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第八十九夜 おっちゃんとミニ・デーモン

 翌日、おっちゃんは黒炭とパンを使って、前日に見た像の絵を紙に描いた。

 描いた絵をエミネに見せた。エミネが怖い顔で忠告した。


「おっちゃん。その絵は、持ち歩かないほうがいいわよ。おっちゃんの描いた絵は『ガルダマル教団』の神様に仕える使徒の絵よ。持っていたら『ガルダマル教団』の人間と間違われて、兵士に捕まるわよ」


「怖いなー」と口にして、おっちゃんは絵を破った。

 エミネが手を出したので「捨てといて」と破った絵を渡した。


(絵でも捕まるなら、像を持っていたら、もっと重罪になる。ドミニクも危険な物に手を出したもんや。おっちゃんは冒険者やさかい、知らんかった話にしておくけど)


 おっちゃんは昨日もらった報酬の中身を確認する。銀貨が六十二枚入っていた。

「金にしわいやっちゃなー。まあ、箱の中身を知らん、おっちゃんは、気にせえへんけど」


 酒場は朝のピーク時が過ぎていた。三十人くらい冒険者が残っていた。

 おっちゃんはエールに、串に肉が刺さったケバブとパンを頼んだ。香辛料が利いたケバブを齧る。


 急に店内が真っ暗くなった。時間帯が朝の状況を考えるに、暗さは魔法によるものだった。

「なんか、誰ぞ、『暗闇』の魔法を暴発させたんか」


 誰かがすぐに『光』の魔法を唱えた。暗闇はすぐに消えた。暗かった時間は十秒くらい。 

 暗がりが消えると、酒場の天井には、暗くなる前にはいなかった存在がいた。


 身長は百二十㎝で上半身は赤色。頭髪のない大きな頭を持ち、蝙蝠(こうもり)のような羽を生やしている。手には鋭い爪を持ち、下半身は獣で、蹄のある足をしていた。悪魔型モンスターのミニ・デーモンだった。


 ミニ・デーモンが二十体ほど、酒場の天井にいた。

「なんで、ミニ・デーモンが酒場に」


 おっちゃんは疑問に思う。ミニ・デーモンが一斉に魔法を唱え出した。

 危険を察知した冒険者が、武器を手に応戦する。酒場は瞬時に戦場になった。


 飯を食べに酒場に下りてきただけなので、おっちゃんは武器を携帯していなかった。鎧も着ていなかった。おっちゃんはテーブルの下に潜った。


(あかん、相手が、ミニ・デーモンというたかて、武器なし。防具なし、では危険や)


 テーブルの上で魔法が炸裂する音がして、食器が割れる音がした。

 魔法を唱える声が聞こえる。冒険者の雄叫びがする。ミニ・デーモンの断末魔の叫び声が響いた。


 ギルドの依頼報告・カウンターに目をやる。エミネがミニ・デーモンにヴェールを引っ張られていた。

 おっちゃんは座っていた丸椅子を片手に飛び出した。カウンターの上で悪さをするミニ・デーモンを、椅子で殴りつけた。


 青い鼻血を出したミニ・デーモンが、おっちゃんに向き直った。ミニ・デーモンの爪の攻撃を丸イスで防ぎ、おっちゃんは戦った。イスはダメージを与えるには向かない。だが、ミニ・デーモン相手なら防戦に注力するなら充分に役に立った。


 おっちゃんの視界でフード付きのマントを着た小柄な人物が動くのが見えた。小柄な人物は混乱に乗じて、冒険者ギルドの報告カウンターを乗り越えた。


 小柄な人物はカウンターの奥にあった収納棚から木箱を掴み取った。小柄な人物が、カウンターを乗り越えて、玄関ドアに走りこもうとしている。


 おっちゃんは小柄な人物を止めるかどうか、迷った。

(どうする、止めるか。でも、ここでミニ・デーモンに背を向ける行為は危険や。それに、おっちゃんが背を向ければミニ・デーモンはエミネを襲うかもしれん)


