PART11 前時代的ウォリアーズ
王立魔法学校初学生が、臨海学校を迎える前夜。
この国を背負って邁進し続ける国王アーサーは、王としての仕事を終えると自分の寝室に向かっていた。
(ふう……並行して探してはおるが、やつは見つからなんだ)
密かに憲兵団を動かし捜索している、かつての戦友。
現ピースラウンド家当主、現ミリオンアーク家当主と共に、第一王子アーサー直轄の部隊で名を馳せた英傑の一人。
今はもう滅びた、ハインツァラトス王国とは逆側の隣国との戦争に幕を引いた英雄的存在でありながら、戦争終結後まもなくに行方をくらましてしまった、戦友にして学友。
(どこにいる……)
友に思いを馳せ、自分の手で探し回れない歯がゆさに臍をかみながら。
アーサーは寝室の扉を開く。
「────!?」
部屋には先客がいた。
闇夜に溶けるような黒髪をオールバックにまとめ、憂いを帯びた深紅眼で窓の外を眺める男。
漆黒のスーツに漆黒のシャツ、漆黒のネクタイ。
ルビーの嵌まったシルバーのネクタイピンをワンポイントの色として差し、年齢にそぐわぬ色香すら漂わせる美丈夫。
「マクラーレン……!?」
「アーサー。挨拶に来た」
窓際の椅子に腰掛け、マクラーレンはテーブルに置かれていた酒瓶の中身をグラスになみなみと注いでいた。
「おいそれ、そなたのじゃないんだが?」
「気にするな」
いつも通りのマイペースさに嘆息し、アーサーはそっと扉を閉じた。
「久しいの。保護者参観に来ていたとは聞いたぞい。そして娘と殺し合ったとも」
「あれぐらいじゃマリアンヌは死なないさ。私との戦いで、一つ壁を越えると思っていたが……それ以上の成果を得られた。彼女はもう一人じゃない」
「フン。一人にさせないのは、まずそなたの仕事では?」
「おっと、手厳しいな。だが私が傍にいたところで……な」
娘の前では、というより他者の前ではほとんど感情の動きを見せない彼は。
国王の前で陰鬱な息を漏らし、背もたれにぐったりと身体を預けていた。
力のない腕でグラスを持ち上げ、中身を口に流し込む。カッと頭の奥が熱くなり、思考がうすぼんやりとする感覚が、マクラーレンは好きだった。
「私に親が務まるはずがないと、お前が一番知っているだろう」
「そうじゃのう。レイア……奥方も揃って、人格は壊滅しておるからの。だが、そこからあんな暴れ馬に育ったのは青天の霹靂じゃろう」
「さっきから随分と手厳しいな。痛い目に遭わされたかい?」
「無論。ひどい目にあったわい」
カラカラと笑って、アーサーはマクラーレンの向かいの席に腰掛けた。
自分のグラスにも酒を注いで一杯呷る。
それから一転して鋭い眼光を宿し、戦友の赤い瞳を睨めつけた。
「娘のことは知っておるのか」
「『
「な……ッ!?」
「おや。後者は初耳だったか」
地獄を統べる大悪魔ルシファーの因子。
即ち、マリアンヌの感情が極限まで負に振れたなら、その場でルシファーが顕現する危険性を孕むということになる。
「だがそこは問題ない。マリアンヌを選んだのは如何なる運命かと思ったが……間違いなく人類にとってのプラスだ」
「……そなたが言うなら信用するが。こちらでも対策は別個で打たせてもらうぞ」
「好きにしてくれ」
その長い足を組み換えて、マクラーレンは明確に微笑んだ。
「保護者参観だが、行けて良かった。ダンのやつは、いつも通りだったよ」
「ふっ……あやつ、人前では名で呼ばれたがらんからの」
現ミリオンアーク家当主──ダン・ミリオンアークは、良い意味でまっとうな兵士だった。
基礎を疎かにせず、常に高め、磨き上げ、それだけでアーサーたちと肩を並べるに至った。
自在に戦場を蹂躙するアーサーたちとは異なり、手堅く戦況を有利に運んでいた。
そして、隣国との戦争末期を負傷兵として過ごし、アーサーたちの運命が致命的に狂ってしまった場面に居合わせなかった。
「慌てぶりは傑作だった。アーサーにも見せたかったな、メイド服を着せた話を掘り起こしたら、面白いぐらい狼狽していてね」
「そなたも意地が悪いのう。あれ、着させようと言い出したのはそなたじゃろうに」
