第七十七夜 おっちゃんと氷塊(前編)
雪の降る日が続いた。おっちゃんはゴロゴロする。下級冒険者は除雪、雪下ろし、薪割りで糊口を凌いでいた。
帰ってこなかった上級冒険者が帰ってきた。上級冒険者は多くの宝と素材を持って帰還した。冒険者の活躍話に、吟遊詩人が耳を傾けた。酒場に以前の活気が戻ってきた。
下級と中級冒険者の中には上級冒険者の荷物持ちとして同行を願い出る者もいた。
「やっぱり、街の仕事では満足できんか。冒険者だから、しゃない」
おっちゃんが食事をしていると、空が光って雷が鳴った。
「近いな」と思っていると、誰かが叫んだ。
「おい、街のほうで火事だぞ」
何人かの冒険者と一緒に、おっちゃんは駆け出した。火事は倉庫街からだった。倉庫が赤々と燃えていた。すぐに消火活動が開始される。焼けた倉庫は小麦の倉庫だった。
消火活動に当っていた街の人間が零した。
「塩、薪と来て、今度は小麦か。今年のシバルツカンドは、どうなっているんだ。もう、品不足は、うんざりだよ」
おっちゃんは帰ってきてサウナに入り、水風呂で煤を落とした。おっちゃんは落雷を疑った。
「おかしい。一度なら偶然もあるやろう。でも、二度となると怪しい。これ、調べてみる必要があるで。原因を特定せんと、いつまでも休めん。そのうち、おっちゃんが英雄になってまう」
サウナを上がって、食堂に行った。シチューセットを頼むと、パンが小さくなっていた。
武具屋のグスタブのところに出かける。グスタブは店の掃除をしていた。
グスタブがおっちゃんを見ると、快く挨拶をした。
「おっちゃん、色々と大活躍だね。おっちゃんの活躍は耳に入っているよ」
「もう、勘弁してや、おっちゃんかて、やりたくてやっているんやない、成り行きや、成り行き」
「そうなのかい、意外だね。てっきり、冒険者の勘と才覚で上ってきたのかと思ったよ」
「ちょっと教えて欲しいんやけどね。落雷で倉庫が焼けたやろう。火事で得した人間って、おる」
「それなら」と、グスタブがきょとんとした顔でおっちゃんを指差した。
「ちゃうちゃう。おっちゃんは儲けたけど、得してない。むしろ、損している」
グスタブが笑って応えた。
「儲けたけど、損しているって、変わっているね」
「ええから、おっちゃん以外の街の人で誰かいない。火事で得する人」
グスタブは考え込む。考えつかない態度で声を出した。
「火事で得する人なんて、いないと思うね。損する人が大勢いると思うけど」
火事が得するためでないとする。誰かに損をさせるためにやっているのかもしれない。
「火事で一番損している人って、誰かわかる?」
「そりゃ、アントン商会だろう。当主が殺人事件の容疑者のまま、いなくなるわ。家は焼けるわ。塩の倉庫は燃えて、次は小麦の倉庫だろう。アントン商会は破産するって、もっぱらの噂さ」
(アントンを巡る事件は終わった思うとったけど、違うんか。まだ、何か隠された秘密があるんか)
おっちゃんはアントン商会に行った。アントン商会の前に行くと、人だかりができていた。
アントン商会は取り付け騒ぎの真っ最中だった。気の立った債権者の怒号が飛んでいた。
(これは、あれやな。今は話を聞くどころの騒ぎやないね)
アントンの家があった場所に行ってみた。アントンの家は、半分ほどなかった。家に使われていた木材は薪不足の影響を受けて全て解体され、持ち去られていた。石でできた土台と床のみが残っていた。
おっちゃんは雪の積もったアントンの家の床の上を隈なく歩いた。
音が変わる場所があった。雪を避けて地面を調べた。地下への隠された入口があった。
『暗視』の魔法を唱えてから、地下への入口を開けた。
