第84話 苦めの接吻
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一方、ヴォルフたちはまだ源泉に辿り着けていなかった。
洞窟の内部が入り組み、迷路のようになっている。
あちこち穴だらけで、どこが源泉に続いているかわからなくなっていた。
だが、ヴォルフたちは迷っていたわけではない。
レミニアによって強化された感覚は、常にアローラたちの居場所を捉えていた。
薄暗い地底にいる間も、ヴォルフにははっきりと北と南が見えている。
さらに感覚を研ぎ澄ませば、反響した音から先にある空洞の大きさや、何があるかわかっていた。
おそらくヴォルフが洞窟で迷わないように、娘が強化したのだろう。
相変わらずの至れり尽くせり。
娘には頭が上がらなかった。
「ご主人、道を外れてどうしようってんだ?」
主人が道を外れ、進んでいることはミケもわかっているらしい。
耳と鼻でアローラの位置を掴んでいた。
彼女たちも気になるが、確かめたいことがある。
反響した音の具合から、妙なフロアがあることに、ヴォルフは気づいたのだ。
やがて、その場所に辿り着く。
ヴォルフは眼帯を持ち上げる。
にわかに信じがたい光景を見て、息を呑むのだった。
◇◇◇◇◇
「ベぇぇぇぇぇトぉぉぉぉおおおお!!」
アローラの絶叫が響き渡る。
「ベート」と呼んでほしい。
彼女はそう願い、アローラもまた「アローラ」と呼んでほしいと応えた。
短い間だったが、頼りになる人物だった。
自分に姉がいたら、と思いつつ、ベードキアを重ねたことすらあった。
その彼女はいない。
跡形すら残っていなかった。
血の1滴すら、熱で蒸発していく。
アローラは崩れ落ちる。
心痛が、彼女に残っていた気力を根こそぎ奪った。
慌ててリックが支える。
もう彼女に余力はない。
胸を押さえ、苦しそうにしていた。
言うまでもない。
状況は最悪だ。
頼みのベードキアは死んだ。
アローラも危険な状態だ。
【炎嵐王】から上司を守り、脱出するのはほぼ不可能。
唯一の方法は、リックが目の前の炎の王を倒すしかない。
勝ち目は薄い。
が、勝算がないわけではない。
この方法なら、少なくともアローラだけは救うことが出来るかもしれない。
「リック……」
なけなしの気力を振り絞り、アローラは口を開く。
もう喋ることすら辛いのだろう。
舌も火傷を負い、身もボロボロだ。
加えて、仲間の死……。
目の前に見えるのは、ただただ地獄だった。
やがてアローラは手を掲げる。
「先ほど、あなたが預かった【氷卵石】……。私にいただけませんか?」
「――――ッ! アローラ様!」
「私が【氷卵石】を使い、あの魔獣を封じます。だから――」
「ダメです!!」
リックは怒鳴った。
ここまで彼女に対し、声を荒らげたのは初めてだった。
「リック……!」
「この【氷卵石】はわたくしが使います」
「ダメです、そんな!」
「わたくしに! 俺に――あなたを守らせて下さい!!」
リックはアローラを抱きしめていた。
細い身体だ。
この娘に、その心に、リックは1度、命を救われた。
仲間の死に絶望していた自分に、生きる気力を与えてくれた。
その大恩ある人間の命を救う。
【盾騎士】として、これほどの誉れはない。
「あなたは覚えていらっしゃらないかもしれない。けれど、俺ははっきりと覚えています。あなたの言葉を……。俺が生き残ってくれて嬉しい、と。仲間はきっと喜んでくれている、と。……今ならわかります。俺もあなたをお救いできるならば――」
これほど嬉しいことはない……。
リックは薬屋からもらった薬の最後の1瓶を空ける。
自分の口元に含ませると、そのままアローラに口移しした。
強力な回復薬は、消えかけていた彼女の体力をわずかばかり回復させる。
唇を重ねる。
苦い接吻だった。
けれど、悔いなどない。
やがて立ち上がり、背を向けた
ラムニラ教の象徴が描かれた盾が、アローラの視界を覆う。
もはやリックの顔は見えず、泣いているのか怒っているのかすらわからなかった。
ただ一言……。
「お元気で……。アローラ様」
「リック!!」
アローラは立ち上がろうとする。
が、うまく立てない。
下半身を見ると、尾ひれが出ていた。
体力がなくなったことによって、【人化】を維持することすら難しくなっていた。
その間も、騎士の姿は離れていく。
聞こえてきたのは裂帛の気合いだった。
「うおおおおおおおおおおおお!!!!」
己を奮い立たせ、そして大盾を展開した。
そのまま【盾騎士】は、【炎嵐王】に突入していく。
まるでリックの気勢に呼応するように、魔獣も雄叫びを上げた。
【大盾突撃】!!
