第五十九夜 おっちゃんと雪の街
季節は秋から冬に変わる頃。寒く晴れた空の下。光り輝く虫網とガラス瓶を持って一人の中年男性が走っていた。
男性の身長は百七十㎝、バック・パックを背負い、防寒仕様の皮鎧を着て、腰には細身の剣を佩いている。
歳は四十一と、いっている。丸顔で無精髭を生やしており、頭頂部が少し薄い。おっちゃんと名乗る冒険者だった。
おっちゃんは、追いかけていた。追う対象は、空を飛ぶ直径五㎝ほどの白く光る球体。球体の動きは蜻蛉のように素早かった。光る球体の正体はホワイト・ウィスプだった。
ホワイト・ウィスプは、秋の終わりから冬の始まりに掛けて『ダヤンの森』に出現する魔法生物だった。ホワイト・ウィスプは暑さに強くなる飲み物『クール・エール』の仕込みに使われる。
おっちゃんは魔法の掛かった虫網を素早く振って、ホワイト・ウィスプを捕まえた。
捕まえたホワイト・ウィスプを手に取ると、ひんやりと冷たかった。ホワイト・ウィスプを魔法の掛かったガラス瓶に入れた。
ガラス瓶の中にはすでに八匹のホワイト・ウィスプが入っていた。
「六時間で八匹か。まずまずといったところかの」
おっちゃんはタオルで汗を拭いた。水筒のエールを口にし、一息ついて辺りを見回した。
「あれ、ここ、どこや」
ホワイト・ウィスプを追いかけるうちに、森の深くに入った。同じような枯れ木が立ち並ぶ森では、慣れていない人間は迷う。空を見上げた。もうすぐ太陽は山の向こうに落ちそうだった。
「ゴガアアアア」
遠くから、獣の鳴き声が聞こえた。冬眠を前にエサを求める獣は、危険である。
「いかん、いかん。早よう戻らな、危険や。ブラリオスやったら洒落にならん」
ブラリオスは全長が五mの四本脚の白い獣。鋭い爪と牙を持ち、退化した蝙蝠のような羽を持つ。動きは俊敏で虎よりも速い。音を消す能力を持ち、魔力を感知する能力にも長けている。力は強く、あるていど魔法に耐性がある。肉食獣で、鹿や兎だけでなく、熊をも餌食にする。寒い場所を好み、冬になるとシバルツカンドにやって来る。
暖炉を対象として『物品感知』魔法を唱える。
おっちゃんは魔法が使えた。腕前は、かなりのもので、小さな魔術師ギルドのギルド・マスターが務まるほどだった。ただ、おっちゃんは目立ちたくないので他人前では魔法を極力使わないようにしていた。
『物品感知』の魔法のおかげで、シバルツカンドの方向と距離がわかった。シバルツカンドに向かって小走りに急いだ。日が暮れてきた。街へ急いだ。
背後から尾けてくる気配に気付いた。追跡者は巧妙かつ、迅速に距離を詰めてきていた。
(人間のものやない。まずいな、ブラリオスか)
急に走り出すのは危険だった。人間の脚よりブラリオスの脚のほうが何倍も速い。気付かれた状況を知られれば、間違いなくブラリオスは勝負に出る。
(相手の縄張りで戦うのも悪手やな)
おっちゃんは剣もそこそこに使えた。だが、木々が生い茂る森で剣は、扱いが難しい。
ブラリオスは生まれながらの狩人である。今まで、ブラリオスを狩ろうと何人もの冒険者が挑んで帰らなかった。剣を相手に戦う術を、ブラリオスは知っていた。
『物品感知』の対象を、洞のある大きな木に変えた。
近くに反応があった。ルートを変更して、木の洞に近づいた。
洞の前でおっちゃんはリスの姿を念じた。おっちゃんの姿が小さくなった。おっちゃんはリスになって、洞の中を駆け上がった。
おっちゃんは人間ではない。『シェイプ・シフター』と呼ばれる姿形を変化させられる能力を持ったモンスターだった。
洞の中で身を潜めた。洞の前に落ちたおっちゃんの装備に大きな獣の鼻が近づくのが見えた。
鼻の大きさからいって、相手はかなり大きい。
(やっぱり、ブラリオスが尾いてきておったか。危ないの。後ろから、がぶりとやられるとこやった)
辺りをうろうろしているブラリオスの気配がした。隔てた木の向こうからでも気配はわかった。
(急に狙っていた獲物が消えて戸惑っているんやろう)
おっちゃんは黙って、ブラリオスが去るのを待った。
ブラリオスがしきりにおっちゃんの服の臭いを嗅いだ。ブラリオスはおっちゃんの服の前から動かなかった。
(しばしの辛抱やな。隠れん坊は得意や)
ブラリオスが動き、気配が消えた。十秒後、鹿の鳴き声が森に木霊する。
(標的を変えよったか、ブラリオスは、獲物を巣に持ち帰って食べる習性がある。今頃は帰巣の最中や。だが、もう少し隠れていたほうが安全やな)
