第七十二夜 おっちゃんと不動産屋
二日後の朝、酒場に行くと、掲示板に依頼票が貼ってあった。内容はブラリオスの討伐。依頼主は領主のエルリック。報酬は完全成功報酬で、一人につき金貨三枚。実施日は明日。
冒険者たちは、考え込んでいた。金は欲しい。だが、相手は強敵ブラリオス。簡単にはいかない。展開によっては全滅も在り得る。
おっちゃんは、討伐に否定的だった。
(確かに討伐できれば泥炭地が手に入る。せやけど、戦場は雪の上で、森の中や。ブラリオスと戦う行為は分が悪い。それに、依頼が急すぎる。これでは訓練どころか、装備の調達も難しい)
話を聞くだけでもと、十人以上の冒険者が受付カウンターに移動していた。ほどなくして募集枠が埋まった。ニーナの手により、依頼票は外された。
翌日、冒険者ギルドから十二人の冒険者が討伐に出かけた。
昼前に冒険者は、十人に数を減らして帰ってきた。帰ってきた十人のうち、五人は大怪我を負っていた。誰の目から見ても、ブラリオス討伐は失敗だった。
(上級冒険者はまだ『氷雪宮』から戻らん。討伐するなら、冒険者が総出で当らなければ無理やな。でも、しぶちんのエルリックは、そこまで金を出す気はないようやな)
泥炭がなくなってきた。籠に豚肉を詰める。再びブラリオスに会いに行った。泥炭を掘るのが目的だったが、ブラリオスの状態を確認する狙いもあった。
ブラリオスの縄張りに入った。トロルの姿になって塒の洞窟を目指した。
洞窟を入ろうとすると、すぐにブラリオスの唸り声が聞こえてきた。
「トロルの商人の、おっちゃんです」
ブラリオスが出てきた。ブラリオスの毛皮には焼け焦げの跡があった。瞼の上を切り、脇腹も怪我していた。致命傷ではないが、軽傷でもなかった。
知っていて、知らん振りをする。心底、心配した演技をした。
「ブラリオスはん、どうしました、その怪我」
ブラリオスが渋い顔で、ぶっきら棒に答えた。
「人間にやられた」
ブラリオスが初めて喋った。
(なんや、やっぱり喋れるんやね)
「そら、災難でしたね」
ブラリオスは疲れた口調で話す。
「何か食い物を持ってないか」
おっちゃんは下手に出た。
「へえ、今日も泥炭を掘らしてもらおう思うて、手土産に豚肉を持ってきました」
おっちゃんは豚肉を籠から出す。ブラリオスは、がつがつと食べた。
豚肉を食べ終わると、ブラリオスが身震いした。次いで、大きく吠えると、傷が塞がっていく。
(再生能力があるんやね。戦うんなら、これは厄介やね)
ブラリオスが毅然とした態度で発言する。
「世話になった。泥炭なら好きなだけ持って行け。私には無用のものだ」
ブラリオスが洞窟に帰ろうとしたので、声を掛ける。
「ブラリオスはん、人間は、また来るかもしれん。しかも数を増してくるかもしれへん。そうなったら、追い払うのも大変でっしゃろ。いっそ、この土地を売りませんか」
ブラリオスが怒った口調で話す。
「ここを引き払って、どこに行けと言うんだ」
(なんや、前回は取り付く島もなかったのにな。冒険者と戦って心境が変化したか)
「なら、『氷雪宮』のダンジョン不動産屋に相談しましょう。お金の心配なら、しなくてよろしい。おっちゃんが、どうにかします」
この世の土地は全てが人間のものではない。ダンジョンの付近など、人間の支配が及ばない地域はダンジョン・マスターが実質支配している。ダンジョン・マスターから委託を受けて不動産を管理しているのが、ダンジョン不動産屋だ。
ブラリオスが視線を外して、ぼそりと同意する。
「まあ、見るだけ、見てみるか」
おっちゃんは付近に生えている『巨人木の枝』を手にした。
ブラリオスの気が変わらないうちに、『ダヤンの森』を抜けて、『氷雪宮』へと急いだ。
途中で気の良さそうなトロルに会ったので、道を尋ねる。
「すんまへん、『氷雪宮』のダンジョン不動産屋に行きたいんですが、どう行ったらいいですかね」
「不動産屋なら『氷雪宮』の中まで行かなくてもいいですよ。人間が出る、この時季は、『スワ湖』の北側に出張所が出ているんで、そっち行ったほうが安全ですよ」
気の良さそうなトロルは雪に地図を描いて場所を教えてくれた。おっちゃんは『記憶力』の魔法で地図を覚えた。
教えられた場所には、遊牧民が使う玉葱型のテントがあった。テントはトロル用で、かなり大きかった。
おっちゃんは入口で声を出す。
「お頼の申しやす。こちらダンジョン不動産屋で、合っているでしょうか」
「はい、ただいま」と声がして、テントから老トロルが出てきた。
「わいは、おっちゃんいいます。こっち、ブラリオスはん。ブラリオスはんが、居住地を探しておるんですが、お願いできますか?」
老トロルはニコニコして、ブラリオスに尋ねる。
「どんな、物件をお探しでしょうか」
ブラリオスが真剣な顔で、すらすらと語った。
「ここの近くで、そこそこ広くて、鹿や猪なんかが狩猟ができる場所がいい。もちろん、人間の来ない場所だ。塒として、洞窟などがあると、なおいい」
老トロルは商売気のある笑顔で勧める。
「それでしたら、いい場所がございますよ。ここより三キロ行った『スワ湖』の畔です。ただいま、居住者がいないので、即入居可能です。釣りも自由です」
おっちゃんは、気になる賃料を聞いた。
「それで、賃料は、おいくらですか」
「ワンシーズンで五百万ダンジョン・コイン。人間の金貨なら、五百枚になります」
なかなか、いい値段がする。
「試しに、二、三日ほど住んでみる試験居住は可能ですか。これだけ高いと、借りたはいいが、想像と違ったとなると、大変ですし」
老トロルは、いい顔をしなかった。
「建造物がないので試し住みは可能です。ですが、お試し入居は雪が降る前に契約された方だけの特典でして、今からの申し込みをされる場合は、ちょっとねえ」
老トロルは一度、思わせぶりに言葉を切って、上目づかいに発言する。
「難しいですね」
おっちゃんは、ピンと来た。
(魚心あれば水心とは、この状況やな)
おっちゃんは老トロルとブラリオスに背を向けた。持ってきた荷物から財布を取り出し、金貨十枚を握った。
老トロルに近づき、手を握った。
「そんなこと言わんと、特別にお願いできませんか」
老トロルがにこりとした顔をし、自然な態度で金貨を受け取った。
「初めての場所は不安でしょうからね。お試し期間は三日で、どうでしょう」
ブラリオスと一緒に『スワ湖』の西に移動する。
「ほな、三日後の昼に、また来ます。ここが気に入ったらここへ。気に入らんかったら戻る――で、よろしいですか」
ブラリオスが、まんざらでもない顔で口にする。
「そうだな。少し、棲んでみるか」
おっちゃんは人間の姿に戻ると、急ぎシバルツカンドに戻った。
「さあ、これから、忙しくなるでー」