前へ次へ
51/548

第五十一夜 おっちゃんと決断の時(前編)

 一夜が明けると、『火龍大火山』の噴火の話は民衆に伝わり、街は騒然となっていた。寝ていても近所の人間なのか、泊まり客の声なのかわからないが、不安気な声が聞こえてくる。


 冒険者の店に行くために、宿屋の一階に下りて行く。女将さんがいたので、尋ねる。

「おはようございます。女将さんは、どうするの? 『火龍山』が噴火したら」


 女将さんが悲しげ顔で、しんみりと漏らす。

「どうもしませんよ。マサルカンド以外に行く場所なんて、ないからね」


 冒険者ギルドの酒場に行った。冒険者ギルドは、朝になって噴火の話を聞いた冒険者の声で溢れていた。

「奴らなら倒せる」「逃げるなら、早いほうがいい」「どこそこで、保存食が安い」「船は、どうする」「やれるだけ、やってみるか」「荷車が値上がりする」「家を買ったばかりなのに」「魔術師ギルドに行ってみよう」


 威勢のよい話題もあるが、七割方、逃げる方法を話す冒険者が多かった。

(当然といえば、当然か。マサルカンドにいる冒険者では『暴君テンペスト』は倒せん。他人任せにするなら、今できる「逃げる」を選ぶ。それで、誰かが倒したら戻ってくればええ話やからな)


 市場に出ても、噴火の話題で持ちきりだった。酒や保存食が売り切れになっている店もあった。

 市場では冒険者が『暴君テンペスト』を倒せるとは九割九分まで考えられていなかった。馬や牛を扱う市場では、取引が中止されていた。


(輸送に使う動物は、お城や大商人が押さえたか。上層部は、もっと前から知っとったな。よくある展開や)


 港に行った。乗船券を買い求める商人や町の人で、ごった返していた。貿易船の船乗りたちも、「ここには長居したくない」の空気を、ありありと出していた。


 冒険者ギルドに戻る。大きめな荷物を纏めて出て行くパーティと出会った。冒険に行くには重過ぎる格好は、誰が見ても、逃げ出す冒険者にしか見えなかった。


 昼食を摂っていると、おっちゃんの正面に座る人間がいた。バネッサだった。

「珍しいですな。お昼ですか。バネッサさんは、どうするんですか?」


 バネッサの顔には疲労の色が浮かんでいた。疲れた口調でバネッサが話した。

「引っ越しで大忙しよ。私とイゴリーは、街を出るわ。心中は御免よ。親父は、街を離れないみたいだけど」


 親子だからといって同じ意見にはならない。噴火は人々を引き裂く。

「残るにしても、出て行くにしても、生活の基盤がある人は、大変ですな」


 バネッサが落胆した態度で、パスタをフォークに巻きながら尋ねた。

「それで、おっちゃんは、どうするの。『暴君テンペスト』に挑むの? それとも、街を去る?」


 決まっている。

「前に言いましたけど、おっちゃんは身軽やさかい。街を去りますわ。また、どこか違う街で冒険者をやります」


 バネッサが気怠(けだる)い調子で返す。

「そう、残念。親父は噴火を止められたら娘を嫁にやるって言っているわ。『暴君テンペスト』を倒せば私と結婚できるわよ」


「そら、若い大勢の男が挑戦しに行きますな」


 パスタで遊びながら、バネッサは力なく笑った。

「そんな奴、いないわよ。二百年も倒せなかった『暴君テンペスト』を倒せる人間なんて、いないわ」


 バネッサは半分以上もパスタを残して立ち上がり、去った。

 皿を下げに来た若い店員にも聞く。

「あんちゃんは、どうするの? 他の街に行く?」


 若い店員は淡々と答える。

「俺は残りますよ。この街が好きですから」


 おっちゃんは、マサルカンドを去ろうと考えていた。

(ワイには『瞬間移動』いう便利な魔法がある。二十秒あれば充分に逃げられる。できるだけ、街を見ておこう。それが、街の供養にもなる)


 二週間が経過した。街から出て行く人が増えた。閉まったままになる商店が増えた。

 金貨一万枚の報酬は宣伝効果があった。『火龍山大迷宮』を知らない冒険者たちがマサルカンドにやって来た。


 冒険者の店は賑わいを見せ、街には淡い期待に沸いた。

 やって来た中には高名な冒険者のパーティもあった。外からやって来た、ほとんどの冒険者は、『火龍山大迷宮』から帰らなかった。反対に『火龍山大迷宮』を知る大部分の冒険者は、マサルカンドを去った。


 更に二週間後、街は静かになり、地震の回数だけが増えた。

 おっちゃんはがらんとした冒険者ギルド併設の酒場を見回す。かっての賑わいを見せた酒場は入りが全盛期の三割にまで客が落ち込んだ。冒険者に限っていえば、十人といない。


 おっちゃんが浅蜊のパスタを食べていると、クロリスが寄って来た。


 クロリスが寂しげな顔で、やんわりと訊いて来る。

「おっちゃんは、逃げないんですか?」

 クロリスの顔には、表面的には、不安はなかった。


「逃げるよ。ただ、ここの料理が美味しいから、明日は、明日は、と延び延びになっているだけや。クロリスはんは逃げないの?」


 クロリスが手を組んで外側に伸ばし、笑顔で答える。

「逃げられないんです。今も少数ですが、冒険者さんが『火龍山大迷宮』に挑んでいます。挑んでいる冒険者さんが帰ってきた時に、「お帰りなさい」の言葉を掛ける人がいなかったら、寂しいでしょ」


 クロリスは表情には出していないが、本当は怖いんだと感じた。精一杯の意地を張っているクロリスの態度を、おっちゃんは尊重した。


前へ次へ目次