦も、正面からの力押しだけでした。そのため壊滅まで行くことはないかと」
「ならそれでいいだろ……んん、報告ごくろう、もう少し寝る」
残酷な判断、と言える。
だがしかし、必要な判断だった。
作劇において『引き立て役』が必須であるように、兵法においても『捨て駒』は必要なのだった。
必要な犠牲を許容する。
ガゲドラは、まったく普通の将軍であった。