大盾を使った攻撃スキル。
展開することによって、自重の10~100倍以上の物体を跳ね飛ばすことが出来る。
リックは【炎嵐王】に突撃した。
ぶつかるとそのまま押し込む。
行く先は見えている。
源泉だ。
【炎嵐王】を源泉に突き落とし、その上で【氷卵石】を使う。
同時に封じることが出来れば、アローラの生存率が格段に上がる。
それに自分が生き残るという一縷の望みもあるのだ。
生きる!
今度こそ仲間とともに。
アローラとともに脱出する、と。
強き思いが、【炎嵐王】を源泉にまで押し込んだ。
(いまだ!!)
リックは【氷卵石】に魔力を注入する。
彼のような騎士でも少しの魔力があれば、反応するとベードキアはいった。
その説明を信じる。
果たして、宝石は起動した。
そのまま【炎嵐王】に腕ごと叩き込む。
瞬間、氷が弾けた。
【炎嵐王】と源泉。
そしてリックを同時に凍らせる。
間に合わなかった。
氷の伝播速度があまりに速かったのだ。
炎とマグマが渦巻く炎熱地帯。
そこに浮かんだ氷の華を見ながら、アローラは言葉を失っていた。
急に辺りの熱が下がっていく。
身体に対する負担が軽くなっていく一方、人魚族の騎士は1歩も動けないでいた。
大きく開いた金色の瞳には、氷の彫像となった【盾騎士】が映っている。
走馬燈のように彼との旅のことを思い出す。
今さらだと思っても、涙が溢れて止まらなかった。
「なかなか良い華が咲きましたね」
うっとりするような声が背後から聞こえた。
振り返った瞬間、アローラの涙が止まる。
立っていたのはベードキアだった。
その顔には薄く笑みが貼り付いている。
「ごきげんよう、アローラ。ああ、でもないかしら。人魚族のあなたにとっては、この環境は拷問ですものね。でも、少しは涼しくなったでしょう」
すると、自分の前に出る。
氷の彫像となったリックに触れた。
「ずっと見ていたけど……。なかなかの主従愛だったわ。良かったわね、リックくん。最後は想いを伝えることができて」
「想い……?」
「あらあら。気づいてなかったのかしら。本当に鈍いわね、ラムニラ教の宣教師様は……。リックくんは、あなたのことが好きだったの。愛していたのよ」
「愛し……。そんな――」
「あーあ。何にも伝わっていなかったのね。これではリックくんも浮かばれない」
「そ、それよりもベート……。生きていたんですね」
「ええ……。生きていましたよ。当たり前じゃないですか」
自分が作成した【炎嵐王】に、殺されるわけないでしょ。
意味がわからなかった。
それでもアローラの胸に衝撃が落ちる。
「つまりね、宣教師様。あなたたちは最初から騙されていたんですよ」
炎獣も。
源泉も。
そして【炎嵐王】も。
作ったのはベードキア。
【闇森の魔女】がすべて仕組んだ罠だった。
「どうして、そんなことを――」
「簡単ですよ。魔獣を生むためには、人間の素体が必要だったのです」
だから、ベードキアは罠を張った。
ここに源泉を張り、街の近くに炎獣を解き放つことによって、ギルドが動く。
依頼された冒険者を捕らえ、魔獣の素体に使っていたのだ。
「こんな風にね」
リックの氷像をこんこんとノックする。
醜悪な笑みを浮かべた。
もうそこに姉と慕ったベードキアはいない。
ただの魔女が氷の華をバックに立っていた。
「どうしてこんなことを……?」
「さっき答えたでしょう。ああ……でも、理由ですか。簡単です」
退屈だったからですよ……。
「あたしはね、アローラ。とても魔導の研究が好きなの。時間はいくらでもあったわ。だって、あたしはエルフだもの。だから、色んな実験をして、そして飽きてしまったの」
そんな時に見つけたのが、ベードキアが差し出したものだった。
星も月もない空を閉じ込めたような黒い宝石。
