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PART18 その意志、借り物ではなく

 時は少し巻き戻る。

 控え室でユートは、落ち着かない様子で椅子に腰掛けていた。

 思考を巡らせながらも、背筋を常に嫌な汗が伝っている。唇を噛み、彼は目を閉じ渋面を作っていた。


(……おかしい。いいやおかしかったのは俺たちだ。全てが前提から狂っていた)


 ロイの圧勝を見て、ユートは自分の考えが甘かったことを思い知らされていた。


(何かが違う。俺たちの国と、向こうの国は、根底で何かがズレているのかもしれない)


 御前試合の戦績など無価値だと思っていた。

 国王の前で子供同士がじゃれ合う遊びに、何の意味があろうか。

 二百戦無敗の女がいたところで、結局実戦を知らないガキだという評価は、諜報班も下していた。


(恐らく違うんだ。御前試合の結果だけは公表されているが、内実は不明。もしかしたら……あいつらは国王の前で、本気で殺し合ってすらいるんじゃないか)


 もしそうなら。

 御前試合という名前で、幼少期から実戦の空気を身体に取り入れているということになる。


(……俺の推測が正しいのなら、とんでもないことだ)


 身震いすらした。国家を挙げて、全ての魔法使いを他国のエース級に育て上げようとでもしているのか。


(もしそうなのだとしたら、圧力をかけるなんて自殺行為と言うほかない)


 今からでも上奏すべきか。

 次の、ユイとの試合は始まるまでもう間もない。


(……俺が何か言ったところで、意味などあるのか)


 既に方針は決定されている。

 第三王子という立場だけで覆せるような証拠はない。


(巫女は何を見て、マリアンヌを指名した? この一連の流れ、隣国を従える絶好の機会だと、巫女は本気で言っていたのか?)


 ハインツァラトス王国における教会の権威は極めて大きい。

 国王ですら、迂闊に言葉を差し挟むことは許されないほどだ。


(やはり何かがおかしい。俺の元に伝令が来た段階で、全てのシナリオは構築されていた。俺は巫女の予言を元に、勢力を拡大する最善の一手だと聞かされていたが……巫女の預言にしては、前提の食い違いが大きすぎる。今までにないことだ)


 息を吐いて、ユートは頭の中に図を描いた。

 選抜試合の結果を元に国力の差を暴き出し、各種交渉面などで強気に出る材料とする。そうして圧力をかけていき、国自体を弱めていく。

 流れだけなら、頷ける面もなくはない。国が国を攻めるのは、往々にして多少強引な側面を持つものだ。


(だが違う。違いすぎた。ロイが青騎士に、格の差を見せつけた。これでは逆効果だ!)


 頭を振った。

 既に試合開始時刻は目前だった。

 どうすればいいと呻く中、控え室のドアがノックされる。


「入れ」

「失礼します」


 するりと部屋に入ってきたのは、王宮の紋章を刻まれたマントを着た小間使いだった。

 彼は上品な水差しをユートに差し出した。


「こちら、第一王子殿下と第二王子殿下からです」

「何……?」


 小間使いが立ち去ってから、ユートは信じられないものを見る目で水差しを見つめた。

 兄たちが差し入れを渡すなんて、記憶にある限りでは初めてだった。

 ユートは遠慮がちに手を伸ばし、水差しから冷水をぐいとあおった。


(……兄上たちが、俺に期待してくれている、か)


 それだけが救いだった。

 揺らぐ水面に映る己の顔は強ばり、どうにもならないほど疲れ切っていた。

 方針は決まった。


「……なるほど。これは確かに、つまらない男だ」


 自嘲するような笑みを浮かべる。

 少なくともさっきの顔よりは似合っているように見えて、それがやるせなかった。








『続きましては、推薦によって選抜された気鋭の闘士、ユイ・タガハラと、第三王子ユートミラ・レヴ・ハインツァラトスの試合です!』


 女の声に名を呼ばれて、ユイは緊張した面持ちでアリーナ中央に進み出た。

 向かいにはリラックスした様子のユートが既にいる。


「……よ、よろしくお願いします」

「おいおい。近所の付き合いじゃないんだ、気楽にやろうぜ」


 その言葉に、ユイは首を傾げる。

 言い様のない違和感を抱いた。彼女の卓越した観察眼は、ユートのリラックスした様子が、ほどよい緊張感すら脱ぎ捨てた、一種の弛緩状態であることを見抜いていた。


「あの、ユートさん。どうかしたんですか?」

「……どうもしないさ。いつも通りだよ」


 気だるげにユートが呟くと同時。

 試合開始を告げるランプが、順に発光を始めた。

 赤、赤と灯る、ユイもユートも素早く構える。

 緑の光が一際目立つように輝きを放った。



戦術魔法行使(ENGAGE)を許可します(FREE)



 開幕の号令が響くと同時だった。

 ユイが距離を詰める。先手必勝。事前にロイからアドバイスされた通り。

 だがそれよりもユートの方が早かった。


灼熱の(burning)鎧よ(body)闇払う(unbre)希望(akable)となれ(soul)!」

「……ッ!?」


 彼の全身から焔が噴き上がった。

 想定していた攻撃魔法ではない。攻撃を貫通してそのまま正中線に三連撃を入れるつもりだったユイは、左へ鋭く方向転換して横に回り込む。だが彼の全身を隙間なく焔の鎧が塞いでいた。


(これは一体……!?)


