前へ次へ
18/548

第十八夜 おっちゃんと笑えない冗談

 おっちゃんが南門を閉めたおかげで、新市街へのモンスター流入が止まった。モンスターの数が増えなくなると、モンスターは冒険者ギルドの前から徐々に姿を消していった。


 夜になった。モンスターの声がどこからかする。

 新市街にモンスターはいるが、冒険者ギルドから見える範囲に、モンスターはいなかった。


 おっちゃんは二階の部屋の窓から通路を見下ろした。いつもなら賑わう冒険者向けの食堂、酒場から明かりは消え、屋台も姿を消していた。代わりに通路にはモンスターの屍骸が山のように並んでいた。


「ほんまに静かな夜やな」


 ドアをノックする音がした。

「どうぞ」と声を掛けると、アリサが部屋に入ってきた。


 アリサが不安げな顔を向け消え入りそうな声を出す。

「おっちゃん、これからどうしたら良いと思う」


「ギルド・マスターから連絡はあったか?」


 アリサは悲しげな顔で首を横に振った。

「そうか、食糧は何日分くらいある」


 不安の消えない顔でアリサは静かに語った。

「冒険者ギルドの地下には災害時用の食料備蓄庫があるの。酒場にも食料と保存食があったから、百人いても、六ヶ月分の食料はあるわ。酒場の中には井戸があるから、飲み水の心配もないわ」


 水と食料の心配をしなくても良い状況は、非常に助かる。


「あとは武器の心配か。矢はどれくらい残っているん、百本? 二百本?」


「地下蔵に弓が百張。矢は三万本ほどあるわ」


 食料の備蓄も驚きだったが、弓矢の備えは、もっと驚きだった。

「なんで、そんなに冒険者ギルドに弓や矢が備蓄されているん。戦争でもする予定あったんか」


「食料の備蓄もそうだけど、冒険者ギルドはお城の倉庫も兼ねていたんだと思う」


 旧市街にある城は大きくはないので、倉庫に使える空間はあまりない。戦争になれば大量に武器と食料が必要になる。


 いざ敵が攻めてくるとなった時に、物資を集めていては間に合わない。戦争間近に城に物資を運び込むための倉庫が新市街にいくつかあっても、おかしい話ではなかった。


「なら、籠城やな。冒険者ギルドの壁は思ったより頑丈や。今日を乗り切れたらな、明日も乗り切れる。慌てて、非戦闘員を連れて外に出てモンスターの群れに襲われたらアウトや。六ヶ月もあれば、外から助けも来るやろう」


 アリサが心配した顔で、声のトーンを落として、心情を語った。

「助けは来ると思う。建物も持ち堪えられると思う。でもね、不安なの。なにか大きな災いが起きるような気がして」


 アリサの不安は、当たっている。救援は半年以内に来る。だが、ダンジョンの暴走による魔力の枯渇は、もっと早くに訪れる。いくら、冒険者ギルドが堅牢でも、地面が崩落すれば、終わりだ。


「笑えない冗談みたいな話があるんよ」


 アリサが乾いた笑いを浮かべ、力なく口を開く。

「なに、言ってみて」


「おっちゃんな、魔法を使えるんよ」


「うん、モレーヌさんから聞いた。初歩的な魔法が使えるって。おっちゃんは魔法剣士なんだって」

「実は初歩的は、嘘なんよ。もっと、高度な魔法が使えるんよ。『瞬間移動』も可能なんよ。おっちゃんとあと一人くらいなら、隣の街まで逃げられる」


 アリサが困った顔で静かに語る。

「本当に笑えない、冗談みたいな話よね」


「どうする」


 アリサは笑った。強がりな笑いだ。

「嬉しいけど、私はここに残る。まだ、他の冒険者さんも、帰ってくるかもしれないから」


 アリサには受付嬢として、仕事に誇りを持っていた。


 おっちゃんの問いはアリサの心意気に水を差すものだと、恥ずかしく感じた。

「余計な言葉を言ったな」


 アリサは寂しげに微笑んだ。

「おやすみなさい、おっちゃん」


 アリサが出て行くと、おっちゃんは黙って机に向かった。

 羊皮紙とペンを出して、簡単な履歴書を書いた。


 翌朝、朝食の後に、おっちゃんは皆を前にして宣言した。

「おっちゃん、ダンジョンに行って、魔物が溢れた原因を調べてこようと思うとんねん。元から魔物を止められれば、戦況は逆転するやろう」


 甲冑に身を包んだ金髪の男性がすぐに立ち上がった。

「ハンスだ。俺も行こう」


「おっちゃん一人のほうが身軽で見つからなくていいねん。それに、ここからあまり人を割く作戦はよくない。弓を射る人間は一人でも多いほうがいいねん。おっちゃん一人だけ行ってくる。だから、ここのリーダーを決めてくれ」


「ハンスがいい」「ハンスさんかな」「ハンスだな」ハンスの人気が高かった。


「じゃあ、決まりだ、ハンスはん、ここを頼む」


 おっちゃんが仕度をしていると、部屋にアリサが来た。


 アリサが丈夫な紙を差し出して、優しい声をおっちゃんに掛ける。

「本当は有料なんですが、持って行ってください」


 紙の中身を見ると、ダンジョンの地図だった。

 おっちゃんは『記憶力』の魔法を唱えて、地図を完全に覚えた。


「ありがとう、全部、覚えたわ。では、行ってくる」


 おっちゃんは地図を返して部屋を出ようとする。

 アリサが冒険者を送るときに掛ける「いってらっしゃい」の言葉を大きな声を掛ける。


 おっちゃんはアリサに微笑んだ。

 おっちゃんは冒険者ギルドの二階から『飛行』の魔法を唱えて旅立った。


 。

前へ次へ目次