第三十三夜 おっちゃんと放熱研究家
朝起きて冒険者ギルドに行く。朝食を摂っていると、冒険者の噂話が聞こえてきた。
「幽霊船が出た」「海賊が出た」「『クール・エール』が街から消える」
総合すると、「近海に幽霊船と海賊船が出たために『クール・エール』の搬入が不可能になった」となる。真相はわからない。でも、『クール・エール』が消える情報は、かなり出回っているらしかった。
そんなものかと噂話を聞いていると、変わった情報があった。『放熱』の魔法を研究しているリントンと名乗る魔術師がいる。リントンはマサルカンドでも造れる『クール・エール』の製造方法を開発した。
「リントン、ねえ。冒険者の噂話だから信用できないけど、一応、行ってみるか」
朝食が終わったので、魔術師ギルドに行って受付で用件を伝えた。
「仕事の話でリントンに会いたいんだけど、どこに行ったらええ」
魔術師ギルドの受付嬢は溜息をついた。
「また、リントンさんの居場所ですか、教えてもいいですけど『クール・エール』製造法の話なら、嘘ですよ」
うんざりといわんばかりの受付嬢の態度から推測して、リントンが『クール・エール』の製造法には関わっていない事実は本当だ。
嘘なのは予測していた。されど、火のないところに煙は立たない。何か噂が立つ原因があるに違いない。
「話は『クール・エール』の製造法ではないです。『放熱』の魔法に興味がありまして、『放熱』の魔法の使い手であるリントンさんにお話を聞けたらと思いまして」
嘘だが、学術的な話だと口にしなければ、教えてくれない雰囲気があった。
魔術師ギルドの受付嬢はリントンの居場所を教えてくれた。
人が誰も来ないような街外れに、リントンは住んでいた。リントンの家はマサルカンドでは珍しい石造りの小さな家だった。家のドアの前には『クール・エールは、ありません』と張り紙がしてあった。
(これ、訪ねて来た人間は、おっちゃんが初めてじゃないね。かなり訪問客が来ているね)
「誰か、いませんか」と声を掛ける。
家の裏から「いません」と女性の怒鳴り声が聞こえてきた。
家の裏に行ってみる。家の裏には高さ三m、縦横五十㎝ほどの真っ赤に燃える鉄塔が建っていた。
鉄塔の周囲は暑く、家の裏庭は真夏の日のように暑かった。裏庭には全身甲冑を着た背の低い人間がいる。
「そんなものを着て、暑うないですか?」
全身甲冑から突き放すような女性の声がした。
「『放熱』の魔法が掛かっていますから、中は涼しいです。それより、貴方、全身甲冑を着ないで近くにいると危ないですよ。そこに甲冑があるから、着たらどうです」
おっちゃんは指定された場所にある全身甲冑に触れる。あまりの熱さに、手を引っ込めた。
「熱、これ、冷まさんと着られんわ」
おっちゃんは『放熱』の魔法を唱えた。『放熱』の魔法が掛かると、甲冑の表面は熱いが裏面がひんやりとした。おっちゃんは全身甲冑を着て、甲冑の女性に近づいた。
「わいは、おっちゃんといいます。リントン先生は、こちらですか」
女性がおっちゃんを見ずに、熱くなった鉄塔を見詰めて答えた。
「リントンなら私です。少し黙っていてもらえますか」
リントンが熱せられた鉄塔に、何かしらの魔法を唱える。
鉄塔が光った。真っ赤だった鉄塔が黒光りする冷えた鉄塔に変わった。
次の瞬間に鉄塔の一部が爆発して折れた。鉄の破片が激しく飛んで来た。確かに、全身甲冑を着ていないと怪我するところだった。
「また、失敗だ」リントンが膝を突き、項垂れた。
「なんの研究ですか」
「あんた誰? なんの用?」と、リントンがおっちゃんに向き直る。
「わいは、おっちゃんいう冒険者でして、冷たくなる方法を探しています」
リントンが甲冑のマスクを取った。そこには、二十歳くらいの褐色肌をした女性の顔があった。女性の眉は細く、目はぱっちりと大きかった。
「あなたも『クール・エール』の製造法を聞きに来たんですか? 言っときますけど、私は醸造家ではなく、熱の研究者ですよ。わかったら、もう帰ってください。今日は疲れました」
リントンは、それだけ吐き捨てるとマスクを付けて家の中へ帰っていった。
「なんや、実験が失敗して、ご機嫌斜めか、しゃあないな」
リントンの機嫌がよくないので、全身甲冑を脱いで、リントン家を後にした。
マサルカンドでできる『クール・エール』の製造方法の話が嘘だとわかった。
「なら、当初の予定通りに、エメリア醸造まで行くしかないか」