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第五十八夜 おっちゃんと予期せぬ報酬

 食事を摂って死んだように眠った。そんな生活を二日間に亘って続けた。

 三日目の朝にリントンに家に行くと、裏庭から金属を彫る音がしていた。


 裏庭に行った。リントンが、一辺が四十㎝の鉄の板と格闘していた。

「なんや。もう次の作品に取り掛かっているんか」


 リントンが晴れやかな顔で元気良く告げる。

「小型の超高性能加熱機を造っています」


「あれ、今の水車に付いている奴は、なに?」


 リントンが機嫌よく作業を続けながら答えた。

「水車について稼動している加熱機は、父の作品です。父が私より遙かに先に行っていると知りました。やはり、父は偉大です。でも、父の作品は古いのでいつ壊れるかわかりません。だから、予備を作っています」


「そうか。それで、ダンジョン・コアが冷えるまで、どれくらい掛かるの」

「三十日も冷やせば、危険な水準は終わります。おそらく、次に危なくなる時は、二十年以上は先です」


「三十日か。長いようで、短いな」


 おっちゃんは特にやることがなかった。釣竿を片手に、取水口の警備をした。

 のんびりとした時間が過ぎる。取水口の警備は杞憂(きゆう)に終わった。


 お城が『暴君テンペスト』の討伐依頼を正式に取り下げた。魔術師ギルドは安全情報を出さなかった。結果、マサルカンドは「いつ噴火があるかわからない、危険なだけの街」と冒険者の目に映った。


 冒険者が来なければ、誰も取水口の先を見ようとする人間はいない。

 水車の稼動から二週間目に、リントンの父親であるリッティンが作った過熱機は壊れた。だが、その頃にはリントンの小型の超高性能加熱機が完成していた。リントンの作品が投入されてから以降は、心なしか、水車の回転も安定した気がした。


 水車稼動から三十日が経過したところで、水車は止まった。原因は、取水口と排水口が消えたからだった。


 仕事を終えたので早々に穴を閉じたと思った。パズトールに会いに『火龍の闘技場』に行った。

「ダンジョン・コアの調子はどうですか?」


 パズトールがツンとした顔で、気取って発言する。

「心配は無用です。安全な温度までダンジョン・コアは冷えました。後はこちら側の冷却設備でどうにかなるでしょう。ただ、塩の後始末が大変でしたけどね」


「そうですか、それで、なんですけど、黄金の帆船模型を返していただけないでしょうか」


 パズトールが持っていた辞書を開いた。辞書のページからエール樽が飛び出した。

 パズトールが澄ました顔で尋ねる。

「それ、持ってお行きなさい。それと、今回の報酬ですが、いかほどお望みですか」


「黄金の帆船模型を返していただけるだけで充分です」


 パズルトールが顎に手をやった。感心した顔をして、優雅な声で発言する。

「欲のないトロルだ。だが、無報酬はいけません。主の面子があります。ですから、何か困ったことがあったら、助けてあげましょう。遠慮せずにいらっしゃい」


 おっちゃんは深々と頭を下げ、エール樽を持って冒険者ギルドに帰った。


 黄金の帆船模型が入ったエール樽は魔術師ギルドに保管された。


 おっちゃんは一人で、冒険者の店でエールを飲み、塩茹でした豆を(つま)んでいた。

「平和やなー。残りの金も寂しうなった。『岩唐辛子』でも採りに行くかの。『ボルガン・レックス』もいないし、ライバルとなる冒険者も、まだ帰ってきていない。楽に採れるやろう。ええのー、採取できる生活って」


 バネッサがやってきた。バネッサが少しそわそわしながら、言い辛そうに申し出た。

「おっちゃん、今日は、その、頼み事があって来たの」


 気の抜けた声で返す。

「仕事なら、引き受けんよ。おっちゃんは『岩唐辛子』を採取するしか能がない、しがない、しょぼくれ中年冒険者やからね」


 バネッサが向かいの席に座った。

「そうじゃないんだ。どちらかと言うと、断って欲しい話なんだ。その内に私の父親が、おっちゃんと私の結婚話も持って来ると思う。だから、おっちゃんのほうから断ってもらえないだろうか」


