だがそれはそれとして
山賊たちの捕縛は、滞りなく行われた。
皮肉というほかないのだが、アルヘナ伯爵を道連れにしようとしたことで、却って自分の首を絞めることになったのだ。
あの場にいた聴衆たち全員が証人となって、山賊全員の捕縛は『
そしてアルヘナ伯爵の黒幕疑惑と、ワサト伯爵の職務怠慢についても……一応の言い訳はついた。
まあ実際、騎士団が到着して翌日に解決したのだから、事件全体から見ればスピード解決と言えなくもない。
少なくとも実行犯は捕まったので、被害者たちはある程度留飲を下げた。
彼らからしても伯爵が黒幕かどうかはわからないので、直接の加害者が罰を受ければ満足なのだろう。
これにて、両地方において『ガイカク・ヒクメ率いる奇術騎士団』の武名はとどろくのだった。
武名か怪しいが、とどろくのだった。
※
さて、当事者三人である。
アルヘナ伯爵、ワサト伯爵、そしてガイカク団長は、そろって個室に集まっていた。
そこには一つの酒樽が置かれているが、これから祝杯を挙げるという雰囲気ではない。
どこか堅く、ぎこちないものだった。
「まず、そのなんだ……うむ、ワサト伯爵、済まなかった。貴殿に頭を下げて済む問題ではないとわかっているが、その上で貴殿にしっかり頭を下げたい」
アルヘナ伯爵は、自分が彼へ頭を下げることの無意味さを悟りつつ、しかしガイカクの前で謝っていた。
「私は貴殿を下に見ていた。私は師匠であり、貴殿は弟子。だからこそずっと勝ち続ける、少なくとも酒の道においては……などと見下していた。その結果、負けた。いや、負けたことは結果ではない。負けたことを屈辱に感じた私は、結果として陰湿な嫌がらせ、犯罪行為に走った」
アルヘナ伯爵は、素直に自供した。
本当に自供するべき相手ではないとわかりつつ、しかし『負けを認めたくない相手』へ認めていた。
「先ほど衆目の前で『子供じみた理由』と言ったが、まったくその通りだった。それの被害者である領民の前で、よく言えたものだ……本当に恥ずかしい男だ」
「……それは、私にも言えます」
ワサト伯爵は、やはりそれを受け入れかねた。
彼自身もまた、己の怠慢を認めていた。
「私は、格好をつけたがった。貴方の嫌がらせに対して、『大人の対応』をしようとした。しかしそれは、お高くとまった大人の対応だ。領民が泣いているのであれば、強く抗議するなり、厳しく取り締まるなりできたはず。それを怠ったのですから、貴殿からの謝罪を受けることはできない」
自分が最善を尽くしていれば、こうはならなかった。
少なくとも、領民に対して明らかな嘘を言うことはなかった。
山賊本人にすべての罪を押し付けたが、自分に罪がないわけではない。
「……ガイカク卿、改めてお詫びさせてほしい。この度は我らの体面を保ちつつ、事件の解決をしてくださった」
「このように下らぬ事件で、お忙しい貴殿を煩わせたこと……深くお詫びいたす」
「げひひひひ! 何をおっしゃいますやら! 楽に手柄をいただけて、私は満足ですとも!」
ガイカクだけは、怪しげに笑う。
その道化めいた小芝居に、二人は呆れることがない。
この場の二人を仲裁すれば済む話ではあったが、それが難しいと当事者だからこそわかるのだ。
それをあっさりなした彼は、やはりただものではない。
「それにまあ、アルヘナ伯爵のうろたえ振りが見れました。アレは眼福でございましたなあ!」
「む……そうだな、あれも見苦しかった」
「いえ、私がその場にいても同じようにうろたえたでしょう」
ワサト伯爵は、ちらりと、酒樽を見た。
アルヘナ伯爵が『本物のキャララ』だと言い切る酒の詰まった、一個の酒樽。
これが『発見』されただけでも大騒ぎだが、同じ量のキャララが何も知らぬ客にふるまわれたのは大騒ぎどころではない。
「幻の銘酒、キャララ。それを何も知らぬ客が飲んでいく姿を見れば、とりみださざるをえない。それに……ガイカク卿は、惜しくなかったのですか? せっかくの銘酒を、普通の土産だと思われたのは」
「ゲゲゲゲゲ! ワサト伯爵、滑稽なことをおっしゃいますなあ!」
演出の為とはいえ、もったいないことをしたのではないか。
そう惜しむワサト伯爵を、ガイカクは笑った。
「ぶっちゃけた話、私が自分で楽しむためだけに作った酒。職人が作った『本物のキャララ』には、二枚も三枚も劣りましょう。それを伝説の銘酒と言い張るのは、さすがに赤面いたします」
