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第六十八夜 おっちゃんと薪(中篇)

 十分ほどでニーナが戻ってきて、酒場に残る冒険者に声を掛けた。

「ギルド・マスターからの依頼です。『ダヤンの森』に取り残された、樵と冒険者を救助に行ってくれる人は、いませんか。報酬は全体で金貨六枚です」


 報酬は高い。だが、誰も名乗りを上げる冒険者は、いなかった。

(無理もないか。腕の立つ冒険者は『氷雪宮』に行って篭ったまま、戻ってきていない。帰ってきた中級冒険者は怪我でボロボロ。その上、寒さと塩気のない食事で気力を奪われとる。下級冒険者に限っては、半数以上が出て行って、帰ってこん。これでは、恐ろしくて仕事を引き受けられん)


 誰も引き受け手がいないと、ニーナは悲しそうな顔をした。

 ニーナは依頼票を作成すると、掲示板に貼った。だが、掲示板を見に行く冒険者は、いなかった。冒険者は消えてもまだ少し温もりのある暖炉の傍にいた。少しでも温かさを得ようと、じっとしていた。


 誰も来ない依頼受付カウンターでただじっと立っているニーナと、目が合った。

 ニーナは何も言わなかった。ただ、寂しそうな顔で何かに耐えるように立っていた。


 ニーナの顔を見ていて、居た堪れなくなった。

(おっちゃんかて、命は惜しいんやけどなー)


 おっちゃんは立ち上がった。酒場でベーコンとエールを購入した。

 部屋に帰って外に出る準備をした。


 用意が調うと、依頼受け付けカウンターに行った。

「おっちゃんが行っても、ええでー。ただし、あまり期待しないでやー」


 ニーナが心苦しそうな顔で、控えめに口を開いた。

「おっちゃん、本当にいいの。危険な仕事よ」


「余計な言葉は不要や。ニーナはん、にっこり笑って、行ってらっしゃいの声を掛けてくれたらええ。そしたら、おっちゃんは、ただいまを聞くために帰ってくる」


 おっちゃんはニーナに背を向けた。背後からニーナの大きな「行ってらっしゃい」の声が聞こえた。

 おっちゃんは啄木鳥亭を出てエメリア酒造に向かった。

(救助が一刻を争う事態なのは、わかる。だが、なにも予備知識がないまま、ウーフェの大群の中に入る行為は無謀や。ヘルマンなら何か知っているかもしれない)


 エメリア酒造の入口でヘルマンを呼んでもらった。

「樵たちが森に入った。ウーフェの大群に襲われて、孤立している。助けに行かなあかん。ウーフェから身を守る方法はないの?」


 ヘルマンは浮かない顔で忠告した。

「ハラールも馬鹿な仕事をさせたもんだ。止めときな。ウーフェの大群に挑むなんて、愚か者がする行為だぜ」


「しょうがない。これも仕事や。辛い内容や嫌な任務でも、仕事である以上、やらなあかん状況ってあるやろう。おっちゃんにとって、それが今だっただけや」


 ヘルマンが同情した顔で、力なく口にした。

「冒険者ってのも辛いな」


 ヘルマンが腕組みして、険しい顔で静かに語った。

「実はな、ウーフェから身を守る方法があるっちゃ、あるんだよ」

「なんや、あるんかい。教えてや」


「『巨人木の枝』さ。『巨人木の枝』を持っていれば凶暴化したウーフェでも寄ってこない。ただ、『ダヤンの森』のどんな木で、どこに生えているかなんて、わからない。知っているとすれば、森の魔女だけさ」


「森の魔女には、どうやったら会えるん?」


 ヘルマンが浮かない顔で淡々とした口調で教えた。

「森の魔女がどこに住んでいるかは、わからない。ただ、最近はブラリオスの縄張付近で見た、っていう人間がいる。ブラリオスの縄張りの向こう側に住んでいるのかもしれないが詳しい場所はわからん」


