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第三十夜 おっちゃんとマサルカンド

 薄暗い空に噴煙が上がる。火山灰が舞い落ちる中、一人の中年男性が走っていた。男性の身長は百七十㎝バック・パックを背負い、軽装の皮鎧を着て、腰には細身の剣を()いている。


 歳は四十と、いっており、丸顔で無精髭を生やしており、頭頂部が少し薄い。おっちゃんと名乗る冒険者だった。


 おっちゃんは逃げていた。おっちゃんを追っているモンスターは体長八mの、二足歩行する黒い恐竜だった。


 恐竜は『ボルガン・レックス』と呼ばれるモンスターだった。知能は低いが力は途轍(とてつ)もなくある。食欲旺盛で人間や牛馬を好んで食べる恐竜だった。『ボルガン・レックス』は見かけによらず脚が速い。持久力もある。


 おっちゃんは『ボルガン・レックス』の接近に百m前から気付き逃げている。だが『ボルガン・レックス』との距離は今や二十五mまで縮まっていた。


「あかん、このままでは追いつかれる」


 戦う選択肢は無謀。中級冒険者のパーティでも『ボルガン・レックス』を相手にすれば全滅は避けられない。ましてや、一人では勝ち目がない。距離がこれ以上、詰められる前に、おっちゃんは鳥の姿を念じた。


 走っていくおっちゃんの体が縮む。革鎧の頭から一羽の鷹が飛び出した。おっちゃんは人間ではない。


『シェイプ・シフター』と呼ばれる姿形を変化させられる能力を持ったモンスターだった。

 鷹に変身したおっちゃんが空へと上昇する。『ボルガン・レックス』が逃がすまいとジャンプした。


 背筋にぞわりとした物を感じた。精一杯に羽搏(はばた)いて上昇する。ガチンという歯を噛み合わせる音が、すぐ真下で聞こえた。


 間一髪、おっちゃんは『ボルガン・レックス』の牙を逃れた。早く波打つ心臓の音を感じつつ、それでも上昇を続ける。


 五十mも飛び上がって真下を見る。

『ボルガン・レックス』が悔しそうに、おっちゃんを見上げていた。


「助かった。判断がもう少し遅れたら『ボルガン・レックス』の腹の中やった」


『ボルガン・レックス』が諦めたのか、おっちゃんから視線を外した。『ボルガン・レックス』はおっちゃんが着ていた革鎧とブーツを、不味そうに食べる。


 次いで、水の入った皮袋、財布、服と下着を食べた。最後に背負っていたバック・パックを一飲みにした。食べるものがなくなると『ボルガン・レックス』は次の食事を探して、移動を開始する。


『ボルガン・レックス』が去った後には剣だけが残された。ボルガン・レックスが去ってからも一時間は降りなかった。完全に『ボルガン・レックス』の気配が消えたのを確認する。


 おっちゃんは地面に降りた。人間の姿を取る。地面に剣だけが残った。

「あかん、財産のほとんど『ボルガン・レックス』に飲まれてしもうた。まあ、ボルガン・レックスに遭って命があっただけでも、幸運かもしれん」


 おっちゃんは来た道を戻り、『ボルガン・レックス』と出会った時に投げ出した袋を取りに行った。袋の中には『岩唐辛子』と呼ばれるマサルカンド近郊で取れる香辛料が入っていた。投げ出された袋は無事だった。


 袋の中を確認すると、胡桃(くるみ)ぐらいの大きさのある真っ赤な干からびた丸い物体があった。『岩唐辛子』であった。


「鉱物以外はなんでも食べる『ボルガン・レックス』でも、こいつだけは食わんのやなあ。案外、『ボルガン・レックス』は辛い食べ物は苦手なのかもしれんの」


 おっちゃんは右手に剣を持ち、左手に袋を抱えて街のある方角に向かった。


 街まで一時間の距離まで来た。


 袖の長いシャツを着て、長ズボンを穿いて箕の笠を被った老人に会った。老人は火バサミを持ち、目の細かい駕籠を背負っていた。


 老人はおっちゃんを見ると声を掛けてきた。

「海から離れたこの場所で、どうなされた」


「はは、事情があって、身包(みぐる)み剥がされまして。何か着る物か、布を持ってないでしょうか。あったら、岩唐辛子と交換してもらえませんか」


「長タオルなら持っているが、それでええかの」


「ええ、お願いします。それで、長タオルは岩唐辛子いくつと交換ですか」


 老人は頭を振って答えた。

「要らんよ。困った時はお互い様じゃ。ほれ、持って行きなさい」


 老人から長いタオルを受けとり、腰に巻く。

「ありがとうございます。わし、おっちゃん言う冒険者です。何かあったら相談に乗ります。言うても、こんな格好じゃ様になりませんか。冒険者ギルドにいるんで、困ったことがあったら相談に来てください」


