前へ次へ
62/548

第六十二夜 おっちゃんと通り名

 イサクの葬儀の翌日、おっちゃんはギルド・マスターのルーカスから呼ばれた。

 おっちゃんはルーカスのいる部屋へ向かった。


 ルーカスは小太りの中年男だった。年の頃は、おっちゃんと変わらなかった。いつも良い物を食べているので、血色は良い。髪は金髪だが薄く、白い肌をしている。立派な髭を生やしていた。信心が篤く、大地の神を祭る教会から司祭の認定を受けており、冒険者ギルドでも青い僧服を着ていた。


 ルーカスの執務室は、冒険者ギルドにある。『氷雪宮』が出現するこの時季のみ、啄木鳥亭の上等な部屋を執務室として使っていた。


「失礼します」と、おっちゃんはルーカスのいる部屋に入った。

 ルーカスの部屋は、六十畳?と広い。本来は四人部屋だが、ルーカスは独りで使っていた。部屋には暖炉の代わりに四角い鉄製の魔法の暖房機器が設置され、暖かかった。


 部屋の入口から少し入ったところに、簡単な応接セットも備えられていた。


 ルーカスが応接セットのソファーを勧めた。おっちゃんが座ると、ルーカスも向かいに座って表情を曇らせた。神経質な口ぶりで話した。

「おっちゃんに相談がある。イサクの殺害の件についてだ」


(殺害と認定したか。葬儀の席でも死に方が異常や噂されとったからな)


「イサクの死について、司祭のベルゲから相談があった。秘密裏に魔術師ギルドから人を派遣して、検死してもらったそうだ。結果、死因は強烈な『氷結』の魔法によるもの、との結果が出た」


(睨んだとおりやったか。『氷結薬』なんで滅多に市場に出回らん。でも『氷結の薬』を飲まされて殺されたのならまだしも、『氷結』の魔法で殺されたのなら、厄介やで)


『氷結』の魔法は、難易度が高い。人を即死させるほどの『氷結』の魔法を使えるなら、最低でも、おっちゃんと同じ程度の魔法の腕を持っている。ちなみに、おっちゃんは『氷結』の魔法は使えない。


(これは、街の衛兵には荷が重いな。下級冒険者なら、『氷結』使いが相手なら六人いても、全滅がありうるで)


 ルーカスが控えめな態度で申し出る。

「そこでだ、おっちゃんに頼みなんだが、イサク殺しの犯人を、突き止めてもらえないだろうか」


「すんまへん。相手が『氷結』の使い手やったら、とてもではないですが、手に負えません。それに、おっちゃんは捜査のプロではないですよ。別の人を当ってもらうわけにはいきませんやろうか」


 今回は相手が悪い。『氷結』の使い手だったら、おっちゃんは全力を出さねば勝てない。手を抜ける相手ではない。負ければ死ぬし、勝っても、おっちゃんの実力が知られる。


 ルーカスが宥めた。

「別に、身柄を拘束しなくてもいいんだ。犯人を突き止めてくれるだけでもいい。最悪、逃がしてもいい。この件については、知る人間は少ないほうがいい。あまり広めたくないんだ」


「やっぱり、容疑者は冒険者のビクトリアですか。葬儀の席でも噂になっていましたで」


 ルーカスがほとほと困った顔で弱々しく発言する。

「正直に言うと、ビクトリア犯人説は間違いであって欲しい。でも、イサクの身辺を調べると、どうしても、ビクトリアが最有力容疑者候補になる。だが、うちは冒険者のギルドだ。証拠がない段階では、ビクトリアを庇わなければならない」


「なるほど、そんで、白か黒かハッキリさせたいわけですか。でもなあ、おっちゃんには荷が重いですわ」


 ルーカスが心底、困った顔をする。手を合わせて拝むようにして頼む。

「頼むよ。この通りだ。事情をある程度まで知っていて。身軽に動ける冒険者は君だけなんだ。報酬には色を付けて、金貨二枚を出すから。お願いだから、引き受けてくれ」


 気乗りはしない。だが、偉い人間にここまで頭を下げさせて断るのも、気が引けた。

(冒険者をやっていれば、こちらからお願いする未来もある。相手がギルド・マスターなら、貸しの一つも作っていても損はないやろう。でも、なあ、前も、そんなんで失敗したからな)


 おっちゃんは腕組みして考えた。ルーカスは「頼む。頼む」と深々と頭を下げた。

 心細そうなルーカスの顔。弱々しそうな姿勢。おっちゃんの義侠心を動かした。


(しゃあないか、見ていて可哀想や。本当に頼る人間が、おっちゃんしかおらんのやろう)


 おっちゃんは決断した。

「わかりました。調べてみます。でも、調べるだけでっせ。逮捕はしませんよ」


 ルーカスが顔を輝かせた。ルーカスがおっちゃんの手を取った。

「ありがとう、ありがとう」とルーカスは何度も口にした。


 酒場に戻ってニーナを呼ぶ。ニーナが、いつもと変わらぬ笑顔でやって来た。

「ニーナはん、ビクトリアさんて、誰? 呼ばなくていいから、こっそり教えて」


 ニーナが安心した顔で発言した。

「ビクトリアさんを探しているところを見ると、ギルド・マスターの依頼を受けたのね」


「もうね、あそこまで、情けない顔で頼まれたら、断れんよ。あれ、一種の顔芸よ」


 ニーナが、ぽそりと口にした。

「拝みのルーカスの本領発揮ね」


「なに、その通り名」

 ニーナがふふふと笑って教えてくれた。

「おっちゃんは知らなかったのね。ギルド・マスターは『拝みのルーカス』の異名をとるほど、人に頼むが上手いのよ」


(なんや、さっきの態度は、デフォルトか。これは、やられたで。顔芸やなくて完全な芸やん。役者やん。でも、引き受けたからには、もう後には引き下がれんしな。しゃあないな)


 ニーナが真剣な顔になって小声で話す。

「それで、ビクトリアさんなんですけど、イサクさんがなくなる前日から姿を消しています。啄木鳥亭に戻っていません。まだ部屋に荷物は少しありますが、行方はわかりません」


「そうか、わかったわ」

(これ、ビクトリアは、逃亡したかもしれんな。逃げてくれたほうが、おっちゃんは、ありがたい。だけど、話は、そう簡単にはいかんのやろうな)


前へ次へ目次