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第七十夜 おっちゃんとアイス・ワイバーン

 翌日、新たな問題が発生していた。塩を買いに行った冒険者が帰ってこなかった。順当に行けば、昨日辺りに帰ってくるはずが、戻ってこなかった。連絡もない。


「慣れない雪道で遅れているんだろう」と噂していた者も、夜が明けて昼になると、沈黙した。


 暖炉から火が消えた。新たな薪をくべる者は、いない。


 おっちゃんは薪を売ってもらうために林業ギルドに行った。

「おっちゃんいいます。薪を売ってもらえませんやろうか」


 林業ギルドの受付職員が困った顔で、おずおずと申し出た。

「冒険者ギルドに薪は売れません。でも、おっちゃんには薪を売るように言われています。ですが、薪を売ろうにも、薪がないんです。街では薪が不足しています。使われていない家を解体することで辛うじて、薪を作っている状況です」


 おっちゃんは建築ギルドにも行ってみたが、建築ギルドの職員も首を横に振る。

「薪は貴重品でね。今は売るほどないんです」


 おっちゃんは落胆して冒険者ギルドに戻った。

 エールを飲みながら、独りごちる。

「塩の買い付けに行った冒険者は無事やろうか?」


 近くにいた冒険者が教えてくれた。

「おっちゃんがいない間に、新しい依頼票が、貼ってあったぜ。内容は、塩を買いに行った冒険者の捜索だ。五人の冒険者が依頼を受けていた」

 捜索隊が出たと聞いて、少しホッとした。


 五人で出かけて行った冒険者は、翌日に三人で帰還した。

 帰ってきた冒険者のリーダー格の男が、カウンターに三つの小さな袋を置いた。


「塩を買い付けに行った奴等は見付からなかった。氷塊の上に落ちていた装備の残骸の中から、買い付け代金の入った袋だけが回収できた。おそらく、遺体は今ごろアイス・ワイバーンの腹の中だ」


「ご苦労様でした」

 ニーナが帰らぬ者を悼む顔で、報酬の小袋を渡した。


 リーダー格の男が何も言わずに報酬の袋を悔しそうに握り締めた。


 一時間後に、ニーナが掲示板に、新たな依頼票を貼った。塩の買い付けの依頼だった。前日の依頼より報酬が三倍に積み上がっていたが、誰もやるものがいなかった。


 昼時になると、誰かが苛立った顔で愚痴を口にした。

「また、シチューが薄くなったな」


 おっちゃんも、シチューを食べていた。シチューが薄くなった気はしなかった。相変わらず塩気がなく味気ない、いつものシチューだった。


 ニーナが浮かない顔で、おっちゃんを呼んだ。

「おっちゃん、塩の仕入れを、引き受けてくれないかしら」


「おっちゃんが独りでやるんなら。ええよ。塩気のないシチューには飽き飽きしたところや」

 不思議と了承の言葉が自然と出た。ニーナが驚いた顔で確認してくる。


「頼んでおいてなんだけど。本当にやるの」


 誰かがやってくれるなら、任せたい。だが、やろうという人間は誰もいない。ならば、やらねばならない。このままでは、いずれ、冒険者は塩不足で動けなくなる。


「やるよ。おっちゃんは戦う仕事ができない、しがない、しょぼくれ中年冒険者やけど。お使いくらいなら、できる。塩を買ってくるよ」


 おっちゃんは塩の買い付け代金を受け取った。

 ニーナの「行ってらっしゃい」の声を聞いて、おっちゃんは街を出た。


 雪が降っていたが、吹雪になりそうにはなかった。おっちゃんは『ランサン渓谷』に向かった。

『ランサン渓谷』を通過するルートは整備されているので、迷いはしない。渓谷側は雪が少ないので徒歩でも移動できた。


『ランサン渓谷』の手前に着いた時は、夕方だった。『ランサン渓谷手前』で服を脱ぎ、服をバック・パックに詰めた。


 おっちゃんはアイス・ワイバーンに姿を変えた。

 アイス・ワイバーンの知能は動物並み。アイス・ワイバーンになったからといって、攻撃されない保証はない。狼だって、群れの外から来た同じ狼に対して攻撃的な態度を取ったりする。


(さて、うまくいくかどうかは賭けやな)


 おっちゃんは『ランサン渓谷』を飛ぶ。

 噂の氷塊が見えてきた。氷塊は巨人が横たわったような巨大な氷塊であり、小山のようだった。

(氷塊を登る行為は、猿でも無理やで、登れたとしても足場が悪い。アイス・ワイバーンに襲われたら、しまいや)


 氷塊の上に差し掛かった。

 空からアイス・ワイバーンの大小二頭が近づいてきた。


(来たで。うまく躱さんと)


 二頭は、すぐに攻撃してこなかった。空中で羽搏(はばた)きながら、おっちゃんを警戒していた。アイス・ワイバーンが威嚇(いかく)の鳴き声を上げた。


 おっちゃんは、渓谷を外れて逃げるように飛んだ。アイス・ワイバーンが追ってきたので、上へと逃げた。


 強風が吹いた。大きな体と強靭な翼を持つアイス・ワイバーンの体なら飛べた。

 おっちゃんは逃げた。ひたすら、逃げた。アイス・ワイバーンが追う。強風の中、追いかけっこが行われる。


 五㎞ぐらい飛んだだろうか。アイス・ワイバーンが追うのを止めた。

 二頭のアイス・ワイバーンは縄張りから余所者を追い出して満足したようだった。二頭のアイス・ワイバーンは、悠然と帰っていった。


(ふう、なんとか戦いにならずに済んだの。戦いになったら、危なかった)


 下を見る。険しい岩山で下りられる状態ではなかった。そのまま、迂回するように『ランサン渓谷』に戻った。街道に戻ると、人間の姿に変化して服を着た。


 街道を東に進んだ。夜中にラップカンドの港街が見えてきた。やっている宿屋で一泊した。

 宿屋で朝食を摂って、塩を扱う商館に向かった。途中の市場で背負い紐を買い、商館で塩を購入した。塩の価格は四十㎏で銀貨四十枚だった。塩の入った四十㎏の大きな袋を背負う。


 重い荷物を背負って、『ランサン渓谷』に入った。アイス・ワイバーンに変身した。

 アイス・ワイバーンは首の力が強く、四十㎏の塩の入った袋をぶら下げても楽々持てた。


 昨日のアイス・ワイバーンを警戒して、縄張りを避けるように飛んだ。

 飛んだ経路が良かったのか、帰りはアイス・ワイバーンの姿を見ることはなかった。


『ランサン渓谷』からシバルツカンドへ延びる街道に戻って人間の姿になった。服を着て、塩を背負った。おっちゃんは重い荷物を背負って、シバルツカンドへ向かった。


 夜中に街に着いて啄木鳥亭へと向かう。依頼報告カウンターの近くで荷物を下ろした。

「ただいま、塩を買ってきたで」


 ニーナが綻んだ顔で声を掛ける。

「お帰りなさい。おっちゃん」


 冒険者ギルドのシチューに、塩気が戻った。まだ、薄いと愚痴る冒険者もいた。だが、味が戻り、多くの冒険者の顔に、ささやかだが、笑顔が戻った。


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