第七十五夜 おっちゃんと森の魔女(前編)
泥炭の搬入に成功して十日が経過した。寒さは日増しにきつくなる。雪はそれほど降らなかった。おっちゃんは十日間、塩をシバルツカンドへ運び続けた。
十日間に亘って塩が入ってきたおかげで、街は塩不足の不安から解放され、ベーコンや塩鱈の値段も落ち着いた。
街の人の中には、おっちゃんを「塩と燃料を扱う商人」だと勘違いする人も出始めていた。
おっちゃんは街で有名になりつつあり、金も貯まった。
「これ、まずいな。段々と名声が広まっている。でも、塩を止めたら、冒険者は立ち行かなくなるし、街の人も困る。どうしたもんかな。なんぞ、誰にも迷惑を掛けずに評判を落とす方法って、ないやろうか」
おっちゃんは一人で酒場で飲んでいた。ハラールが寄ってきた。ハラールは小僧に小さな袋も持たせていた。
「ちょっと、いいか」とハラールがおっちゃんに声を掛けて密談スペースに移動した。
ハラールが明るい顔で頼んできた。
「おっちゃん、また、泥炭を掘りに行きたいんだ。前に掘った分が、もうじき底を突く」
「底を突くって、橇四十八台分やで。早すぎるやろう」
ハラールが苦い顔して言い放った。
「買いだめだよ。街の連中は、今年の冬に薪が手に入らないのではと思っている。大雪だった去年と比べ、今年は雪が少ない。だが、冬は、まだこれからが本番だ。手に入るうちに泥炭を、って考える。結果、買いだめに走ったんだよ」
消費者心理を考えると理解できる。だが、ブラリオスを退かすのは非常に困難だ。
「あかんな。眠り薬は一度でも飲むと耐性ができる。二度目は効かん。無理や」
ハラールが真摯な顔で懇願した。
「でもな、おっちゃん、これは重要な問題なんだ。燃料が入らないと、街の人間はいずれ、凍え死んでしまう。どうにかならないか。この通り頼む」
「もう、なんで、そんな、街が生きるか、死ぬか、の重要な問題を持ち込むん。おっちゃんなんて、しがない、しょぼくれ中年冒険者やで」
ハラールが、おっちゃんを拝みたおすようにお願いした。
「そう言わないで、助けてくれよ。おっちゃん。いや、おっちゃん様」
「やめて、おっちゃん様なんて呼ぶの。でも、いいよ、何か考えるから」
ハラールが表情を明るくして発言する。
「そう言ってくれると助かる。あと、これ、約束の金だ。受け取ってくれ」
「お納めください」小僧がお礼を口にして袋を差し出した。
袋は、ずしりと重かった。中を開けると、金貨が千枚近く入っていた。
(なんや、この金額。想像以上やで。もう、おっちゃんは、儲けたくないのに)
翌日、おっちゃんは上等のワインと干鱈と金貨千枚の詰まった袋を持って、啄木鳥亭を出た。
ウーフェをどうにかしてくれる当ては、ある。森の魔女だ。
おっちゃんは淡い期待を込めて『ダヤンの森』に脚を踏み込んだ。細心の注意を払いつつ、ブラリオスの棲む洞窟に向かった。洞窟の中に続く魔女の足跡がない状況を確認した。
『巨人木の小枝』を持って『ダヤンの森』の奥へと進んだ。森の奥へと進むと不思議な感覚に襲われた。おっちゃんは、すぐに悟った。
「あかん、これ、この先はダンジョン化しているで」
おっちゃんは、いくつものダンジョンで働いてきた。おっちゃんには一瞥しただけで、目の前の場所が普通の森なのかダンジョンなのか、察知できる能力が身に付いていた。
ダンジョンかそうでないかの違い。細かい内容はいくつもあるが、簡単に言えば、管理者がいるかどうかだ。管理者がいれば、罠もあればモンスターも出る。
「『氷雪宮』の近くにダンジョンがあると聞いた覚えはない。おそらく、ここは個人的なダンジョンやな。とすると、森の魔女が管理者か」
人が入ってこないようにしてあるなら、侵入者は排除される。
(気が引けるわ。でも、行くしかないか)