「……そうだな、それは私や部下も思っていた。というよりも、だからこそ私以外の誰も気付かなかったのだろう。もしも伝説通りの味ならば、それこそ『まさかキャララでは?』と思い至る客もいたはずだ」
舌の肥えた客だからこそ、素人が作った酒だなあ、とは見抜けていた。
だからこそキャララですよと言っても『ご冗談を、素人が作った酒でしょう?』という感じで信じなかったはずだ。
本物を飲んだことがあるアルヘナ伯爵だからこそ、『あれ、キャララに似てるな。いや、キャララだぞ!! 素人がキャララの木の樽で作った酒だ!』と思い至ったのだろう。
「それに……生産した私としましては、伝説の木を使った酒です、と言って構えられるよりも……ああして皆で『美味しいね』と笑いあっていただけた方が嬉しゅうございます」
ガイカクの、素朴な喜び。
道化めいた振る舞いが無いからこそ、真実だとわかる。
その『上品』さに、ワサト伯爵もアルヘナ伯爵も、思わず咳払いをした。
「で、では……このキャララは、さらに数枚旨くなると?」
「でしょうなあ。素人が飲み比べてわかるかどうか、という差ですが……玄人には大きい差でしょう」
「なんとも、ロマンのある話だ……いえ、もちろん、騎士団長殿がおつくりになったキャララも、楽しみたいところです」
絶滅していたと思われていた木が、実は残っていた。
それを使えば、伝説の酒が再現できる。
なんともロマンのある話であり……それをひそかに楽しむ趣味人がいるというのも、ロマンに満ちている。
と、そこまで考えたところで、両伯爵は互いの顔を見た。
ある一つの、期待できる可能性に至ったのである。
「ガイカク卿! もしや貴殿は、残る二つの希酒、ナマカキとダイアーサーも……!」
「ガイカク卿! 新設されたばかりの騎士団は、パトロンをお求めでは? 私とアルヘナ伯爵が……」
この男と関係を続ければ、もっとロマンが味わえるのではないか。
そう期待する二人は、目を輝かせて……。
「お二人とも」
ガイカクの強い言葉に、黙った。
「この度は私の任務にご協力くださり、まことありがとうございました。今回私が知ったこと、お二人が語ったことは、決して口外いたしませぬ。それこそ、ティストリア様にも、です」
ガイカクはやんわりと、しかし口を挟ませない口調をしていた。
「ですが、ご用心を。私はティストリア様の忠実なる下僕、その命令に背くことはありませぬ」
つまりは、軽蔑と拒絶だった。
「次にこの領地で問題が起きたとしても、私どもが派遣されるとは限りませぬ。またティストリア様からお二人を討てと命じられれば、迷わず実行いたします」
約束通り、樽は渡す。
だがそこから先、何も期待するなと警告していた。
「ご用心、ご用心。酒で身を滅ぼすなど、紳士にあるまじきこと。ましてお二人は領主様なのですから……その進退が、領民にも関わることを、お忘れなきよう……」
彼は伝説の酒を置いて、個室を出ていった。
「ご用心、ご用心……ゲヒヒヒヒ!」
彼は警告と呪いをかけて、去っていく。
残された二人の『酒好き』は、冷や水を浴びた顔になっていた。
「……思った以上に、立派な騎士団長であったな」
「ええ、おっしゃる通りです」
今回は見逃してやるが、別にお前たちの味方じゃねえよ。
その方が早く解決できるから仲裁してやっただけだ、勘違いするな。
お前らみたいな馬鹿と付き合ってたら、こっちまで破滅するぜ。
彼の振る舞いからそれを読み取れないほど、二人は愚かではなかった。
そして、言い返せないだけの、自覚もあった。
「……私はキャララの匂いを嗅いだ時、亡き父の顔が浮かんだ。驚きはしたが、とても幸せな記憶だった」
アルヘナ伯爵は、病にかかったような顔をしている。
「だが今後は、この酒の匂いを嗅ぐたびに、彼のことを思い出しそうだ」
「私もです……反省したつもりでしたが、まったく懲りていなかった。自分が嫌になりますよ」
この酒に罪はなく、その樽の木にも罪はなく、ガイカクにもほとんど罪はない。
罪があるのは、この二人。だからこそこの二人にとって、キャララの香りは罪悪を思い出させるものになった。そのように、記憶が紐づけられた。
「アルヘナ伯爵。もはや我らに、この酒を飲む資格はありますまい。飲んだところで、楽しむことなどかないませぬ」
「そうだな、子供や妻にでもふるまうとしよう……そして、領民への補償を済ませなければな」
「十分に行き届かせなければなりませんね……私たちが傷つけてしまったのですから」
