第七十三夜 おっちゃんとエルリック
おっちゃんは泥炭を持って、啄木鳥亭に戻った。
「これは売り物やから、手を出さんといて」と冒険者たちに釘を刺す。おっちゃんは酒場に籠を置き、ルーカスの執務室のドアをノックした。
返事を待って部屋に入った。ルーカスの部屋は魔法の暖房機器のおかげで温かかった。
「ルーカスはん、お願いがあります。今すぐ、領主のエリック宛に紹介状を書いてもらえませんやろうか。儲け話があるんや」
「いいよ」とルーカスは嫌な顔をせず机に向かい、紹介状を書き始めた。
書いている間ルーカスに何も尋ねなかった。あまりに素直なので何か裏があるのかと疑った。
「おっちゃんが何をやるか、訊かへんの」
ルーカスが笑顔で温和な口調で話した。
「言いたいなら、話したらいい。言いたくなければ、黙っていればいい。おっちゃんは飯が不味いと嘆く冒険者のために塩を仕入れてきた。また、寒さに凍える仲間のために泥炭を掘ってきた。そんな人間のする行いで、悪事のはずがない」
(なんや、えらく評判が上がっているな。今までの経験からすると悪い兆候やね。でも、ここで投げ出したら、街の人が寒さに泣くだけやからな。評判は後で落とそう)
ルーカスから紹介状を受け取った。泥炭の入った籠を担いで領主の館に急いだ。
玄関のドアを叩くと、コートを着た老執事が、おっちゃんを出迎えた。
「冒険者ギルドから来ました、おっちゃんと言います。泥炭の採掘権を売って欲しいので、領主様に取り次ぎをお願いします」
おっちゃんは紹介状を差し出した。老執事が紹介状の封印を確認した。
「こちらで、少々お待ちください」
老執事はおっちゃんを館に中に案内した。館の中は外とあまり変わらず、冷え冷えとしていた。
館の玄関ロビーはベンチとテーブルがあるだけだった。床についている跡から以前には何かあったと推測される。だが、今は調度品が何もなかった。暖炉もあるが、火は消えていた。
(なんや、没落した、商家のような家やな。領主には金がないのか)
少しすると老執事が戻ってきて「こちらです」と澄ました顔で案内した。
館の中を歩くが、やはり、調度品の類がまるでない。大きなドアの前で老執事が止まった。老執事がドアをノックすると「入れ」の子供の声がした。
ドアの向こうには十二歳くらいの赤いコートを着た男の子が机を前に座っていた。子供は金髪で綺麗な青い目をしていた。顔には、まだ幼さが残っていた。
通された場所は領主の執務室だった。執務のための机や椅子はあった。壁の書庫には資料らしき本が詰まっている。だが、調度品は、前領主のものと思われる二十インチの肖像画だけだった。
老執事が気品のある声で、おっちゃんに紹介する。
「こちらら領主のエルリック・ホールファグレ様です」
「おっちゃんいう冒険者です。今日は泥炭の採掘権の話で来ました」
エルリックは不機嫌そうに返した。
「おっちゃんよ。何ゆえ、泥の入った籠を持っておる。失礼であろう」
「これは泥炭です。現物を見せたほうがよろしゅう思うて、持ってきました」
エルリックは怒った。
「馬鹿な言葉を申すな。泥が燃えるわけがないだろう。余をからかっておるのか」
「燃えますよ。論より証拠。暖炉をお借りしてよいでしょうか」
「燃えるものならな」とエルリックが馬鹿にしたように口にする。
『着火』の魔法で、おっちゃんは火を点けた。泥炭に火が着き、部屋を暖める。
泥炭の燃える様子に驚いたエルリックだが、すぐに取り繕う。
「なるほど。それで、この泥炭とやらは、我が領地で取れるのか?」
「はい。それで、採掘を認めて欲しいんです。ずっとやないです。取りあえず、明日一日だけで構いません。お願いできませんやろうか」
