第九十四夜 おっちゃんと大砂竜
大砂竜を結界内に追い込む準備が始まった。おっちゃんは冒険者ギルドで採取依頼を出してマンドラスの捕獲を依頼する。
マンドラスが集まると、おっちゃんは蠍人の薬師に大量の強壮剤を作らせた。強壮剤はおっちゃん用とイブリル用だった。
おっちゃんが強壮剤の準備をしている間に、グラニが大砂竜の位置とイブリルの縄張りの範囲を調べた。追い込めばよい結界のまでの距離も計算した。
グラニは、麝香鳥に変身したおっちゃんの体につける特殊な鞍と手綱を用意させた。
五日後、大砂竜を誘導する釣りの日が来た。時刻はイブリルと大砂竜の活動が盛んになる深夜。
おっちゃんとグラニは『シャナ砂漠』の真ん中にいた。
グラニは特殊なポケットのいっぱいある服を着ていた。ポケットの中には強壮剤が入った竹筒が納められていた。グラニは肩から水筒を提げ、手には松明を持っていた。
おっちゃんは裸になり、色鮮やかな大柄な麝香鳥に変身した。
グラニが、おっちゃんに鞍と手綱を着けた。
「ほな、行くで」おっちゃんはグラニを背に乗せて飛んだ。大変だったが飛べた。
グラニの誘導に従い、イブリルの縄張りに向かった。イブリルの縄張りに到達し、地上十mの低空で上空を旋回した。
「やるぞ」とグラニが威勢よく声を発する。
「おう、いつでもええで、どんと来いや」
水筒から水が滴り落ちる音がし、二分ほどで砂が派手に舞いあがった。
「おっちゃん、イブリルが釣れたぞ」
グラニが松明を激しく振る音がした。手綱が引かれた。
「大砂竜釣りの開幕や」
おっちゃんは飛行を開始した。
背後でイブリルが砂の上を滑ってくる音がした。
「おっちゃん、もっとスピードを出してくれ。イブリルに追いつかれるぞ」
「わかった、速くやな。しっかり掴まっててや」
頑張って速度を上げると、グラニの指示が変わった。
「速すぎる。イブリルを引き離すぞ。もう少し、ゆっくりだ。イブリルが付かず離れず追ってこられる距離をキープするんだ」
「おっちゃんは後ろ見えんよ。手綱で調整して」
グラニがさらに注文を出した。
「もう少し低く飛んでくれ。イブリルが飛びつけるよう高さでないと、追ってこない」
グラニが乗った状態で飛びつかれたら終わりだ。
だが、狙えない高さに獲物がいるなら、イブリルは追うのを諦める。
「難解な注文やな。でも、応えたる」
おっちゃんは危険を承知で低く飛んだ。しばらく飛ぶと、グラニが叫ぶ。
「そら、イブリル、強壮剤をくれてやる。しっかり従いて来いよ」
興奮して追ってくるイブリルが疲れを感じずに追ってこられるようにするための措置だった。
飛んでいるおっちゃんも、疲れてきた。
「あかん、グラニはん。おっちゃんにも強壮剤ちょうだい。疲れてきた」
「この薬は体に悪いぞ」
「悪くてもええ。元気になったイブリルに追いつかれたら、終わりや」
グラニが手綱を引いた。開いたおっちゃんの口に強壮剤を入れた。
口の中に苦味と甘みとアルコールの風味が流れ込んだ。体の奥から力が湧いてくる気がした。
「よし、おっちゃんも元気になった。まだまだ、飛べるで」
イブリルとの追いかけっこは続く。背後でイブリルが地面を蹴る音がした。手綱が背中を叩く。おっちゃんは急加速する。方向がぶれると、グラニが手綱で教えてくれる。
(これ、一人では、イブリルを誘導する行為は無理やったな)
麝香鳥を操った経験のないグラニだと思うが、手綱捌きは優秀だった。騎手が有能だと乗せているおっちゃんの負担が減った。なにより、後ろを一々確認しなくていいので助かる。
おっちゃんが二回目の強壮剤を貰った頃に、グラニが叫んだ。
「来た、大砂竜が釣れた。このまま、結界内に逃げ込めば、作戦成功だ」
「よっしゃ、あと一踏ん張りや」
おっちゃんは気力を振り絞って飛んだ。ひたすら低く、速く飛んだ。疲れていたが、我慢した。力の限り飛ぶ。
おっちゃんの上で、グラニが強壮剤をイブリル目掛けて投げる音がした。
「もう少しで結界だ頑張ってくれ、おっちゃん」
口に強壮剤を入れてもらう。
「おう、任せとき」
元気良く応えているが、体は辛かった。なんとか強壮剤で保っている状態だった。
(気力の勝負やな)
おっちゃんは力強く羽搏いた。
「結界内まで、あと千m」グラニの緊迫した声が響いた。
おっちゃんは低空飛行を続けた。視界が霞みそうになる状況を必死で堪えた。強壮剤の副作用か、頭がくらくらしてきた。
「あと、三百m」とグラニがおっちゃんを奮い立たせるような大声を上げた。
おっちゃんは頑張った。翼に力を入れて飛んだ。空にポールのように光る紋様が見えた。
紋様を越えると、グラニの怒鳴るような指示が聞こえた。
「結界に入った。急上昇だ」
最後の力を振り絞って、低空飛行から一転、急上昇に転じた。五十mほど上昇して旋回する。
下では大砂竜の跳ねる光景が見えた。大砂竜がイブリルをひと飲みにした。大砂竜はイブリルを飲み込むと満足そうに、結界の奥に進んでいった。
グラニの歓声が上がった。
「やったぞ。おっちゃん、大砂竜を結界内に追い込んだ。水脈は元に戻るぞ」
おっちゃんはグラニの言葉をよく聞いていなかった。「疲れた」が正直な感想だった。
グラニを乗せたまま結界の外に出て着地する。人間の姿に戻った。
「すまん、グラニはん、滅茶苦茶に疲れた。ちょっと休ませて」
おっちゃんは、へたり込むと、視界が真っ暗になって意識を失った。
遠くからグラニの声が聞こえるが、何を言っているかわからなかった。
ただ、頭痛がするほどの眠気に、おっちゃんは抗えなかった。