PART24 その咆哮、未来を切り拓く
戦場と化した闘技場外周にて。
「そもそも『流星』の本質とは……いや。もう聞こえていないか」
がくん、とマリアンヌの頭が落ちるのを見届け、ルシファーは嘆息した。
周囲を見渡す。
「────ジークフリート殿ッ!」
「おおおおおおおおおおおおッ!」
左右から二人の男が突貫する。ロイ・ミリオンアークとジークフリートだ。
(間違いなく上位存在! そんなもの、この世界に定着できるはずがない!)
(必ずルシファーをこの世界につなぎ止める、固定術式があるはずだ!)
マリアンヌがメタ視点で負けイベと認識していたのとは、違う視点。
二人はこの世界に生きる人間だからこそ、人の住む領域とは異なる存在に対しての有効打を導き出していた。
「……存在固定の術式を破壊するつもりか? 浅はかな考えだ」
そして当然、ルシファーの端末もそれを認識している。
軽く手を振っただけで二人の身体が塵屑のように吹き飛ばされた。だが空中で体勢を整え、同時に着地。
「ごふ……ッ!?」
「ミリオンアーク君! くっ……!」
衝撃を殺しきれなかったロイが膝をつく。
ジークフリートもまた、一秒後には身体から力がかき消えそうだった。
「諦めろ。貴様らの絶滅は確定した」
地獄を統べる者が、翼を広げて宣言する。
それから、左手で天を指さした。
「抵抗は無意味だ。神の時代は終わりを告げる。ここに世界の終焉を約束しよう」
その宣誓は、事実だった。
事実としか思えなかった。世界の真理を告げているという声色だった。
だから、倒れ伏し、曖昧な意識のまま、ユートはここで終わりなんだと諦めていた。
(……しょうもねえ人生だったな)
誰にも期待されず。
誰かに期待されたくて。
それを利用され。
(なんか、これ巡り巡って……俺のせいでも、あるのか……)
自分なんかに禁呪が宿ったから。
もっと上手く使える人や、強い人だったら、こんな風にはならなかったはずなのに。
(どうして、俺だったんだろう)
栄光への切符だと思った。期待してもらえる。これで、この力があれば、もう自分の存在をなくさずに済む。そう思っていた。
とんだ勘違いだった、と自嘲する。地獄を顕現させる、災厄への片道切符だったのだ。
もう本当に何もなくなったな、とユートは思った。
死んでもいいと感じた。目を閉じたまま、終わりを待つほかない。
その時だった。
「……の……す……ユー……」
声が聞こえた。
女の声だった。
「────ユート……!」
ふわりと、手の先に温かい感触がした。
死ぬ間際の人間は、天使が迎えに来るという。
天使はどんな貌だろうかと、目をそっと開けた。
黒髪があった。血に濡れた貌に、深紅眼が煌々と光っていた。
「わたくしを見ろと言っているのです、
大地を這いずり。
マリアンヌ・ピースラウンドが、ユートの手を握っていた。
「……まり、あんぬ……」
「最初に、こう名乗りましたわよねアナタ。名無しのユートと。なら応えなさい、第三王子でもなく、禁呪保有者でもない。全部なくしましたわねアナタ、やっと本番じゃありませんか……!」
身体はもう死にかけだというのに。
彼女の表情は笑みすら浮かべていた。
「さあ、面白くなってきましたわよ。まずあいつはぶっ飛ばします……! 絶対に……!」
「……おれ、は、もう」
「悩むなら、勝ってからにしなさい……ッ!」
ユートの手を握ったまま。
あろうことか、彼女は地面に手をついて、決死の思いで立ち上がる。
手を引かれた姿勢で、ユートは顔を上げた。一帯に散らばる瓦礫と騎士たち。虫の息ばかり。それでも生きてはいる。ああ、まだ、何も終わってなんかいなかった。
「ユート。相手がどんなに強大であっても。譲れないものがあるのなら、立ち上がりなさい! それを譲ってしまったとき、諦めてしまったときが、本当に人の死ぬときですわ! わたくしはまだ死んでなんかいない!」
視界が開けるような心地がした。
見えていなかったものが見えた。胸の奥で心臓が跳ね、血液と魔力が一気に吐き出された。
「……諦めたくない。俺、まだ、生きていたい」
「ええ、ええ、そうでしょう」
立ち上がっただけで、もう限界だった。
ぐらりとマリアンヌの身体が傾いだ。
けれどユートが、彼女を受け止めてみせた。
「マリアンヌ。そこで休んでいてくれ」
彼女の華奢な体をそっと、そっと、半壊した壁に背を預け座らせる。
振り向いた。ルシファーと視線が重なる。それだけで膝から崩れ落ちそうになる。落ちそうになるだけだ。もう、ユートは決して膝をつかない。
