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PART7 騎士は憂鬱

 月のような少女だと思った。

 一寸先も見えぬ闇の中でこそ背を押してくれる、確かに存在する輝きを感じる少女だった。


 王立騎士団所属近衛騎士であるジークフリートにとって、それはうたかたの夢に近い、一度きりの邂逅のはずだった。








「自分が、ですか」

「そうだ」


 王城内部に置かれた王立騎士団事務所。

 その団長室に呼び出され、事務机越しに言い渡された打診に、男は困惑の声を上げた。


「しかし候補者は出揃ったと……」

「先日の邪龍討伐作戦の働きを鑑みて、特例として上層部も納得した。何より……教会の聖女が君を直々に推挙したんだ。これは君の想像をはるかに超えた、光栄なことだ」


 一族特有の、燃えるような真紅の髪が、挙動不審に揺れていた。

 岩山のように険しく聳え立つ、戦闘用に鍛え上げられた肉体。

 有事は漆黒の鎧を着こみ、身の丈ほどもある大剣を自在に振るう剣士。


「間違いなく君は、我らが王国の次代を担うにふさわしい騎士だ。もう疑う者はいないだろう」

「…………」


 入隊二年目というルーキーでありながら、圧倒的な実力をもった若手きってのホープと名高い男。

 彼の名はジークフリート。

 先日辺境に出現した邪龍を、壊滅寸前に陥った遠征軍を庇いつつ単独で交戦。死闘の果てに、単独で討伐。

 その功績をもって『竜殺し』の異名を取るに至った。


「ジークフリート。君を、王国騎士団の中隊長として推薦する」


 栄光への道のりが開けた。

 けれどジークフリートの表情は、無骨で無愛想なまま。

 同時に微かな、何か後ろめたいような憂鬱さを孕んでいた。








 推薦の話を聞いた翌日。

 非番だったジークフリートは、私服姿で王都の繁華街にいた。

 飾り気のない綿のシャツと、最近ある貴族が投資の末に発明したという『ジーンズ』なる新しいズボンを履いていた。非常に廉価に生産できるとのことで、すっかり庶民にも広まっている。ジークフリートは洗いざらしの青色をすっかり気に入り、愛着を持ってジーンズを履いていた。

 簡素な服装であるものの、偉丈夫は目立っていた。特徴的な赤髪と鍛え抜かれた肉体、無骨ながらも整った顔立ち。すれ違う人々が振り返り彼の顔をもう一度見ようとする。抜き身の刃のような美しさを持つ男だった。


 安いよ安いよ、と露店で商品を売りさばく人々の声が響く。

 気晴らしになればと出歩いてみたが、やはりこの活気さは性に合わなかった。

 大通りを一つ曲がる。入口を大きなテラスに開放した酒場の前を通り過ぎる。


「おいおい、次期中隊長に推薦されたジークフリート様じゃねえか」


 名を呼ばれ足を止めた。見れば同じく非番であろう同僚たちが3人ほど、酒瓶片手に赤ら顔を向けている。

 非番とはいえ、昼間から酒場で酒盛りなど不良騎士にもほどがあるとジークフリートは眉根を寄せた。


「さすがは若手エース様だ。邪龍を殺しても眉一つ動かさない鋼の男がこんな裏路地に何の用だよ、アッチの硬さに耐えられる女漁りか?」


 下品な笑い。やっかみを受けているという自覚はあった。

 泥酔している同僚は、わざとらしくジークフリートの肩に腕を回した。


「お前が中隊長になるなんて俺はまっぴらゴメンなんだぜ。何を考えてるかわかりゃしねえ。もう少し愛想よくしろよ」

「……すまない。オレは、感情表現は、うまくない」

「ハッ、そんなんじゃあ王城の指名は受けられなさそうだなあ」


 推薦されたからと言って、中隊長の座が確約されたわけではない。

 複数の候補者と共に監察官の面談を受け、場合によっては任務に付き添ってもらい、資質を見極められる必要がある。


「お前は忘れてるんだろうけどなあ。あの邪龍殺しの時。俺も同じ部隊だったんだぞお」

「……覚えているさ。忘れるわけがない。貴重な生還者だ」

「そうだろお。お前がいなけりゃ俺はなあ──」


 そこで同僚の顔色が変わった。

 地面にしゃがみ込む。仲間たちが背中をさすり、ジークフリートに苦笑を向けた。


「悪いな。酔い過ぎみたいだ」

「こいつ最近酔っぱらうといつもこの話なんだよ。お前に感謝してるんだ。命の恩人だって。だからこそ、お前が出世に興味なさそうで、無愛想なまんまでいろいろ言われてるのが気に入らないんだってさ」


 そう言って、会釈して三人はその場を離れていく。

 立ち去っていく同僚らの背中を見送り、それからジークフリートは視線を落とした。

 道に出来た水たまりの水面には、自分の憂鬱そうな表情が浮かんでいる。


(……栄光、か)


 王国において、貴族は魔法を、庶民は魔法に頼らない剣術を鍛えるのが通例だった。騎士とは即ち、貴族でなき者たちの頂点に値する。

 庶民出身で上り詰められる頂点。地位も栄光も約束された誇り高き王国の盾。

 外に出る機会は限られ、有事の際には騎士団員として戦わなければならない。中隊長は数十人にも及ぶ騎士の指揮を執らなければならなかった。


(自信は、ある。オレなら十分にこなせる)


 個人としての技量にも、指揮にも、自信はあった。磨き上げてきた。

 辺境出身のジークフリートにとって、この栄誉を逃すという選択肢はなかった。本来なら。

 自分を送り出してくれた師や友からの期待に報いることができる。田舎育ちの自分に、剣の才能にほれ込んだと言い剣術を叩き込んでくれた師。教養がなければ王都ではやっていけないと家庭教師を雇ってくれた親友。


(だが……)


 唯一の汚点を思い出し、憂鬱な息がこぼれる。

 しばし歩き、開けた公園に差し掛かると、ジークフリートは乾いている草むらに座り込んだ。

 肩にかけていたカバンから兵法をまとめたノートを取り出し、目を通す。集中できていない自覚はあった。空を仰いだ。昨日の雨が嘘のような青空だった。

 そのまま背中を地面につけて、横になった。目をつむる。




 邪龍との戦い。思い出すだけでも臓腑の底から震えが止まらなくなる。

 ジークフリートは邪龍を討伐した。

 だが報告していないだけで、彼一人で成し遂げたのではなかったのだ。


 思い出すのは──自分の隣に立って、共に戦ってくれた、黒髪真紅眼の少女の姿だった。

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