「そういえば『噴火を止めた奴に娘をやる』と口にしとったなん、ちなみに親父さんて、いくつ?」

「三十九歳よ」


「おっちゃんより若いやん。義父(とう)さんとは、呼びづらいな。ええよ、心配しなさんな。結婚の話が来たら断ってやるで」


 バネッサが肩の荷が下りたのか、ホッとした表情になった。

「そう言ってくれると、助かるわ。それと、これ、幽霊船を止めたときの報酬よ。まだ、渡してなかったでしょ」


 バネッサは小さな袋を差し出した。中には金貨が十枚、入っていた。

「おお、大金やん。これだけ、あれば、しばらく生活に困らんな。ありがとうな」


「あと、これは私から」とバネッサは上等のワインを注文してくれた。


 ワインが来るのを待っていた。小僧を連れたピエールが現れた。

 小僧は、バネッサのよりも大きめの袋を持っていた。


 ピエールが澄ました顔で発言する。

「おっちゃん、このたびの活躍、まことに見事でした。商人組合を代表してお礼申し上げます」

「なんや、急に改まって」


 ピエールが爽やかな笑顔で述べる。

「おっちゃんには、幽霊船を止めていただいた報酬と、商人組合を救っていただいた報酬を、まだ払っていなかったので、報酬を持って来ました」


「おい」とピエールが小僧に声を掛けた。

「ありがとうございました」と小僧がお辞儀して袋を差し出す。


 袋を開ける。中には金貨が、ざっと見て百枚は詰まっていた。

(貰いすぎやね、かといって、返す態度も大人気ないな。しゃあない。後でマスケル商会から何か大きな買い物でもするか)


「おお、ありがとうな。これだけあれば、長期間、生活に困らんな」


 ピエールがバネッサの横に座った。

「あと、これは、私からです」とピエールは特上のワインを注文する。


 ピエールがワインを注文してすぐに、ゲオルギスがやって来た。

 ゲオルギスは何も持っていなかったので、ホッとする。


 すると、ゲオルギスが晴れやかな顔で祝福する。

「おっちゃん、おめでとう。領主のゲーノス閣下が、おっちゃんの働きを認めたぞ」

(なに? なんか、嫌な予感がするで)


 ゲオルギスは、にこにこしながら言葉を続けた。

「『暴君テンペスト』を退治したわけではないので、金貨一万枚は、やれない。だが、恩賞として、金貨三千枚を下さるそうだ。また、騎士の称号を贈り、知行地として人口五百人の漁村二つを与えると仰ってくださった。大出世だな、おっちゃん」


 おっちゃんは、心の中で悲鳴を上げる。

(要らんよ。そんなもの。おっちゃんは静かに過ごしたいんや。何で、ここの領主って余計な仕事ばかりするん。おっちゃんの生活が滅茶苦茶やん)


 バネッサが姿勢を正して謙虚な態度で申し出た。

「おっちゃん。さっきの話だけど、断るのは待ってくれないかな。私は、こう見えても料理は得意だし、計算もできる。礼儀作法も習っている。知行地の領民ともうまくやれると思うんだ。きっと、良い騎士の奥さんになるよ」


「それって、金が目当てやん」


 バネッサは目をきらきらさせて、自説を滔々と述べる。

「男の甲斐性って、つまりところ、稼ぎだと思うのよ。その点、領地として、漁村が二つに持参金が金貨三千枚は充分だと思う。お金から始まる愛もあると思うのよ」


 ピエールが畏まって、おずおずと申し出る。

「おっちゃん、いえ。おっちゃん様、余裕資金の使い道は、おありですか。もし、すぐにお金が必要ないようでしたら、海洋貿易船に投資しませんか。興味があるなら御説明いたします。あと、マスケル商会では、税の取り立て代行もやっているので、領地の経営をお助けできると思います」


「ちょっと、なにを言っているの、ピエールさん」


 ゲオルギスが礼節のある態度で頼んできた。

「おっちゃん、よかったら、冒険者ギルドの後援者になってくれないか。ギルドの運営は、けっこう大変なんだ。国と冒険者の間を取り持ってくれると、若い冒険者も助かる」


「ちょっと、皆さん。落ち着いて」

(あかん。これ、ダメなパターンや。もう、この街には、いられへん)


 どうにか、おっちゃんは三人を帰した。


 明け方の早くにおっちゃんは宿屋を引き払う。精算を終えると、女将さんが寂しそうに笑った。

「行ってしまうんだね」


「世話になったな。おっちゃんは、冒険者やさかい。冒険を止められんのよ」

(本当は地味に、一箇所のところで細々と採取でもして暮らしたいんやけどなあー。なんで、こうなったかなー)


 女将さんはしみじみと「冒険者だねー」と口にした。


 開いている店で保存食を買う。水筒にエールを入れてもらい、市場を後にした。

 朝日の中、おっちゃんはマサルカンドの荒野に、独りで歩き出した。

【マサルカンド編了】

©2017 Gin Kanekure

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