ちらりと兄を一瞥した。長兄は震えながら、震えているのに、半狂乱の弟や騎士を一人でも引っ張って逃げようとしている。ああなんだ。かつて憧れた兄の姿を見ることができた。最後まで諦めない人だったと、今更思い出した。
だから憧れた。
だから、ああなりたいと思った。
「ルシファー、の端末とかいったな」
「肯定する。我は大悪魔ルシファーの端末。世界の終わりを確定させる者だ」
「オーケイ。だけど訂正させろや。世界は、終わらねえ」
「何……?」
眉根を寄せる上位存在に対して。
ユートは拳を握り、自分の胸を強く叩いた。
「俺たちは生きてる! 今、そしてこれからも生きている! まだこの世界は! そして何よりも──俺は、終わってなんかいねえッ!!」
叫びは至極明瞭、単純明快だった。
「俺は────俺はもう、何も諦めたくなんかないッッ!!」
譲れないものを諦めてしまったときが、本当の死だとマリアンヌは言った。
その言葉を借りるのならば。
譲れないものを見つけた、今この瞬間。
ユートミラ・レヴ・ハインツァラトスの人生は、ここから始まるのだ。
「だから応えろ、『
次兄へ手を伸し、ユートは叫んだ。
「頼む……! 俺はもう諦めない! 何度倒れても何度でも立ち上がってみせる! だからもう一度……!」
言葉を紡ぐ最中に、ハッとした。
力が流れ込んでくる。温かい力だった。
「……ありがとよ」
パチン、と学ランのボタンを全部外す。
漆黒のマントのように、風にはためかせて。
ユートはルシファーの真正面で、口を開いた。
────
ルシファーの端末は微かに目を細めた。
動くことなく、静観の構え。
────
世界を循環する魔素が、その流れを変えた。
一帯の魔素が大地に吸い込まれ、そして大地を介して、ユートへ流れ込んでいく。
────
それは、大樹が栄養を取り込むように。
それは、大輪が花開くように。
────
ユートは胸に手を当てた。
鼓動を感じた。自分はここに生きている。
誰かに期待されようともされなかろうとも、ここに存在する。その事実は覆せない。
後ろに振り返った。壁に背を預けて、半死半生といった様子のマリアンヌが、ニィと口元をつり上げて。
『それでいいんですわよ、ユート』
微かな唇の動きが、明瞭にメッセージを伝える。
カッと頭の中が熱くなった。
ルシファーへと顔を向ける。打倒すべき敵がそこにいる。
────
顕現するは、人類史に残してはならない最悪の禁忌。
厄災を前に、新たなる厄災が産声を上げる!
「
誰もが、その場に、火山を幻視した。
ユートの足場にひびが入り、そこから深紅の魔力が溶岩のように噴出する。
決して彼を傷つけることなく、魔力が彼を覆い、固着化する。深紅から土気色を混ぜ、どくどくと脈打ちながら鎧を成す。
「完全解号に至ったか──だが」
ルシファーはあくまで冷たく、左手をユートへかざす。
そこから前兆も予備動作もなしに極光が迸った。
「ひれ伏せ」
「もう誰にも、運命が相手だろうとも! 頭は垂れねえェッ!!」
流石にその光景を見て、その場にいた誰もが悲鳴を上げそうになった。
回避など考えることなく、ユートは真正面から、両手を突き出して極光とぶつかったのだ。
両腕の鎧が接触と同時に蒸発する。だが押し負けない。消滅した片っ端から、新たな鎧が補填されている。
「ああ畜生! 楽しかった! スッゲー楽しかったんだよ、学校がよ、あの毎日がよぉ! だからもっとだ! 俺は欲張りだから、もっとあそこに居てえって思っちまった! そのためには──ここで誰かが死ぬのなんて、一人たりとも許せるモンかよォッ!!」
意志を叫びながら、ユートが両足を大地に突き立てて踏ん張る。
無尽蔵ともいえる再生が、衝突した極光を、シャワーヘッドを手で押さえたように四方八方へ飛び散らせていく。だが後ろへは、マリアンヌの元へは決して通さない。
「お────おおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
裂帛の叫びと共に。
ユートがその両腕を左右へと広げ、極光を引き裂いた。
「ほう……適合数値が極めて高いようだな。それだけ『灼焔』を扱いきれるのは、賞賛に値する」
ルシファーが淡々と評価を下す。
「だが足りない。我は総てを理解する者。ルシファーの知識は告げている、貴様たちの絶望は覆らない」
ユートはそれを聞いて、しかし唇を吊り上げた。
「それを決めるのはお前じゃない! 俺たちだァァァァッ!!」