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第九十夜 おっちゃんと交渉人(前編)

 三日間ほど、没薬を扱う店を覗いて廻った。店に流れる独特の没薬の香を嗅いだ。だが、ついぞ、子供が羽織っていたマントから匂ったのと同じ香は見つけられなかった。


「これ、無理やな。没薬いうても、全てが同じ匂いやない。独自ブレンドまで考えると、偉い種類がある、飛び込みで探す行為は無謀やった」


 おっちゃんは頭を切り替えて、ダラダラと過ごした。

 五日後、店に商人のドミニクが来ているのを発見した。ドミニクが、依頼受け付けカウンターから去り、掲示板に仕事の依頼票が貼られた。


 おっちゃんは気になったので依頼票を確認した。依頼内容は護衛任務だった。

 依頼料は銀貨六十枚。ただ、行き先と募集人数は書いてなかった。


 気になったので、エミネに尋ねる。

「ドミニクはんの依頼って、ただの護衛と違うん? どこからどこまで、って書いてないけど、書き忘れか」


 エミネが浮かない顔で、声を潜めて教えてくれた。

「それね、行き先は秘密なのよ。おそらく、相手は蠍人の商人だろうって噂されているわ」


 蠍人は知っている。蠍の頭の部分に人間の上半身が着いたモンスターだった。

 夜行性で知能が高く、砂漠地帯で暮らしている。言葉も喋れば、文化的生活もしており、商売も営む。


「モンスター商人との取引って、バサラカンドでは禁止なん」


 エミネが浮かない顔のまま、脅すような口調で発言した。

「取引は禁止されているわ。でも、盗賊団の『油壺』だって、モンスターは相手にしないわよ。暗殺ギルドの『月下の刃』なら別かもしれないけど。それに、相手はモンスターなのよ、お金を払ったら品物を渡さず、襲ってくるかもしれないでしょ」


 おっちゃんの意見は違った。人間の中にもモンスターの中にも悪い奴はいる。

 だが、商売の基本は信頼と利益。双方に利益になる取引なら、モンスターとて簡単には破らない。信用が生まれれば、相手がモンスターとて無用の争いはしない。


(完全な偏見やけど、人間から見れば、当然かもしれんね)

「エミネはん、これ募集人数が書いてないけど、独りでも受けられるん」


 エミネがきょとんとした顔で口を出した。

「おっちゃんが興味を示すなんて、珍しいわね。でも、さすがに独りは無理よ。ドミニクは、人数は多いほうが良いって言っていたわ。危険な取引になるかもしれない、って意味よ」


(互いに信用していない状況で武装して大人数で行く状況は好ましくない。特に冒険者はモンスターを信用していない。何かの拍子に事故が起きれば、即座に戦闘になる危険性が大やで。大人数なら、避けとこ)


「そうか、人が集まりそうなら、おっちゃんは不要やな」


 しばらく、酒場で時間を潰していた。ドミニクの依頼に反応する冒険者が出てきた。暇なので数えていたが、十人の冒険者が志願した。十人は下級冒険者だった。


(銀貨六十枚では中級冒険者や上級冒険者は応募してこん。果たして、場慣れしていない下級冒険者だけで乗り切れるやろうか)


 人数が集まるとドミニクがやって来た。ドミニクは冒険者十人を引き連れ密談用のスペースに移動した。その日は解散となる。冒険者たちは浮かない顔をしていた。


 二日後の夜、ドミニクが再びやってきて十人の冒険者を連れて出て行った。

 おっちゃんは気になったので、その日は夜遅くまで酒場で時間を潰した。


 深夜を過ぎた頃、ドミニクと一緒に出て行った冒険者が帰ってきた。冒険者の数は七人に減っていた。ドミニクの姿はなかった。


 七人の冒険者は、依頼報告カウンターへと向かい、エミネと三分ほど話した。

 会話が終わると、冒険者が足取りも重く、店から出て行った。


(怖れていた通りや。依頼失敗や)


 他人の失敗だが、おっちゃんの気分は沈んだ。おっちゃんは残っていた温いエールを流し込むと、自分の部屋に戻って眠った。


 翌朝に早くに目が覚めた。酒場に行くと、女性の大きな声が聞こえた。

「お願いです。主人を、ドミニクを、助けてください」


 ドミニクの妻はエミネに食いつかんばかりに頼んでいた。

 あまりに声が大きいのでエミネは別室にドミニクの妻を連れて行った。おっちゃんが朝食を頼んで食べ終わる頃に、ドミニクの妻は別室から出てきた。ドミニクの妻は気落ちしたのか項垂れて帰って行った。


 エミネの手により掲示板に依頼票が貼られた。内容はドミニクの救出。


 おっちゃんは、エミネに尋ねた。

「エミネはん。ドミニクはんは、まだ生きとるの?」


 エミネが浮かない顔で意見を述べた。

「確認はできていないわ。だけど、取引相手がモンスターだけに生存は絶望的だと思うわ。ただ、奥さんは死亡を確認できないから、諦めきれないのよ」


「もうちっと、詳しい状況を教えてくれるか」


 エミネが粛々と話した。

「ドミニクさんの取引相手は、やはり蠍人だったわ。取引が始まると、蠍人がイブリルを呼び出して襲ってきたそうよ。冒険者はドミニクさんを助けようとしたけど、イブリルが強すぎて、あえなく撤退したわ」


 冒険者の話が本当なら、ドミニクは生きていないだろう。だが、冒険者が本当の話をしているとはおっちゃんは思えなかった。


(イブリルの出現が偶然なら、ドミニクは生きているかもしれんな)


 おっちゃんは迷った。

(誰かが蠍人と話を付けてくれるなら、ええ。でも、これおっちゃん以外にやろう言う冒険者はおらんやろうな。おっちゃんが行かな、ドミニクはんは帰ってこられん。でも、手柄を立てたくないな)


 おっちゃんが迷っていると、エミネが期待を滲ませた顔で頼んできた。

「おっちゃん、もし、だけど。良かったら引き受けてもらえないかしら。ドミニクの奥さんもドミニクさんの死亡を確認できれば諦めが着くと思うの。ドミニクの奥さんに必要なのは踏ん切りなのよ」


(これ、あかんね、他の冒険者が受けたら、死亡の痕跡を適当に探してくるで。そしたら、助かるもんも助からんくなる。しゃあないな、人助けや思うて、やってやるか)


「ええで、引き受けたる。ドミニクさんが取引した場所と、取引相手の名前を教えて」

 取引の相手は、グラニと名乗る蠍人で、エミネが取引場所を教えてくれた。


 おっちゃんは地図屋のヒュセインを訪ねた。

「蠍人の集落付近の地図って、ある」


 ヒュセインがニコニコして答える。

「あるよ。銀貨五枚だよ」


 金を払うと、ヒュセインが興味のある顔で訊いてきた。

「珍しい場所の地図を買うね。蠍人を相手に商売でもするのかい」

「蠍人を相手に商売って、できるの」


「難しいだろうね。昔は蠍人とも、少数だけど商売をする商人がいたんだよ。ただ、領主がハガンの代になってから、取引が禁止になったんだよ。それからは、さっぱり聞かないね」


 保存食とエールを買い、『シュナ砂漠』に、おっちゃんは足を踏み入れた。


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