「わかった。ありがとう」と礼を述べて、背を向けた。

「死ぬんじゃないぞ、おっちゃん」と背後からヘルマンの気遣う声が聞こえた。


 おっちゃんは街の西門で考える。

「森の魔女か。危険やけど、ブラリオスの縄張りに行ってみるか」


 街の外でデッポウ鳥を見かけた、デッポウ鳥はナナカマドの実を(ついば)んでいた。

「デッポウ鳥が襲われんのなら、ウーフェは飛べないな」


 地上から行くと危険なので、『飛行』の魔法で空を飛んで移動した。

 空から見る分には、真っ白いウーフェは雪と同化していた。いるのか、いないのか、わからなかった。


「そろそろ、ブラリオスの縄張りやな」


 おっちゃんは空から縄張りに侵入した。森の魔女を探すが、それらしい人影はなかった。そのうち、直径十mの入口を持つ大きな洞窟を見つけた。洞窟の付近に静かに下りた。


 ウーフェを警戒する。ウーフェは、いなかった。

 洞窟の付近には、いくつも大きい足跡が存在した。

「ブラリオスの(ねぐら)やで」


 立ち去ろうか、考えた。洞窟に入っていく人間の足跡を発見した。

「目の前の洞窟がブラリオスの塒なのは、素人が見てもわかる。そんな、洞窟に入っていく人間はいない。まさか、森の魔女か」


 足跡は新しく出て行った形跡がなかった。洞窟に入れば、魔女に会えるかもしれない。

 洞窟に忍び足で近づいて、洞窟の中を覗く。奥からは灯りが漏れていた。


「誰か、おるね。森の魔女さんかな?」


 森の魔女がいる可能性は高かった。だが、これより先はブラリオスの塒だ。


 おっちゃんは「行くしかないか」と覚悟を決めた。

『暗視』と『透明』の魔法を掛けて洞窟に入っていった。洞窟は、なだらかな下り坂になっていた。十五mほど進む。

 天井まで高さが十m、直径が五十mはある大きな空間に出た。ブラリオスがいたが、奥で寝ていた。


 ブラリオスから五mほど離れた場所に、おっちゃんと同じくらいの身長の人間が立っていた。人間の付近には、明るく光る、魔力の篭った光の球が浮いていた。人間はファーの付いた白い外套を着ていた。


 顔はフードで見えなかった。白い外套の人物は、洞窟の壁をじっと見つめている。

「あら、こんなところに、お客さんかしら?」


 白い外套の人物から若い女の声がした。

 白い外套の人物は、おっちゃんの存在に気が付いていた。


 ブラリオスが襲ってこない事態を祈りつつ『透明』の魔法を解除する。ブラリオスを起こさないように、白い外套の人物に忍び足で接近した。


 白い外套の人物は、おっちゃんを警戒していなかった。おっちゃんはブラリオスを刺激しないように小声で話す。

「わいは、おっちゃんいう冒険者です。森に住む魔女さんを探しています。森に住む魔女さんですか」


 白い外套の人物が、フードを外した。相手は赤い髪の女性だった。年齢は四十くらい。丸顔に小さな鼻と唇をしている。愛想の良さそうな顔をしていた。


「確かに、私は森の魔女と呼ばれているわ。でも、こんなところまで追ってくるなんて、よほどのお馬鹿さんか、危急の用なのかしら。あと、もう少し大きな声で話して。聞こえ辛いわ」


 ブラリオスに視線が行く。森の魔女は、微笑んだ。

「大丈夫よ。彼は満腹の時は、こちらから攻撃しない限り、襲ってこないわ。ねえ、そうよね?」


 森の魔女の問いに、ブラリオスは不機嫌そうな顔で目を閉じていた。

(なんや、ブラリオスは人間の言葉がわかるんか)


 おっちゃんは真摯な態度で森の魔女に頼んだ。

「森に住む魔女さんにお願いがあって来ました。『巨人木の枝』を分けてもらえませんか。ウーフェに包囲されている樵を助けに行きたいんです」


 森の魔女は持っていた小さなバッグから長さ十㎝の木の小枝を取り出した。

「いいわよ。はい。あと二時間くらい、使えるわ」


『巨人木の枝』は、そこら辺に生えている木の枝となんら変わりがなかった。

(なんや、この小枝で、本当にウーフェから身を守れるんかいな)


 森の魔女が、おっちゃんの考えを読んだように発言する。

「それ、ここら辺に生えている、木の枝よ」


「エッ」と、おっちゃんが口にすると、森の魔女は訳知り顔で説明する。

「『巨人木』は人間が住む前は、この付近のいたるところに生えていたわ。でも、人間があらかた伐ってしまったのよ。まだこの付近には、ところどころに残っているわね。だから、ブラリオスの縄張りの中に、ウーフェはいないのよ」


「『巨人木』についてもう少し、教えてもらえませんか」


「いいわよ。はい」と森の魔女が、人差し指でおっちゃんの額に触れた。

 おっちゃんの頭に『巨人木』の知識が流れ込んできた。


(森の魔女さんて、凄いやん、これは、もう超級の腕前やね)


 おっちゃんが感心していると森の魔女は微笑んで要求した。

「お礼は、ワインと乾しタラでいいわよ」


「すんまへん。ベーコンとエールならあるんですが、ワインと乾しタラは持っていません。ベーコンとエールで勘弁してもらえませんか」


 森の魔女は腰に手を当てた。拗ねた顔で口を尖らせる。

「仕方ない人ですね。いいですよ。今回だけ、負けてあげます。次は、ダメですよ」


「ありがとうございます」


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