おっちゃんはダンジョンに足を踏み入れた。
途端に、雪に覆われた森が消えて、一本道が続く、緑の森が目の前に出現した。
おっちゃんは『方向感覚』の魔法を唱えた。
『方向感覚』は常に北がわかるコンパスのような働きをする魔法。『方向感覚』を唱えても、効果を現さなかった。
「あ、これ、なんかわかったかもしれん」
おっちゃんは道端に落ちている石をいくつか手に入れた。石を蹴飛ばしながら、ゆっくりと進む。
転がる石が途中で何かに弾かれたように戻る場所があった。石を通り越して進んだ。おっちゃんは弾かれたりしなかった。地面を見ると、追い越したはずの石が目の前にあった。
「回転床やね。床がわからないように回転して方向を変える奴や。踏んだ人間に廻った感覚がなかったから、値段の張る床を使っているね」
おっちゃんは石に背を向けた。再び石を蹴飛ばしながら進んだ。途中で道がわずかに湾曲している状況に気が付く。おっちゃんはダンジョンの構造を理解した。
「これは、あれや、螺旋状になっているやつやね」
螺旋状の通路に数箇所回転床を設置する。結果、どこまで真っ直ぐ進んでもゴールに辿り着けないダンジョン。『方向感覚』を封じている状況が、おっちゃんの考えが当りだと言っている気がした。
しばらく進むと、半径二十mほどの、円形の広場が見えてきた。
広場の中央には青白く光る身長十二mの大きな金属鎧のような巨人がいた。青白く光る金属は魔力を帯びた金属のミスリル銀だと物語っている。超兵器といわれるミスリル・ゴーレムが佇んでいた。
「これ、戦ったら死ぬね。かといって、ここまできたら、引き返す道は、ないんだけどね」
おっちゃんは広場に足を踏み入れた。広場を囲むように背の高い土壁が現れる。
ミスリル・ゴーレムから森の魔女の声がした。
「よくぞ、ここまで着た。森の魔女に会いたければ、私を倒してみよ」
「知恵でお願いします」
「なんだ」と訊くので説明する。
「力の勝負じゃ勝てないので、知恵の勝負でお願いします」
「わかった。では行くぞ、第一問――」
「ちょっと待って。森の魔女さんに干鱈とワインの貢ぎ物を持ってきたんですけど、どこに置いたらいいですかね」
「後ろに置け」
おっちゃんの行動に対して、ミスリル・ゴーレムは臨機応変に対応した。
(これ、どこかで森の魔女さんが見ているね)
「後ろですか」と、おっちゃんは北の方角になるミスリル・ゴーレムの後ろに行こうと前に進む。
「違う、違う」と声がする。
おっちゃんは、わざときょろきょろ回転する。
「北? 南? どっち」
「南よ。南。さっきいたお前の位置から見て、お前の後ろ」
(南と仰るから、おっちゃんが入ってきた南側から見ているね)
おっちゃんはミスリル・ゴーレムに右肩を見せる立ち方をする。
「えー、さっき、おっちゃんが立っていた位置から後ろいうことは、左でいいですかね」
「そうなるわね」
(おっちゃんと左側が一致しているところからすると森の魔女さんの位置は東側かな。南東が怪しいね)
おっちゃんから見て左に進んで「ここですか」と訊く。
「そのへんの壁の端よ」と指示があったので、貢ぎ物を置いた。
「では、第一問――」とミスリル・ゴーレムが口にする。
おっちゃんは南東に走っていった。南東の壁から少し離れた位置で遊び心のこもった声を出す。
「魔女さん、見ーつけた」
おっちゃんの視点から右に三m離れた位置に、魔女が姿を現した。
森の魔女が可愛らしく発言する
「見付かっちゃった。どうしてわかったの」
「勘ですやん。勘、それで、試練クリアーでいいですかね」
森の魔女が腰に手をやって「しょうがない」とばかりに発言する。
「いいわ、貢ぎ物を持って従いてきなさい」
森の魔女が消えると、青いドアが出現した。