「ワシは、サワ爺と呼ばれる採取家じゃ」


「サワ爺さんですか、ここから先は『ボルガン・レックス』が出ますから、気を付けたほうがいいですよ」


 サワ爺は驚いた顔をした。

「お主、『ボルガン・レックス』を見て、生きて帰ってきたのか。だとすると、腕は立つようじゃな」


 おっちゃんは冒険者としては腕が立つ部類に入る。あまり技量には触れて欲しくなかった。 おっちゃんは曖昧(あいまい)に笑って答える。


「想像しているほど腕は立ちません。しがない、中年しょぼくれ冒険者です。それでは、失礼します」


『火龍山』と呼ばれる標高千八百mの山の麓にマサルカンドの街はあった。

『火龍山』には『暴君テンペスト』と呼ばれる火龍が住んでいた。『火龍山』には『暴君テンペスト』の(ねぐら)へと繋がる『火龍山大迷宮』があった。マサルカンドもまた火龍の宝を狙う冒険者が溢れる街だった。


 マサルカンドは黒レンガでできた黒い街である。マサルカンドの黒レンガは地震に強く、耐火性に優れている。丸いお椀状の屋根を持つ、黒レンガでてきた古い二階建ての大きな四角い建物が冒険者ギルドである。


 マサルカンドは緩やかな斜面に建った街だった。下に港があり、港を始点に扇形に広がっている。冒険者の店は、中心から山側に行った場所に建っていた。


 冒険者ギルドの建物の大きさは、一辺が八十m。二十四時間いつでも開いている酒場を併設していた。

 酒場は一階席と二階席を併せて百六十席ある大きな施設だ。宿屋はないが、付近には冒険者や水夫向けの安い宿が軒を並べている。


 腰にタオルを巻いた状態で、冒険者ギルドの入口を潜った。他の冒険者がおっちゃんの姿を見て、鼻で笑う。


 おっちゃんを笑うような視線を気にせず、ギルドの報告窓口に向かった。

 ギルドの窓口には一人の女性がいた。年齢は二十五歳、褐色の肌に短い黒髪に黒い瞳。

 黒のキャミソールを着て、黒のズボンを穿いている。黒いキャミソールの上からは赤のコルセット・ベストを着用して、紅白のカーディガンを羽織っていた。ギルドの受付嬢であるクロリスだ。


 クロリスがおっちゃんの姿を見て、笑いを堪えるようにして発言した。

「どうしたの、おっちゃん。そんな格好して、海に行って海賊にでも遭った?」


「似たようなもんかな。それより、『岩唐辛子』を採ってきたで、換金してや。金がないと、服も着られん」


「ちょっと待って、ボロでもよければ、服はあるわ。お客の忘れ物だけど、ないよりマシでしょう」

 お客がどんな客で、なぜ服を忘れていったのかは、訊かない。きっと服を忘れるような事件が有ったんだろうと納得する。


 クロリスから水夫の物と思われる服を受け取った、とりあえず着る。

「あら、おっちゃん、似あっているわね。元は水夫か何か」


 前職は『トロル・メイジ』だが、ダンジョンでモンスターやっていた過去は秘密である。


 おっちゃんは笑って答えた。

「水夫は、やった経験がないな。まあ、色々やって、冒険者やっている。それで堪忍してや」


 クロリスは、それ以上、おっちゃんの過去には触れなかった。冒険者をやる人間は必ずしも真っ当な人生を歩んできていない。ギルドの受付嬢をやっていれば、わかる話だ。


 クロリスが計りを出す。おっちゃんの持っていた袋から『岩唐辛子』を出して計る。

「けっこうな量があるわね。金貨三枚と銀貨二十八枚ね」


 良い値段が付いた。だが、剣以外の装備一式を『ボルガン・レックス』に喰われたとあっては、完全な赤字だ。


(『岩唐辛子』は、胡椒並みに稼げる。けど、行く度に装備を食われていたら、完全な赤字やな。それに遭えば、命の危険もある。良い稼ぎとは言えんな)


 クロリスが気軽な調子で尋ねる。

「凄い量ね。こんなにたくさん、どこで見つけたの」


「ここから南東に行ったとこにある、『ガンガル荒野』やけど」


 クロリスが厳しい視線を向けた。物腰は柔らかいが、頑とした口調で忠告してきた。

「運が良いわね。おっちゃん。でも、ガンガル荒野は止めておいたほうが良いわよ。『ガンガル荒野』には『岩唐辛子』がたくさん自生している。けど、『ボルガン・レックス』の住処よ。『ボルガン・レックス』に遭ったら、生きて帰れないわ」


「知っている」と答えられない。中級冒険者が『ボルガン・レックス』と遭って生き延びた。となると、どうやって生き延びたか人は知りたがる。鷹に変身して逃げたとは答えられない。


「そうか、運が良いのかな。でも、おっちゃんは採取しか能がない、採取しかできないからな」


 クロリスが優しい顔で、親切な口調で教えてくれた。

「マサルカンドで、初級冒険者が採取で稼ぐとなると、海岸で浅蜊(あさり)を採るのが一般的ね。時折、高価な漂流物が流れ着くこともある。龍涎香(りゅうぜんこう)なんか拾えば、引退できるほどの金になるわよ。漂流物に関しては、刻印があるもの以外は拾った者のものだし」


 クロリスが茶目気のある顔でウインクして付け加える。

「もし、龍涎香を拾ったら街の香料屋に売らないで、もちろんギルドに持って来てね」


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