第八十四夜 おっちゃんと『夏の精』
『変わり行く季節の鎖』の入った青銅の壺を落とさないように紐で体に括りつける。保存食とエールを買って、準備万端で酒場に向かった。
『夏の精』を封印するための冒険者の一団が啄木鳥亭を出た。『夏の精霊』に近づくまで、予定では五時間も掛かる道を進まねばならなかった。
夜の山道だが、『夏の精』が放つ光により、辺りは昼のように明るかった。ウーフェも魔除けがあるおかげで寄ってこない。
途中で休憩を取りながら、水分と塩分を補給しながら山道を進む。
護衛の冒険者が会話する。
「気温が上がってきたな。何℃くらいだ」
「現在の気温は四℃よ。昨夜がマイナス七℃だから、だいぶ気温が上がっているわ。雪崩に注意して進みましょう」
大雪崩はもっと気温が上がらないと起きない。だが、小さな雪崩なら起きる気温だった。油断はならない。慎重に山道を上がり、『夏の精』に向かって進んでいく。
山道を歩いていくと、木々がない場所に差し掛かった。
『夏の精』のいる場所まで、あと一時間ほどだった。
斜面を登っていくと、何かが二つ空を飛んで、こちらに向かってきていた。
「何か来るぞ。おっちゃんを守れ」
護衛のリーダーが注意を喚起し、おっちゃんを中心に円陣が組まれた。
飛来する物体の正体は大小二体のアイス・ワイバーンだった。
「暖かくなって、春になったと勘違いした個体や」
足場の悪い斜面での戦いだった。護衛に付いている冒険者は善戦した。
剣や槍を持った冒険者が壁になる。弓で、魔法で、襲い来るアイス・ワイバーンを攻撃した。
ダメージを与えて倒すことより、攻撃を喰らわない戦いに冒険者は徹した。
冒険者の守りは堅く、アイス・ワイバーンの攻撃は当らない。おっちゃんに限っていえば、完全な安全圏にいた。
そのうち、冒険者の攻撃がアイス・ワイバーンの体力をじわじわと削っていった。
しばらくすると「この餌は厄介だ」とでも感じたのか、アイス・ワイバーンは退散した。
護衛のリーダーが安堵して軽く息を吐いた。
「アイス・ワイバーンがまた来るかもしれん、今の内に、できるだけ登るぞ」
もう一度、別のアイス・ワイバーンの番いがやってきた。だが、同じように守りを中心にした戦いで撃退した。
山をひたすら登った。段々と『夏の精』の姿が、はっきり見えてきた。太陽のように丸い顔。燃えるような二頭身の体。人間のような手足。
おっちゃんが以前に見た『夏の精』と同じだった。『夏の精』は上空百m付近で黙って佇んでいた。
『夏の精』の真下に来た。付近は春の陽気に照らされたように暖かかった。雪は溶け始めており、ざらめ状になっていた。
『夏の精』からは特段に攻撃してこなかった。おっちゃんたちに全く興味を示していなかった。
護衛のリーダーが真上を見上げた。
「真下まで来たが、どうする、おっちゃん。まさか、『夏の精』を空から引きずり下ろしてくれ、とは頼まないだろうな」
「大丈夫なはずや。見ていて」
おっちゃんは体に括りつけていた青銅の壺を外した。蓋を開けて、青銅の壺を空に向けた。
壺から白い鎖状の『変わり行く季節の鎖』が飛び出した。
白い鎖が勢いよく空に上って行き、『夏の精』の体に絡みついた。『夏の精』は下を向いただけで、抵抗はしなかった。しばらくして『変わり行く季節の鎖』が『夏の精』の体を雁字搦めにする。
『夏の精』が思い出したように大声で叫んだ。
「今は冬やん」
辺りが突然に暗くなった。空で煌々と輝いていた『夏の精』の姿は、どこにもなかった。
「やったのか」と護衛のリーダーが呟いた。
舞い上がるような突風が吹き、次の瞬間、凄まじい吹雪が吹き荒れた。
視界がホワイト・アウトして何も見えなくなった。護衛のリーダーが何かを叫ぶが、風で声が打ち消された。
(このままでは、まずい。遭難や)
おっちゃんはダンジョン流剣術を使えた。ダンジョン流剣術の中には聴覚、視覚、嗅覚、触覚が利かない状態でも相手の位置を知る『天地眼』と呼ばれる技があった。
おっちゃんは『天地眼』を修得しており、半径三m以内であれば、猛吹雪の中でも、物の位置がわかった。
おっちゃんは青銅の壺と体を括り突けていたロープを手にする。冒険者の肩を叩き、ロープの一部を掴ませた。
無闇に冒険者が動かなかったのが、幸いした。全員がロープを掴めた。おっちゃんが先頭になり、ロープを掴んで一列で歩く。
遠くで地鳴りがした。雪崩の発生に、おっちゃんは肝を冷やした。だが、雪崩は襲ってこなかった。
(幸い、雪崩のルートから外れたようやな。早よう立ち去らんとここも危ない)
『天地眼』を修得していた事実を感謝した。三mといえど、周囲を知覚できる状況は、ありがたかった。
吹雪は強くなってきた。寒さが体力を奪う。
(これ、どこかで休めんと、まずいな。帰らぬ人になってまう。そんな英雄譚は要らん)
幸運にも岸壁にぶちあたった。
おっちゃんは『大地掘削』の魔法を唱え、直径二m、長さ十mの横穴を掘った。大地掘削の魔法を長時間も保たせるために『固定化』の魔法も掛ける。
おっちゃんは横穴に入ると、冒険者も後に続く。おっちゃんは雪を払う。
「いやあ、助かった。こんなところに穴があるとは、思いもよらんかったで」
冒険者の誰かが、壁を見ながら意見を述べる。
「これ、魔法で掘られた穴だわ。いったい誰が掘ったのかしら」
おっちゃんは、さりげなく返す。
「どんな穴でもええわ。吹雪が酷すぎる。とりあえず、ここで休憩や」
護衛のリーダーが指示した。
「いつから、掘られているかわからない穴だ。誰か、『固定化』の魔法を掛けてくれ」
魔法使いが改めて『固定化』を掛ける。
(よし、おっちゃんが、魔法を使った行為は、ばれてない。無理もないか。あの猛吹雪では、後ろの人間とて、おっちゃんの声は聞こえんからな)
穴の中で体力を温存する。猛吹雪が弱まった時には、太陽が天辺まで昇っていた。
「天気の良いうちに山を下りよう」護衛のリーダーが決断した。
雪がちらつく中、雪崩に注意しながら下山した。日が暮れる前に啄木鳥亭に着いた。
ニーナが顔を綻ばせて、嬉しそうに声を出す。
「お帰りなさい」
「ただいま、帰ったで」