二十分ほど隠れていた。安全を確認してから、木の洞から出た。素早く人間の姿を念じて人に戻った。
辺りは、すでに真っ暗だった。『暗視』の魔法を唱えた。手早く着替えておっちゃんは装備を持って街に急いだ。三十分ほど進むとシバルツカンドの街の明かりが見えてきた。
シバルツカンドは横に長いランサン山脈と大陸最高峰の山であるテンシャン山に挟まれていた。山に囲まれた僅かな平野にできた南北に長い砂時計型の街がシバルツカンドだった。人口は四千人。主な収入は醸造業と林業。それと、ランサン山脈にある『氷雪宮』と呼ばれるダンジョンを目当てにやってくる冒険者が落とす金だった。
シバルツカンドを東に行けば『ランサン渓谷』があり、『ランサン渓谷』を抜けた先には港町のラップカンドがある。シバルツカンドは塩や香辛料などの必要な物資をラップカンドから輸入していた。
西に行けば不毛な砂漠地帯に出て、その先にはバサラカンドがある。だが、バサラカンドへの道は険しいので、バサラカンド経由の商隊が来た過去は、ほとんどなかった。
シバルツカンドの街が近づいてきた。シバルツカンドに城壁はない。街は木製の柵で囲われているだけである。
シバルツカンドの街の建物はどれも木造。二階建てを超える建物は少なかった。街は中央に広場があり、領主の館があった。領主の館といっても、ちょっと大きな商家と変わらなかった。街の出入り口は二箇所で、西と東に門があった。
シバルツカンドは西から攻められた過去はなかった。東から攻められた経験は有ったが、敵は幅二十五mの狭い『ランサン渓谷』を通らなければならない。渓谷を閉鎖すれば街を守れるので、シバルツカンドには城も大きな館も必要なかった。
街の北の外れに、冒険者ギルドがあった。冒険者ギルドは普通の民家を改造したもので、二十人も入れば一杯だった。
これは、冬の『氷雪宮』が存在する期間しか冒険者が来ないためである。冬は隣にある地元で一番大きな旅館である啄木鳥亭を借り切って冒険者ギルドの替わりとしていた。
啄木鳥亭は大きく、二百人を収容できる旅館である。百人が体操できるほど広い広間を備えていた。広間は冬の間のみ冒険者ギルドの受付兼酒場として使われていた。
ギルドの受付に行った。ギルドの受付には長身の女性が立っていた。女性の年齢は二十九歳。髪は金色のロングヘアー。肌は白く、青い瞳をしていた。服装はファーの付いた黒い袖の厚手の服に、黒の厚手ズボンにブーツを履いていた。ギルドの受付嬢であるニーナだ。
ニーナがおっちゃんを見て微笑んだ。
「お帰りなさい。おっちゃん」
「ただいま、ホワイト・ウィスプを採ってきたで、買い取って」
ニーナがガラス瓶の中を確認した。
「ホワイト・ウィスプが八匹ね。銀貨八十枚になるわ」
「あれ、そんなもの? 疑うわけやないけど。ちと、安うないか?」
ニーナが申し訳なさそうな顔で、すらすらと説明する。
「シバルツカンドでは、ホワイト・ウィスプを採取するプロの魔術師がいるのよ。その人たちが動くと、大量に入荷するから、価格が下がるのよ。残念だけど、おっちゃんより早くプロが納品したから価格が下がったわ」
「そうかー、どこの世界にも競争はあるか、しゃあない、銀貨八十枚でええ、換金してや」
おっちゃんは銀貨を数えた。
「ニーナはん、今日、ブラリオスが鹿を狩っているのを見たんよ。注意を喚起しておいたほうがええね」
ブラリオスに襲われそうになった事実は、伏せておいた。中級クラスの冒険者でも、ブラリオスと遭ったら生きて帰れない。
(生きて帰ったとなれば、それなりの腕があると認められる。そんな、認定は要らん。今度こそ地味に過ごす)
ニーナの顔が僅かに曇った。
「そう、今年は少し早いわね。おっちゃんも気を付けてね。今回はブラリオスの縄張りの外だったから助かったんだと思うわ。縄張りの中なら、おっちゃんが鹿の替わりに餌食になっていたかもしれないわよ」
「そうかー、おっちゃん、運がよかったな」
おっちゃんは会話を切り上げた。稼いだ金で、おっちゃんはシチューとパンを頼む。
(さて、シバルツカンドでの金策は、どうしよう。ホワイト・ウィスプは、もうじき期間が終わる。冬の山で採取できるものってなんやろう、思いつかん。弓矢は得意やないけど、狩猟に挑戦してみるかな)
おっちゃんは冒険者にしては珍しく、隠し持っている金があった。その額は、金貨にして百枚と、かなりの額だった。だが、金貨百枚は、いざというための資金なので、手を付けたくなかった。