第九十五夜 おっちゃんと魔法の絨毯
おっちゃんが目を覚ました時は、ベッドの上だった。おっちゃんのいる部屋は二十畳の寝室だった。
ベッドには天蓋が付いていた。マットもふかふかだった。床に煌びやかな絨毯が敷かれ、壁には意匠を凝らした絵が描いてあった。
ベッドの傍にはサイドテーブルがあった。テーブルの上に、綺麗にカットされた柑橘類が置いてあった。柑橘類の横には干菓子と水差しもあった。
体を見る。青いガラベーヤを着ていた。砂の上に着地して倒れたが、体に砂は着いていない。誰かが、おっちゃんを洗ったようだった。
「ここ、どこや」と思っていると、グラニが部屋の隅のソファーで寝ていた。
「バサラカンドでないようやな」
おっちゃんは水差しから水をカップに注いだ。水差しには氷が入っている音がした。
水はとても冷えていた。果物を手に取って口にする。ほどよい甘みと酸味を感じた。
「これ美味いな。でも、買ったら高いんやろうな」
果物を全て食べ終わる。部屋の隅で人が動く気配がしたので視線を向けた。
グラニが目を覚まして寄ってきた。
「グラニはん、果物を全部、食べてしまったけど、よかった?」
「俺の分なら気にしなくていい。俺はすでに充分に頂いた」
「ここ、どこなん、グラニはんの村でもないようだし」
「ここは『黄金の宮殿』の中だ。おっちゃんが倒れたあと、大砂竜の調教師がすぐにやって来た。事情を話すと『黄金の宮殿』に運んでくれた。ペットの大砂竜が戻って、えらく喜んだ『アイゼン』陛下のご厚意で部屋を貸してもらっている」
「そうか。全て上手くいったんやな」
ヘアのドアをノックする音がした。
赤いガラベーヤにヴェールをつけた女性の蠍人の使用人が入ってくる。
「お目覚めのようですね。『アイゼン』陛下がおっちゃん様を朝食会にお呼びです。参加されますか」
「ちょうどお腹が空いていたところや、お招きに与りますわ」
女性の蠍人が手を前に翳して呪文を唱えると、マジック・ポータルが出現した。
おっちゃんとグラニは、マジック・ポータルを潜った。一辺が百mはある大きな大理石の広間に出た。
天井は高く二十mはある。広間の端には噴水があり、水が清らなか音を立てていた。
左右の壁際には二十人の様々な亜人型モンスターの護衛と二十人の使用人が控えていた。
広間の正面には赤い真っ赤な大きなソファーがあり、身長三mの大男が控えていた。大男は白のガラベーヤを着ており、白いクーフィーヤと呼ばれる帽子を被り、黒い紐状のガカールを身に着けていた。
大男の体はがっしりしており、燃えるような真っ赤な肌をしていた。顔は精悍な四十代の男性で、短い顎鬚を生やしていた。額に一本の捩れた角のある顔をしていた。大男は人間ではなく、炎と水を操る悪魔型モンスターのカブラデルだった。
(これは普通のカブラデルやないな。能力に秀でた特異固体や)
蠍人の女性の使用人が紹介する。
「こちらは、この『黄金の宮殿』の主である『アイゼン』様です」
おっちゃんは挨拶した。
「今日は朝食会にお招き、ありがとうございます。『シェイプ・シフター』の、おっちゃんいう小さな存在です」
グラニも恐縮して挨拶する。
「サドン村で商人を営む蠍人のグラニです。今日は朝食会へのお招き、ありがとうございました」
『無能王アイゼン』は実に楽しそうな顔で挨拶してきた。
「二人とも、そう、畏まらんでいい。これはワシのペットの大砂竜のくーちゃんを結界内に追い込んでもらったささやかな礼だ、楽しんでいきなさい」
おっちゃんとグラニのために、『無能王アイゼン』の正面に赤いソファーが用意された。
ソファーに座った。おっちゃんの右手には、まだ空いている席があった。
マジック・ポータルが現れた。中から真っ黒なローブを着た細身の男性が現れた。
男性の顔の上半分に、三つの目がある緑色の髑髏の仮面をしていた。
『無能王アイゼン』が、おっちゃんとグラニに謎の人物を紹介する。
「こちらは、今日の朝食会のもう一人のお客だ。『ガルダマル教団』の最高指導者である、アフメト老師だ」
「初めまして、アフメトです」とアフメトが挨拶をする。