 おっちゃんは戦う選択をし、ミニ・デーモンに視界を移した。

 横から冒険者が出てきて、ミニ・デーモンを切り捨てた。おっちゃんはミニ・デーモンから自由になった。


 小柄な人物を追って外に出た。外に出た時には小柄な人物の姿は人込みに紛れていた。

 勘で南門の方角を指さして腹の底から声を出して大声で叫ぶ。

「いたぞ、あいつや」


 おっちゃんの声に人々が振り向いた。振り向いた一人が駆け出した。小柄な人物なので、箱を盗んだ人間だと思った。「おい、待て」と叫んで追った。


 小柄な人物は人ごみをすいすいと掻き分けて進んでいく。

 おっちゃんも必死に追ったが、小柄な人物が南門を抜けて外に出た。おっちゃんは走った。


 足場の悪い場所では、おっちゃんのほうが足が速く、徐々に距離が詰まった。

 小柄な人物が振り返った。おっちゃんの手がフードにかかった。相手を引き倒すつもりで、フードを引っ張ると、マントが脱げた。


 小柄な人物の正体は、十二歳くらいの子供だった。黒い短い髪と瞳を持ち、褐色の肌を持つ現地の人間だった。性別は一瞬ではわからなかった。


 マントが脱げた子供が走り出し、おっちゃんも追おうとした。

 後ろから何かが飛んできて足に絡まり、おっちゃんは転倒した。


 おっちゃんの足に絡まった物体は両端に石を結んだ紐だった。おっちゃんは紐を外すのに手間取った。


 ターバンを被り白いガラベーヤを着た人間が乗る馬が隙を突いて駆けてきた。

 馬が子供の前で停まった。子供が跳び乗ると、再び馬は走り出した。


 おっちゃんが立ち上がった時には馬は速度を上げていた

「逃げられたか」


 おっちゃんは現場に落ちているマントを拾った。マントをよく観察する。

 マントには、子供の身元を明らかにする印はなかった。だが、マントを調べていたおっちゃんは、マントから漂う微かな良い香を感じた。誰も見ていない状況を確認する。


 おっちゃんはワー・ウルフの姿を念じて。ワー・ウルフになって匂いを嗅いだ。人間の時にはわからなかった匂いが鮮明になる。


「なんな、この甘い匂い。没薬のようやけど、ちょっと違うな。没薬をベースに配合した香料や」

 おっちゃんは充分に匂いを記憶してから人間に戻り、マントを手に酒場に戻った。


 酒場ではミニ・デーモンの死体が転がっていた。

 おっちゃんはギルドの受付カウンターにいるエミネを発見する。エミネに怪我はなかった。


「とんでもない騒ぎになったの。バサラカンドでは、酒場にモンスターも飲みに来るんか」


 エミネが怒った顔で乱暴に言い放った。

「来るわけないでしょう。こんなの初めてよ」


 おっちゃんは、マントをエミネに渡した。

「そうか。あと、これ、ドサクサに紛れて、盗みを働いた人間の遺留品」


 エミネはマントを調べるが、匂いには気付かなかった。


 おっちゃんは礼を言うため先ほど助けてくれた冒険者を探した。

 それらしい人間がいたので声を掛ける。


「ギルド受付カウンターでミニ・デーモンに襲われていた者ですが、先ほど助けてくれた方ですか」

「さっきギルドの受付カウンターでミニ・デーモンを切った冒険者は俺だが」


 相手は二十代前半の男性。男性は卵型の顔で、長めの赤い髪をしていた。髪は後ろで縛ってあった。瞳は黒く、褐色の肌をしている。

 目つきは険しいが、険のある感じではなかった。装備は薄での茶の革鎧を着ており、腰には曲刀の剣を()いている。


 おっちゃんは丁寧にお辞儀をした。

「わいは、おっちゃんいう年ばかり食った駆け出しの冒険者です。さっきの援護は本当に助かりました。ありがとございます。よろしかったら、一杯、奢らせてください」


 男性は笑って辞退した。

「冒険者のフルカンだ。奢ってもらいたいのはやまやまだが、これから出かけなきゃならない。また、今度に頼むよ」


 フルカンは用があるのか、そのまま酒場を後にした。

 冒険者の酒場は閉鎖された。その後、実況見分やミニ・デーモンの死体の処理を終えると、夕方には再開された。


 酒場が再開されると、すぐに人で満員になる。ミニ・デーモン襲撃の話はその夜、話題になったが、翌朝には沈静化した。


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