「おいおい。言い出したのはそっちさ。私は乗っかっただけだ」
「戯け。同罪じゃ同罪」
「あと思い出したんだけど。ダンが猫を飼い始めたときに、みんなで名前を付けただろう」
「んふふっ」
「童話から引っ張って……オチンポス十二神。略してチンポジ」
「んふ、ふふふっ……やめい、やめい。下ネタで笑う国王にはなりたくないんじゃが」
「ダンは嫌がって、ポジって呼んでたね」
「それはそれで、とわしらで爆笑したのう」
ぐいと酒を飲もうとしてから、アーサーは自分のグラスが空になっていることに気づいた。
対面のマクラーレンはからかうような表情でもう酒瓶を手にしている。
「フッ……老いたな。一国を背負えば、そうもなるか」
「いやあ、面目ない」
「ああ、そうじゃない。口調のことだ」
「今更そこ気にするか?」
「学友がジジイ言葉になってたら誰だって気になるだろう」
「ダンのやつは気にしていない様子だったが……」
「あいつはああ見えて、ぼくたち……私たちの中でも、適応力に最も長けていたからね」
そこでマクラーレンは、会話の流れを切るようにして顔を横に向けた。
窓の外には、夜空の下で眠りについている王都の光景が広がっている。
「あいつはあのままでいい。あのままでいてほしい。これはエゴかな」
「いいや。わしもそう思っておる」
「そして……この国も、今のままでいいと思う。私は好きだよ。同じ空の下、誰もが安らかに過ごせるのが一番だからね」
「そう、じゃのう」
「お前は上手くやってるよ、アーサー」
「…………」
気づけばマクラーレンのグラスは空になっていた。
上気した頬で、アーサーは酒瓶に手を伸ばす。友人との久しい語り合いは疲労を忘れさせていた。いつまでも語り合えると思った。昔は本当に、いつまでも語り合えていた。
だがマクラーレンは首を横に振った。何かが切り替わる音が聞こえた。元に戻せない、致命的なスイッチを押した音のようだった。
「本題に入るぞ、国王アーサー」
「…………」
酒瓶に伸ばされた手が空で止まった。
行き場をなくしたそれは逡巡するように指を動かしてから、力なくテーブルに置かれた。
真向かいの深紅眼に酒気を帯びた様子はなかった。昔からザルだったが、今はそれとは違う何かを感じた。
「明日。いや日付は変わっているか。今日からマリアンヌは臨海学校に行くだろう」
「うむ……何か起きると?」
「肯定だ。そして伝えたいのは逆だ。お前は何もしなくていい。私がなんとかする。負けて殺されなければ、だが」
「何をするつもりじゃ」
「大仕事だ。私たちの世代のツケを、清算する」
マクラーレンは椅子から立ち上がった。
「待て。何処へ行く」
「ゼール皇国の皇女の話は聞いたか?」
「……部隊と共に仲間を虐殺した後、失踪したと」
「この国に来ている」
「……ッ!」
「禁呪保有者だ。マリアンヌと接触するだろう。いや接触するつもりはなくとも、目に見えない引力に引き寄せられて、必ず出会う。禁呪保有者とはそういうものだからな」
その言葉が真実であることを、アーサーは身に染みて知っていた。
「まあ、うまくいくかはマリアンヌ次第か。私が志半ばで果てても、彼女なら上手くやる」
「……マクラーレン。ツケというのはあいつのことだろう。あいつのことはわしが」
「駄目だ」
重い声だった。部屋の重力が何十倍にも増したかのようだった。
「あいつは……あいつだけは、ぼくが止める。あの時やり損なったのは大きな過ちだった。だから今度こそ必ず、この手で止めなきゃならないんだ」
マクラーレン、ともう一度だけ、友の名を呼んだ。
だが彼は振り返ることなく、部屋の扉に向かって歩き、それから足下を起点に時空の狭間を開いて、その中に消えていった。
アーサーは彼の背中があった空間をしばし見つめ、それからゆっくりと、向かいの席を見た。
空っぽになったグラスは、月明かりを映し込んだ水滴が一筋垂れるばかりだった。
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