第三十四夜 おっちゃんと蔵元直販
おっちゃんは魔法が使えた。どれほど使えるかというと、小さな魔術師ギルドのギルド・マスターが務まるくらいに魔法が使えた。
おっちゃんの魔法のレパートリーの中には『瞬間移動』の魔法が存在した。『瞬間移動』には一度に跳べる距離に限界がある。三百㎞なら、ぎりぎり飛べる。
おっちゃんは『瞬間移動』を唱えてシバルツカンドに飛んだ。
シバルツカンドの郊外に無事に到着し、おっちゃんは街へと入った。シバルツカンドはマサルカンドと違い、気候は冷涼で、住宅地は木製の家が多かった。
街に入ってエメリア醸造へと向かう。塀に囲われた背の高い平屋の建物が見えてきた。
入口で掃除する、青い羽織を丸刈りの年を取った男性に声を掛ける。
「『クール・エール』を一樽、売ってもらえませんか」
年を取った男性は威勢よく答える。
「なんだ、一樽でいいんかい。馬や牛が見えないようだけど、担いでいく気かい?」
「大した距離じゃないんで、担いでいきます」
男性が笑って否定した。
「簡単に言うけどね。樽の重さは百六十㎏以上あるんだよ。担いではいけないよ。馬を用意しな」
「大丈夫ですって。早く売ってください」
年を取った男性は顎に手をやる。
「わかった。そこまで言うなら、売ってやるよ。持てなくても知らないぞ」
年を取った男性は玄関から中に声を掛ける。
「おい、『クール・エール』を一樽、持って来てくれ」
「それで、おいくらですか」
「銀貨五十枚でどうだ」
蔵元だけあって、安く買えた。財布を開けて料金を払う。荷車がやってくる音がした。
おっちゃんは年を取った男性の気が荷車に向いた時に、『強力』の魔法を唱えた。
店の若い衆が荷車に載せて大きな樽を持って来た。おっちゃんは担ぎ紐を樽に掛ける。
「えいやっ」とばかりに背負った。人間の姿で『強力』を使ったが、なんとか持てた。
魔法を使った経緯を知らない、年を取った男性が感心する。
「なんだ、見かけによらず力持ちだな」
「では、これで失礼します」
「おう、またな」
年を取った男性から見えない位置に移動する。瞬間移動を唱えた。冒険者ギルドに併設されている酒場の裏口に飛んだ。
担ぎ紐をバック・パックに収納してから裏口をノックした。見慣れた男性店員が出てきたので頼む。
「『クール・エール』を仕入れてきたで、クロリスさんを呼んできてや」
すぐにクロリスが跳んで来た。
「おっちゃん、これ、どうしたの」
「どうしたって、仕入れて来いって、頼んだ人間はクロリスはんやろう。マスケル商会に断られて腹が立ったから、独自ルートで仕入れてきたんよ。買い取って」
クロリスが神妙な顔で男性店員に指示を出す。
「これ、急いで運んで。すぐに開けて店に出すのよ」
持って来た品をすぐに店頭に持って行った。店にはもう在庫がないようだった。
表から店内に入る。
『クール・エール』を売る酒場には、買い求める冒険者で列ができていた。
クロリスが密談スペースで手招きして、おっちゃんを呼ぶ。
密談スペースに移動する。クロリスが金貨二枚を渡して、お願いしてきた。
「これは今回の仕入れ分と報酬。仕入れが、報酬込みで金貨二枚で足りる? ねえ、おっちゃんその独自ルートってどこ」
蔵元直販が正解だが、『瞬間移動』を使える能力は秘密にしておきたかった。おっちゃんはしがないしょぼくれ中年冒険者で通したい。『瞬間移動』を使えるとわかれば、おっちゃんをパーティに入れたがる人間が出て来る。
「金貨二枚ならおっちゃんが持ち出しいうことはない。独自ルートは秘密のルートやからクロリスはんかて、教えられんわ」
クロリスが身を乗り出して食い入るように尋ねた。
「おっちゃん、その秘密のルートでもっと『クール・エール』を仕入れられないかな」
『瞬間移動』は使える。とはいっても、一日に二回が限界。持てる重さにも限界がある。
一樽を背負っておっちゃんが移動するのが限界だった。
「今日は、もう無理やね。明日なら、また別やけど」
クロリスが切迫した顔で迫る。
「お願い。また、明日も、一樽でいいから、仕入れてきて。冒険者ギルドには『クール・エール』が必要なの」
(これ、まずい展開やな)
ここで引き受ければ、ずっと仕入れが続く気がした。
(一回二回ならいいけど、続けたら秘密がばれる)
おっちゃんが「うん」と言わないと、クロリスが顔を近づけて頼んできた。
「『クール・エール』なしで『火龍山大迷宮』に挑んで戻って来ない冒険者が出始めているのよ。ここで安価な『クール・エール』を冒険者ギルドから供給できなくなれば、もっと犠牲者が出るわ」
おっちゃんの心配をするなら、引き受けないほうが身のためだとわかっている。されど、クロリスは必死になって頼んでいる。冒険者の身の上を心配するクロリスを見捨てるようで、気分が悪い。
それに、冒険者ギルドは仕入れに金貨二枚を出している。さっき、ギルドで売っている『クール・エール』の値段が見えた。値段は据え置きで一ℓで銀貨一枚だった。売れば売るほど赤字になるのに、頼んできている。
「わかった、とりあえず、明日は明日で、どうにかしよう」