アローラにはピンとこなかったが、ヴォルフが見れば気づいただろう。
【愚者の石】。
かつてマノルフが使ったものと一緒のものだった。
【愚者の石】の発見とともに、ベードキアの研究は魔導から魔獣へと代わり、そして人間へと変遷していった。
「楽しかったわ……。平凡な人間が、どんどん強い魔獣になっていくのよ。悲しまないで、アローラ。あなたのリックも、もっと従順で、強い騎士にして上げるから」
「ふざけないで下さい!!」
アローラは叫んだ。
顎を上げ、息を荒く吐き出す。
その表情は怒気にまみれていた。
黄金の瞳は、惑乱の魔女を射貫く。
目一杯の怒りを、人魚族の少女はぶつけた。
しかし、返ってきたのは哄笑だった。
「あははははははは! そう――その顔よ。たまらない。そそるわ」
顔を上気させ、ベードキアは荒く息を吐く。
蛇のように唇を曲げ、絶頂時の娼婦のように身体を反った。
常軌を逸していた
度重なる人間を使った実験。
まともな精神は崩壊し、すでにその目的は死にゆく人間の絶望と、憤怒へと代わっていた。
もはや魔獣の創造は、自分が楽しむための手段でしかないのだ。
「はあはあはあはあ……。ああ……早くその可愛いお顔をあたしの好みの色に染めてあげたい。あなたが忌避する魔獣との婚姻。その時、あなたはどんな顔をするのかしら」
いえ――。
「リックくんが見たらどう思うかしらねぇ」
どこまでもゲスだった。
べろりと舌を垂らし、脳裏にひたすら歪んだ妄想を展開した。
開いた股からは露を垂らし、何度も唾を飲み込んでいる。
あられもない姿をさらし、ベードキアは再びアローラに近づいて来た。
「さて……。とりあえず、アローラには眠っててもらおうかしら」
「こ、来ないで下さい!」
「よく考えたら、人魚族を捕まえるのなんて初めてだわ。……もったいないから、標本にして飾っておこうかしら。それとも……。海の魔獣とまぐわせるなんていいかもしれないわね」
下品な笑いを浮かべる。
アローラは立ち上がろうとするも、いまだ半身は魚人化していた。
身体の組織を変えて、【人化】するもいまだ体力は元に戻らず、うまくいかない。
ついには俯せになり、這うように進み始めた。
「なかなか微笑ましい姿ですね。でも、諦めなさい」
呪文を唱える。
掲げた手からは氷の結晶が集まり始めていた。
「さあ、どんなに美しい彫像になるんでしょうか」
氷の塊を放つ。
アローラは眼をつむった。
シャンッッ!!
次の瞬間、氷塊は真っ二つに切り裂かれていた。
アローラは瞼を持ち上げる。
大きな――壁といっても差し支えない背中があった。
「まだお邪魔虫がいたんですか? あたしの楽しみを邪魔しないでもらえます?」
ベードキアは合図する。
すると、マグマから【炎嵐王】が現れた。
現れた謎の人物を睨めつけると、ゆっくりとした動作で迫る。
岩塊を振り上げると、男の脳天に叩きつけた。
轟音が鳴り響く。
ベードキアは笑う。
潰れた――そう確信したのだ。
次の瞬間、信心はあっさりと裏切られる。
「ここだ」
その人物の姿は、【炎嵐王】の側にあった。
ローブの内側から剣を抜き放つ。
光が閃いた瞬間、すでに終わっていた。
【炎嵐王】の胴を断たれていたのだ。
さらに風圧と剣圧が、魔獣が纏った炎の一切を消し飛ばす。
衣をはぎ取られ、胴を断たれた炎の王に延命の機会などない。
そのままマグマの海に沈んでいく。
弾けた火の粉が謎の人物のローブに燃え移る。
たちまち燃え広がり、すぐさま破棄したが、かけていた眼帯にも飛び火した。
現れた男の顔に、一同は息を呑む。
男はアローラに振り返る。口を開いた。
「待たせたな」
ヴォルフ・ミッドレス……。
幾多の魔獣を斬り伏せてきた【剣狼】が到着した。
色々な意味で熱い!