美しいことを言っているようで、二人はただ重苦しい顔をしている。
この酒に比べて、なんと自分たちの醜いことか。
ただ恥じるばかりである。
※
今回作戦に参加した獣人、ダークエルフ、人間の歩兵を連れて、ガイカクはさっさと騎士団本部へと帰り始めた。
それだけ彼も、今回のことが好ましくないということだろう。
「くだらねえ」
本当にまったく、くだらないことだった。
何が下らないのかと言えば、他の酒についても聞いてきたことだ。
どうせなら今後は断酒します、ぐらい言って欲しいものである。
「あの、騎士団長……三大希酒って、あと二つは何ですか?」
「……」
そう思っていたら、人間歩兵から質問が出た。
彼女たちが聞く分には、まあ構わないだろう。
ガイカクは特に咎めることもなく、説明を始めた。
「今回のキャララと合わせて、ナマカキとダイアーサーがある。もちろん残る二つも、製造が禁止された酒だ」
「美味しいんですか?」
「ああ、かなり美味い」
仮に法律で製造が禁止されたとしても、あんまり美味しくなかったら、三大だのなんだのと記憶に残るまい。
けっこう美味しい上で惜しまれつつ消えたからこそ、三大希酒と数えられているのだ。
「ナマカキが禁止されたのは、保存が難しいからだ。ちょっとの距離を輸送するだけでダメになって、飲んだら食中毒を起こしてしまう」
「酒なのに?!」
「度数も低いからな……まあそういう理由で、最初は輸送が禁止、その場で飲むことだけが許された、まあ……そんな銘酒を飲みたがる奴なんて、みんな酒好きだ。こっそり持ち帰る奴が続出して、結局製造が禁止されレシピも消えた。酒好きのせいで消えた、悲しい酒さ」
保管や輸送が難しい食品は、かなりの数がある。それこそ、大抵の食品はそうだろう。
それでも禁止される例は少ないが……よほど人気があれば、逆に禁止にせざるを得ないのだろう。
「最後の一つ、ダイアーサー。これは他の二つとは、事情がちょっとだけ違う。酒そのものの製造は禁止されていなかった」
「じゃあなんで?」
「原材料の一つが、危険薬物の原料になるとわかったからだ。その危険薬物を撲滅するために国が動いて、原料の一つが使えなくなって……結果としてその酒も消えた」
「……つまり、騎士団長みたいな人のせいだと」
「まあな!!」
ガイカクは違法魔導士であり、違法薬物とも縁が深い。
何なら自分で生産して、自分で消費している。
「一応言っておくと、残る二つも俺は作れるぞ。ナマカキは冷暗所がないと製造できないが、ダイアーサーならもう作ってある。原材料も自家生産だ、薬の製造目的でつくってるのの余りだがな」
「……なんでキャララにしたのか、わかる気がします」
「だろ?」
極論、キャララは『自分の庭の木で酒樽つくりました』で済む。誰も不幸にしていないので、違法行為であっても訴えられることはない。
他人から盗んできたわけでもないので、真面目に裁こうという者はいないだろう。
だが食中毒を起こしやすいナマカキや、違法薬物になる原材料の混じったダイアーサーは、バレるといろいろまずそうだった。
「ちなみに……三大希酒はどれも珍しくておいしいが、目玉が飛び出るほどでもない。それに、人間以外にはそんなに人気もない」
「あ、そうなんですか?」
「種族によっては、アルコール耐性自体ないからな。薄めたり蒸留してやったりしないと、不味いと怒り出す始末だ。それでも値段だけは目玉が飛び出るんだ、受けるだろ」
値段のことを聞いた人間歩兵は、ちょろっと下品な顔をした。
「あの、騎士団長。もしかしてそのお酒を私たちにふるまってくれたり……」
「別にいいぞ?」
「やった! で、それを売れば、私たちの借金もチャラに……」
「銘柄とかがなかったら、悪い意味で値段がつかねえぞ」
「そ、そうですね……」
「それに、その場合は俺の物を売ったってことだが……覚悟はあるんだろうな?」
奴隷に支給された物は、主人の所有物のままだ。
それを売るのは、普通に犯罪、横領であろう。
「……お酒は自分で飲んで、それを糧に頑張ります」
「おう、その意気だ。賢い奴は好きだぞ」
二人の伯爵に言ったことは、嘘ではない。
自分の作った酒について、詳しく知ってほしくない。
ただ美味しいと褒めてくれば満足であり……他のことは、むしろ邪魔だった。
「さあて……ティストリア様に報告しますかねえ」
天才違法魔導士、ガイカク・ヒクメ。
彼は騎士団長としての初任務を、危なげなく終わらせて、凱旋しようとしていた。