地下は、ひんやりとしていて、高さ三m、縦横五mほどの空間があった。地下には異様な者が氷漬けになっていた。
身長は背の高い人間くらい。体格はがっしりしている。緑の肌をしていて、顔は人間だが、恐ろしい鬼のよう。牛に似た二本の角があって、口から牙が生えていた。悪魔型モンスターのモスフェウスだった。モスフェウスは雷を呼ぶ悪魔として知られている。
「なんで、こんなところで、モスフェウスが氷漬けになっとるんや」
氷の中のモスフェウスの目が、ぎょろりと動いた。
おっちゃんの頭の中に、野太い男の声が響いた。
「貴様は何者だ。アントンの使いか、正直に答えろ」
「通りすがりの冒険者で、おっちゃん、いいます」
氷にヒビが入ってばらばらに砕けた。モスフェウスが低い声で確認した。
「では、アントンの仲間ではないのだな」
「はい、被害者ですねん。それで、モスフェウスはんは、ここで何をしてらしゃってたんですか」
モスフェウスが腰を引いて、おっちゃんを下から睨みつけた。
「本当にアントンの仲間ではないのだな」
「だから、ちゃいますって。あとですね、アントンはん、おそらく、もう死んでまっせ」
モスフェウスが斜めに構えて、懐疑的な口調で訊いてきた。
「本当か?」
「死体を確認したわけやありません。でも、ブラリオスの縄張りに入って、大量の血痕を残して消えました。今ごろは消化されて糞になっていると思います」
モスフェウスは「ふむ」と頷いて背を向け「つまらん」と口にした。
「あの、一つ、いいですか、モスフェウスはんは何で、雷を落としてましたの」
モスフェウスが振り返った。モスフェウスは興味ない顔で、さらりと述べた。
「アントンが生贄を捧げる契約を守らなかったからだ。契約を履行するように、やつの財産を燃やしてやっただけだ」
モスフェウスの言葉は本当だろう。だとすれば、ここでモスフェウスが帰れば害はない。
モスフェウスの姿が煙と共に消えた、と思った。すぐに戻ってきた。モスフェウスが思い出したように尋ねた。
「そうそう、イサクは、どうした」
「アントンに殺されました、けど」
モスフェウスが何か納得した顔で「あ、そう」と口にすると、背を向けた。
「待ってください。無茶苦茶、気になりますやん。アントンはんの死を、教えたでしょう。イサクとアントンの間に何があったのか、教えてくださいよ」
モスフェウスが振り返って目を細めて、さも面倒臭そうに発言した。
「イサクは『氷雪宮』の女官を騙して宝を持ち出させたんだよ。そんで、そのイサクを騙して、アントンが宝を手に入れたわけ。もういいか」
「もう、一個だけ。宝って何」
モスフェウスが「何を分かりきった話を聞くんだ」と言いたげに教えた。
「アイス・ロック・マウンテン・ジャイアントの子供のアンディを封じ込めた宝玉だよ。俺が『氷雪宮』にある情報を教えてやった」
アイス・ロック・マウンテン・ジャイアントは神々の時代にいたとされる巨人だった。大きな氷山のようで、立ち上がれば雲を突き抜ける山のように大きいと言い伝えがあった。今でもテンシャン山のどこかに住んでいるといわれているが、見た人間はいなかった。
「えーー、まさか『ランサン渓谷』に出現した氷塊の正体って、アンディですか」
モスフェウスが苛々した顔で突っ慳貪に応えた。
「んなことは、知らねえよ。もう、帰るからな」
モスフェウスの姿が煙と共に消えた。
「えらい情報を知ったで。なにかの拍子にアンディが目を覚まして街にやって来たら、街が潰される。『氷雪宮』から宝を持ち出した女官はビクトリアや。ビクトリアから今の内に事情を聞いておかないと、大変な事態になる気がする」