第三十五夜 おっちゃんと密貿易
おっちゃんの心配は当った。マスケル商会は、船が入港しない理由をもって納品を拒否した。そのために、おっちゃんは次の日も、また次の日も、『クール・エール』を蔵元に買いに行った。そんな日が、一週間も続いた。
『クール・エール』の運搬を終え、昼食を摂っていた。クロリスが寄って来る。
「なんや。クロリスはん。納品は一日一回、一樽だけよ。これ以上は納品できないよ」
クロリスは困った顔をして「ちょっと」と密談スペースに移動する。
「実は盗賊ギルドのバネッサさんが、おっちゃんに会いたがっているのよ」
「バネッサさんて誰? 偉い人なん?」
「うん、盗賊ギルドの最年少幹部で、盗賊ギルド・マスターの実の娘よ。なんでも、おっちゃんが密貿易に手を出しているのではと、疑っているのよ」
『クール・エール』は税関を通していない。だが、マサルカンドの法律によれば冒険者が背負って持ち込める量なら、酒に税金は掛からない。
税法を作った人間は百六十㎏の重さの樽を『強力』の魔法で担いで『瞬間移動』でやって来るなどとは考えてはいない。法の抜け道だが、おっちゃんの行為は合法であり密貿易には当らない。
密貿易ではないから、盗賊ギルドに筋を通さなくていいと考えていた。
「冒険者ギルドの事情を考えると『クール・エール』の出所は問わないわ。納入者が犯罪者でもいい。でも、もし、密貿易品なら、盗賊ギルドには話をしておいたほうがいいと思うの」
「詳しいルートを話せないけど、密貿易ではないよ」
「邪魔するよ」クロリスとの話が終わっていなかったが、女性一人と男性一人が部屋に入ってきた。
女性の年齢は二十歳くらい、身長はおっちゃんより頭一つ低い。体型は細身。赤みがかった黒い髪をして、細い眉をしていた。目つきは険しい。服装は黒いチェニックに黒の綿のパンツを穿いていた。靴はヒールのないブーツを履いていた。
男は四十歳くらい。金色の長髪で顔には刀傷がある。おっちゃんより少し身長が高く、引き締まった体をしていた。男は金属製の胸当てに黒い革鎧を着て、腰に剣を佩いていた。
女性がおっちゃんの正面に座った。女性の後ろに男性が控えた。
「クロリスはん、あとは、おっちゃんが話すからいいよ」
クロリスが出て行くと女性が険しい顔で口を開いた。
「私は、バネッサ。後ろにいる男は、イゴリー。それで、おっちゃんに単刀直入に聞く。おっちゃんが扱っている品は、正規品かい、それとも密貿易品かい。正直に話して欲しい」
「正規品ですわ」
バネッサが興味深げ気に質問した。
「ほう、それは、どこの商会の物だい?」
「商会から買いたかったんですけど、意地悪して、売ってくれへん。だから、独自ルートで仕入れ冒険者の店に下ろしています。それに、『クール・エール』なんて一樽を運んでも金貨二枚の儲けもない。盗賊ギルドが動く額ではないと思いますけど」
「別に私たちは密貿易品でも密造酒でもいいんだよ。ただ、納めるものは納めてもらわないと、筋が通らない。冒険者ギルドと盗賊ギルドは仲良し小良しだとは言わない。だが、悪い関係でもない、それはその時、その時で、筋を通していたからだよ」
「正規品なら、盗賊ギルドを通さなくも問題ないでしょう」
「調べたよ。おっちゃんがこれまで冒険者ギルドに運んだ『クール・エール』は、八樽。酒造元はエメリア酒造。利き酒の達人から聞いた話では、樽と中身は一致している。つまり、密造酒の線はない」
「それは、そうでっしゃろ。正規品ですからね」
「各商会に探りを入れてみた。エメリア酒造と取引がある商会は、マスケルとアゴニー。どちらも、荷物が消えた形跡はなし。つまり、盗品でもない」
「だから、正規品ですってば」
バネッサが口端を歪めて凄む。
「だか、ここに一つ抜け道がある。海賊だ。海賊船が『クール・エール』を輸送している船を襲っている形跡がある。おっちゃんの独自ルートの正体は、海賊の略奪品ではないのか。海賊が冒険者に化けて街に入っている報告はあるんだ。おっちゃんは、海賊から『クール・エール』を買っている、違うか」
完全な誤解だった。海賊から略奪品を買って売っているのなら盗賊ギルドに筋を通さなければならない。
バネッサが憤った顔で捲し立てる。
「残念だが、海の無法者たちは礼儀を知らない。海の上なら問題ないのかもしれないが、ここは陸だ。マサルカンドで商売するのなら挨拶の一つもあってしかるべきだ。違うか?」
「バネッサさんのお怒りは、ごもっとも。でも、おっちゃんの独自ルートに海賊は絡んでませんよ。それだけは、断言できます」
「じゃあ、どこから仕入れている? 海賊を使わずに『クール・エール』を大量に運び込むなんて可能か?」
結論から言えば可能である。現におっちゃんは、やっている。ただ、普通は『瞬間移動』まで使える人間は、重たい樽を運んだりはしない。
仮に、魔術師ギルドに同じ仕事を頼むとしよう。一樽に付き金貨五十枚、下手をすれば百枚は請求される。おっちゃんは金貨五十枚にも百枚にも匹敵する仕事を、善意で黙々と金貨二枚でやっている。完全なお人よしである。
(説明してもわかってもらえんやろうな。真実を教えても、かえって疑われるだけやな)
「飯の種はそう簡単には明かせませんな。明かしたらマスケル商会辺りが潰しに来よるかもしれん。こればかりは、誰も信じず、教えずですわ」
バネッサが険しい視線を、よりいっそう険しくして、おっちゃんを見据えた。
おっちゃんも睨み返して発言する。
「そうは言っても手ぶらで帰すのもなんですから、妥協案を提示しましょうか。マスケル商会に話を付けて、冒険者ギルドに『クール・エール』を下ろさせたら、それで、ええ。マスケル商会が契約どおりに売ってくれるのなら、おっちゃんは『クール・エール』から手を引きます。それで妥協点ですわ」
沈黙が場を支配する。イゴリーが初めて口を開いた。
「行こうか、バネッサ。座っていても解決しない問題だ」
イゴリーがおっちゃんを暗い瞳で見詰める。
「おっちゃんと言ったか、随分と腕が立つようだが、過信しないことだな」
「腕が立つなんて買い被りですわ。おっちゃんは、しがないしょぼくれ中年冒険者です」
イゴリーがにやりと笑って。おっちゃんの腰に佩いた剣を指す。
「真クランベリー・エストック。しがないしょぼくれ冒険者が持つには、過ぎた武器だ。真クランベリーを持つ人間には、二種類いる、技量の伴わない金持ちの子息。それなりの技量を持った剣士の二種類だ」
(なんや、こいつ。こっちが抜きもしないのに、使っている剣の種類を当てよったで)
バネッサが、やれやれといった調子で立ち上がる。
「食後の楽しい時間を邪魔して悪かったな。おっちゃんが海賊の取引相手ではない事態を祈るよ」