第七十九夜 おっちゃんと魔法の薬
夜になり街に戻った。街はまだ無事だった。啄木鳥亭に帰った。
おっちゃんが戻ると、ルーカスが酒場に現れた。
「皆、聞いて欲しい。氷の巨人の噂は耳に入っていると思う。氷の巨人が現れた。氷の巨人の目的は不明だが。シバルツカンドにやって来る可能性もある。その時は戦って欲しい」
酒場内がシーンとなった。相手は身長三百mの巨人である。勝てるわけがない。
ルーカスが真剣な顔で言葉を続けた。
「氷の巨人には、斥候がついて監視している。動きがあれば連絡がある。その時は頼む」
ルーカスが去ろうとし、冒険者の一人が声を上げた。
「それで、肝心の報酬は、どうなんですか」
ルーカスが真顔で端的に教えた。
「巨人の脅威から街を救った者には金貨十枚の褒美が出る」
「それだけ?」と驚いた顔で冒険者が確認する。
「そうだが」とルーカスが普通に口にした。
「やってられない」の空気が酒場に満ちた。
ビクトリアの姿を探すが、酒場に姿がなかった。ニーナに部屋を教えてもらって行ったが、留守だった。
「ビクトリアは逃げたな」
おっちゃんは、いつでも出撃できる準備をした。アンディ相手に戦っても勝てはしない。街の外はウーフェだらけで、逃げる行為もできない。
だが、街の人間とて同じ。ならば、現場でできる作業をしよう。
夜が更けてきた。冒険者の酒場に髭面の樵が入ってきた。
(こんな時間に一般人が来るなんて、珍しいな、巨人の恐怖で寝付けないんかな)
樵は空いているカウンターに座った。
「最高級のロゼのスパークリング・ワイン、チーズ、あと干鱈を、どんと持って来てくれ」
金のない樵の注文にしては、妙に感じた。
注文を受けた給仕が怪訝そうな顔で確認した。
「失礼ですが、金貨三枚はいきますよ」
樵が鷹揚に構えて、自慢するような口調で返した。
「金なら、ある」
樵はポケットから金貨を一掴みして、カウンターに置いた。給仕は頭を下げて奥に行った。
樵の反応がおかしく、おっちゃんはカウンター席に近づいた。
樵が不自然に顔を背けた。見覚えのない樵だった。
おっちゃんは樵の隣の席に座った。樵が不自然に目を逸らした。
「ひょっとして、森の魔女さんやないですか?」
樵が剽軽な顔で舌を出した。
「見付かっちゃった。ほらね、お金って、使ってこそのお金でしょう。だけど、私が森の魔女だとわかると、色々面倒だからね、こうしてお忍びで来ているのよ」
おっちゃんは小声で頼んだ。
「探したんですよ。助けてもらえませんか」
森の魔女が、ぷいと横を向いて、否定的に述べた。
「嫌よ。そんな義理ないし。それに私、これから至福のひと時なの。邪魔しないで」
給仕の青年が、最高級のロゼのスパークリン・ワインをボトルで持って来た。ついで、大きな皿にねっとりとしたチーズと干鱈を載せて運んできた。
森の魔女が目を輝かせて注文の品に手をつけようとした。
冒険者が駆け込んできた。
「大変だ。巨人が出たぞ。まっすぐ街に向かっている」
酒場の冒険者が駆けて行き、森の魔女が拗ねたように頬を膨らませる。
「もう、なんて、間が悪いのかしら、これじゃあ、食べ終わる前に、店がなくなるわ。おっちゃん、冒険者でしょ。ちょっとアンディを止めてきて」
「そんな、どうすれば、ええの」
「もう、要領が悪いわね。いいわね。私の持っている品を一つあげるから、どうにかしなさい」
以前に森の魔女のリビングで見た光景を思い出した。
(アンディは、まだ子供やいう話や。アンディを大きくすれば街を跨がせる行為が可能かもしれん)
「大人に成長する薬がありましたよね。あれ、アンディにも有効ですか」
「有効よ。はい」と森の魔女は肩から提げていた鞄から紫の小瓶を取り出した。
おっちゃんは紫の小瓶を受け取ると、外に駆け出した。アンディが街に迫っていた。
街の東門ではバリケードができていたが、アンディの大きさからすれば玩具の域を出ていなかった。魔法で、弓で、冒険者が果敢に攻撃していた。だが、アンディには、まるで効いていなかった。
おっちゃんはアンディが迫ってくるのを待った。
三百mのアンディは、近づいてくるだけでも、すごい威圧感だった。アンディが歩くたびに地響きがして、大気が震えた。触れるだけで吹き飛びそうになる巨大な氷の塊が近づいてきた。
逃げ出したくなる気分を必死に抑えた。アンディが街から約百mの距離に来た。
おっちゃんは『加速』の魔法を唱えた。おっちゃんはアンディの足めがけて走り込んだ。おっちゃんはアンディの足に、小瓶を思いっきり投げた。
小瓶が飛んで行った。小瓶がアンディに命中した。
アンディの体が恐ろしい勢いで伸びた。アンディの頭が軽々と雲を超えた。足も巨大化した。
思わずぶつかりそうになるが、全力で走って回避する。アンディの足が持ち上がった。持ち上がった足は雲に届きそうだった。
アンディが足を踏み出す。アンディの一歩は、街の中央広場を踏んだ。だが、二歩目は街を跨いだ。
街を跨ぐと薬の効果が切れた。アンディが元の身長に戻った。そのまま、アンディは街の西へと歩いていった。