第九十三夜 おっちゃんと景気の良い話
おっちゃんは用心して手持ちの金で『クール・エール』とエールを一樽ずつ購入した。樽は冒険者ギルドに保管料を払って、酒場の隅に置いてもらった。
ドミニクに融資をした十日後に、突如として街では水道からの取水制限が始まった。
バサラカンド北西にあるオアシスの井戸が涸れたニュースが、冒険者ギルドに飛び込んできた。
一杯が銅貨三十枚で飲めたエールが五十枚に値上げされた、風呂代が銀貨二十枚にもなった。街では、貧しい人による水泥棒が多発した。街に不穏な空気が流れ出した。
おっちゃんは買い込んだエールを黙って飲みながら、事態を見守った。取水制限が始まって一週間後に事態が動いた。
冒険者ギルドのギルド・マスターのアリが酒場にやって来た。アリは身長一m九十㎝の大男。がっしりした体格の持ち主だった。褐色肌でスキンヘッドをしており、豊かな顎鬚を生やしている。服装は青のガラベーヤを着ている。
アリが真剣な顔で大きな声で発言した。
「諸君も既に知っていると思う。バサラカンドの街は水不足に陥っている。原因は砂漠に出現した巨大な砂竜だと判明した。城から大砂竜の討伐依頼が出た。参加者には前金で金貨二枚、成功時には金貨十枚が支給される」
高額な報酬に、冒険者の間で、どよめきが起こった。
(普通の大型モンスターの討伐なら、倒せてせいぜい一人当たり金貨二枚や。参加するだけで払うんやから、水不足はかなり危険な水準まで来ているのかもしれんな)
「大砂竜って、どれくらい大きいんですか」と誰かが声を上げ、アリが力強い口調で発言した。
「実のところ大砂竜について詳しい情報はわかっていない。話では小山のような砂竜との話だ」
「小山のような」と聞き、誰かが馬鹿にしたように笑った。
アリが景気よく演説を続ける。
「所詮、砂竜は砂竜だ。頭の良い龍種とは、違う。今回の仕事に限っていえば、募集上限枠はない。技量も問わない。必要なものはバサラカンドを救いたい心意気だ。経験のない者もこれを機に経験を積むとよいだろう。是非にも多くの冒険者に参加してもらいたい。以上だ」
アリの演説が終わると、さっそく冒険者の列が依頼受付カウンターにできた。
「ないな」と、おっちゃんは冷めた心で演説を聴いていた。
(おそらく、依頼したお城の人間は大砂竜について情報を持っている。ただ、正直にいえば冒険者は尻込みすると見透かしとる。技量を問わない条件は、相手が大きいから数で押す気やろうが、相手は二百m級や、下級冒険者が束になっても敵わん)
依頼受付カウンターに人が途切れたところで、おっちゃんはエミネに尋ねる。
「大砂竜討伐で聞きたい情報あるんやけど、いい?」
エミネが機嫌も良く確認してきた。
「おっちゃんも参加するの?」
「まだ決めてないよ。お城の兵隊って、どれくらい出るの? 今回の討伐には、ギルド・マスターのアリはんも参加するん?」
エミネがすらすらと答える。
「お城の兵隊は怪物退治が専門でないから参加しないわよ。ただ、傭兵団には声を掛けているから、冒険者だけで戦うわけではないわ。ギルド・マスターだけど、もちろん参加するわよ」
(冒険者に傭兵の集まりで討伐か。お城は完全に、金で済まそうとしているね。でも、傭兵と冒険者では、戦闘のスタイルが違う。訓練があれば連携を取れるけど、実際は難しいやろうな)
財布の中には銀貨しかなくもう金貨がなかった。金銭的には厳しいが、今回は傍観者になろうと決めた。
(信用枠はまだ余裕がある。いざとなれば剣は流す。無理に働く必要はない)
四日後に、冒険者と傭兵団を合わせて百以上の人間がバサラカンドに集結した。
出発時には出陣式を行われ、威勢の良いものだった。
その日の飲み水にも苦労するような貧しい人間は、冒険者と傭兵団に期待していた。
おっちゃんの見る目は違った。
傭兵団については、わからない。だが、冒険者の質は明らかに劣っていた。
冒険者は、数がいるが、ほとんどが下級冒険者、中には中級冒険者もいるが、上級冒険者が誰一人として入っていなかった。完全に上級冒険者は大砂竜討伐の仕事を避けていた。
(なるほど、上級冒険者は少なくとも何が相手かは知っておるんやな。まあ、必要な情報を手に入れて危険を未然に避ける用心は基本中の基本や)
三日後、街を意気揚々と出て行った冒険者と傭兵団は数を七割に減らして帰ってきた。誰の目から見ても討伐失敗は明らかだった。
ギルド・マスターのアリは戻ってきたが、暗い顔で黙って自室に戻っていった。
「また、どこそこのオアシスで井戸が涸れた」と酒場には暗いニュースが入ってきた。