 咄嗟の判断で靴底を地面に叩きつけ急制動。

 震脚と呼ばれる動作に指向性を持たせ、砂利を弾丸のように相手へ放つ。

 果たして、砂粒は炎に触れると片っ端から蒸発していった。


「何よあれ!?」

「防御というよりは常時発動型の攻撃だな。並の戦士では触れることすらできないだろう」


 客席ではリンディの驚愕と、ジークフリートの冷静な分析が飛び交っている。

 慌てて距離を取って、ユイは深く息を吐いた。


(……攻防一体にして万能の鎧。そんなもの存在するはずがない。いや、存在するとしても、必ず付け目はある……)


 落ち着いて様子を観察してくる彼女を相手取り。

 ユートの思考は、明瞭になった目的に向けて一本化されていた。


(俺は負ける。負けるしかない)


 拳を構えながらも、思わず笑い出しそうになった。

 負けるために戦うなど初めてだった。

 ハインツァラトス王国が弱体化したわけではない。

 ただ、目の前にいる学生たちを育てている王国は、何かがおかしい。既に想定の範疇を超えている。


(前提で躓いてもらうしかない。俺すら負けることで、完全に誤っていたと証明する。無論、国力の差を逆に暴かれる形だが……虎の尾を踏むよりは遙かにマシだ!)


 勢いよく駆け出し、ユイめがけて拳を振るう。

 鋭角に抉り込まれるコンビネーションを、ユイは相手に接触しないよう注意しつつ捌いていく。


「どうした! 守ってばかりか!?」

「……!」


 挑発の言葉に対して。

 ユイは繰り出されるアッパーを最小限の動きで避けながら、首元のリボンをするりと解いた。


「?」


 目を丸くするユートの顔面めがけて、解かれたリボンが鞭のように打ち据えられた。腕のしなりを利用したのだ。布製とはいえ、ユイの身体操作技術を以てすれば立派な武装となる。

 パァン! という甲高い音。コンマ数秒遅れてリボンが焼け焦げた。


「……ッ、そんなことをしても意味はないぞ。どうした?」

「今、接触しましたね?」

「何……?」


 ユイは身体から力を抜き、上体をやや前屈させる。

 最小限の予備動作で前に飛び出せるよう、身体が覚えた戦闘姿勢。


(…………これ、簡単に勝てる)


 冷たい眼差し。

 叩き込まれた戦闘技巧が相手の弱点を暴き、磨き上げた戦闘理論が勝ち筋を構築する。


(炎を貫通することなんて考えなくていい。あの炎は確かに魔法だけど、形成し終わってる。もう物理的に存在してる。衝撃は通るんだ。外界と完璧に遮断できているわけじゃない)


 理性が告げている。楽な戦いだ。

 相手が自ら弱点をさらけ出しているようなもの。


(拳を打ち込みすぎるとこっちが焼かれるけど、表面に触れるだけなら『祝福』でしのげる。その一瞬で鎧通しを打てば、それで終わりにできる)


 ユイの戦闘用思考回路が、冷酷に数字を弾き出した。

 接近と同時の陽動に一手、データ通りなら動揺したところで体勢を崩させる二手、最後にトドメ、計三手でこの戦いに幕を引ける。

 ────しかし。


(………………だめ、だ)


 奥歯を噛みしめ、ユイは頭を振った。


(ユートさんの目は、誘ってる。そうしろって言ってる。なんでこんなことしてるの、ユートさん……こんなの、勝利じゃない。そんなの意味ない! ただ勝つだけじゃダメだ!)


 口を開けて上を向いていれば、勝利が降ってくるような状態。

 けれどユイは、そんな勝ちに対して、明瞭にノーを叩きつけた。


(違う! 認めない、認められない! あの人に譲ってもらった権利で、そんな無様な勝利をしてしまったら……私は、私を一生許せなくなる!)


 キッとまなじりをつり上げて。

 徒手空拳のまま、ユイは口火を切った。


「ユートさん。貴方、負けようとしてますよね」

「……ッ、何のことだ?」

「いや、答えなくていいです。だけど私、怒ってます。だから……」


 そこで言葉を切って、ユイは目を閉じた。

 静かに息を吸い、集中を高める。己の存在の核を感じた。




 ユイ・タガハラは、今一度、自分に問い直さなければならない。

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