(なんや、老師と呼ばれているけど、声は若いな。声だけ若いかもしれんが。だが、立ち姿が堂に入っている。背筋に芯があるいうかな、かなりの実力者やね)
朝食が運ばれてきた。給仕の蠍人が台の着いた大きな銀の皿を持ってきた。
皿の上には十種類の果物が載っていた。果物はどれも新鮮で瑞々しかった。
先ほどの皿より小さいもう一つの銀の皿が運ばれてきた。小さい銀の皿に薄いピタパンとヨーグルトとクリームチーズが載っていた。
おっちゃんにのみ長方形の銀の皿があって、ケバブが載っていた。
皿が並ぶと、『無能王アイゼン』が手を付けたので、朝食会がスタートする。
(『アイゼン』はん、アフメトはん、グラニは肉を喰わんのか。パンにも、あまり手を付けんようやし、三人はベジタリアンか。ちと意外やな)
おっちゃんは朝食会を盛り上げるために話し出す。
「おっちゃん、実は冒険者に紛れて生活していますねん。もちろん、ダンジョンには行かん冒険者です。それで、こんなことがあったんですわ」
おっちゃんは『ドラゴン・トーチ』を灯すために『暴君テンペスト』と対峙した話をする。反応は良かった。
(冒険の話は、受けるな。もう一つしたろ)
続けて、『ランサン渓谷』を塞いだ『アイス・ロック・マウンテン・ジャイアント』のアンディから、シバルツカンドの街を救った話をした。
『無能王アイゼン』とアフメトの反応は良かった。『無能王アイゼン』は終始ずっと笑顔でおっちゃんの話を聞いていた。
料理に手が出なくなり、朝食会が終わりに近づいた。
『無能王アイゼン』が実に喜んだ顔で話した。
「おっちゃんよ、中々面白経験をしているな。面白い話は好きだ。また、食事会に来て、面白い話を聞かせてくれ。歓迎するぞ」
「身に余る光栄です」
『無能王アイゼン』が機嫌の良い表情で訊いてきた。
「さて、くーちゃんを結界内に追い込んでくれた褒美を取らせるとしよう。何が良い。欲しい物を言ってみろ」
グラニが恐縮した顔でおずおずと申し出る。
「私は商人ゆえ取引がしとうございます。なにとぞ、この『黄金の宮殿』への出入りを認めていただけないでしょうか」
『無能王アイゼン』が豪快に笑って許可する。
「そんなことでいいのか。許すぞ。あとで、当家の取引所に移動できる腕輪を進呈しよう。用があるときは、マジック・ポータルを開いて、いつでも来い。家の者が相手をするであろう」
『無能王アイゼン』が、おっちゃんのほうを向いた。おっちゃんは答える。
「おっちゃんは、水がええ。なんぞ、水が湧き出すようなマジック・アイテムがあったら、いただけませんか」
『無能王アイゼン』が、きょとんした顔で応じる。
「水? そんなものでいいのか。変わった願いだが、聞いてやろう」
「おい、あれを」と『無能王アイゼン』が蠍人の使用人に指示する。
蠍人の使用人の一人が何もない空間から三畳敷きの絨毯を取り出した。
絨毯の中央には大きな四角い銀の水瓶が描かれていた。
蠍人の使用人が絨毯を『無能王アイゼン』の前に置いた。
『無能王アイゼン』が「とくと湧け」と命じる。
絨毯から千ℓは水が入りそうな丈夫な四角い銀の水瓶が浮き出てきた。
使用人が杯で水瓶から水を汲み、杯をおっちゃんの前に置いた。
水を飲むと美味しい水だった。
『無能王アイゼン』が「とくと戻れ」と命じると、銀の水瓶は絨毯の中に戻った。
アイゼンが、おっちゃんのほうを向いた。
「この水瓶が出る魔法絨毯を褒美として与える。水瓶の容量は千ℓある。汲みつくしても、また明日には満たされる優れものだ」
「ありがとうございます」と、おっちゃんは頭を下げた。
おっちゃんとグラニは、蠍人の使用人の魔法でサドン村の外まで送ってもらった。
グラニが自然な態度で誘う。
「おっちゃん、村に寄っていくか」
「ええの、入って」
グラニが感謝の篭った顔で言葉を続けた。
「『黄金の宮殿』に出入りできれば村は潤う。これも、おっちゃんのおかげだ。蠍人は恩を忘れない」
「そうか、ありがとうな。でも、また今度ここに来た時に、寄らせてもらうわ」
「そうか。では、またな」
おっちゃんは着替えてグラニと別れると、バサラカンドに戻った。