大砂竜討伐の失敗の二日後。ドミニクが店にやって来て、密談スペースに、おっちゃんを誘う。
ドミニクは小さな袋を渡してきた。中を開けると金貨が入っていた。
「負債を返済にしに来た。十枚だけど利子も入っている」
「短期間で、よう返済できたな」
ドミニクが浮かない顔で教えてくれた。
「冒険者と傭兵団が負けて、仕入れていた飲料の値段が思った以上に上がったんだ。まだ上がるかもしれないけど、ここいらが引き時だと思って手を引いた。儲かった結果には嬉しいけど、なんか複雑な気分だよ」
「そうか、おっちゃん、商売のことは、よくわからんけど。引くと決めたら、きちんと引くことや。ずるずる戦って負けたらあかん。大砂竜討伐に関しては気にすることあらへん。勝つときもあれば負け時もある。それが戦いや」
ドミニクが身を乗り出して不安気に訊いてきた。
「おっちゃん、バサラカンドは、これから先、どうなるんだろう。考えが甘いと指摘されるかもしれない。けど、いくら飲料が儲かるからって、貧しい人が水を買えない世の中は、間違っていると思うよ」
「残念やけど、なるようにしかならへんやろう」
ドミニクが気落ちして帰っていった。
おっちゃんは借金を返済して冒険者ギルドから剣を返してもらった。
ヒュセインが食事をしに酒場に来ていた。
「久しぶりやな。景気のほうはどうや」
「うちはさっぱりだね。それにしても大砂竜討伐は大変だったね『ガルダマル教団』にやられたんだって」
おっちゃんは酒場に長い時間いた。だが『ガルダマル教団』の関与について、冒険者が語っていた場面を見た覚えがなかった。
ヒュセインが当然のように語る。
「討伐隊は戦闘中に『ガルダマル教団』の奇襲を受けたせいで失敗したって、街じゃ噂だよ」
「初めて聞く話やな」
ヒュセインが帰った。大砂竜討伐に参加した冒険者を三人ほど捕まえる。エールを奢って話を聞いたが、誰も『ガルダマル教団』の奇襲を口にする者はいなかった。
(責任転嫁やな。お城は今回の失敗を『ガルダマル教団』のせいにして怒りの矛先を変えようとしておるな。阿漕なやっちゃな)
街では取水制限が一段と厳しくなった。エールも一杯が銅貨八十枚に値上げされた。宿の風呂は休業となった。いつまで続くかわからない水不足に街は苛立った。
おっちゃんは夕方に出掛け、グラニに会いに行った。村の外でグラニと会う。
「グラニはん、こんばんは。大砂竜の話やけど、新しい調教師ってまだ見付からんの」
グラニが困った顔で教えてくれた。
「調教師は見付かった。結界の準備も万全だ。だが、結界内に大砂竜を呼び込めなくて苦労している。手負いになった大砂竜が調教師の命令を聞かないんだ。俺たちの村の水も、そろそろ危なくなってきている」
「そうか、困ったな。なんぞ、大砂竜を結界内に追い返す方法は、ないやろうか」
グラニが平然とした顔でサラリと口にした。
「方法はある。エサを使って、大砂竜をおびき寄せることだ」
「なんや、簡単やん。なんで、誰もやらんの」
当然の疑問だったが、グラニが気楽な調子で教えてくれた。
「大砂竜の好物は、生きたイブリルの肉だ。まず、あの砂漠の悪魔イブリルを捕獲せねばならない。その上で、生きたイブリルを使って大砂竜を誘導する必要がある」
イブリルは強い。そのイブリルを生きたまま捕まえる行為は至難の業。その上、イブリルを使って大砂竜を誘導するなんて、無謀に思えた。
「そんな、無茶苦茶に難易度が高いやん」
グラニが困った顔でアッサリと告げる。
「だから、誰もできない」
「ちなみに、イブリルの好物って、なに? 人間なん」
「イブリルは悪食でなんでも喰う。だが、一番は麝香鳥の肉だな」
おっちゃんは光明が見えた気がした。
「なるほどのう、やれるかもしれんな」
「なんだと」とグラニが驚いた顔で告げる。
「おっちゃんは『シェイプ・シフター』や。イブリルは無理やけど麝香鳥にはなれる。おっちゃんが麝香鳥になってイブリルの注意を引いて砂漠を移動する。そのイブリルを、大砂竜に追わせるんや」
グラニが顎鬚を撫でながら思案する声を出す。
「可能かもしれないな。よし、やるなら、手伝うぞ。我々は人間よりは乾燥に強い種族だが、水が断たれれば生きていけない。村のためだ」
「ほんまにやるの? 失敗したら、イブリルか大砂竜の腹の中やで?」
グラニは覚悟を決めた顔で、落ち着いた調子で口にする。
「構わない。それに、大砂竜を結界内に追い込めれば『アイゼン』陛下から多大な褒美も出る。途轍もなくハイ・リスクだが、成功した時の見返りも大きい。村も救える」
「やるか、大砂竜釣り」と威勢よく聞く。
グラニはすぐに「やろう、おっちゃん」と景気良く応じた。