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第八十五夜 おっちゃんと褒美

 数日後、シバルツカンドでは新年を祝うための年越しの準備が進んでいた。

 年越しといっても、大きな祭りをするわけではない。親戚一同大きな家に集まって、夜通し飲んでお喋りをするだけ。


 啄木鳥亭は、がらんとしていた。『炎の剣』が『氷雪宮』の『雪の女王』を倒したために『氷雪宮』はダンジョンから、ただの雪と氷でできた建造物になった。


『氷雪宮』で産出する珍しい素材も採れなくなった。『氷雪宮』から、宝もモンスターも消えた。

 冒険者の半分は、次なるダンジョンの探索に赴くために、港町のラップカンドに移動した。


 残っていた冒険者も、年が明けると荷物を纏めて旅立った。啄木鳥亭の酒場に、冒険者は二十人といなかった。


 おっちゃんは寂しくなった酒場で一人、エールを飲む。

「平和やなあ」


 ハラールが笑顔でやって来た。

「よう、おっちゃん。ちょっと話があるんだが、いいか。年が明けたら、ウーフェのやつらがいなくなった。そんで、必要がなくなったから、魔除けを返したい。あと、魔除けの賃料を精算したいんだけど、いいか」


「いいよ。おっちゃんも、シバルツカンドの皆が『ダヤンの森』に入れるようになって嬉しい」


 ハラールは魔除けと、金貨の入った小さな袋を置いて立ち去った。


 おっちゃんは、ニーナに頼んだ。

「この魔除けは、おっちゃんが冒険者ギルドに寄贈する。また、ウーフェで森に入れなくなる事態で困ったら、使って」


 ニーナが困惑した顔で、躊躇いがちに申し出た。

「買い取りじゃなくて、寄贈で、いいの? これ、高いんでしょう」


「ええよ、寄贈で。どうせ順当に行けば、必要になる事態は二十年か三十年後や、おっちゃんが持っていたら、失くしてまう」


 ニーナが微笑みを湛えて、元気良く発言した。

「わかったわ。冒険者ギルドで大事に保管しておく」

「そうしておいて」


 おっちゃんは、ハラールから貰った小さな袋の重さを確かめた。袋には、充分な重さがあった。

(これだけあれば、雪融けまで宿屋でごろごろして過ごせそうやね。雪が解けたら、スワ湖で漁でもしようか。薬草採りでもええな。シバルツカンドで暮らすのも悪くないね)


 思わず笑みが漏れるのが、おっちゃんにもわかった。至福の時間を過ごしていると、ルーカスがやって来た。


 ルーカスが機嫌よく、おっちゃんに声を掛ける。

「おっちゃん、領主のエルリック様がお呼びだ。一緒に来てくれ」


「わかりました」


 褒美の話だと思った。褒美については、まったく期待していなかった。

(エルリックには金がない。碌な褒美を与えられん。家臣に召し抱えるのも不可能や。良くても金貨が数枚に、勲章くらいやろう。それぐらいなら、貰っても問題ない)


 エルリックの館に行く。アンディによって壊された箇所は、壊れたままだった。

 老執事にエルリックの執務室に通された。執務室にはエルリックの他に、司祭のベルゲもいた。


 エルリックが笑顔で、鷹揚な口調で発言する。

「おっちゃんよ、このたびの働き、真に見事であった。よくぞ『夏の精』を封印して、シバルツカンドを救ってくれた礼を言う」


「有難き幸せです。光栄に思います」


 エルリックが気まずそうな顔を浮かべて、言い辛そうに発言した。

「ところで、おっちゃんよ。その、なんだ、褒美の件なんだが。当家の財政は好ましくない。おっちゃんを騎士として召し抱える対応はできない。金貨を、とも思ったが、働きに見合うだけの金がない」


(ほら、思った通りや。ええで、いい感じやで)

「閣下、おっちゃんは、褒美が欲しくてやったのではございません。閣下の暖かい感謝の気持ちだけで充分です」


 エルリックが顔を輝かせて、元気良く発言する。

「そう言って、もらえると嬉しい。だが、何も渡さないのではホールファグレ家の名折れだ。そこで、余はベルゲ、ルーカスと相談して、おっちゃんを聖騎士としてエルドラカンド教皇庁に推挙することにした」


 聖騎士とは教会に所属する騎士の呼称。権力の後ろ盾、実力、実績が必要で騎士になるより難しい。普通の手続きでは逮捕されず、徴税も免除。悪と看做せば一般人なら処刑できる権限を持つ。権力を持ち、義務を負う。政治も付きまとえば、陰謀も渦巻く。


 冒険者からすれば大出世だが、おっちゃんにとっては一番なりたくない職業だった。

(なんやて、そんな地位や名誉なんて要らんて。なんで、感謝状の一枚とかで済ませへんの)


 おっちゃんが驚きに言葉を失うと、エルリックが笑顔で頷く。

「驚くのも無理もない。だが、安心せよ。余の叔父は、枢機卿だ。必ずや、聖騎士に任じてくれるであろう」


「おめでとう」と、ルーカスとベルゲが拍手で祝福する。


(これ、断っても街にいづらくなる雰囲気やね。聖騎士の話は絶対に町中に広まる。また、街を去るしかないやん。もう、どうして、おっちゃんを放っておいてくれんかなー)


 エルリックの館を出た。おっちゃんは翌朝には旅立ちの仕度を終えていた。

「お世話になりました。冒険が、おっちゃんを呼んでいます」と啄木鳥亭に置き手紙をする。


 手紙には宿代より少し多目に金貨を包んでおいた。


 おっちゃんは早朝の市場で保存食とエールを買った。

「さて、次は、どこに行こうかの」


 シバルツカンドの朝焼けは綺麗だった。おっちゃんは朝日を浴びて、雪の街シバルツカンドを後にした。

【シバルツカンド編了】

©2017 Gin Kanekure

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