エルリックが大きく頷いて発言する。
「よし、いいだろう、ただし、半分をよこせ」
「半分は高すぎます。精々一割ですわ」
エルリックが目を三角にして怒鳴った。
「それでは、余の取り分が、ほとんどないであろう」
「あの、おっちゃんが一人で取るわけではありませんよ。林業ギルドと協力して大勢に取りに行きます。ですから、一割でも、かなりの量になりますわ」
エルリックが横目で見て不信感の篭った声を放つ。
「余を騙そうとしているのではあるまいな」
(あかんね、この子。泥炭の価値もわかっていなければ、ビジネスの規模も理解しておらん。しゃあない、もっとわかりやすい物を示すか)
おっちゃんは財布の中身を確認する。
「わかりました。では、こうしましょう。手元に金貨が十枚あります。金貨十枚を今ここで払います。それで、明日は泥炭を取り放題にしてください。もちろん、取れなくても返せとはいいません」
エルリックがおっちゃんの背後の執事に目を向けてから頷く。
「わかった。それでいいだろう。泥炭を掘るのを許可する。あと、今日、持ち込んだ泥炭は、置いていってもらおうか。こちらで、もう少し泥炭とやらを調べる」
館の中を見ればわかる。エルリックは金に困っている。薪にも事欠くありさまだ。暖房は欲しいが金がないと言えんのだろう。
おっちゃんはエルリックの体面を傷つけないように心懸ける。
「ええですよ。好きなだけ吟味してください。その代わり、許可証を今日中に冒険者ギルドに届けてくださいな」
エルリックは鷹揚に頷く。
「わかった。約束しよう」
許可が取れた。林業ギルドへと急ぐ。林業ギルドにはハラールがいた。
「ハラールはん、いいところに、美味い儲け話を持ってきたで、人を集めてや」
ハラールが渋い顔で、おっちゃんの言葉を疑う口調で応じる。
「皆、仕事にあぶれて、人手なら余っている。だけど、なんだい、儲け話って」
「泥炭や。で・い・た・ん。領主から、明日は採掘していい、って許可を貰った」
ハラールは浮かない顔をした。
「泥炭は知っている。金になる状況もわかる。でもよ、泥炭が掘れる場所はブラリオスの塒の前だ。危険すぎる」
おっちゃんは自信タップリな態度を見せた。
「では、その、ブラリオスを眠らせられるとしたら、どうや」
ハラールが驚きの顔で、上ずった声で確認した。
「そんなこと、できるのかい」
おっちゃんは嘘を捲し立てた。
「おっちゃんな、森の魔女から眠り薬を貰ったんや。これを肉に入れてブラリオスに喰わせる。そんで、ブラリオスが寝ている隙に泥炭を掘って立ち去るんや」
ハラールはすぐに信用しなかった。
「うまくいくのかい、その作戦」
おっちゃんは、そっけない態度に出た。
「作戦に失敗は、付き物や、だが、おっちゃんなら、九割は上手くやれる自信がある。あとは、乗るか、乗らないか、や。嫌なら。建築ギルドに話を持って行くだけやけど」
ハラールが真剣な顔で訊いてきた。
「わかった。おれは、おっちゃんに乗る、で取り分は、どうする」
「泥炭の売り上げの半分や」
ハラールが苦い顔で歯切れも悪く値切った。
「人員の手配。道具の準備。倉庫での保管。販売も林業ギルドがやる。なのに、半分か。ちょっと取りすぎだぞ」
「おっちゃんは明日の採掘のために、金貨十枚を使っている。それに、ブラリオスに眠り薬の入ったエサを喰わせる仕事は命懸けや。半分は貰わんと割に合わん」
「わかった。半分で手を打とう。働かないと干上がっちまう」
「では、明日の早朝、西門に道具と人を連れてきてや」
おっちゃんは豚肉を買って明日を待った。